58 花火の帰り道
花火大会からの帰りの電車は、結構混んでいた。
俺たちが電車で横崎駅を出たのは9時半ごろで、花火見物の客と仕事帰りの人たちでいっぱいだった。
「芳原って、家どこだっけ?」
車両の奥で酔っ払いが大きな声で話しているのが聞こえて、少し心配になる。
「倉ノ口。そこからバスで7分くらい。」
(倉ノ口か……。)
丸宮台の4つ先だ。
葵は俺が送っていけるけど、尾野は俺たちの2つ先の駅で降りてしまうから、そこから先は一人だ。
こんな時間だし、浴衣だと、いざというときに動きにくいような気がする。
一緒に遊びに行った帰りに怖い思いをしたりしたら気の毒だ。
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫。兄が迎えに来てくれるから。」
笑顔でそう言われて安心した。
「由衣ちゃんのお兄さんってね、すっごく格好いいんだよ。」
葵が目を輝かせて俺と尾野に言う。
芳原は、「それほどでもないんだよ。」と笑って否定したけど。
「モデルさんなんだよ。この前、さっちゃんが持って来た雑誌に載ってたのを見せてもらったの。」
「モデル!?」
尾野が驚いて訊き返す。
「うん、まあ……、背が高いからね。」
「それだけじゃないよ〜。顔だって綺麗だし、テレビのコマーシャルにも出たことがあるんだって〜。」
「あはは、ちょっとだけね。服着てポーズとってただけだし。」
「へえ……。」
家族にそういう人がいるって、すごい。
そう言えば、芳原も背が高いし、綺麗な顔をしてるしな。
そんなレベルの高い兄貴を見慣れているんじゃ、尾野の計画は無理のような気がする。
べつに宇喜多の見た目が普通よりも劣ってるという意味じゃない。あいつは結構いいセン行ってると思う。
でも、モデルに見た目で対抗できるとしたら、尾野くらいじゃないだろうか?
(やっぱり仕方ないよな……。)
誰が誰を好きになるかなんて、いくらお膳立てしたって、思い通りに行くものじゃない。
それができるなら、俺のいとこみたいに何回もお見合いをしている人なんか、いないはずなんだから。
「気を付けてね。」
「またねー。」
「葵ちゃん、お疲れさま〜。」
「じゃあな。」
丸宮台で尾野と芳原に別れを告げて電車を降りる。
駅に停まるたびにお客が少しずつ降りて行き、今は車内はかなりすいている。
ホームに降りてから、動き出す電車の中の二人にもう一度手を振った。
(尾野と芳原って、どんな話をしながら乗って行くんだろう?)
そんな疑問が、ふと頭をよぎる。
よく考えてみると、部活のない期間中にも、こういうことがあったはずだ。
でも、あの二人が笑いながら会話をしている姿なんて、想像ができない。
今日だって、葵を間に入れて話しているだけだったし。
(まあ、一緒なのは2駅だし、そんなに話さなくてもいいのかな。)
「行くか。」
「うん。」
頷き合って、ホームを歩く人たちと一緒に歩き出す。
着なれない浴衣と下駄の葵のために、いつもよりゆっくりと。
……いや、本当は、一緒にいられる時間を少しでも引き延ばしたいだけだ。
隣を歩く葵の足元から、カラン、…コン、カラン、…コン、と、下駄の音がする。
(ん?)
下駄の音が不規則だ。
「葵。」
立ち止まって声をかけると、彼女が顔を上げた。
その顔は普段と変わらず穏やかで、優しい微笑みを浮かべていたけれど……。
「足、痛いんじゃないのか?」
パチリ、と彼女が目を見開いた。
それから曖昧な表情でもう一度微笑んで。
「ええと……、ちょっと。」
(やっぱり……。)
「どうして言わないんだよ?」
軽く睨んでしまった俺に、彼女が慌てて弁解する。
「え、と、大丈夫だよ。あの、ちょっと鼻緒のところが靴ずれになっちゃっただけだと思うの。家まですぐだし。」
捻挫のように長引く怪我じゃなくてほっとした。
でも、靴ずれだって痛いことは変わりがない。
さっきの足音の様子だと、加減して歩かないと辛いのは間違いない。
「大丈夫じゃないよ。痛いんだろう? 絆創膏持ってるか?」
「絆創膏……、今日は置いてきちゃった……。あ、でも、平気だから。勝手にこんな格好してきたのが悪いんだし。」
(「勝手に」って……。)
それを見て嬉しかった俺たちの気持ちはどうでもいいのか?
それに、あくまでも “大丈夫” で通そうということにもため息が出てしまう。
そんなに俺に頼るのが嫌なんだろうか?
「ちょっと待ってろ。ええと……。」
ポケットの財布を探る。
財布の中にいつも入れてあるはず……。
「あった。1つ? 2つ?」
絆創膏を取り出すと、葵が驚いた顔をした。
「相河くんて、用意がいいんだね……。」
「そうか?」
絆創膏はよく使うから、必ず持ってるけど。
「どこで貼る? そこのベンチ? トイレの方がいいのか?」
「え、あ、でも、待ってもらうのも悪いし………。」
この期に及んで、まだ遠慮するとは。
(少し脅してやるか!)
「痛いのにそのままでいいって言うんなら、抱っこして家まで連れてくぞ。」
「え!?」
「長い距離じゃないから、どうにかなるだろうけど?」
ニヤリと笑いかけると、葵は目をまん丸にしたままふるふると首を横に振った。
「あ、じゃ、じゃあ、そこのベンチで。はい。」
そして左足を庇いながらも大急ぎでベンチまで行く。
俺が隣に座る間に、彼女は左の下駄を脱いで、その上に足を乗せた。
「血が出てるじゃないか……。」
「うん……。こんなに酷いとは思わなかった。どうりで痛いわけだよね……。」
裸足の親指と人差し指の間に血が付いていた。
水ぶくれが破れて、皮がむけてしまったらしい。
血はたくさん出ていたわけじゃないし、赤い鼻緒の黒い下駄だったから、よく分からなかったのだ。
「こっちも水ぶくれが……。」
右足は、甲の小指側の鼻緒が当たる場所が痛かったらしい。
「痛い場所は全部貼っとけよ。何枚必要だ?」
「ええと…2枚。」
「本当に? 遠慮しないで言えよ? まあ、抱っこして帰っても ――― 」
「ごめんなさい、3枚。」
「OK。」
話している間に、ホームからは人がいなくなった。
あんまり見ていたらやりづらいだろうと思い、体を起こしてベンチの背にもたれてみる。
反対側のホームにも、今は人影がない。
こんなに明るくて広い空間に人間は俺と葵だけなんて、なんだか不思議だ。
(あのびっくりした顔……。)
思わず笑いが漏れてしまう。
俺の脅しに目を丸くした葵。
本当にやられると思ったんだろうか?
俺が無理矢理彼女を抱き上げて……って。
(やってみたかった気もするけどさ。)
小さい子を抱き上げるように?
それともお姫様風?
どちらにしても、彼女は恥ずかしがって、俺の肩に顔を押し付けて来そうだけど。
そんなことを思ったら、なんとなく首のあたりがもぞもぞする。
甘い想像に鼓動が乱れて、顔が熱くなってきてしまった。
暑いのは気温のせいだというふりをしながら、手で顔をあおいだりして。
「お待たせしました。」
起き上がった葵。
屈んでいて暑かったのか、頬が赤い。
少し恥ずかしそうに微笑んで立ち上がり、俺の前で足踏みしてみせた。
「えへへ、大丈夫みたい。」
「うん。よかった。」
彼女の動き、表情、言葉。
その一つひとつが可愛らしくて愛しい。
「どうもありがとうございます。ご心配かけました。」
立ち上がる俺に、彼女が深々と頭を下げる。
「いいよ。行こう。」
「はい。」
そう言って微笑み合う一瞬が幸せだ。
今日はエスカレーターを使おうと思いながら歩き出した途端、今度はぐん、と何かに引っ張られて体が止まった。
(ん?)
振り向くと、困った顔の葵が俺をじっと見つめている。
何か、訴えるように。
その彼女の姿をたどって視線を下に移すと ――― 。
(ウソだろ!?)
自分の手が、彼女の手を握っていた。
「あっ、ごっ、ごめん!」
(いつの間に!?)
半分パニックになって、急いで手を離す。
まるで犯罪現場を見つかった犯人のように、開いた両手を体の横に上げた。
「ほ、ホントにごめん!」
彼女は自由になった手を、胸の前でもう一方の手で包んだ。
大切なものを取り返したみたいに……。
「あ、の、ちょっとその、間違えちゃって。ごめん。」
手を握り合わせてうつむく彼女にひたすら謝る。
「い、い、い、いいいえ、あの、だ、大丈夫です。」
彼女はうつむいたまま、何度も頷く。
どう見ても「大丈夫」ではなさそうだ。
(ああ……、俺は……。)
思わず目を閉じた。
そのままため息をつこうとした、そのとき。
「あの…、行きましょう?」
腕にかすかに触れる感触が。
目を開けたら、目の前で葵が微笑んでいた。
「あの、ちょっとびっくりしただけ。大丈夫だから。」
そう言いながらも、まだ頬が真っ赤だ。
大きな瞳は目が合った途端にゆらゆらと頼りなく揺れて……。
「うん……。ごめん。」
もう一度謝ると、彼女は微笑みながら、覚束なげに頷いた。
エスカレーターで上りながら、自分の失敗に落ち込む。
どうにか会話を続けながら、彼女の様子を観察してみる。
(とりあえず、避けられてはいないみたいだけど……。)
送るのを断られてしまうかもとも思ったけれど、そんなこともなくてほっとした。
でも、ほっとしながらも、少しがっかりしている自分もいる。
あれほど困った顔をされてしまったことで。
取り戻した手をあんなに握り締めていた彼女。
葵には、まだ俺を受け入れるほどの気持ちがないのだ。
(まあ、嫌われてない分だけいいのかな……。)
その程度で自分を励ますしかなかった。




