45 お楽しみ
中間テストは無事(?)に終了し、部活動が再開した。
部活休止中、俺はなるべく葵と同じ電車で帰るようにしていた。
クラスの友人たちとの付き合いもあるから、毎日というわけにはいかなかったけど。
それに、同じ電車になっても、芳原と葵が一緒にいると、なんとなく話しかけにくい。
だから俺は、丸宮台で降りてからしか彼女とは話ができなくて物足りなかった。
ただ、尾野は芳原のことは気にならないらしくて、電車の中で3人で話しているところを2度ほど見かけた。
普段から尾野は、うちの教室に来ては、葵と一緒にいる芳原ともしゃべっている。
口数の少ない芳原が尾野にときどき投げつける辛口のコメントが面白い。
いくら厳しいことを言われても、全然気にしないのが尾野のすごいところだけど。
(やっとだ……。)
今日からはまたいつも通り。
テスト最終日は午後全部が部活になるので、久しぶりにたくさんボールを打って、気分も爽快。
尾野と宇喜多の態度が気になるものの、教室にいるときよりは葵とたくさん話せるのが楽しい。
尾野と宇喜多の態度……と言っても、特にどうという変化はない。
それは俺も同じ。
心が決まったからといって、急に葵にベタベタまとわりついたりしたら、逆に引かれてしまう気がする。
まあ、尾野はもともとまとわりついていたけど。
俺たちは3人で牽制し合いながら、どのくらいまでなら葵が平気なのか、さり気なく探っているような状態なんだと思う。
でも。
3人の中では、俺が一番チャンスがある……はずだ。
家の最寄り駅が同じなんだから。
部活がある日は毎日二人だけの時間が持てる。
たとえそれが、ほんの2、3分だとしても ――― 。
「あ、そうだ。」
季坂と別れてすぐ、葵が何かを思い出した。
見下ろすと、彼女は下を向いて「ふふふ。」と笑っていた。
それから。
「相河くんのお誕生日って、12月10日?」
ぱっちりと大きな瞳で俺を見上げて訊く。
「え、あ、そうだけど……。」
彼女が何を言っているのかすぐに分かった。
あのカレンダーのことだ。
(あ〜、やっぱり書かなければよかった!)
あんな中途半端な書き方をしたなんて、みっともなくて、恥ずかしい。
ふわっと頬が熱くなる。
「やっぱりね。うふふ。」
「あのカレンダー……だよな? 俺だって……分かった?」
「うん、まあ、消去法で。それに、あの書き方って相河くんらしい感じがして、ふふ。」
(見透かされてる……。)
「え、ええと、なんか1年が、あそこに誕生日を書いておくといいことがあるって言ってたからさあ。」
言い訳がやたらと早口になる。
(どうか、顔が赤いことには気付かないでくれ!)
傘をさすために一旦止まって下を向きながらそっと深呼吸をしてみる。
「あはは、いいこと? それはどうかなあ? ほら、この前の槌谷くんのお誕生日ね、あのあと1年生が騒いじゃってね。 “自分も〜” って。」
雨の中に踏み出しながら、傘越しに彼女が笑っているのがわかる。
「可笑しいよね? 頭を撫でてもらうことがそんなに嬉しいのかな? でね、とりあえず、あそこに書いておくようにって言ったの。書いてあれば、うっかり忘れちゃってもフォローできるでしょう?」
「あ、じゃああれは、葵に頭を撫でてもらうためなのか?」
(ここはとぼけ通すのみ!)
俺はあくまでも、誕生日を書くと聞いただけだ!
とは言え、ごまかせるかどうかと思うとドキドキする。汗も流れてきたし。
傘で顔が見えなくてラッキーだ。
…と思ったら、彼女が傘を上げて、ちらりと俺を見た。
「うん、そうなの。やっぱり知らなかったんだね。」
にっこりと笑って、すぐに傘で視線が遮られてほっとする。
素直な葵にばんざい! だ。
「宇喜多さんもそうみたい。今日その話をしたら慌てて消そうとしたから、そのまま書いておいてって言っておいたの。」
耳まで真っ赤になってカレンダーの名前を消そうとしている宇喜多が目に浮かぶ。
(宇喜多……、純情すぎるぞ……。)
でも、中途半端な『オレ』に比べればマシか?
「ふふ、でもね、尾野くんはちゃんと知ってたよ。お誕生日を祝ってもらうのって、いくつになっても嬉しいんだね。何か1年生とは違うものがいいって言ってた。」
さすが尾野だ。
あのキャラクターならそういうことを言っても全然不思議じゃない。
「もちろん、2年生にはもっといいものって考えてるんだ。いつも親切にしてもらってるお礼をしたいから。」
(え? 頭を撫でてくれるよりもいいもの……?)
それは……、例えば “おめでとう♪ ぎゅ〜っ” とか、 “おめでとう♪ ちゅ〜っ” とかか?
でなければ、手をつないで歩く権利とか、『一日デート券』とか、たくさん甘えてくれるとか?
(いや〜、なんか……。)
二人の甘い時間を思って、顔が緩みそうになる。
「何がいいかなあ? あんまり高いものは困るけど。」
そこに聞こえた彼女の声。
落ち着いて考え込んでいる、真面目な……。
( “高い” もの? え?)
「あ、ああ、そうだよなあ……。」
がっくりきた。
彼女は “物” を考えているらしい。
「あの、べつに何か買ったりしなくていいけど。気持ちだけで。」
(あ、いや、違うか?)
尾野と宇喜多の誕生日が先に来るんだった。
そっちにお得な権利を与えるのは危険だ。
「や、安いものでいいんだよ。どんなものでも葵の気持ちがこもってるって分かってるから。」
うん、そうだ。
100円でも10円でも、彼女が俺たちのことを思い浮かべながら選んでくれる物なら何でもいい。
……ほんのちょっと、おまけが欲しいけど。俺だけに。
「うん……、そうだね、ありがとう。」
(その笑顔を俺だけにくれ!)
それを約束してくれるだけで、どれだけ幸せなことか!
でも、今はそんなこと言えない。
もどかしい気持ちになっていたら、重大なことを思い出した。
今まで気付かなかったなんて、まったく俺は自分のことしか考えない男だ。
でも、今ならこの流れで持ち出す話題として無理がないはずだ。
「葵の誕生日はいつなんだ?」
「あ、わたし? 10月25日。修学旅行中なの。」
(10月25日。しっかり頭に入れろ!)
修学旅行は北海道か沖縄を選択することになっている。
彼女が俺と同じ沖縄を選んであるのはすでに確認済み。
団体旅行でどれくらい個人の時間が持てるのか、心もとないけれど。
「そうか。じゃあ、向こうでお祝いでもするか。」
夕暮れのビーチを散歩しながらプレゼントでも渡せたら最高なのに……。
「え? いいよ。わたしのことは気にしないで。」
笑顔でさらりと遠慮されて、ちょっと傷付いた。
本当は俺じゃない誰かに祝ってもらいたいのかも知れない、なんて思ったりして。
「宇喜多さんも尾野くんも、律儀に訊いてくれるんだよ、『何がいい?』って。」
(ああ、やっぱり。)
俺は宇喜多にさえ出遅れたのか……。
「でもね、そう思ってくれるだけで十分。いつもお世話になっているのはわたしなんだから、何かもらったりしたら、逆に申し訳なくて。」
「そんなことないよ。」
(違うんだよ、葵。)
俺たちはみんな、葵を喜ばせたいんだよ。
葵の笑顔が見たいんだ。
そして……。
できれば自分のことを “一番” って思ってほしいんだよ。
階段の下で、あのカレンダーのことを思い出した。
中途半端なみっともない表現の『オレ』を。
「あのカレンダー……、消してもいいか?」
口に出すことさえ恥ずかしい。
やっぱり書かなければよかったと思ってしまう。
書かなくても、彼女なら直接俺に「いつ?」って訊いてくれたんじゃないかと思う。
葵は尋ねるように俺を見上げて……、「ふふっ。」と笑い出した。
「恥ずかしい?」
(はっきり訊いてくれるな……。)
「うん……、まあ。なんかその……、1年の手前、ちょっと……。」
「ふふ、宇喜多さんと同じだね。」
誰でも思い付く当たり障りのない言い訳はそんなところだ。
「わたしが自分で控えておけば済むけど……。」
彼女が首を傾げる。
「でも、消したら目立つかも知れないよ?」
(ああ、それも嫌かな……。)
もう誰かが見て、俺だって気付いたかも知れない。
それが消してあったらあれこれ憶測されるだろうな。
でなければ、尾野あたりが俺の名前が無いことに気付いて何か言ったりとか……。
「あ、じゃあ、わたしがこっそり直しておいてあげる。」
「え、あ。」
「大丈夫。わたしが鍵閉め当番なんだから、必ず一人になる時間があるし。」
「ね?」と可愛らしく説得されたら、「うん。」と頷くしかなかった。
翌日の練習のあと、こっそりとカレンダーを見てみた。
すると、俺が書いた文字は修正テープできれいに消してあり、その上には……。
『相河くん』
と可愛らしい字が。
(うわ。なんかこれって。)
妙にドキドキしてしまい、急いでカレンダーを戻して離れる。
誰にも見られていなかったかと、着替えながら周囲をそっと確認して。
(『相河』だけでよかったのに……。)
しかも、こんなに綺麗に消せたなら、書かなくてもよかったんじゃないかと思う。
でも、いかにも彼女らしい。
律儀で、文字でさえも呼び捨てにすることはできないみたいな。
(だけど……。)
嬉しい。
でも恥ずかしい。
見られたくない。
でも消すのは嫌だ。
ちょっと自慢したい気もする。
でも、指摘されたらなんて言えばいい?
(ああ…、超フクザツな気分……。)
名前のことくらいで、こんなにあれこれ考えてしまうなんて。
(恋をするって面倒……いや、楽しい? いや、やっぱりせつない? うーん、でも幸せか?)
頭がごちゃごちゃになってきた。
でも。
どんな状態になっても、やっぱり俺は葵が好きだ。




