第54話「震える山」
「くそ…まずいぞ!」
腰の雑嚢から携帯用の簡易ポーションを取り出し、最低限の傷を癒しながら──銃剣を抜き取ると、痛む体にムチ打ちながら、ゆっくりと地面に向かって身を降ろしていくバズゥ。
ズズズズ…と、木と体の摩擦を利用して、ボロボロになりながらもなんとか身を降ろした。
ゲロゲロゲロォォォ───
と、喉元に迫った吐き気に逆らわず、盛大に吐しゃ物を腐葉土の上にぶち撒ける。
「ゴホゴホ…」
大怪我のうえ長時間の潜伏と緊張、不自由な体勢は思った以上に体力を消耗していた。
草叢に隠しておいた荷物から大きめのポーションを取り出すと、一気に呷る。
フワッっと、青白い光が放射状に体から発せられ、傷ついた体を癒していく。
軍御用達の上級ポーションだ。
かなりお高いが、横流しを疑われるとお縄になるため売ることもできない代物。
もはや、軍から身を引いたバズゥには手に入れる術はないが、在庫はそれなりにある。
腐っても元勇者小隊の…特権だ。
いや、今はそんな事よりも───
「このままでは、大惨事になるぞ…」
骨折を直すのは無理だが、ポーションのお陰で傷はゆっくりと癒えていく。そして幸いにも骨折に至らなかったため、体力以外は回復し始めるバズゥ。
鬱血した皮膚の血腫が消えていき、裂けた傷口も内側から肉が盛り上がり───見る見るうちに正常な状態へと直していく。
これでも、エリクサーやソーマ…そしてエリンのスキルに比べれば遅いのだから、どれほどそれらが優れているか身をもって知る。
なにより──ポーションは有用だが、即効性に乏しいという欠点がある。
もっとも、別の薬と併用すればその欠点も補い…即効性を得ることもできるが、急速回復させると色々弊害も出るものだ。特に頭の方に──
まぁ、ポーションで回復させること事態、遅いように見えて自然回復に比べれば驚異的な速さなのだから、あまり無理をすると人体に良くないことは自明の理だろう。
傷の回復を待ちながらも時間を無駄にはしない。
急いで散らばった装備を回収すると、身に着けていく。
その間にも、狩猟権を示すため、猟師同士に分かるマーキングを地羆とキングベアの死体に付けて、獣除けの薬を撒くことも忘れない。
さらに、ギルド用に討伐を証明するため、首だけは切り取りアイテムボックスに放り込んでいく。
一連の作業を終え、携帯用の食料を齧っている間に日が完全に登り切った頃にはバズゥの体調も元に戻っていた。
「キーファが途中で食われていれば、町まで辿り着かないだろうが…無理だろうな」
キーファのことだ。途中追いつかれたとしても、冒険者を囮にしてでも馬を駆って街に逃げ込むことくらいしでかしそうだ。
問題はどっちへ向かったか、だ…
防衛力の観点から言えばフォート・ラグダに向かうだろう。
それも、キングベアが追跡していることに気付いていたの前提ではあるが。
キングベアの追跡に気付かず、あのアホがキナの前にノコノコ顔を出す可能性もある。そうなれば向かう先はポート・ナナンになるわけで、この時点で村は滅びるのは必須。
村の戦力は役立たずの衛士どもが少数に、漁師からなる青年団だが…緊急招集の間もなく、熊の攻撃に飲み込まれるだろう。
あとは、ファーム・エッジに向かう可能性もなくはないが、距離的にも目的にもそぐわない。
やはり、一番常識的に考えるならば、フォート・ラグダに向かったと考えるべきだな。
この地で大量の戦力を失ったキーファ。
だが、そこで諦めるとも思えない。
バズゥの存在にも気づいていたはずだ。
ならば何としても起死回生を図ろうと戦力の補充に向かうはずだ。
数で対抗できないとは、早々に理解できるはずもなし……懲りずに戦力でゴリ押ししようと考えているに違いない。
そりゃ、餌を与えてるだけだけだぞ…キーファよぉ。
別にフォート・ラグダやキーファを助けたいわけではないが、やらない理由もない。
それに、『王』には借りもある。
山での敗北はバズゥをして───猟師としてのプライドを傷つけられた思いだ。
戦場や、勇者小隊ではボロクソに言われたとしても、山に…狩場でなら…俺は負けない! ──その自負があった。
だからこそ、そのままにして『王』を見逃すなどあり得るはずがない。
男バズゥ・ハイデマンとして、この戦いはもはや、キナの借金返済のためだけではない。
───猟師としての沽券を賭けたもの。
やらねばならんのだ…!
決意を秘めて…火縄銃を取り出すと、早号の火薬だけでなく、火薬入れから多めの火薬を注ぎ込む。
例によってのキングベア対策の過剰装薬だ。
不期遭遇に備えて、フリントロック式の猟銃「奏多」にも同じく過剰装薬。
幾分小型のキングベアの子供とは言え、地羆よりも強いと考えるべきだろう。
地羆なら一撃で仕留めて見せたバズゥの銃だが、キングベア相手には一手間必要と判断する。
今度は油断しない。
ここは地獄と地続き。
結局は、シナイ島戦線と同じ地上にある戦争の最中だ。───そう考える。
油断も、後悔も、謝罪も───何もない戦場。
それがここ、メスタム・ロック…キングベアたちの楽園だ。
ガシャっと、猟銃を担うと両の頬を一叩き───ゥッシ!!
征くか…!
最短距離を征くべく、バズゥは道なき道を駆ける。
体力は消耗しているが、一刻を争う事態だ。
ポーションの回復時間で失ったソレを稼がねばならない…
スキルを使用し、方向確認しながら───普段なら絶対にやらない、スキルを過信した動きで町へと向かう。
悠長に方角をコンパスで確認している場合ではないのだ。
今は征くのみ。
征くのみ…
征くのみ…
…のみ!!
ダッダッダッ…ダァンン!
ガサガサガサガザザザザァァァ!!
スキルが示す方角を一直線に、地形も木々も草叢も、害獣もなるべく無視し突撃あるのみ。
バキバキと体を藪で傷つけながら、ゴツゴツとした岩場や、ジトジトする湿地を抜けていく。
スキル『山歩き』と『山の主』を併用しているため、体力の消耗が激しい。
やはり多重使用は控えたほうがいいのだろうが、そんな悠長に構えている暇はない。
あの数のキングベアだ。
間違いなく、最大クラスの生物災害になる。
いくらフォート・ラグダが城塞都市でも、地羆の上位種複数による猛攻を耐えきれるとは思えない。
間の悪いことに、王国の正規軍は軒並みシナイ島で…前線だ。
本国に残る兵など、2線級も2線級…下手をすれば、練度不足の烏合の衆かもしれない。
先日、フォート・ラグダを訪れたときに見た番兵の弛緩した様子を見るに、実戦経験などないのだろう。
練度は比較的マシに見えたが…あれはまだ、街の入り口たる正面を預かる衛兵だからだ。
加えて、市が雇っている衛兵ゆえ、訓練期間だけは多く取ることができる。
そりゃ任務は、街の治安維持と防衛だけを考えればいいのだから楽なもの。彼らは前線に赴く必要はない…市の専属の兵だ。
また、城塞都市は重要拠点。
さすがに王国も無防備で放置はしない。ちゃんと駐屯兵力がある。
駐屯しているであろう王国軍の本隊の姿は見ていないが…あの規模の街なら精々一個中隊。
それも平時編成の兵しかいない可能性が高い。
多くても100人…下手をすればその定数すら割っている可能性がある。
ダメだ…
このままではフォート・ラグダは落ちるぞ…!?
バズゥが駆ける先はフォート・ラグダであるが、間に合ったとて…然したる手があるはずもない。
一番有効なのは、餌として追跡されているキーファ達を足止めし、キングベア達に差し出すことだが、…少々難しいな。
キーファ一人ならなんとかななるが、キングベアの追跡を受けつつ仕留めるとなるとかなり厳しい。
そもそも、今から追いつくかも微妙だ。
それに、いくら嫌っているからと言って、餌に差し出すのも正直気が引ける。
誰だって──生きたまま食われたくなんてないだろう?
脳裏には、それが最善手だという考えがこびりついているが…バズゥはそれを良しとしない。
例え、人格を無視して実行したとしても、
キーファや、
取り巻きの絶叫を無視したとしても、
それは一過性の解決策に過ぎない。
人の味を覚えたキングベアの大軍が、森と山に飽きれば今度は人里に食指が向くのは自明の理だ。
ある意味、これを天啓と捉えて対処する方が理にかなっている。
フォート・ラグダの城壁なら一気呵成に攻め落とされる事態だけは防げるはず…
懸念としては正門が迅速に閉塞できるか、だ。
そこを楽々突破されれば、城壁は意味をなさない。
むしろ、逃げ惑う市民を閉じ込める餌箱になるだけだ。
やはり、急ぐ意味はある。
この際、元勇者小隊のネームバリューを使ってでも、
フォート・ラグダのヘレナに頼んででも、
なんとしてでも、
───正門を封鎖する。
その後で迎撃戦だ。
城壁上からなら、バズゥの猟銃も安全圏からキングベアを攻撃できる。
うん…
これが最善手だ!
──────
ザンッザンットンットント~ン!
と軽い調子で小川に沢を越え谷を駆け降り、斜面を斜めに横切っていく。
スキル使用の弊害で、急速に疲労する体。
少しでも体力を回復させようと滋養のある携行食である───キナ特製の甘~い穀物バーを取り出し、バリバリと齧りながら駆ける。
一本と言わずに、2本3本と立て続けに食べて、乾いた口を潤すために、酒の小瓶に口を付け甘く滋味深いソレを一気に飲み干す。
酒だけでは体に良くないので水も合わせて飲み、塩代わりにプラムモドキを一つ口に含む。
たちまち口の中に酸っぱいそれが広がり、唾液が溢れて息の切れが収まるとともに、筋肉が解れ…、少し疲労が回復した気になる。
あとは───
軍がしきりに前線で配布していた…疲労を軽減させる薬だとか、乾燥した怪しい葉っぱもあるのだが…、
正直、あまり使用したくはない。
何故かやたらと興奮するし、汗が止まらなくなる。
その割に高揚感だけは高く、慎重を期す場面でも、ついつい大雑把な行動に出ることもしばしばある。
───今思うにあれは、軍が出すあの怪しい薬のせいだと断言できる。
軍の衛生兵も、高位の神官に至るまで…やたらとエリンに薬を飲ませようとするものだから、バズゥが毒見をして、基本的にこっそり捨てさせていた。
ウチの子に変なものは飲ませられません!!
……
今、エリンは…大丈夫かな?
ふと───こんな事態にありながらも、エリンの身の安全に気を馳せる…
未練だな…そう思いつつも、今は集中しろと自分に言い聞かせた。
なんにせよ───
軍にせよ、勇者小隊にせよ、スキルだとか薬だとか装備なんかに頼り過ぎだと思う。
猟師なんかやっていると、特に気付くのだが…あくまでもそうした、スキル、薬、装備は補助的な物であり───最も必要なことは自らの経験と、知識と……そして覚悟であると考えている。
それが分からないと、キーファの様に過信して失敗する。
取り巻きの冒険者と、王国軍の哨所はタダの巻き添えだ。
同じことが人類全体に言える気もするのだが…
あーダメだダメだ!
焦りからか、思考がどうにも──とっ散らかってしまう…
今、そんなことを考えていても仕方がない。
集中集中!
気合を入れ直すバズゥ。
そして、
フォート・ラグダに近づくにつれ、地形も緩やかになり、速度もさらに出せるようになった。
全身汗まみれで、体力も限界に近いが、精神は高揚している。
戦いの前兆をとらえて神経が高ぶっているのだろう。
森の木々もまばらになり、いくつか人の手が入った形跡も見える。
危急を告げるため、全力で向かったおかげか───メスタム・ロックを最短距離で抜け、フォート・ラグダ近傍の森にまで来たようだ。
この辺りは木こりや猟師が入り込んでいるらしく、ところどころ踏み後のようなものがある。
フォート・ラグダは目前だ。
───そう思ったとき、
カァンカァンカァン!!!!!
遠くまで響き渡る鐘の音が響く───
あぁ…くそ!
間に合わなかったか…!!




