表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女の瞳に映るのは  作者: 虹色
第四章 忙しい夏
53/97

53  『無事』?


夜10時。

宿の洗面所で歯を磨きながら、誰も見ていない隙に、葵からの返信メールを開く。

着信時間は9時10分。

俺がメールを送ったら、すぐに返信があった。


『ご連絡ありがとうございます。』


で始まった本文には、俺が送った救急箱の中身についての買い置き状況が記されている。

そして最後に一文だけ、海に行って来た報告が。


『日焼けして少し肩が痛いけど、無事に帰って来ました。』


それだけ。

これを見るのは7回目か8回目くらい。

でも、何度読み返してみても、内容が詳しくなるわけではない。


(仕方ないよな……。)


なにしろ、俺が送ったメールが、海のことにはついでのように触れただけだったんだから。


午前中の計画では昼食のあとにメール、夜には電話……のはずだった。

でも、昼はうっかり横になったらたちまち眠ってしまい、そのまま。

夜は夜で電話をする決心がつかなくて、結局、当たり障りのないメールを送っただけ。


(葵とは、今まで顔を見て話すことしかしてなかったからなあ……。)


話したいことがあれば、いつでも話すことができた。

誰にも聞かれたくない話は、帰りに丸宮台まで待てばよかった。


電話やメールをこんなに難しく感じたことなんかなかった。


(無事に帰って来たならいいけどさ……。)


うがいをして歯ブラシを片付けているところに、藁谷が来た。

さりげない風を装って、スマホを寝巻代わりのジャージのポケットに入れる。

藁谷は俺の顔を見るとくすくす笑い出し、歯ブラシに歯磨き粉を付けながら言った。


「今日の女子の海の話、聞いたか?」


藁谷はたぶん、俺と葵が連絡を取り合っているという前提で話をしているんだと思う。

その点に関して、藁谷がどの程度推測しているのかは不明。

葵を囲む俺たちの気持ちには気付いているようだけど、そのことを俺たちに当てこすったりは一切しないから。

季坂にも何も話していないと思う。


「え、あ、いや。」


あんな情報では、「聞いた」うちには入らない。


「藍川が一時、行方不明になったって。」


「ええっ!?」


「いや、ほんの20分くらいだったらしいけど。なんか、うちの学校の1年に偶然会って、迷っていたところを保護されたらしい。ははは。」


「『保護』って……。」


延々と長いビーチで、人混みの中をウロウロと歩きまわっている葵の姿が目に浮かぶ。

紺色に白い水玉模様の水着(俺の2番目のお気に入り)を着て心細げにあたりを見回す彼女を、ガラの悪い男が嫌な目つきで見ている ――― 。


(全然、『無事』じゃないだろうが!!)


頭に血が上った。

すぐに事情を聞きたい。

聞かなくちゃ。


「そ、そうか。そんな場所で知り合いに会えてよかったよなあ。あ、じゃあ、先に戻るから。」


急ぎ足で部屋に戻り、賑やかに寝る仕度をしている部員たちを見て、この部屋では無理だと悟る。

玄関に行こうかと思ったけど、板張りの玄関は声がよく響くし、先生たちの部屋のすぐ横。

落ち着いて話せる気がしない今は、玄関はダメだ。


(あそこか……?)


前の庭。


座敷の南側には板の間の廊下があり、そこから庭に出られるようになっている。

庭って言ってもただの空いている場所で、スイカ割りや花火をしたりする。

昼間はそこから出入りもする。


目立たないように壁沿いを通って廊下に出て、仕切りの障子を素早く閉める。

庭に面したガラスのはまった引き戸をそっと開けると、夜の風がすうっと体をなでた。

風は通り過ぎながら、俺の頭や胸の熱を運び去って行った。


(葵……。)


戸に手を掛けたまま、目を閉じて深く息を吸ってみる。

夏の土と草の香り。草むらで鳴く虫の声。障子越しに聞こえる部員たちのざわめき。

肺に入った瑞々しい空気が体中に沁み渡って、いつの間にか、心にあるのは “葵の声を聞きたい” という気持ちだけになっていた。


足元にはサンダルが3足あったけど、後ろの障子が閉まっていることに安心して、庭に出るのはやめにする。

そのまま廊下に腰掛けて、外に向かって足をぶらぶらさせながらスマートフォンを取り出した。


(出てくれるかな……?)


コール音が聞こえ始めると、少しドキドキした。

よく考えたら、何を話せばいいのか分からない。

さっきは海岸で迷子になったことを黙っていたことに腹が立っていたけど、今はそれを責めようとは思わない。

ただ ――― 。


『はい。葵…です。』


(ああ………。)


思わず目を閉じた。


懐かしい彼女の声。

落ち着いたテンポで語りかけてくる言葉。

ほっとする。


体の力が抜けて、開けた戸に寄り掛かった。


「ええと……、元気かと思って。」


(あーあ。何言ってんだ、俺は。)


今日はもうメールをやり取りしているのに。

今さらこんなことを訊くなんて。


『うん。元気だよ。相河くんは?』


「うん。俺も元気。」


自分の答えを自分で笑ってしまう。

笑ったら少し気分がほぐれて、次の言葉が出てきた。


「でも、明日の晩は元気じゃないかも知れないな。さすがに3日目になると、疲れもたまるから。」


『そうなの? でも、明日の夜は花火をやるんでしょう?』


「はは、そうだった。で、夕方にはスイカ割り。」


『楽しそうだね。』


「まあな。」


(葵も一緒にいられたらよかったのにな。)


一瞬の間のあと、藁谷から聞いた話を持ち出す気になった。

彼女の声を聞いて安心した今なら、自然に話ができる気がする。


「今日、迷子になったんだって?」


『え!?』


結構大きな驚きの声。

もしかしたら、空いている手を口元に持って行っているのかも。


『どうして知ってるの? 誰にも言わなかったのに……、あ、菜月ちゃんか!』


「ははは、そう。藁谷から聞いた。大丈夫だったのか?」


『うん……、まあ……。』


歯切れの悪い返事だ。

大丈夫じゃなかった……?


「何かあったのか? 1年生に保護されたって聞いたけど?」


『 “保護” って……。うん、まあ、そうなんだよね……。』


「よくうちの学校の1年生だって分かったな。話してみたら、偶然そうだったのか?」


『え? ああ、違うよ。向こうがわたしのことを知ってたの。陸上部の男の子で ――― 』


(男!? “1年生” って、男だったのか!?)


驚いている間、少し話が耳に入らなかった。


『 ――― たの。その子がたまたま、わたしが知らない人に話しかけられたところを見てて ――― 』


「知らない人に話しかけられたって!? 何だよそれ!?」


今度は大きな声が出た。

葵はそこで話を切って、「あ。」と言った。

どうやら、そのことは隠すつもりだったらしい。


「葵。」


『ええと……、何もなかったよ。』


(そうかも知れないけど!)


「ちゃんと話してくれないかな? 中途半端だと余計気になるよ。」


『……気になる?』


「うん。」


『そうか……。そうだよね。相河くんは心配性だもんね。』


「ん……、まあな。」


(葵に会う前は、こんなじゃなかったんだぞ。葵がいつも、いろんなことをやらかすから。)


『わたしね、遊んでる途中で頭が痛くなって、先にパラソルに戻ることにしたの。』


彼女がゆっくりと話し出す。

ところどころで確認するように、一旦言葉を切りながら。


『でも、遊んでいる間に移動していたみたいで、歩いて行った方向が間違っていたの。』


「うん。」


『いつまで行っても目的の場所が見えてこないから、変だな、と思って立ち止まったの。そのときにね、『どうしたの?』って声がして。』


(やっぱりそういうときに……。)


『振り向いたら、外国人みたいな人が立ってたの。』


「外国人?」


『そう。2人。全身が赤茶色の肌で、髪が麦わら色でね、ネックレスをしたり、入れ墨をしたりしてて。』


(見るからに危ないナンパ野郎じゃないか。それを “外国人” とは……。)


『でも日本語をしゃべったから、じゃあ、海の家の場所が分かるか聞いてみようと思って。』


「葵。それは…」


『あ、危なかったって、今は知ってるよ。船山くんにも言われたし。』


「船山くん?」


『うん。助けてくれた陸上部の子。その子が弟のふりをして、その場から連れ出してくれたの。』


(そうだったのか……。)


葵みたいに素直な性格だと、親切そうに話しかけられたらすぐに信じてしまうのかも知れない。

世間ではいろいろな事件があることは知っていても、目の前の相手を最初から疑うことなんてできないのかも。


「本当に無事で良かったな。」


『うん。』


「でも、これからは ――― 」


『分かってる。知らない人に話しかけられても、立ち止まっちゃダメって。』


「うん。そうだよ。」


(それと……。)


――― 出かけるときは、俺と一緒に行こう。いつも俺が守るから。


その言葉は俺の心の中に響くだけ。

いつか、ちゃんと言えるようになりたいけど……。


『あの……、相河くん?』


「ん?」


『電話してくれて、ありがとう。』


(葵……。)


「何だよ、そんなこと。いいよ。」


照れくさくて、首のあたりが熱くなる。

そのとき。


「あれ? 誰か足りなくねえか?」


「え? ああ、相河がいないな。」


障子の向こうで自分の名前が聞こえた。


「あ、ごめん、消灯時間だ。」


『あ、ホント? じゃあ、またね。』


「うん、じゃあ。」


急いで電話を切って、戸を閉める。

障子を開けて部屋に戻りながら、「風に当たってた」と言い訳したら、尾野はちらりと疑わしげな視線を向けて来た。


布団の中で彼女との会話を思い出していたとき、ふと、『誰にも言わなかったのに』という言葉が心に引っ掛かった。


(それは、 “言ってしまうような場面があったけど” ということか?)


そんなことを思ったけれど、それっきり何も覚えていない。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ