第43話「酒場の朝」
チュンチュン……
チュンチュン…
チチチチ…チチ…
小鳥の鳴く声に意識が覚醒する。
体がギシギシと軋むのは、歳のせいだけではないだろう。
ゆっくりと体を起こせば、カウンターに突っ伏して眠っていたらしく、涎が木目と結合していた。
「んんんーーーー……」
と、伸びをし肩や首をバキバキと鳴らす。
その拍子にパサと毛布が落ちる。
誰か気の利く人が掛けてくれていたのだろう。まぁキナしか思いつかないが……
……
…
って、キナちゃぁぁん?
その誰かを探していると、ものスッゴイ寝相でキナが店内のテーブルで寝ている。
そこにジーマも加わっているものだから、女体の女体盛になっていた。──スッゴイエロイです。はい。
ボンヤリと昨夜の記憶を探ると、何故かオヤッサンと飲み比べをしていた気がする。
そこに、俺が奢った酒に酔ったジーマがやってきて、キナを拉致。無理矢理飲ませていたような…
あ、でもキナも満更ではないのか、ジーマに付き合っていたな。
俺は俺で、オヤッサンとムキになって飲み比べていたせいで、そっちに意識が向いていなかった。
その後しばらくして、オヤッサンが気前よく冒険者どもに奢ってやっていた気がする。
うん…俺の記憶はその辺で途切れてるわ。
よく見れば、酒代らしきものがカウンターに置かれている。──オヤッサンだろうな。
ったく、どんだけ酒に強いんだよ。
昨夜のオヤッサンの飲みっプリを、思い出すと──オェェェ…気持ち悪くなってきた。
毛布を被せてくれたのも、オヤッサンかもしれない。
──俺が女だったら惚れてまうわ。
よっと、体を起こし、全身をほぐしながら風呂場へ行く。
冷えた水でも頭から被るか───と行けば、既に先客が…ん、カメか?
「あ、バズゥさん、おはようございます」
「おー、早いな」
残念ヘア―スタイルこと弁髪のカメが、そのトレードマークをブンブン振りながら礼儀正しく挨拶してくる。
「洗濯ならやっときましたよ」
ピっと、物干しざおに刺さる勇者軍の制服を指す。
なんだコイツ? と思いつつも助かるのは事実。
洗濯も雑ではなく、意外や意外。きっちりと皺を伸ばして洗われている。
「すまんな? …で、なにやらかした?」
疑心暗鬼の塊バズゥ・ハイデマン。
「はぃ?」
イマイチ分かっていないのはカメばかり。
「お前等冒険者が人の服洗ったり礼儀正しく挨拶してるんだ…疑うだろ普通」
言う間にも、桶に水を溜め頭にぶっ掛ける。
ブフゥゥー冷えてるゥゥ、目ぇ覚めるわ。
「いや? 特に何も?」
カメめ…信用できると思うのか?
「まぁいい。今日はフォート・ラグダまでは行かなくていいぞ」
まだ依頼は、全然捌けてないからな。
「ほんとッスか? 助かりますオーナー!」
……
…
「あ?」
オーナーだぁ?
「誰が?」
カメがバズゥを指さす。
思わず、
ハンドサインのように、カメと自分を交互に指さし、『俺が…お前の?』と指をさし合う。
カメも無言でコクコク頷いている。
「お前なんざ雇った覚えは……」
あ、こいつもしかして…
「お前ココの従業員にでもなったつもりか?」
バズゥが白目で睨むと、
「え? だって───昨日、バイト代貰ってますよ?」
と、宣う。
まぁ、フォート・ラグダで晴れてギルド員という、お墨付きをもらっているので、冒険者兼ギルド職員という立場ではある。
ついでに言えばヘレナによって正式にポート・ナナンへの勤務を命じられている…という扱いだ。
む…
たしかに、従業員っぽいな。
「──というわけで、今日からモリモリ働きますよ!」
ふ~む…男手が欲しいのは事実。
俺も今日からキングベア討伐で家を空ける。
その間キナの手伝いをしてくれる奴がいれば、助かると言えば助かる。
キナも、酒場の運営とギルド運営を両立するのは厳しいだろう。
買い物にも行かねばならないわけだし…
しかしなぁ…カメだぞ?
う~ん…カメなぁ。
カメ…
カメ、カメ、カメェ…───
字が書ける。
男。
バズゥを敬拝。
キナを狙っているわけでもなさそう。
キーファとも関係なし。
オマケに給料はフォート・ラグダ持ち。
あら。
カメ悪くないかも?
意外と優良物件?
ふむ…
……
…
「良いだろう! カメ君。君をキナ・ハイデマンの補佐として任命する」
「ハッ、謹んでお受けします」
ビシィと敬礼するカメ。
バズゥもしっかりと返礼──直れ!
…俺に任命権ないんだけどね。
立場上、俺はギルドマスターの元に付く、一冒険者でしかない。
まぁそれ以外にも家族ではあるわけだが、社会的な身分で言うと──マスターと冒険者ということになる。
つまり、キナの方が立場的には上だ。
故にこれはただの茶番です。
カメ君はせいぜい、キナに扱き使われたまえ。
働け若者よ。
正規雇用も夢じゃないぞ。
「じゃぁこれも頼む」
バズゥは濡れた頭を拭きがてら甚平の上着でガシガシと水気を取り。そのままカメに渡す。
「了解っす」
素直に頷くカメに満足しつつ店に戻ると、朝の兆しにノロノロと何名かが起き出す。
キナもその一人でジーマの拘束を解きつつ体を起こすと、
「あ、バズゥおはよー…」
と、ポヤポヤーとした顔で伸びをする。
ムニャムニャと口をモゴモゴさせつつゆっくりと動き出すと、
「オロロロロロロロロロロロ……」
俺は何も見ていない。
うん、見ていない。
ジーマが悲惨なことになっているけど…見ていない。
すまん、汚ギャルよ…ウチの子のせいです。
南無さんと、手を合わせてジーマの冥福を祈る。
その汚ギャルは、未だ惰眠を貪っていた。
※
うう…
「気持ち悪い…」
と頭を押さえたキナが、カウンターの裏側で突っ伏している。
勇者軍の予備の制服に着替えたバズゥは、キナの対面に腰かけ、朝の仕事に取り組んでいた。
対面に座るバズゥは、キナに冷えた水を与えてやりつつ、──起き出した冒険者に仕事を割り振っていく。
約1名、「臭サ! 何これ臭サ!」とか言ってるが知らん。
昨夜のウチに、キナがここにいる冒険者の特性毎に依頼が記載された依頼書をファイルの冒険者欄に挟んでくれていた。
お陰で流れはスムーズだ。
キナが死にそうな顔をしていてもできる。
カメには冒険者の名前で、順番を整理させながら店内の片づけもさせる。
ほい、次。
盗賊風の奴が目の前に並ぶ。
名前を聞いてそいつの、情報が記載されたページをファイルから見つけると、そこに挟まれたいくつかの依頼を取り出し、読み上げ…やりたい依頼をさせる。
余力があれば複数熟すことも可能らしいので、好きに選ばせている。
そいつは無難にも、『採取任務』と『配達』を選択すると、代筆を頼んでくる。
へーへー…俺の字汚いけどね。──これもそのうちカメにやらせよう。
そうこうして、キナが「うぅ…」と唸る横で、バズゥは冒険者たちを捌いていった。
全ての冒険者が、カメを除いて掃けると店は一気に閑散とした。
キナもようやく楽になってきたのか、ヨロヨロしながら起き出し食事の準備をしようとキッチンの調理台に向かう。
「おいおい、無理するなよ」
バズゥはキナを支えてやり、椅子に座らせる。
ペターとだらしなく椅子に腰かけるキナ。耳もショボンと垂れ下がっていた。
「うぅ…ゴメンなさい。でも、ご飯作らないと…」
それでも、なんとか動き出そうとするキナ。
バズゥは押しとどめると、冷えた水をもう一杯! と、ばかり手に持たせる。
「いいから休んでろ。飯は俺が作るから」
冒険者連中はブーブー言っていたが、昨夜の残り物のスープを温めて黒パンをそれぞれ一個づつ与えて店から追い出した。
規定通りだ! でごり押ししたが、まぁ我慢してくれ。一応ツケにしといてやるから。
希望する者には、弁当も出してやる。
とは言え、黒パンは切らしていたので、携行食を2~3本づつ。もちろんツケ。
ツケは認めたくないが、金がないのだから仕方がない。
とりあえずメシ代を完済するまでは、例外的にツケを認めることにした。キナがきちんと帳簿を作ってくれていたので取りっぱぐれはないだろう。
踏み倒すヤツも、早々いるとは思えない。
冒険者どもは、昨日のバズゥの漁師連中に対する容赦のなさを目前で見ていた。
アレと同じ目に会うことくらいはちょっと考えればわかることだ。
さぁて、キリキリ働いてもらうとしますかね。
カメには水汲みを命じて、バズゥはキナと自分の朝メシを準備する。…一応カメの分も。
時間を掛けたくなかったので、──押し麦を土鍋に入れて、魚醤と昆布を細かく刻んだものと入れたら中火で煮込む。
クツクツと煮たって来たら、そこに大きくザク切りしたキャベツの塩漬けを水気を切って投入。
軽くかき混ぜると、最後に──何かの卵を器に割あけて(黄身の部分は真っ赤だ)溶くと、土鍋の中に回しいれる。
トロミ掛かった卵が、全体に薄く細く広がると、火から遠ざけて少し冷ます。
沸騰の泡が落ち着くと、灰汁を取り除き…軽くひと混ぜ。
お玉で器に移し替えると、瓶の中からプラムモドキの酢漬けを取りだし…乗っけると完成。
バズゥ特性、麦粥だ。
「良いニオイ…」
若干顔色の回復したキナが鼻をピクピク動かしながら、うっとりと目を細める。
「ま、ただの戦場飯さ」
コンコンと叩いて、お玉にへばり付いた粥を落としながら、自分の分とキナの分とに取り分けて差し出す。
「ありがとうバズゥ」
ニコっと笑う顔が眩しい。
「はっはっは。さぁ食うか」
キナとバズゥが、ズズっと上澄みを啜る。
──塩味と卵の風味が、優しく胃に流れていく。
「おいしぃ…」
陶然とした顔でキナが呟く。──ん~それほどかね。不味くはないけど…
「バズゥのご飯…何年ぶりだろう」
ふぅーふぅーと冷ましながら、キナが木匙で口に運んではその度に表情を綻ばせる。
バズゥ自身もこうやって誰かに食べてもらって、喜ばれるのは久しぶりだ。
勇者小隊では、文句しか出なかったからな…エリンくらいだ旨いと言ってくれたのは。
だいたいあいつらは贅沢な物を食べ過ぎなんだよ…
戦場のど真ん中で白パンなんかあるわけないだろ?
なんだよ…熟成した肉が食いたいとか、ワインを出せだとか…硬魚の塩漬け卵? なにそれ? 太らせた鳥の肝? 怖いよそれ! って感じだったからな~…
はぁ、忘れよ。
「これいいね。朝はあっさりとしてて胃にとても優しい…」
フフフと笑いながら、キナはゆっくりと食べていく。
きっと頭の中では冒険者に振る舞うご飯の事を考えているんだろう。
「まぁ、パンばっかりじゃ飽きるからな」
そうでない人もいると思うが、俺はパンだけだとちょっと辛い。
慣れた人はいろんなメニューを食べる方が辛いと言うが、ここポート・ナナンは海と山の幸だけは豊富。
ちょっと足を運べば隣村で農作物も手に入る。
豊かな食材に囲まれているのだ。
経済的にはち~っとも豊かではないがね。
一杯目を平らげる頃には、キナの顔色も戻っていた。
恥ずかしそうにしながらも、お代わりを所望されれば悪い気はしない。
プラムモドキの酢漬けも忘れずに、と。これ酸っぱくてうまいんだよね。
ウチの家族以外あんまり好まれないから、完全自家消費。
帰ってきてこれを見た時、無茶苦茶懐かしかった…
キナだけしか食べなかっただろうに、それでもキナは作り続けていた。いつ俺たちが帰ってきてもいいように。そして、思い出の味を忘れないように、と。
バズゥも二杯目を食べようと盛り付けた頃に、騒々しい足音でカメが戻ってくる。
「あ、飯! お、俺もいいでスか?」
お、厚かましい奴だな。
と言いたいが、きちんと働いてくれてるし、いいだろう。
味の保証はせんがな。
「手洗って来い。準備しといてやる」
「はいっス!」
水を瓶に移し替えると、湧き水由来のパイプから水を出して手を洗う。
つか、君──結構うちの家の構造に詳しいね…と若干呆れ気味のバズゥ。
カメの奴、躊躇いなく水瓶に給水するし、ウチで使うパイプから出る水が洗い物や手洗い専門だと知っているようだ。
まぁ、キナの働きを見ていれば自ずと覚えるのだろうが…
そう言えば昨日の風呂場でもジーマの奴が風呂場を使いこなしていたな~…と、魅力的なボディとともに思い出す。──バズゥ!
はいはい、キナちゃん。
「ほら、少し冷めてるが好きによそって食え」
一杯目だけ盛り付けてやり、プラムモドキの酢漬けと一緒にして、木匙とセットで渡す。
「うっす、頂きます! お…粥とは珍しいですね…冒険者時代はパンだったもんで」
冒険者時代て、───君ぃ。
先日まで冒険者で、今も兼務でしょうに…何勝手に引退してるのよ。
別にいいけどさ。
さっそくと掻きこむカメ。ジュルジュルと音がウッサイ…
「う!!」
口をパンパンにして掻きこむカメが、ピタリと止まる。
「うんんんまぁぁぁぁ!!! 何これうんまぁぁぁぁ!!!」
滅茶苦茶感動! と言った様子で急にゆっくり咀嚼し出す。
ふむ…悪い気はせんな。まぁ多分に世辞も入っているだろうが。
「何すかこれ…ただの麦粥かと思いきや…この黒い物体に、卵…そしてこの赤い酸っぱいの! 何これ、美味っ!!」
ほほう…プラムモドキの酢漬けの味が分かるかカメよ。
やるな、おぬし。
「ふふふ…カメさん、こっちの食材あまり食べませんでしたからね」
キナが嬉しそうに笑いながら、材料を説明していく。
「え!? この黒いのあの海に浮いてる臭いゴミなんですか!? そして、これ…プラムモドキ?」
驚いた顔のカメ。たしかに、この辺りではどれもあまり消費されない。
一応、産物としてはあるが…特に、昆布を食べる習慣はないので口にすることはないだろう。
そもそも、気持ち悪いと感じる者が大半だ。
プラムモドキに至っては、上手く処理しないと有毒だったりする。
酸っぱくなった味も、強烈すぎて食べることは生半な人間では無理らしい。
要は、あまりにも酸っぱすぎるということらしいです。…旨いのにね。
「はぁぁぁ…凄いですね。キナさ…マスターは、いつも皆に合わせた飯しか作ってくれないから、俺こんなん食べたことないですスよ」
「キナでいいですよ。カメさんは従業員なので…それと、それ作ったの、バズゥよ」
キナの言葉を聞いて、ギョッとするカメ。
「ま、マジでスか」
「文句あるか?」
ジロっと一睨み。───キナの料理だと思って世辞を言っていたのか、テメェ。
キーファみたいに、キナを狙ってるんじゃないだろうな!
「そ、尊敬…マジでリスペクトですわ、バズゥさん」
ボケらっとした顔で匙を舐めるカメ。
本当に旨そうに、ガツガツと食っているから、案外世辞ではないのかもしれない。
「タダの戦場飯だ」
ちょっと嬉しいバズゥは、照れくささを隠すためにもソッポを向いてしまう。
「オカワリ頂きます」
勝手にしろと、顎でしゃくってやる。
そしてらまぁ、遠慮も何もなくコッポリ盛り付けている。
そんでもってキョロキョロして───あん? プラムモドキ探してるのか?
バズゥの近くにある、プラムモドキの瓶に目を付けると、止める間もなく勝手に開けて3個も使う。
それはさすがに酸っぱいと思うぞ…
「いただきます! ……ぐほぉ、しゅしゅしゅっぺぇぇぇ…」
口を梅干型にして酸っぱそうに身を震わせる。
「ゴホゴホ…酸っぱい! けどなんか癖になるぅぅ!」
こりゃ、嵌った口か…?
プラムモドキの酢漬け…隠しておかないとまずいな。これ今の季節は採れないからな!
キナも保管場所は誰にも言わない様にしようと、決意していたとかなんとか…
少なくとも、今年は──今ある分だけで乗り切らねばならないのだ。
カメみたいに、意外と食わず嫌いもいる可能性も考慮して──プラムモドキは、今後ハイデマン家だけで食べようと決めるバズゥだった。




