15.新馬戦(3)
門別競馬場には内外ふたつのコースがあり、1700mは外側を使う。外コースの一周が1600mなので、この平坦なダートコースをほぼ丸一周する。スタートから200mもしないうちに最初のコーナーに入るため、統計的には逃げ・先行馬に有利。そして外側の馬が比較的早い段階で内側に寄せて来るため、4枠はなかなか良い位置。
返し馬を見ても調子は良さそう。見慣れた紗季さんの勝負服が良く見える。中央競馬の場合勝負服は馬主服と言って馬主があらかじめ届け出たものを着用する。つまり騎手はたまたま同じ馬主の馬に連続して乗る場合以外はレースごとに勝負服を変えるし、同じ馬主が複数頭出走している場合は同じ勝負服の騎手が同じレースで騎乗する。一方地方競馬の場合は騎手服と言って、騎手ごとに決まっている。
調教時計を見てもグランフェリスが一歩抜けていることに加えて、運にも恵まれている。だから勝てるはずだと思うのだけれど、競馬は上手くいかないことの方が多い。この世の物事はすべからくそうだと思うけれど、勝負の世界はなおさらだ。
この出走前の緊張をほぐすために、悠馬はソフィアさんに話しかけてみることにした。
「ところで、今日はなぜこちらに?」
芸がないけれど、先ほどと同じように聞いてみた。
「そういえばまだ答えてませんでしたね。ワタシは今、牧場を、買うためにホッカイドウに来てマス」
玉子と牛乳を買いに来た。そんな調子で牧場を買うとさらりと言われてしまった。小規模な牧場だとしてもどれくらいのお金が必要なのか、零細馬主の悠馬にはピンとこない。
「なるほど。スケールの大きな話ですね」
「ハイ。ですからいろんな方とお話シタリ、実際にボクジョウを……みたりしています。そろそろスタートします」
無事ゲートに全頭入ったようだ。グランフェリスも他の馬も当然これがデビュー戦。ゲート試験で大丈夫でも本番のレースで興奮してしまう馬も少なからずいる。馬はデリケートな生き物だから。
そして仮に一頭がゲート内で不穏な動き、ゲートを揺らしたり大きな音をたてたりすると、他の馬にもそれが伝染してしまうこともある。世界中の競馬関係者が、新馬戦で同じことを味わっているに違いない。
そしてゲートが開く。それと同時にグランフェリスが抜群のスタートでハナを切った。紗季さん天才。あっという間に悠馬が見下ろす貴賓室の前を通過し、そしてどんどん前へ前へと突き進む。後ろとの差がどんどん開いていく。
逃げあるいは先行するのは事前の打ち合わせ通りだけど、これはちょっと早すぎない? これ大丈夫? 紗季さんが手綱を緩めグランフェリスを抑えようとしているのがわかるけど、そのままコーナーへと入っていく。まだ向正面に入る前なのに、紗季さんが立ち上がって、体の重心を後ろ寄りにしている。
普通の馬であれをやったら止まってしまってもおかしくないのだけれど、グランフェリスはブレーキが壊れたダンプカーみたいに猛進する。
「カノジョ、速いわね。err...Front-runner ?」
「逃げ馬なのかって」
いつの間にか近くにいたマリコさんが訳してくれる。
「前で勝負する馬なのは確かですね」
悠馬はラップタイムを計っていないけれど明らかにオーバーペース。1700mなのに後続とは6馬身ぐらいありそう。このハイペースで最後まで脚を残せるか。
第4コーナーを回って最後の直線に入る。330mのホームストレッチがやけに長く感じる。後続馬がグランフェリスを捕まえようとペースを上げる。競走馬が全力疾走できるのはだいたい500mぐらいが限界で逃げ馬だとより短くなる。
頼むから残り1ハロン(200m)を全力で逃げきって欲しい。
「なんとかなりそうね」
そうソフィアさんは言うけれど、最後尾からものすごいスピードで追い込んでくる8枠、2番人気の馬がいるんですが? マズくね?
差がみるみる短くなりとうとう追いつかれそうになったところで門別競馬場の特長的な青い大きな弧のゴール板を駆け抜けた。
助かった。勝ったでは無くて悠馬はそう思った。
「カノジョとあなたにおめでとうゴザイマス」
そう言って微笑むソフィアさんは天使みたいに見える。
「ありがとうございます」
ソフィアさんの祝福に悠馬はなんとか返事をした。
「いや、強い競馬でしたね」
他の人たちもそう言ってくれるけど、競馬関係者はみな接待の達人だから本気にしない方がいい。
「いや、ギリギリでした」
「そうね。もんだい? かだい? も多いわね」
「本当にそうですよね」
今日は新馬戦だから勝てた、次戦もこのような展開だと勝てないと思う。




