悪意と感性
翌日も同じように無難に仕事をこなした。
貴重品が置いてある部屋の清掃に監視がつくのはある意味
「貴重品が無くなった際に濡れ衣を着せられる心配をせずに済む」
のだから実は有り難いのかも知れないと思った。
信用してるフリをして貴重品が置かれている部屋で独りにしておいて、後から難癖付けて泥棒だと陥れる。
そういう手口を使う人達もいそうだと判るからだ。
(まぁ、本気で悪質だと監視員に嘘を吐かせて陥れに加担させたりもするかも知れないが)
(前世からの持ち越しなのかもだけど。私って本当に人間不信なんだなぁ…)
と自分でも少し呆れた。
ーーともかく
貴族家対策の掃除方法で淡々と仕事をこなした。
ペースが昨日よりも落ちているが
「豪華な部屋の備品を傷付けないように細心の注意を払っているから」
という言い訳が充分通用する。
ペースが落ちても、昼過ぎには今日の分の清掃が終わった。
厨房へ行くと早速食器洗いを頼まれた。
夕食の準備の前に保存食作りをすると言われて手伝わされた。
野菜や果物をスライスして干していく作業。
野菜の酢漬け作り。
そうしてやっと夕食の準備を始めると告げられ
「今夜の客人は香辛料を使った料理がお好みらしい」
と言われた。
(カレー味の料理を作るか?)
と咄嗟に思ったが
(…地球世界のソースの味を再現したい)
とも思った。
香辛料を使った複雑な味がお好みの客なら地球世界の味覚に近い感覚での
「美味しい」
がそのまま通用しそうだ。
私には
「肉料理を担当してくれ」
と指示がくだったので
(ひき肉にしてハンバーグを作ろう)
と思った。
勿論、香辛料を組み合わせても地球世界のソースと同じ味のソースが出来るとは限らない。
シナモン・クローブ・カルダモン・クミン・セージ・タイム・ナツメグ・オールスパイス・ローレル・フェンネル・ ブラックペッパー・玉葱・干しプルーン。
材料に出来そうな食材はある。
林檎もあると良いのだが、季節的に出回っていない。
ソース自体を亜空間収納庫から出して使う手もあるが、地球世界の容器のままのそれを出して使うには人目があり過ぎる。
(こっちの世界の容器に移し替えておくべきだったかな)
と少し後悔。
(味を確かめながら自分で作ってみるか…)
ハンバーグ自体は作り方は簡単。
ハンバーグに合う美味しいソース作りが難しい。
ハンバーグのたねには塩の他にブラックペッパーとナツメグを加えておく。
肉汁に野菜と果物の水気を足して、そこに香辛料をごく少量づつ加えていく。
ソースだけを味見しても美味しいかどうか分からないが、地球世界のソースと似た味であればちゃんとハンバーグに合う筈だ。
作りながら、ふと
(味覚の違いって不思議だよなぁ)
と感じてフワフワした気分になった。
「美味しいと感じた食べ物を何故美味しいと感じたのか?」
今にして思えば
「先人達の感性への踏襲」
があったように思う。
日本人だった時に何も考えずに洋食を美味しいと思ってた頃はーー
何故か日本人が醜く見えて白人が美しく見えていた。
「有色人種なのに白人の感性がインストールされてる」
ような状態だった。
人間には
「先人達の感性を踏襲し、それを基準に物事を捉えてしまう」
という性質が間違いなくあった。
「だからこそ自国の文化を大事にする必要があるんだな」
と感じていた。
それと同時に
「感性というものは何なのだろう?」
という点で奥深さを感じた。
例えば
テレビだと視聴者は一方的に情報を押し付けられるのに対して
インターネットだと自分の方でも情報発信できる。
「先人達の感性」というものが「SNSアプリ」のようにインストールされた後で、同じものをインストールされてる者達の間で潜在意識の繋がりを形成してしまうものなのだとしたら…
白人文化の感性の中に在る
「有色人種は醜く、素朴で、愚かだ」
という嫌悪と軽視に干渉を加える事も可能なのではないのか?
と思った。
意識の個体性・自我を極小まで抑えて集合意識に迎合。
自分という個を否定し、全と同化。
充分に同化したところでーー
コッソリ個体性・自我を取り戻し
自分という個を正当化・肯定。
皆で共有している「感性」そのものを密かに「人種差別はいけない」と書き換える。
それが可能なのではないのかと
そう思ったーー。
勿論、ネット上のウィキ⚪︎ディアのように書き換えても書き換えても別の人達がその人達の御都合主義的観点で更に上書きするので、影響力などほぼ無い。
それに「感性」というものをネット端末にインストールされる「SNSアプリ」のようなものだと感じて、そこから自分以外の人々の感性にまで干渉しようだなんてーー
そういう考え方は
当然のように誰からも理解されなかった。
それでも
「集合意識を通した人類意識の改善とはこういう事だ」
「人類愛とか人類の存続に本当に必要なのはこういう事だ」
と不思議な確信を持っていた。
勿論、それは私が
日本に(自国に)住む日本人だったこと
普通に生きていた無害な民間人だったこと
つまり専守防衛による
「人種差別はいけない」
を願ったからこそ許される
「集合意識への意図的干渉」
だったと思う。
美味しいものを食べて美味しいと感じて…
人々が幸せな気分になっていた文明的営み。
その片鱗を異世界で再現するのは、どこかーー
ゴミの中に埋もれていた宝を拾い上げる作業に似ている。
ゴミの中の宝を
悪の中の善を
狂気の中の正気を
邪の中の聖を
拾い上げて再現する。
味覚一つにしても重い歴史があるのだ。
ハンバーグにかけるソースの味を調整しながら、我知らず私は微笑んでいた…。
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地球世界の味を再現しようとして
「美味しい!」
と絶賛されて、奇妙な感覚を味わった。
素朴な味に慣れた人達は本来なら複雑な味を好まない。
ホワイト王国は島国。
陸伝いで隣国と隣接してる大陸の国々とは違う。
文化ですら独立的だ。
ホワイト人の多くが
大陸側の国々で
「美味しい!」
と言われているものに対して
「美味しくない」
と感じてしまう。
マルセル国は美食の国という位置付けにあるが
多くのホワイト人にとって
「ゲテモノ喰い」
「何でも喰らう狂人」
「カエル野郎」
「カタツムリ野郎」
なのである。
葡萄から作った葡萄酒だけはマルセル産の物を好むが…
「材料が何なのかよく分からない複雑な味の料理」
に対してホワイト人は
「気持ち悪い」
と思ってしまう気質。
それなのに私が作る日本人好みの洋食の味に対しては手放しで受け入れてくれている…。
だから
(もしかして…)
と思った。
「ホワイト人に対して悪意ある人達の生み出す複雑な文化を何故かホワイト人は受け入れる事ができない」
「ホワイト人に対して悪意ない者の生み出す複雑な文化を何故かホワイト人は受け入れてしまう」
という事なのではないかと思った。
「味覚を含む五感や脳は、実は悪意に左右されている」
「悪意ある人達の文化的複雑性とは同化・共鳴できない」
という現象。
思い当たる事はある。
(何故か前世の私は反日国のドラマや音楽を観ることも聞くこともできなかった…)
意図的に拒否していたのではなく、何故か受けつける事ができなかった。
ホワイト人がマルセル人の誇る美食を
「気持ち悪い」
と感じてしまうのと同じ。
悪意ある複雑さと
悪意なき複雑さとで
反応が違う。
この国の人達は
私にとって精神的に近しい所にある。
それが判ったーー。




