第48話「王国軍哨所」
まだまだ暗い、山深い林内の事。
荷物をまとめたバズゥは、火を消し、戦場の癖でついつい痕跡を消してこの場を発った。
野営地から抜け出して、『夜目』を発動──緑色を基調とした世界のなか、木々を器用にスイスイと躱しながら、前へ前へと進む。
昨日のゆっくりとした行軍が嘘のように早い。
下生を一足飛びで乗り越え、邪魔な枝葉は体ごと折り千切る。
ザンザンザンッ! と、まるで獣のような速度で哨所に向かう。
途中、幾つかの大型獣の気配を感じたが、バズゥの気配を感じると向こうから進路を開けた。
わざと足音を立てているのも、そうした副次的効果を狙ってのこともある。
そうして、あっという間に道なき道を駆け抜け、哨所に到着した…
サァア…と、林内では感じられなかった冷たい風の匂いを感じる。
森の中を切り開いたそこは、山中にしては比較的低木が密生していたらしく、視界はそれほど悪くない。
近隣は背の高い木に覆われているというのに、哨所の近辺は地質のためか大木の類は生えなかったようだ。
その環境を利用して作られたのが、ここ王国軍の国境警備隊が詰める──小さな哨所の一つだ。
低木は根元から刈り取られ、今はその痕跡すらない。
その跡地には、粗末だが頑丈な作りのウッドハウスと、櫓が一つ。
少し離れた位置に平屋の小さな倉庫と、囲いのついたトイレらしきもの。
よくみれば畑もあり、イモの類や、葉野菜が植えられているようだ。
朝露を纏うそれらが、陽光を受けキラキラと瞬く。
森から出たバズゥには、早めの夜明けの陽光に照らされる哨所が輝いて見えたが…
一歩踏み入れ違和感に気付く。
静かだ…
静かすぎる。
『山の主』は、小さな生き物の気配を感じているから生物がいないわけじゃないが、ここの本来の主である生き物の気配はない。
漂う空気は───……墓場のそれだ。
大型獣等の気配はないが…油断はできない。
森の中に身を溶け込ませたまま哨所を俯瞰していく。
たしか、哨所の兵力は3人から10人程度。
最大一個分隊だ。
この哨所は小規模だからせいぜい多くても5人くらい。
兵舎兼哨所の宿泊設備の規模からも10人は絶対に超過しないだろう。
そして、国旗の掲揚台…
王国軍の国旗が掲揚されていない。
いくら朝が遅い晩秋とは言え、既に夜明け。
国旗は掲揚されてしかるべき──
士気が低下した部隊ならいざ知らず、辺境の左遷地とは言え、ある意味最前線のシナイ島に行くよりもはるかにマシなはずだ。
逆に言えば前線を厭う卑怯者が行くような任地だ。
その卑怯者が査察で引っかかりそうな国旗掲揚をしない? …ないな。
必ず、国旗は掲揚する。
それが、この安寧の任地で惰眠を貪るのに、絶対に必要な事だとここの兵は理解しているはずだ。
粗さがしが上手い査察団に抜き打ちで来られても良いように下手を打つとは思えない。
だが、実際はどうだ?
国旗は掲揚されていないどころか…哨所の兵は櫓にすらいない。
見張りをサボった口実はいくらでも付くが、国旗の掲揚は不敬罪に当たる。
大した手間でもないのだから、穀潰しの辺境の兵が手を抜くはずがない。
しかし、それがされていないという事は───
…そういうこと。
それができるものがいないという──こと。
広めのドア…兵舎の入り口は開放されている。
少しだけ地面から浮いた高床式の兵舎は、入り口ドアまでに2段ほどの階段を上る必要がある。
そして、その階段には……
生々しくも血痕が…見て取れる。
未だそれは内部から供給されているのか、陽光を浴びて黒く輝いていた。
ピチョンピチョン…ピチョン…と。
大型獣の中でも、とくに害獣に分類されるものの中には、非常に狡猾な生物も多く気配を発つことができるものも少なくない。
この場に、そんな危険な生物がいるかどうか知れないが…
油断大敵。
いい加減、前に進めよ! と言われそうだが、バズゥは慎重だ。毛布やら、革製の物入れをこの場に残置すると、マスケット銃タイプの「奏多」を取り出し、外観チェック。
───異状なし。
火蓋を開放…火皿には火薬装薬済み…異状なし。そっと火蓋を閉めると、ハーフコックポジションにあった撃鉄を、コックポジションに動かす…これで射撃準備完了。
火付けの必要がある火縄銃タイプの「那由」は背中に担った状態で火薬を入れさえしていない。
ドワーフ謹製のこのフリントロック式の猟銃は、火皿の作りが精巧で──激しく動いても、火薬の一粒さえ零れない優れモノだ。
燧石の摩耗さえ気にしていれば、瞬発的な火力発揮ができるため、緊急時の使用を企図してバズゥは愛用している。
まぁ、欠点も多いので火縄式と併用しているわけだが…
そのフリントロック式猟銃の準備を終えると、腰から銃剣を抜き出し、銃口先端の留め具に捻じ込んだ。
一発撃った後の銃士は、槍兵として戦うことができる。
バズゥは猟師ではあるが、戦争の最中…訓練ではそうした技術を叩き込まれた。
覇王軍相手に役立つかもわからない銃剣格闘術に、戦列歩兵。
「猟師」のバズゥの天職にほど近いと思われた「銃士」の技術を徹底的にだ。
それが、勇者小隊斥候のバズゥが持ちえる戦闘技術の全て。
久しぶりに装着した銃剣は、不格好で歪だが…頼もしく見えた。
銃剣付きの猟銃を手にそっと森から出ると、障害物を拾うように、少しずつ躍進していく。
その動きは、なるほど…──猟師というよりも臆病な兵士そのもの。
手前の荷車に陰を見付けて転がり込むと、次は畑の柵───というふうに、兵舎に向かって徐々に歩を進めていく。
近づくにつれて濃密に漂う血の匂い。
目標はもう目と鼻の先だ。
最後の遮蔽物から体を乗り出すと、足音もなく、スッと──兵舎の壁に体を取りつかせ、…ゆっくりと横移動。
入り口まで近づく。
もはや隠しようがないまでに、濃厚な血の匂いと臓物臭…中からはピチャピチャと音が聞こえる。
そっと覗き込みたいが、陽光が差し込む入り口付近から中を見れば───太陽光を遮ることになり、中の者にあっという間に気付かれるだろう。
たいして脅威は感じないが、油断大敵。慎重に行動。
覗き込むことすらできないなら、突入一択だが…近接戦闘には、猟銃と銃剣だけでは心もとない。
腰に装着している鉈のホックを外して、いつでも抜けるようにしておく。
長物である猟銃は、室内での取り回しに注意が必要だが、初弾の威力は手持ちの武装の全てを上回る。
無駄にはできない…
ふー…
軽く一息つくと、意を決して───
───突入!!!!




