10.ホテルノースエリシオン
ホテルの窓から札幌の夜景をぼんやりと眺めていた。喫茶店を離れてから、まだ心のどこかがざわついている。
私は合理的な提案をしたと思う。私の見た目ではあの仔馬、グランフェリスは欧州の芝でこそ本領を発揮できる。私なら彼女に最適な環境を用意できるはずだ。
それは馬のためにも、ピンフッカーの彼のためにも最善の選択肢だろう。私はそう信じているし、彼も芝向けであることを否定しなかった。
でも彼、佐藤さんは首を縦に振らなかった。金額交渉すらしようとしなかった。
『夢だから手放せない』
その言葉は私には少し幼く、危いとさえ思えた。ピンフッカー、それもなんの後ろ盾も持たない個人。資産も少ないと聞いた。
利益が出るうちに売るのが当たり前。それが私の知っている競馬の世界で「ビジネス」をする人間の常識だった。馬主は大金を投じても名誉すら得られないことが多い。それを承知の上で、次の馬を買う余裕がある人間だけが「夢」を追い求めるべきだと私は思う。
でも彼は最後まで目を逸らさずに、拙い英語でソフィアから自分の馬を守るために、何かを伝えようとしていた。
家名も、伝統も、資産もない。
一度失敗すれば退場せざるを得ない状況が続く中、彼は自分の目だけを頼りにこの競馬の世界で生き残っている。綱渡りの状況を続けても落ちない強さを持っている。
私がこれまで見てきたどんな馬主とも違っていた。私は馬を「夢」として見ることを否定しない。でも競走馬はやはり「資産」であり「名誉」をもたらすものだと捉えている。
経済力のない彼にとって、目の前のお金は手が出るほど欲しかったはずだ。その「夢」は誰よりも切実だけど、おそらく誰からも理解されないだろう。
実際他の馬主も、牧場のスタッフも、彼のことを誰も理解しようとしていない。そして私も。
私は彼のようにはなれない。なるつもりもない。私と彼の立場は全然違う。私は家の名に守られてきた。何も持たずに夢を追う勇気も、すべてを失う覚悟もない。私は彼とは違う。私には守るべきものがある。それもまた別の強さにつながるはずだ。
それにしても。
日本に来てから東京で多くの人に会った。中央競馬の人にいろんな話を聞いたし、馬主会のパーティにも出た。そこでとある馬主に英語でこう言われた。
"Don't include us with local horse owners."
ローカルな馬主と一緒にしないで欲しい。そう見下すように言われるような存在である「ローカルな馬主」とは? その時に訊ねれば良かったのかもしれないけれど、私を見る目に邪なものが含まれていたから、曖昧に笑ってその場を離れた。
後で調べたのだけど、日本の競馬には中央と地方という二つのカテゴリがある。直接ではないにしろ、前者は国営で、後者は地方公共団体が管轄しており、その両者は私が思うよりも溝が深いようだ。
私が日本にきてほぼ一ヶ月、これまでは中央競馬しか見てこなかった。もう少し地方競馬についても調べてみよう。お父様からの指示には無いことだけど、個人的に興味が出てきた。
私は元々、お父様の指示で日本での足場作りのために来た。競馬は欧米では地盤沈下が止まらない。今後も止まらないだろう。例外なのはアラブと日本だけ。
ただしどちらも参考にすることはできない。アラブはオイルマネーがあるからで、日本は規制で守られているからだ。
現在の欧米ではありとあらゆることが賭けの対象になる。元々カジノはあるし、今はスポーツベッティングがとても盛んだ。
例えばフットボールでも賭けの対象は勝敗だけじゃない。得点者、イエローカードの枚数、コーナーキックの数。それらに逐次ライブでオンラインで賭けることができ、すぐに現金に換える機能もある。ベースボールだってワンプレイが賭けの対象になる。現在のギャンブルはとてもスピーディかつカジュアルに行われる。
もちろん競馬だって、着順以外にいろんな賭け方ができるようになった。着差とか勝ち馬の毛色とか。それでも欧米では競馬は「賭博という経済活動」のメインストリームからは外れつつあり、今や伝統芸能に近づきつつあるのではないかと私は懸念している。
そして日本で認められているギャンブルは4種類の公営賭博と宝くじだけ。その中でも競馬は多くのファンがいる。だから競馬は賭博の中で大きな地位を占めている。
なお私はパチンコについても調べてみたが、自分で調べても人に訊ねても納得のいく回答を得ることができなかった。
そして海を挟んだ中国に行くと、香港・マカオを除けば賭け事は全面禁止になるので、これまた競馬が成立しなくなる。
さて、この状況で私は次に何をするべきだろう? 予定していた滞在期間のほぼ半分が終わった。北海道では引き続き牧場見学を続けるけれど、日本でできることは他にもまだあるはず。
そんなことを考えながら私は寝ることにした。ベッドに横になって、忍び寄る睡魔に身を任せる。
そう言えばあの人の視線からは、私が常日頃感じている嫌悪を感じなかった。意識が薄れる直前になって、今更ながら私はそれに気が付いた。
次の週末は土日とも所用が入りそうなので、来週は休載するかもしれません。




