第35話「ハバナ」
薄暗く、魚臭い漁労組合待合室。
その場に集う4人の影。
専ら威圧感を出しているのは、ボロボロの軍服姿のバズゥと、剥げ散らかした爺のハバナだ。
そのハバナがなんてもないように口を開く。
「借金? …あぁ、古い話じゃな」
キナが借金と聞いて体をビクリを震わせる。
「そう古くもねぇだろ。何十年も無駄飯食ってるアンタからしたら、な」
「カッ、口の減らんワッパじゃな。勇者小隊から逃げかえった割に威勢だけはいい…地元では最強だ! と、言いたいのか?」
イラっとしたバズゥが思わず立ち上がりかけるが、キナの姿が目に留まり──思いとどまる。
「てめぇにゃ関係ねぇ…で、だ。キナの借金だが、なんでテメェらがアホみたいな大金をこの子に貸した」
キナが初めて借金に手を染める理由──店の資金の持ち逃げ事件が発端だ(第22話参照)。
王国金貨10枚…大金だ。
普通に生活している限りではまずお目にかかるものではない。
「あー…? お前は事情を聞いとらんのか?」
チラっとキナを見る──爺ことハバナ・ナナン。
キナはその視線を受けると、顔を青くして縮こまる。
「聞いたよ…てめぇの紹介したクソガキが金を持ち逃げし、あまつさえその補填とか称して金利付きの大金を貸したこともな」
ボォリボリと、腹を掻きながらハバナは頷く。
「だいたいは合っとるのぉ」
何でもない様に言う。
「で? それがなんじゃ?」
…
こいつ…
「まず、そのクソガキの責任はお前らに在るんじゃないのか? あぁん? そんで大金を貸す理由はなんだよ? 持ち逃げされた金と同額かもしれんが、金貨10枚なんて──ウチの店にすぐ必要な金でもないだろが!」
ボォリボリ…フゥ~…
ボロボロと零れたのは、垢だか乾いた皮膚だかが、フワ~っと舞っている。
きったねぇな…
「責任? なんのじゃ? 紹介した奴が逃げたらワシ等に責任があるんか? ──そんなもん雇用主の扱いが悪かっただけじゃろ」
「キナの扱いが悪いなんてあるか、ボケ!」
思わず反論したが、
「それをどう証明するんじゃ? …あー、あとはなんじゃ? 金を持ち逃げされた? カッ、管理面までワシらが知るか」
ペっと、本気で唾を吐くハバナ。青年が困った顔をしている。───後で掃除をするのは彼だ。
「てめぇ! キナがドンだけ苦労したと思ってるんだ!? そのガキを見付けろやコラぁ!」
ハバナは全く動じた様子もなく、
「とっくに衛士には通報しとるよ。探すも何も、こっちは紹介しただけ、雇う決断をしたのも、逃げられたのも───」
ハバナが口の端を歪めて笑う。
「──そこの売女のせいだろうが」
ガッタン!
長椅子から勢い良く立ち上がると、一足飛びにハバナに近づき、視線で脅す…───殺してやる…と。
「…もう一回言ってみろや、おうゴラ」
ハバナは動じた様子もなく、
「売女は売女じゃ、借金のかたに最後は自分を売るしかなくなるとなれば、そうじゃろが」
嫌な目でキナを見ると、…ガタガタと震える彼女の様子を楽しんでいる。
「死にたいみたいだな爺」
「随分長く生きたんでのぉ」
飄々と答えるハバナ。死んでもいいという事らしい。───いいだろう。
腰の鉈の手を伸ばすバズゥ──…を止める手。
キナが青い顔をしながらバズゥを止める。───やめてと懇願する。
チ…
「今度来るときは、棺桶を土産に持ってくるよ」
ドサっと背後に倒れるように、長椅子へ戻る。
「ほぅ。黒檀のぉぉ、良い木目の奴で頼むぞ」
食えない爺だ…
借金が払えなければ、コイツにキナが弄ばれていたと考えると──ゾッとする。
フォート・ラグダのヘレナには感謝しないとな…
「じゃあ、あれか? 金貨10枚を貸したのは、最初からキナが目当てだったのか?」
まぁ、聞いても答えないだろう。
だが、この爺がある程度噛んでいたのは間違いなさそうだ。正直──意外でもなんでもない。
こいつはポート・ナナンの漁師たちを、そうやって目に見えないやり方で縛っている。
組合だ何だと言っているが…誰のものでもない海で、漁師をうまく使って上前を撥ねているのだ。
言ってみれば、デカい農場──荘園で働く小作農のようなもの。
もっと言い方が悪ければ農奴と同じだ。
しかし、荘園ならまだわかる。
一応、土地には所有者がいるのだ。
彼らの土地を使って農作物を育てるのだから、小作農は金をないし農作物を納める義務があるだろう。
だが、海は違う。
もちろん、国々である程度──自分たちの海と称する地域を持つことはある。
それに漁場の縄張りだってあるだろう。
だが、それでも海は海だ。
肥料を撒いたわけでも、人の手で種を蒔いたわけでもない。
ただ海があるだけだ…
そこにあるだけだ…
あるものがあるだけ。
そこに権利やら、規則やら、組合やらを持ち出して漁師を縛っているのがポート・ナナン漁労組合だ。
権力を生かして法の整備。
元々誰のものでもないはずの、海藻やら貝類まで無断で採れば衛士に通報されるというのだからひどい話だ。
海藻も貝も、勝手に生えているだけ。
漁労組合が何かをしたわけではない。
制度を作り、仕組みを弄り、人を集めてポート・ナナンの漁労組合はある。
確かに、漁師達にも恩恵がないわけではない。
取った魚の流通に加工、換金。
漁労組合はその手の仕事も行っている。
漁師は魚を取るだけでいい。
あとは漁労組合に収めれば仕事は終了だ。
自分で売り歩く必要もないし、楽と言えば楽だ。
余った分や、売り物にならない雑魚は食べても、個人で販売してもいい。
船の管理、修理や購入に譲渡の斡旋、さらには気象や海域の情報提供。
一見すれば、確かに恩恵が多く見えるが──彼らは知らない。
一体どの程度の値が魚に付くのか、
加工の人件費はいくらか、
流通の費用は如何程か、
船の修理費は?
収めた魚に対する金の支払いは適切か?
中抜けされていないか?
漁労組合という…システム化されたその中で、彼らは知らない。──気付けない。気付こうとしていない。
人は底抜けに愚かで、短慮で、盲目だ。
だから、こんなハバナのような奴がのさばる。
俺は『猟師』だ。
だから、こいつ等とは交わらないし──
関わらずに済んだ。
空恐ろしいものだ。
傍から見れば、漁労組合なんて王と奴隷の関係だ。
ハバナと漁師──
全く碌でもない話。
ハバナ・ナナン……ポート・ナナンの癌細胞──取り除けば患部をごっそりとえぐり取らねばならないし…そもそも、もはやどこまで浸透しているのか。
どうにもならない村の権力構造だ。
そんな奴が、金の匂いがプンプンする勇者とその叔父…そして、美しき少女に目を付けないはずがない。
等しく腐った世界のこと。
勇者が前線で戦っているからと言って、皆がその銃後まで守るなんて──甘い考えでしかない。
恩人に対してでも、平気な顔をして寝首を掻くのが人間で、この世だ。
そりゃ、魔王に覇王が出てくる週末の世になるわな。
この世はとっくに──終末で、地獄で、腐敗している……
だから俺は、家族だけは守りたい。
こんな世だからこそ、何かを守りたい。信じたい。愛したい───
微動だにしないハバナ。
瞑目しており、答えるそぶりもない。
だから、真意はわからない。
ただ、結果だけは残った。
恐らくこの男の差し金で──金貨10枚という大金を貸し。
疑うことを知らない…キナが借りた。
きっと、ほくそ笑んでいたことだろう。
取りっぱぐれのない、体のいい儲け話。
なんたって勇者。
世界を救う勇者だ。莫大な金が動いていることは想像に難くない。
湯水のごとく各国が注ぐ資金力が背景にある。
王国どころか、連合軍すべてが彼の者に金を注ぎ込むだろう。
金貨10枚がどれほど膨らんだとて、彼の者ならば支払える。
勇者と、バズゥの給料。
笑いが止まらなかったはずだ。
仮に権力が働き、借金を帳消しにするような動きがあったとしても、愚かな美しき少女は転ぶ。
罪悪感と、責任感に溺れて身を差し出す。
悠久の時を生きる、美しきエルフ。
たったの金貨10枚を貸し出すだけで…延々と富か、美を貪ることができる───と。
そんなところか…? なぁ爺。
「答えろよ」
バズゥが凄みを利かせても、ハバナは動じない。
「どうでもよかろう。もう金はギルドが払うんじゃしの? お前とワシんとこは最早関係ない話じゃ」
心底どうでもいい、とばかりにハバナは言う。
実際どれほどの金を手に入れたのやら…
金貨500枚か?
1000枚か?
なぁ爺…
確かに今はどうしようもないさ──
お前のやったことは合法的なんだろうな。
だが、お前は──
キナを泣かせた、
怯えさせた、
売女と呼んだ。
俺は忘れない。
絶対に忘れない。
必ず、
…落とし前を付けさせる。




