32 遠足!
俺と榎元の騒ぎが落ち着いた翌日の金曜日、3年生の引退式が行われた。
放課後の部室で、俺たちからは寄せ書きをしたボールを送り、先輩たちから一言ずつ言葉をもらう。
引退式は笑顔と笑い声で進んでいった。
そして最後の縞田先輩のあいさつ。
そこには、特別に葵だけに伝える言葉があった。
「1か月半という短い期間だったけど、懐かしい葵と一緒に頑張ることができて楽しかった。うちのマネージャーになってくれてありがとう。」
それまで葵は落ち着いているようだったけど、その言葉をもらったところで涙があふれてしまった。
「すみません。」「ごめんなさい。」
と、謝りながら懸命に笑顔になろうとしている彼女に、みんな少しじーんとしてしまった。
同時に俺は、近くにいた一年生二人が彼女を慰めようと肩に手を掛けたのを見て、誰だかしっかりチェックした。
こうして俺たちは、次のステップへと足を踏み出した。
「おはよう。」
「遅れないでちゃんと来たねぇ。」
5月最後の日曜日の朝。
丸宮台駅のホームに下りると、葵と季坂が笑顔で迎えてくれた。
今日は尾野の提案した遠足で、6人で海堀島マリンパラダイスに行くのだ。
海堀島はここからだと少し遠い。
いつもの電車で海側の終点横崎駅まで行き、海沿いを走る電車に乗り換えて海堀島入口駅、そこから徒歩10分。
十分に遊ぶ時間をとるためには、それなりに早くでかけなくちゃならない。
「当然。俺、遊びに行く日に遅刻したことないもん。」
「あ。興奮して、朝早く目が覚めちゃうんでしょう?」
「うふふ、小学生みたい。」
私服姿の二人が楽しげに俺をからかう。
天気予報で暑くなると言っていた今日は、二人とも夏らしい爽やかな服装だ。
葵は裾がひらひらする白いブラウスに薄茶色の目の粗いニットのベスト、紺色の七分丈のパンツ。
紺の布製のデッキシューズと赤いキャンバス地の小ぶりのショルダーバッグを合わせた軽やかな雰囲気は、ふわふわの髪によく似合っている。
季坂は淡い紫色のフード付きTシャツの上に同系色の五分袖のセーターを着て、白い生地を何枚も重ねたスカートにリボンのついた靴を履いていた。
二人の服装が普段のイメージと逆な気がしたけれど、それぞれ似合っていて、こういうのも有りだな、と思った。
心の中ではそう思っても、なぜか気軽に服装を褒めることができない自分に気付く。
1年のころの仲間や、クラスの打ち上げで出かけたりしたときは、女子の服装を褒めるのは結構当たり前だったのに。
(なんでこんなに言いにくいんだろう……?)
やっぱり本命となると違うのか。
まさか、季坂だけ褒めるわけにはいかないし。
俺はあまりお洒落は得意じゃなくて、いつも同じような服装ばかりだ。
今日はグリーンに紺が混じったチェックのシャツの袖を捲り、ブラックジーンズにグレーのスニーカーにした。
運動で髪が乱れる心配がないので、髪は少しだけ念入りにセットした……けど、二人とも気付いてくれていないみたいだ。
まあ、二人には、気になるものがあるから仕方ないけど。
「相河くん、ちゃんと持って来たみたいだね。」
季坂が俺の荷物を見てにこにこしながら言った。
「持って来たよ。ルールどおり、家族には手伝ってもらわなかったぞ。」
俺が威張って答えると、二人はまた顔を見合わせて笑った。
その二人の手にも、少し大きめの手提げ袋。
今日の二つ目の企画、持ち寄り弁当だ。
これは季坂が言い出したことで、葵と二人でさっさと決めてしまっていた。
全員で一人一品ずつ弁当を持ち寄ろう、というのだ。
それを、芝生の広場でみんなで食べる。
だけど、ただ割り振るのでは面白くないからということでルールがある。
家族に手伝ってもらってはいけない。
そして、自分が何を持って来るかは、弁当を開けるまで秘密。
俺たちが量の心配をしたら、季坂には
「足りなければ現地で何でも買えるでしょ?」
と言われて終わり。
葵は
「なるべくたくさん作って行くね。」
と楽しそうに言った。
それを聞いた途端、彼女の手作り料理が食べられるのだと気付き、俺と尾野はそそくさと賛成した。
宇喜多は季坂と葵に、女子はどんなものが好きなのかとリサーチしていた。
いったいどんなメニューが揃うのか、結構楽しみだ。
とは言え、俺は料理はほとんどしたことがない。
得意なのは餃子を包むことだけど、中身は自分で作れないから、今回は対象外だ。
それに、朝からそんなものを作っていられない。
――― と言うわけで、俺はウケ狙いで行くことにした。
怒らないで、笑ってくれるといいんだけど。
電車がホームに入って来ると、待ち合わせに指定した後ろから2両目で尾野が手を振っていた。
よれっとした白いシャツの中に黒のインナーを着て、カーキ色のカーゴパンツに迷彩柄のスニーカー。
細身の体に飾り気のないラフな服装が決まっていて少し嫉妬してしまう。
しかも、端正な顔立ちに、肩に掛けたありきたりのトートバッグが妙に似合う。
(世の中は不公平だ。)
こんなに自分の見た目が気になるのは初めてだ。
「これお弁当? ずいぶんたくさん……?」
葵が尾野のトートバッグに触ろうとすると、尾野が慌てて後ろに下がった。
「あ〜、ダメだよ、葵ちゃん。お昼まで秘密〜。」
「あ、そうだよね。」
そう言って季坂の隣に並ぶと、今度は俺と尾野を何度も見比べる。
(見比べないでくれよ……。)
情けない気分で思ったら、目が合った葵がにこっと笑った。
その何も屈託のない笑顔は俺を笑顔にさせる効果も十分だったけど……。
「二人とも格好いいよねぇ。脚長いし。」
(え? 二人とも?)
あまりにも素直に言われて驚いた。
思わず尾野を見たら、ニヤニヤしながら俺を見たところだった。
「ねえ、菜月ちゃん、そう思わない? 二人とも腰がわたしの胸のあたりにあるみたいな気がする。」
「葵ちゃん、そんなお世辞いらないのに〜。」
尾野がいつもの笑顔で返す。
「お世辞じゃないよ。前の学校の友達に話したら、すごく羨ましがると思う。」
俺だって、いくら葵が小さいとは言っても、さすがに「腰が胸あたり」というのは大袈裟だと思う。
でも、彼女にまっすぐに見つめられて言われると、本当に彼女にはそう見えるのかも知れない、なんて思ってしまったりする。
「行矢くんも一緒にいると、そう思うことってあるよ。」
対抗意識を燃やしているのか、季坂もそんなことを言い出した。
「ああ、きっとそうだよね、藁谷くんも大きいもの。うちのお母さんなんか、『最近の若い子はみんな格好いいわよね〜。』なんて羨ましがっちゃって、『生まれ変わったら高校生になりたい!』って言ってるよ。」
「高校生に?」
就きたい仕事とか、住みたい国とか、そういうものじゃなく?
「そう。高校生のときに、やりたくてもできなかったことがあるんだって。そういうことを今度はやりたいみたいだよ。」
「ああ! この前のレモンの蜂蜜漬けとか。」
「うん。わたしがマネージャーをやっていることさえ嬉しいらしくて、わたしよりも張り切ってるの…。」
そう言って、葵は小さくため息をついた。
俺は、彼女の雰囲気からの想像で、お母さんは優しい静かなひとだと思っていた。
明るい日差しの入るキッチンやリビングで、和やかに微笑み合う母と娘。
でも、どうやら彼女のお母さんは、まったく違うタイプの人らしい。
そうこうしているうちに藁谷が合流し、そのあとに宇喜多もやって来た。
藁谷は赤いチェックのシャツの上からでも肩や胸の逞しさがはっきり分かって男らしかった。
宇喜多は黒いポロシャツにジーンズという簡単な服装だったけど、茶色の革靴と少し凝ったデザインのワンショルダーのバッグで差を付けられた気がした。
(俺だって、それなりに見えているはずだ!)
誰かと合流するたびに落ち込みそうになる自分に言い聞かせる。
その証拠に、葵は特別に誰か一人に注目したりしていない。
さっき、尾野と一括りだったとしても、一応褒めてもらったし。
とは言っても……。
こんなに周囲の男が気になることなんて、今までなかった。
これほど自分に自信が持てないことも。
よく考えてみると、今までときどき現れた拗ねたような気分は、全部同じ理由だったんだ。
葵の心の中で、自分が一番でいたい、という気持ち。
(この4人 ――― 一応、藁谷は抜かして3人か? この中で、誰が一番なんだろう?)
すごく気になる。
くだらないような気がするけど……知りたい。




