チョコレート大作戦
「少しいいか?」
部屋でくつろいでいたクリスタの元へフランツがやってきた。
彼は外用のジャケットを羽織っており、今から出掛けるようだ。
「なぁに?」
ベッドにうつ伏せで寝転がり、新作菓子の描かれた雑誌に夢中だったクリスタは間延びした声で返事をした。
その不意打ちのあどけなさに、フランツはうっ…と身悶えるようにして自分のシャツを掴んでいた。慌てて表情を取り繕う。
「あ、ええとその…クリスタはチョコレートが好きだろ?」
「うん!大好き!」
「ぐはっ」
間髪入れずに愛の告白が返ってきたせいで、今度は血を吐きそうな勢いで前屈みになっている。
「フランツ?」
「…いや、何でもない。クリスタはどんなチョコレートが好き?ミルクたっぷりの甘めなやつ?それともカカオ多めのほろ苦いやつ?」
「ええとそうだなぁ…どらかというと、ミルクたっぷりの甘めの方が好きかな。」
「分かった。教えてくれてありがとう。」
柔らかく微笑んだフランツがベッドの脇に膝をつき、腕を伸ばしてクリスタの手に触れる。そして掴んだ手を持ち上げ、人差し指に唇を押し当てた。
「いっ」
いきなり走った甘やかな感触に、クリスタが悲鳴に似た声を上げる。手を引っ込めようとしたが、上目遣いで見つめるフランツにしっかりと握られており、微動だにしない。
彼女の反応を楽しむかのように、指一本ずつ丁寧に唇を押し当てていく。その度に心臓が跳ね上がる。
「ひゃっ…ちょっと、待っ……」
「待たない」
フランツにしては珍しく、はっきりとした口調で拒否をした。その有無を言わせぬ振る舞いに、クリスタの頬が朱色に染まっていく。
ー ひぃぃ!これどうしたらやめてくれるの!?
…あそうだ。師匠がこれを言えば大概の男は大人しくなるって言って言葉があったんだった。確か、うるうるした瞳を伏目がちにして恥ずかしそうに言えばいいんだっけ…
「ねぇ…夜まで待ってくれないの?」
「……っ!!…少し出掛けてくる。夕方には戻ってくるから、今日は早めの夕飯にしよう。」
ー 効果覿面だったわ。さすが師匠!!
耳まで真っ赤にしたフランツは逃げるようにして部屋から出て行ってしまった。
もちろん、クリスタはこの言葉の意味を理解していなかった。
***
ある日の夜、寝支度を終えたクリスタが夫婦のベッドで本を読んでいるとフランツが部屋に入ってきた。
彼も湯浴みを終えているらしく、薄手のシャツとゆったりとしたパンツというラフな格好をしている。
いつものようにクリスタの隣に潜り込むと、サイドテーブルに本を置いた彼女が顔を上げた。
「ん…カカオの良い香りがする…」
匂いの元を探るクリスタがフランツの方をじっと見てきた。
「ああこれ?この前商談相手から貰ったカカオを原料とした香油なんだ。入眠時に使用するとリラックス効果があるって今隣国で流行ってるらしい。」
なんてことのないように言っているが、真っ赤な嘘だ。
チョコレートの香りを忠実に再現するため王都で有名な調香師を買収して試行を重ね、金と時間を費やしてようやく完成した一点ものだ。無論、市場には出回っていない。
だが、そんなことをクリスタが知る由もなく、彼の話を真に受けている。
「へぇ、そんなものがあるんだ。本物のチョコレートみたいに甘くて良い香り…はぁ堪らない。」
チョコレート大好きなクリスタは、恍惚とした表情で匂いの元に鼻を寄せる。そう、フランツの首筋だ。
「んっ」
首筋にクリスタが顔をうずめる形になり、激しく動揺したフランツの口から変な声が漏れる。生地の薄い夜着のせいで肌の感触が強調され、物凄い速さで頭の中にあらぬ想像が駆け巡った。
ー くそっ理性を保て!馬鹿!
この日のために努力を重ねたというのに…俺の下心がバレては本末転倒だ。
彼女に気取られないよう慎重に距離を詰めるための秘策、その記念すべき第一歩を成功させなければ俺の明日はない。
うぅ…なのに…無防備に擦り寄ってくるクリスタが可愛過ぎて心身ともに爆散してしまいそうだ…ああもうほんと無理しんどい。可愛い。
…いやダメだ。いつの日か夫婦生活を実現させるため、ここは俺が優位に立ってそれとなく導かないと。そのための今日なんだ。まずは至近距離にある彼女の頭を抱え込んで甘い言葉を囁いて…
「これ、チョコレートの味するのかな?」
「………………………っ!!!!」
ペロリと小さな舌で首を舐められ、油断してたフランツは思わぬ感触に歯を食いしばった。理性を総動員してなんとか気を鎮める。
がばっとクリスタに覆い被さりたくなる気持ちを必死に押さえ込んだ。
ー まずいまずいまずいまずい…
まさかクリスタに襲われ…いや、彼女に他意はないはず…想像以上にこの香油は危険だ。俺の理性がもたない…せっかく作ったのに勿体無いが在庫は全て処分しよう。犯罪者にはなりたくないし、何より彼女に嫌われたくない。
「はぁ…ほんと良い匂い。こんな中眠れるのはいいかも。ふふふ、美味しい夢が見れそうで楽しみ。」
「…あ、ああ。そうだな。」
ー うん、少しだけ在庫を残しておこう。
柔らかなクリスタにぴたりとくっつかれたフランツは、その心地よさにすぐ流されてしまったのだった。




