第45話「メスタム・ロック」
ポート・ナナンが背後に抱える山々は、裏山というにはちょっと広大に過ぎる山岳地帯。
かつては王国のご用達狩場だったというが、王族が狩りに興味を失って以来放置された。
今では、名実ともにこの地方の共用地として使用が許されている。
もっとも、名ばかりは共用とはいうものの、ほとんど人の手が入らないほど深い森と険しい地形が連続し、人を拒み続ける土地だ。
入植が試みられたこともあったが、労力に見合わないほどの険しい地形のため、悉く失敗。
現在に至るまで、一部の軍事施設を除き──人の住む地としては、殆ど活用されていない未開拓地だ。
その山々は、メスタム・ロックと呼ばれる山を中心として、小山・丘陵と縦に横にと縦横無尽に錯綜した地形が軒を連ねていた。
王国の人々は単にこの地方をメスタム・ロックと呼ぶこともある。
正確には~~の森だとか、~~丘陵なんていう──細々とした名称がついているらしいが、誰も気にしていないので、メスタム・ロックが通称だ。
天啓無系の山岳地帯。
多数の動植物の宝庫として知られるも、峻険すぎる地形は人の手を拒み、今に至るまで大規模な開拓は成功せず、現在に至るまで──野生動物の楽園である。
せいぜい、山の熟知した猟師や狩人が入り、街の近傍で狩りに勤しむ程度。
あとは、稀に冒険者や薬師に雇われた者が薬草採取なんかに入るくらい。
とは言え、別にドラゴンが生息しているわけでもないので、慣れた者ならさほど危険ではない。
しかし、平地は密生した樹木、谷間には下生えが視界を遮るため、方向を見失ったものが遭難することは珍しくもない。
また、隣国の国境とも接しているため、要所には一応──兵の詰所として、長期間自活できる哨所が設けられているが、王国内では左遷地として知られるほど退屈で暇な場所だ。
極稀に、隣国の密猟者等が迷い込むことがあるというが、彼らの姿を目撃する状況というのは、王国兵が仕事熱心だからではない。
密漁者たる彼らは、取り締まりを恐れるというよりも、遭難してしまった場合、王国軍の哨所に助けを求めにくるのだとか。
そんな哨所を繋ぐ細い道が、メスタム・ロックの唯一の交通路。
それらから派生した、か細い道に炭焼き小屋や、猟師の小屋が連接し点在しているが、人が住んでいるというよりも一時的な作業場でしかないため、人口密度は恐ろしく低いのがこの地域の特徴だ。
バズゥは、そんな道を征くとともに、スキルを発動──生き物の気配を探る。
『猟師』レベルMAX手前で覚えた『山の主』は、広範囲の生き物の気配を探ることができる。
特に『山』や狩場での範囲は広大で、まさに山の主といった感じ。
だが、気配といっても、当然ながら曖昧なもので、レベルだけも上げても使い物にならない。
──経験と知識があって初めて生きるスキルだ。
『猟師』として大成したバズゥだからこそ、使いこなせるもの。
そして、そのスキルは、バズゥにためにその能力を如何なく発揮。
気配を察知すると、鋭敏な感覚の中に情報として脳内に次々に飛び込む様々なもの。
遥か彼方に感じる、兵の詰所にいる王国軍の気配を起点として、人と獣を区別していく。
小さな気配はノイズとして処理───…この地域にはキングベアの気配は感じられないな。
幾つか大きな気配を感じるが、支配下にない地羆の物や、地猪の物だろう。そこまで精度が高いわけではないが、人と獣の区別くらいはつく。
さて…
無暗に歩き回ることはせず、依頼書に書かれていた情報を整理。
ポート・ナナンが依頼地域であるが、依頼者は別だ。
確認した依頼者は、この地域の連名で、という形で依頼を提出。
本来は王国の専門機関に出される依頼だっただけに、情報の密度はそれなりに濃い。
最初の目撃地は、ポート・ナナンの隣村であるファーム・エッジからもたらされている。
収穫物の一部と、家畜が獣に襲われたというものだ。
当初は、キングベアとは思われなかったようだが、残留物を調査した結果、キングベアの可能性が高いと示唆された。
次に、初めの目撃者と思われるのは、フォート・ラグダと王都を繋ぐ街道を行き来していた駅馬車だ。手ひどい被害を受けたが、被害は最小限───1人ですんでいる…
この際、馬を目的としていたのか、御者は惨殺されたが食害されていない。馬2頭は行方知れずだった。
辛うじて重傷を負いつつも生存していた乗客の証言で、金色の毛をした巨大な地羆を見た、と。
そこで漸く、事態に気付いた王国が調査に乗り出し、キングベアの足跡を追うに至り駆除を決断したという。
それにしても行動範囲が広い。
ざっと見ただけでも、ファームエッジと駅馬車が襲われた場所まで、軽く100kmは離れている。
行動を追跡したフォート・ラグダの猟師達は、途中で足跡を見失うが、生息地域の絞り込みに成功。
かなりの確立でメスタム・ロックの《ふもと》───ポート・ナナンとフォート・ラグダの中間くらいと目星をつけた。
この時点で大規模な駆除隊を結成する予定だったが、横槍が入り依頼をギルドに流した、と。
多分、キーファあたりが権力を笠に立てて《も》ぎ取ってきたんだろう。──余計なことを…
とは言え、おかげで実入りの良い仕事が手に入ったとも言えるのだが。
それに、駆除隊を結成というと聞こえはいいが…要は烏合の衆だ。
素人を寄せ集めてもキングベアには敵わない。
かつてのポート・ナナンの二の前になるだろう。
フォート・ラグダ所属の猟師達の腕前は詳しくはないが、少なくとも追跡ができるくらいだ。
彼らに任せるのが正解だと思うが、王国はその判断をしていない。
未だに害獣程度と舐めているが、キングベアは数でどうにかなるものではない。
山に不慣れな物が挑んだとて、途中で消耗し──いざ戦いという時にはタダの足手まといにしかならない。
猟師の腕を過小評価し、大戦力でぶつかることで倒せると本気で考えているようだ。
実際に過去の事例で軍隊とキングベアが激突し、勝利したことがあるが──それは防衛戦に限られていたはず。
彼の地へ乗り込み、キングベアを見事──軍隊が撃ち倒した! なんて話は聞いたことがない。
まだまだ、王国もそうだが、天職について認識が甘い気がする。
俺の自論としては、天職に上級、中級、下級と区別することすらナンセンスだと思う。
確かに戦闘職は、剣士→重剣士(:一例)→雷鳴剣士(:レアケース)という風に、攻撃の幅が増える職へとランクアップするが──労働系の天職はこれに当てはまるかといえば、少々違う。
狩人→猟師と、一見してランクアップしているように見えるが、中身は随分と違う。
身軽でしなやかに動き、弓や吹き矢等を主体とした戦いに優れた狩人は、猟銃や猟具を使用する猟師よりも劣っていると見なされるが、果たしてそうだろうか。
猟師とは違った狩りを彼らはできる。
静音と軽便さ、毒と中近距離攻撃に優れているそれは、時に猟師すら凌駕することもある。
たしかに、猟師は弓も扱えるが、どちらかといえば猟銃や猟具の戦いに特化している。
と同時に、狩人の持つ鋭敏な感覚は、やや劣化してしまう。
まぁ、狩人MAXなんて人間に出会ったことがないので比べようもないが…
そうした職業的特性は、簡単に級分けで言えるものではない───と。
まぁ、こんなことを言っても勇者小隊の連中からすれば負け犬の遠吠えにしか聞こえないだろう。
俺も言うだけ無駄だと分かっている。
…今更、誰も聞く奴はいないがね
さて、そうした特性を考えてみても、この仕事は猟師等にしか熟せない。
下手に王国が駆除隊を繰り出せば思わぬ被害を出していた可能性がある。ある意味──キーファさんグッジョブなところもあるのか?
まあ、認めたくないがな。
さて、長丁場になるかもな、と。
さて、パンパンと頬を軽く叩くと、
バズゥは気合を入れ『山』を征く。
ファームエッジや、駅馬車を襲うという事は、狩りに慣れていない地羆の若い種が突然変異した可能性もある。
こうした人里を平気で襲う種は危険だ。
何かの拍子に、人を襲い食べてしまうと…最高に危険な種となる。
……人の味を覚えると、奴らはもう──それに病みつきになるのだ。
味が…美味いのか、狩り殺すことの簡単さに気付くのか、何だかどうだか知らないが、本当に人ばかり襲うようになる。
地羆でさえ、それなのだから──キングベアがそうなれば、目を覆わんばかり…村一つ一晩で消えてもおかしくはない。
そして、現在追跡中のキングベアはおそらく…それに近い。
メスタム・ロックを拠点としつつも、遠征し人里で狩りをすることに慣れている。
だから、奴を探す場所はおのずと限られてくるだろう。
町や街道を起点とし、メスタム・ロックを繋いだ半円の中にいると考えればいい。
街道から先へ行くとは今は考えられないから、現在地である。メスタム・ロックと街道の中間点を平行して進んでいけばどこかで気配を捕らえることができるだろう。
当面は、この道なき道を進み、フォート・ラグダ方面へ進んでみるか。
王国軍の哨所へ向かう細道を外れ、藪の中へ強引に身を投じていくバズゥ。
基本は体で押し進み、障害となる草本や低木のみ鉈で刈り取っていく。
方向を見失い易いので、しっかりと目標物を定めて進むとともに、マッピング系スキルを併用する。
なんでもかんでもスキルで対応すると、いざという時、スキルの制限がかかった際に恐ろしい目に合う。
猟師系スキルの様に、地形や環境に影響を受けるスキルは数多い。
故に、過信は禁物だ。
ま、戦闘職に言っても聞かないだろうけどね。
勇者小隊の面々を思い出しつつ頭を振り、意識の外に追いやる。
今は集中しろ───
黙々と征くバズゥは、慣れた様子で山を歩いていく。
藪が深いのも束の間。樹木の作る樹冠の下に、はいれば鬱蒼とした薄暗がりの世界。
太陽光を遮られて、下生は愚か、樹木自身の種子さえ芽吹くことができない。
樹木は貪欲にも太陽光を奪い合い、上へ上へと伸びていく。
足元には、落ち葉由来の腐葉土が溜り、フカフカの絨毯のようだ。
そこに、太い木の根が、突如地中から盛り上がったりしているので、歩きにくいことこの上ない。
視界は遠くまで見通せそうだが、木々が密集しているので、その実──ほとんど遠くは見えない。
まっすぐ進んでいるつもりでも、樹木の生え方に誘導されて曲がりくねっていたりする。
おまけに人間心理として、少しでも楽な方へ楽な方へと進みがちだ。
故に同じところをグルグル回ったり、引き返していたりする。
闇雲に進んでも迷うだけ。
コンパスなんかを使って、しっかりと目標を定めて進まねばならない。
バズゥの場合はスキルと経験の併用で、そこまで器材に頼る必要はないが、それでも常に遭難の危険は伴う。
まぁ、庭のごとく過ごし、仕事場として「狩り」をしていた『山』で──故郷だ。
迷っても、どこかした見覚えのある場所に行きつくのでさっほど心配は、ない。
───ない、が油断もしない。
ココは街じゃない。
人の支配地域を外れた動物の楽園だ。
この地では、人は異物…
故に、何が起こってもおかしくはない。だから、武器は手放さないし──いつでも使えるようにしている。
とは言え、この地で最も強い生物は人間。次点で地羆───キングベアだけは別格だ。突然変異でもなければ通常はいない個体。
それを除けば、そこそこに戦える人間なら早々危機感を感じるほどでもない。
最前線と違い、ここは人類の支配権の内側でもあるのだ。
害獣とて、そう強力なものは生息していないのもの。
だから、バズゥも警戒こそすれ必要以上に緊張しているわけではない。
周囲をゆっくりと俯瞰すれば、生き物の気配は比較的濃厚。
脅威となる者はいない…鳥か小動物の物だ。
腐葉土の匂いを嗅ぎながら、久しぶりの故郷の山での狩りに、徐々に懐かしさと勤労意欲が沸き起こる。
鼻歌でも歌いたい気分だ。
冬の近づくこの季節。
気を付けねばならないのは低体温だ。
低体温の原因は、カロリー摂取不足と…──、
発汗などにより衣服が濡れることによるもの。
激しく動けば汗をかく。
書いた汗は冷えて体温を奪い、同時に体力も奪う。そうなればあっと言う間に行動不能だ。
山での長期間行動は、汗をかかない程度にゆっくりと進む方が距離を伸ばせる。
スキルの『山歩き』を併用しつつも、普段の自分の狩りスタイルを捨てずにマイペース。
軽い空腹を覚えるころには、かなりの距離を進むことができた。
太陽が真上にあるのだろう。
樹冠からかすかに陽光が地表を照らし、葉の間から差すそれはキラキラと輝いて宝石のようだ。
「飯にするか」
キナから貰った弁当を取り出し、ゆっくりと頬張る。
大きなサンドイッチは、分厚くも柔らかい肉と、塩味と海藻の風味のするキャベツと共に挟まれている。
酸味を感じるのは、ハチミツに浅くつけた柑橘類の輪切りが入っているのだろう。
美味い。
行動して失ったカロリーと塩分を程度に補充するとともに、甘味が疲労を軽減し癒す。
さすがキナだ。
よくわかっている。片手で食べられるうえ、栄養補給も抜群。
冒険者どもも似たようなサイドイッチを貰っていたな。
…どうりでこんな田舎に居つくわけだ。
キナの心配りが、あのボケどもを魅了しているのだ。
彼女は本当に損な性格をしているな、と──バズゥは頭を振る。
まぁ、それもこれも、借金返済までだ。
キナは家族が守らなければならない。離れてみてソレを強烈に痛感した。
サンドイッチを半分ほど平らげると、酒の小瓶を開けて中身を煽る。
うーむ…美味い!
プラムモドキから作られた、ワインのような果実酒はアルコール濃度は低いが糖分が多く、体に染み渡る。
時間が経ったことにより、ややパサついたパンの食感を中和するようだ。
口の中の、肉やキャベツの塩味の油分や塩分の後味をスッキリと流してくれる。
酒の味に満足して、残りのサンドイッチを平らげると、酒も全部飲み干す。
空のそれらを異次元収納袋に無造作に放り込むと、昼食は終了だ。
ま、無理だろうが…
この広大な山中で、キングベアを見つけるなんてそう簡単なことではない。
スキル『山の主』があったとしても、並み以上の害獣であるキングベア。スキルから逃れる術を持っているかもしれない。
さてさて、日暮れまでに発見できれば御の字だな。
特に焦りもなく、バズゥはフォート・ラグダ方面へ、のんびりと歩を進めていた。
今のところは……




