ベルツ侯爵
目の前に広がるのは広大な敷地だ。
馬車で城塞のような巨大な門を通り、5分ほど走ってようやく玄関前までやってきた。
青々とした緑の芝と、よく手入れされた花々、庭園の向こうに見える噴水とガゼボ、そして、城のように大きな白亜の建物がある。
ここがベルツ侯爵家の本邸だ。
「めちゃくちゃ広い…」
「そうか?本邸だったらこのくらいの規模は当たり前だと思うけど?」
「…共感を求める相手を間違えたわ。」
フランツに手を取られ、二人で玄関へ向かうと、数名の使用人と執事服を着た高齢の男性が一糸乱れぬ姿勢で待ち構えていた。
「「「お帰りなさいませ、クリスタお嬢様」」」
お辞儀の角度から頭を上げるタイミングまで、全員揃った見事な礼であった。侯爵家の格式の高さを伺える。
結構な声量と歓迎の言葉に、クリスタは一瞬ぽかんとしかけたが、自分の立場を思い出し、すぐ令嬢の皮を被った。
御礼の代わりに、にっこりと微笑んだ。
「お父様と約束してますの。ご案内をお願いしても宜しくて?」
「もちろんでございます。どうぞこちらへ。」
執事の案内で、二人はクリスタの父親が待つ部屋へと向かった。
「旦那様、クリスタ様、アルトナー様をお連れ致しました。」
「…入れ。」
聞こえた声は想像していたよりも年若く、感情の起伏が読み取れない単調な声音だった。
歓迎はされてなさそうだと感じたクリスタは、やや緊張した面持ちで部屋の中へと足を踏み入れた。
そこには、声の印象の通り、思っていたよりも若い見た目の男性がいた。
艶のある黒髪に、アーモンド型のエメラルドグリーンの瞳をしており、クリスタとよく似ていた。
自分と似ている姿を目にしたクリスタは、目の前にいる男性が自分の父親であることをすんなりと理解した。
そして、その隣には、クリスタの父親と同じくらいの歳に見える女性、カトリンが座っていた。
彼女からは毒気が抜け、刺々しい雰囲気も消え去り、しおらしく佇む姿は、クリスタの記憶とはかけ離れていた。
「久しいな、クリスタ。」
ベルツ侯爵の表情に変化はなく、社交辞令ということを隠す素振りすらない口調だった。
「お父様、お義母様、お久しゅうございますわ。此度は突然のご連絡にも関わらず、わたくしたちのためにお時間を下さりありがとうございます。」
『お義母様』の言葉に、カトリンの肩が一瞬震えた。
「お初にお目にかかります、私は、アルトナー公爵家のフランツと申します。私達の婚約を認めて頂きましたこと、至極恐悦にございます。」
フランツは普段とは違う丁寧な言葉遣いだったが、その声はいつもよりも低く、相手に圧をかけるような話し方であった。
「君との婚約は偽りだと聞いたが?だからヨーク家の誘いに乗ったのだが、違ったのか。」
フランツの挨拶に返しもせず、自分の聞きたいことだけ聞いてきたベルツ侯爵だが、その割には、興味の無さそうな声音だった。
「そのようなことは決してございません。私が愛する人はクリスタ嬢ただ一人です。彼女からも了承の返事を頂いております。だからどうか、私達の結婚を認めて頂けませんでしょうか。」
ベルツ侯爵の態度に動じることもなく、フランツは真摯に結婚の許可を請うた。
その言葉にも、声音にも、瞳にも、彼の持つ全てに真剣さが宿っていた。
隣にいるクリスタも、真剣な顔でベルツ侯爵の返答を待った。
「構わない。」
「え…」
ほぼ即答であった、
なにかしら、条件か嫌味か小言か言われると身構えていたクリスタは肩透かしをくらい、思わず声が出た。
フランツも顔には出さないものの、快諾してもらえたことに内心は驚いていた。
「家の利益になればどちらでも構わない。まぁ、ヨーク家とアルトナー家であれば、悩むまでもなく、後者を選ぶのが普通であろう。話はそれだけか?」
当然のことだと吐き捨てると、ベルツ侯爵は席を立ち、退室の意思を示した。
はああああああああああ!???
それが結婚の挨拶に来た娘に言う言葉かよ!!この人、血が通ってないわ…
本音はそれでもいいけど、こういう時は嘘でも、お幸せにとか一言言うもんじゃないの?建前大好きな貴族会話はどこへ行ったーーー!!!
こんな男だから、カトリンもトチ狂ってしまったんだよ。
本当にムカつく…なんか一言で良いから言い返してやりたい。効き目のある特大の嫌味とか何かないかな…何か、相手のプライドをズタズタにするような最高の一撃を…
「侯爵様、こちらの用紙にサインだけお願い致します。」
何か言い返すのかと思いきや、フランツは結婚に必要な書類へのサインをお願いしただけだった。
サインをもらうと恭しく礼をした。
「本日は急なことにも関わらず、お時間をありがとうございました。これにて失礼させて頂きます。」
にっこりと、よそ行きの笑顔を浮かべたフランツは、ほら帰るよと言わんばかりに、クリスタに手を差し伸べた。
彼女はその手を取ると、カトリンの方を向いた。
「わたくしずっと御礼が言いたかったのですのよ。お義母様の淑女教育のおかげで、こんなに素敵な相手を見つけることが出来ましたわ。厳しく育てて頂きありがとうございます。どうかお身体にお気を付けてお過ごし下さいまし。」
ベルツ侯爵に言えなかった分、カトリンに八つ当たりをしたクリスタ。
カトリンは、自分に向けられた言葉に、「ひっ」と小さく悲鳴をあげていた。昔の色々を思い出してしまったらしい。
一方クリスタは、盛大に嫌味を言うとスッキリした顔でフランツと共に部屋を出て行った。
馬車へと戻る道すがら、明日の天気を聞くかのような気軽な雰囲気で、フランツが尋ねてきた。
「無事に結婚のサインも得られたことだし、ベルツ侯爵家、潰そうか?」
耳に届いた言葉の意味を理解できずに、フランツの方を振り向くと、彼は真っ黒な笑顔を浮かべていた。




