第65話「ヘレナの戦い(後編)」
最初の一発は失敗した。
大砲の威力を期待していたものの…まさか砲弾が、砲身から転がり落ちるとは考えてもいなかった。
銃と同じように詰め物をして撃とうとしたのだが、それは意味をなさなかった。
銃弾と違い大砲用の炸裂弾は重い。
…重すぎる。
生半な詰め物でストッパーとなるはずもなかった。
それ以前に砲身を真下にして撃つように作られていないのだろう。
むりやり、台車ごと下へ向けようとした結果が…
あれだ──
火薬を目一杯詰め込んだ炸裂弾は、砲身から転げ落ち地面に落ちた。
それを見て、顔を覆わんばかりに嘆くヘレナだが、変化をはすぐに起こった。
真っ赤に焼けた信管の先端が、中に詰まった火薬に引火したらしい。
その瞬間、
ズドォォォォォオオオン……────
──耳が千切れんばかりの大音響。
誇張でも何でもなく…地面が揺れた。
そして天高く舞い上げられたキングベアの胴体とバラバラになった四肢。
妙にゆっくりと舞い上がったソレは、既に息絶えていることを思わせた。
「や、やった…?」
バラバラベチャベチャと降り注ぐ肉片は、城壁上に伏せて待機していた人員に降り注ぐ。
わずかに肉の焼ける匂いと生臭い血の匂いの中。
恐る恐る顔あげた臨時の砲員達は、キングベアの残骸を見て───
ウォォォォォォォ!!!!
と沸き返った。
「やった!」「仕留めた、仕留めたぞ!!」「一発だぜ!」
うおおおお、と喜び抱き合う砲員たち。
発射出来ずに弾が転がり落ちただけだが、それでも仕留めた事実に変わりはない。
喜ぶ砲員を尻目に、王国軍の小隊長は再び城壁に駆け戻ってきた。
「おぉ! やったのか?」
「えぇ、見ての通りよ」
ピっと、体に付いた肉片を払い落とすとヘレナは冷静を装って答える。
「はははは! 見たか獣ども! これが王国軍の力だ! 者共続けて撃て撃てぇぇ!」
上機嫌で銃を手に指示を出す小隊長。
最初の気の弱そうな雰囲気はどこにもない。
今は、喜々として銃を撃つトリガーハッピーにしか見えない。
「砲は降ろします。炸裂弾だけで十分そうですね」
ん? と小隊長をヘレナは見るが、大砲の運用に興味はない様だ。
彼は、適当に手をピロピロを振っていた。
好きにしろと言うと、兵に交じって銃を撃ち始める。
ヘレナはやれやれ…と、肩を竦めると、
「大砲は城壁の下へ! 代わりに砲弾と信管を運び上げて、あとは力自慢を集めて上に!」
戦況が下にも伝わっているのだろう。
「おう!」と頼もしい返答が返ってくる。
すぐさまギルドの職員と、屈強な体格の市民が城壁に上がってきた。
その背には弾薬箱やら、信管入りの籠がある。
「信管を炸裂弾に挿入して! 小隊長さん達は、合図とともに下がりなさい! いいわね?」
「了解だ! どんどん落とせ!」
ガハハと豪快に笑う小隊長に、呆れた顔を見せるヘレナ。
これじゃ、山賊軍隊もいいところ。
規律ある王国軍という謳い文句はどこにも見えたらない。
「投擲用意!! ……大砲は邪魔よ! 手隙要員は下に降ろして!」
ヘレナの合図に、力自慢の市民に兵士が信管に火を付ける。
そして、手の空いたものはアワアワと大砲をに取りつき、皆と協同して城壁から降ろしていく。
「点火!」
配られた種火から、市民たちが信管に着火させると───
ジジジジジ……
信管に火が点る嫌な音が響く───
「放て!!」
もっとしっかり火が付くまで炙った方がいいのだが、素人揃いの城壁上の戦力では、点火しただけで腰が引けている。
ヘレナとて大砲や砲弾の知識など無いにも等しい。
故に、いつ爆発するとも知れない炸裂弾を一刻も早く投げ落としたい衝動に突き動かされる。
そのため、全員がへっぴり腰で投げ落とす。
もっと遠くに飛ばして! と、言おうとするが間に合わない。
そして、城壁下にボトボトドスンと落ちる炸裂弾…
「た、退避!!!」
……
…
ズッッッッッドドォォッォォォォォォオオオオオオン!!!!
グラグラグラと揺れる城壁。
巻き上がった肉片と……破片はケタ違い。
「おぉぉ!」「凄いぞ!」
市民は大喜びだが、ヘレナは慌てて指示を出す。
巻き上がった破片があまりにも多く…剣呑だ!
これは…まずい───
「退避!! 全員逃げなさい!!」
慌てた声に反応できるものは少なかった。
王国軍の兵士とて無邪気に喜んでいる。
多少なりとも練度の高い市の衛兵と、ギルドの職員は動き出す。
ヘレナの言っている意味は分からずとも、逃げろと言われればそうするものだ。
そして、降り注ぐ肉片と…破片と土と石クレ。
ザァァァッァと雨の用に振る注ぐが、中には赤ん坊の頭ほどもある石や破片が交じっている。
退避の遅れた王国軍や市民に多数が命中し、被害が続出する。
ギャアアア、という悲鳴がアチコチで起こり、まるで地獄絵図だ…
ヘレナ自身は言うが早いか、高さなど気にせず城壁から飛び降りると、疾走──足の痺れを堪えて走り出していたので助かっていた。
「く…救護班! 城壁に怪我人…が…」
救護を差し向けようとしてヘレナは硬直する。
いびつな角度に歪んだ正門。
あるべき部品がなく、重要な物は破壊されている。
外部から恐ろしい力が加わったのだろう。
妙に撓んだ正門には、閂がブチ折れてささくれた断面を示している。
そして、正門の角につく蝶番はどこにも見当たらない…
ま、まずい!
「せ、せ、正門前から退避! 城内戦闘準備ぃぃ!!」
これだけの指示が出せるだけでもヘレナは逸物だ。
事実、正門はもたない。
あとは重力に従って倒れるだけだろう。
バリケードは都合、二重に構築できた。
最初のバリケードは、敵を粉砕する為にスパイクと応用資材を用いた、攻撃的な防御施設。
トゲトゲの如何にも痛そうなスパイクのついた盾やら、包丁やらナイフやらを取り付けた板壁などを組み合わせて、容易に突進できないようにしている。
さらに隙間を多くして、槍や銃を突き出し内側から攻撃できるように工夫されていた。
短時間で拵えたにしては上出来、上出来。
ただし、補強は弱い。
鉄材が少ないものだから石や木で、重しや杭として背後から支えているが、衝撃にはさほど強くない。
勿論そのためにトゲトゲしくしているのだが…
頑丈なキングベア相手にどこまで通用するか。
「急いで! すぐにでも、なだれ込んでくるわよ!」
ドタドタとギルド職員と衛兵が走り回る。
正門を支えていた人員はスグにでも退避し、唯一開けていたバリケードの隙間もすぐに閉塞される。
ヘレナは痛む脚を庇いながら、即刻バリケードの指揮に移った。
正規の指揮官など、未だどこにもいないし、誰も…既にそんなことは気にしていなかった。
「小隊長はどうしたの!?」
城壁上から逃げて来たギルド職員を捕まえると問いただす。
「ほ、ほとんど負傷しています!」
聞けば、かなりの量の瓦礫が降り注いだようだ。
準備不足もさることながら、身軽さを重視し、極端なまで軽装にしていたため城壁上の兵は瓦礫で、かなりの被害を蒙ったようだ。
これは、炸裂弾の使用を決めたヘレナのミスでもある。
あまつさえ、爆発の余波で正門まで破壊してしまった。
そして、ついにその時が訪れる……
ギ、
ギギギィ…
ギギギギギィィィィ……ズゥゥン……───
ブファァァ……と土煙が立ち込めて周囲を白い闇に包む。
それは目や鼻を刺激し、盛んに周囲で、咳き込みとくしゃみが巻き起こる。
「ゲホゲホ…ぜ、全員配置に、…つい、て…ゲホ」
ヘレナも咳き込みながら必死に人員を貼り付けていく。
王国軍が動けない今、ここにいる兵と市民だけで対処するしかない。
そして、土埃に交じって強烈な獣臭が漂い始めた。
白い闇の中ギラギラと光る双眸…
「ヒィィィィ!!」
槍を構える市民が怯えた声を出す。
ズンズンズン…
グルルルルルゥゥゥ…
コフーコフーと荒い息がすぐ近くで響く。
「来たわ! 全員武器を!」
ヘレナはそんな沈黙を強いられそうな場面でも臆さない。
ここで声を潜めていても無駄だ。
自らも、ピストルを抜き放つと構えて見せる。
城壁に上げた銃を回収するまでは、ここで唯一の銃かもしれない。
「か、かなりの数です!!」
被害の収まった城壁に上り物見をしていたギルド職員が悲鳴を上げる。
その後ろでは次々に負傷者が運び出されていた。
クソ…今は負傷者よりも銃の回収が先だ!
そう言いたいのをぐっと堪える。
言われなくとも、人員は正確に割り振られていた。
きちんと「武器の回収組」と「負傷者の後送」は分けて行われている。
それでも、目に見えるのは負傷者の回収が優先されているような気がしてイライラと神経が昂る。
グゥオオオオオオ!!!
そして、バリケードの反対側で猛々しい雄たけびが響いた。
その数は減らしたとはいえ、まだまだ多数。
この街を殺し尽くし、喰らい尽くすには十分とも思える。
このバリケードとていつまで持つか…
「攻撃準備ぃぃぃぃ!!! 突け、刺せ、射れ、撃て! なんでもいいから殺せぇ!!」
うがぁぁ、と女性とは思えない蛮声を張り上げるヘレナ。
そこに被せるように、ズシン…ギシギシとバリケードが揺れる。
「怯むな! 今だ! ほらやれ!」
おどおどとする市民の頭を小突いて槍を突き出させる。
「うわー!」と言って突き出した槍の先に手応えが…
グォォォォオオオオオオ!!! というもの凄い獣声がすぐそばで響き、突いた市民はヘナヘナと腰を抜かす。
そしてバリケードから覗く隙間から金色の熊の顔が覗きヘレナをジロリを睨むと───バリバリバリと隙間から手を伸ばし掴み掛からんとする。
バリケードにつけたスパイクなどほとんど効果を成していないようだ。
ク…!!
向けられる敵意と食欲にヘレナをして腰が下がりそうになるが…うがぁ! 負けてなるかと、さらに一歩踏み出す。
チャキりと構えたピストルを鼻先に向け───パァン! …とぶちかます。
グガァ!
小口径の弾は致命傷には至らないものの、それなりに痛打を与えたようで腕が引っ込む。
「ほらぁぁ!! ビビってないで戦えぇぇぇ!!」
ズシンズシンと、体当たりに揺れるバリケードはそう長くはもたないだろう。
すでに第2戦陣地であり──最終バリケードには武器が集積されている。
所詮ここは時間稼ぎでしかない。
頑丈なバリケードに武器と人員を配置するまでの一時しのぎだ。
とは言え、今撤退するのは早すぎる。
もう少しもってくれなければマズイ…
武器も人員も未だ配置できていない!
だが、この圧力では……くそぉぉぉ!!!
ピストルに、震える手で弾を籠めていく。
鼻クソのような小さな弾にどれほど効果があるというのか、それでもやらねばならない。
槊杖で押し込み装填する。
構える手はブルブルと震えていた。
気丈に振る舞い。
指揮をとってはいても…
ヘレナはまだ若い女性だ。
恐怖がないわけではない。
むしろ、恐怖しかない。
指揮の失敗、
バリケードを隔てた先の獣、
勝ったとして──その後の事後処理…
ヘレナの小さな双肩にかかるにはあまりにも重すぎる物がそこにある。
だれか、
だれか…
ダレカ…──
誰か助けて!!!
そう叫びたい彼女に答えたのは一発の銃声───
ズドォォォォン!!
一瞬だけ、
そう、ほん一瞬だけ…
喧騒が止まる、
戦場が止まる、
時が止まる…、
間違いなく響いた銃声。
それを聞いていた者がいったい何人いるというのか…
だが、
だが、
ヘレナははっきりと聞いた。
そう、
それは城壁の…バリケードを通した反対側…壊れた正門を越えて───外。
地獄の城壁外で間違いなく響いた…号砲!
ヘレナだけが聞いたのか…?
不思議に思い周囲を見回すが、誰一人として疑問に感じている者がいない。
ただただ震えて、へっぴり腰で武器を突き出すだけ。
そして、確かに聞いた…───
声が…
声が、
コエガキコエタ!!
…───ってこいやぁぁ…ぁぁ…───
力強く、意思と覚悟に満ちた声…
この声は……………
「バズゥ・ハイデマン…?」




