Ex.深夜の来訪者
家に帰り、シャロを部屋まで運んでからベッドに寝かせて、一階に降りる。特に何かやっておかなければならないことがあるわけではないが、何となくとある予感がした。人が来るというか、何というか。とにかく準備をする必要がある。
まぁ、準備といっても軽いツマミを用意して、酒を出しておくだけなのだが。神出鬼没というか、気分によってふらふらしているというか、そんな相手なのに俺のところに来る場合はいつも奇妙な予感がする。
いや、虫の知らせとでもいうのか、今から行くから準備しておけと言われているのか。とにかく毎回毎回来る場合はわかるのだ。
だから準備を進めて、必要な物を自分の部屋に持って行き、テーブルの上に置く。自分のグラスとやって来る相手のグラスを置いて、それに酒を注ぐ。
そのまま少しだけ待っていると、窓から差し込む月明かりが雲によって遮られ、部屋の中が暗くなる。そして雲が流れ、月明かりが戻ってくるとテーブルを挟んだ対面に一人、座っていた。
「うんうん、ちゃんと準備出来てるみたいで良かったわ」
そう言いながら笑みを浮かべているのは、夜を彷彿させる美しい黒髪に、この世界の誰もが見惚れてしまうような容貌の女性―――女神イシュタリアがそこにいた。
「いつも準備してるだろうが」
「それはそうだけど……アッシュのことだから、あのろくでなしの女神にはそんなものは必要ない、とか言って準備しないことだってあり得るでしょ?」
「それもそうだな」
「そこで否定しないのがアッシュよね。というか、私に対してそんな態度が取れるなんてアッシュくらいのものよ?普段は私のことを悪く言うような人間でも、私を目の前にしたら平伏して自分の持っている財産を全て献上するくらいのことはするものね」
「あー、はいはい。この世界ではイシュタリアに逆らえるような奴はほとんどいないからな」
「普通に私に対して信じられないような態度を取れるアッシュが言っても信憑性がないわねぇ」
イシュタリアは言葉とは裏腹に楽しそうな調子で言って、相変わらず笑みを浮かべ続けている。
普通であればイシュタリアを前にして俺のような態度で居られる方が異常だろう。それでも俺にとっては子供の頃からの知り合いであり、この態度もその頃から一切変わっていない。
いや、初対面ではもっと酷かったので変わったと言えば変わったことになるのか。
「まぁ、いつものことだし、いつものように特別に許してあげるわ」
「そいつはどうも。何にしろ……久々に会うんだ。乾杯くらいしても良いんじゃないか?」
「ふふ……ええ、それも悪くないわね」
そんな言葉を交わしてからグラスを軽く持ち上げる。するとイシュタリアも同じようにグラスを持つと、お互いに軽くぶつけるようにして乾杯した。
グラスに口を付け、軽くそれを傾けて酒を飲む。わざわざイシュタリアが来た時のために用意していた酒なので普段俺が飲むよりも遥かに良い酒だ。そのためか非常に美味い。
流石ハロルド。良い酒を用意してくれと言って金を渡しただけでここまで美味い酒を用意してくれるとは、本当に有難い限りだ。
「ふぅん……良いお酒ね」
「そうだな。ハロルドに頼んで良かった」
「ハロルド……あぁ、あの仲介人のことね」
ハロルドの名前を聞いて、記憶の中から該当する人間を探し出したイシュタリアだったが、反応が非常にどうでも良さそうだった。
女神であるイシュタリアにとって興味のない人間のことなどどうでも良いのだろう。それでも、俺が世話になっている相手ということで名前だけは憶えているようだ。
「そう、仲介人のことだ。お前の信徒だぞ?」
「私の信徒なんてそこら中に掃いて捨てるほどいるわよ。まぁ、私が世界で一番の女神なんだから、当然よね」
そんなことを言い切ったイシュタリアは所謂ドヤ顔をしていた。
こういう自身に満ち溢れたところや、自分のことが一番だと公言する自分のことが大好きなところが自愛の女神などと俺に言われる理由なのだが、きっとイシュタリアにはわからないだろう。
「……事実ではあるか」
「どうしてそこで不満そうにするのよ」
「俺としてはエルシュガルの方が人気が出そうだと思ってな。性格的に」
「へぇー……天の女神である私よりも、地の女神のあの子の方が人気が出る、と……」
天の女神イシュタリア、地の女神エルシュガル。
はっきり言ってしまえばイシュタリアが圧倒的な信仰を集めていることもあってエルシュガルを信仰する人間は少ない。というか、エルシュガルのことを知らない人間も多いのではないだろうか。
「謙虚になることも必要だからな」
「あら、私が謙虚になったら逆に嫌味じゃない。私は誰もが認める最高の女神なんだから!」
「やれやれ……まぁ、知名度の時点でお前の方が人気だよな。信仰の数がその証拠ってな」
信仰の数は圧倒的にイシュタリアが上だ。質はどうかは知らないが。
「で、聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいこと、ね。シャロのことかしら?」
「あぁ、わかりきってることだろ?」
どうしてまだ幼いシャロを俺の世話役として送り込んだのか。その真意を聞きたい。
イシュタリアの性格上、そうした場合の俺の反応を楽しみたいだけ。と言われても納得してしまうので誤魔化される可能性もあるのだが。
「そうねぇ……あ、その前に一つ言っておくことがあるわ」
「何だよ」
「確かに私はあの子にアッシュの世話役になるようにって言ったけど、それはあくまでも成長してからの話なのよね」
「……本当に?」
「こんなことで嘘なんて言っても仕方ないでしょ。私があの子に神託を授けたのが五歳くらいの頃だったかしら。それからお世話役として色々覚えて年齢的にも問題ないくらいになってから。って思ってたのに気づいたらエルフの里を出て王都にまで辿り着いてアッシュを見つけるんだから驚いたわよ」
どうしてまだ幼いシャロを、と思っていたがイシュタリアはちゃんと成長してからの話としてシャロに神託を授けたらしい。
ということはシャロが神託を授けられてから俺の下にやって来たのはシャロ本人の意思ということになる。そちらの方がどうして、と思ってしまう。
「まぁ、私はシャロがお世話役になってからのアッシュの様子をずっと見させてもらえて楽しかったからそれはそれで良かったけどね」
「はぁ……それなら、どうしてシャロは来たんだろうな」
「さぁ?本人には何か考えがあるんじゃないかしら」
そう言ってからイシュタリアは言葉を切り、にやにやしながら更に言葉を続けた。
「でもそうなると……アッシュはシャロのことを疑っちゃうのかしら?」
そんなことを言ったイシュタリアの顔を見ると、本当に性格が悪い奴は顔に出るのだな。と思ってしまった。いや、イシュタリアの場合はわざとそういう表情を浮かべているのだろうことは予想がつく。
だからこそ、その問いに対しての俺の返答はこうだ。
「いや、疑わないさ」
「……本当に?」
「あぁ……疑って、警戒して、それでシャロを傷つけてたからな。それなのにまたどういうことなのか、何か裏があるんじゃないのかって疑うのもな……」
「アッシュにしては随分と優しいわね。私としては、少しでも怪しいところがあれば絶対に疑ってかかると思ったんだけど……」
「……良いんだよ。ろくでなしのクソ野郎の俺でも、たまには誰かを信じてみようかなってことで」
信じてみよう、というよりもこれ以上シャロを傷つけるようなことをしたくない。というのが正しいのだが、それを言うとイシュタリアに何を言われるかわからないので黙っておくことにする。
もし、シャロを信じて裏切られたとしても、そういうこともあると、他人というものは結局そういうものなのだと、割り切ってしまえば良い。
シャロの性格というか、今まで接してきてわかっている限りではそういうことはあり得ないと思う。
「へぇ……アッシュがそう言うなら良いんじゃない?それにシャロに裏切られて傷ついたとしても私が慰めてあげるわよ」
「そいつはどうも。まぁ……信じる相手は、騙されても良いと思える相手だけにしてるからな。騙されたり裏切られたらそれはそれとして割り切るさ」
信じている相手はハロルドや白亜、桜花、それからスラム街で交流のあった特定の人間くらいのものだが、こうして並べた相手に裏切られるとしても、それでも良いと思って信じている相手なのでもしそうなっても俺は恨むことはない。
その中にシャロも追加されるだけのことだ。裏切られたとしてもシャロを傷つけるようなことはしない。
「そう……少し見ないうちに、変わったわね」
「そうか?」
「だって、私の知ってるアッシュはそんなことを思っていても口には出さないはずよ。ちゃんと伝えることの大切さでも学んだ結果、かしらね?」
「……一部始終を見てたんだろ。わざわざ言うことかよ」
「見てたからこそ、こうして言ってるのよ」
そう言ったイシュタリアは楽しそうに笑っていて、先ほどまでの嫌な表情は既になくなっていた。
こうして笑っていれば美の女神なんて言われるのも納得するほどに綺麗なのだが、それを口にすると絶対に調子に乗ってうざったいので絶対に言わない。
「お前はそういう奴だよ……」
「そうね。そういう女神様よ。アッシュはちゃんと私のことを理解してくれるから話してて楽しいわねー」
「イシュタリアとまともに話が出来る奴がどれだけいるんだろうな?」
「……女神とか、男神とか?」
「神様連中だけかよ」
「当然じゃない。最低限それくらいじゃないと、私と話をしようなんて不敬よ、不敬」
確かに神と会話をしようなど、不敬だろう。王族のことを呼び捨てにするよりも、ずっとずっと不敬だ。
ただ俺はこうしてイシュタリアとお互いに気を遣うことなく思ったことを口にして会話が出来ているので、今更王族に対して不敬だのと言われてもいまいちピンと来ない。まぁ、不敬であることには変わりないのだが。
何にしろ、そうしてイシュタリアと意味のあるような、ないような、くだらない話をしながら互いにグラスを傾ける。
イシュタリアの信徒にとっては信じられないような光景を二人で作りながら、旧友との会話を楽しむようにお互いに口を閉ざしたとしても次から次へと言葉が出てくる。
だが、夜はまだ長い。いつものようにイシュタリアが帰るまで、精々こうしてくだらない会話を楽しませてもらおう。




