第2話「ランクアップ」
ランクアップ。
それは職業レベルが上達し、ある程度熟練者と認められるに達した際に、
教会やその他関連組織で行うことができるもので、現職から上位職へと職業の位を向上させること。
基本的に下級職から、中級職。
中級職から上級職へとランクを上げることができる。
例外的に上級職から中級職などのいわゆるランクダウンも可能だというが───やったものの話は聞いたことがない。
当然ながら上級職のほうがあらゆる面で優れているので、普通は誰しもランクアップを目指す。
しかしながら、簡単に職業レベルというものは向上しない。
未だにその辺のメカニズムは解明されておらず、
バズゥなどは中級職の期間は長いと言えば長いのだが、ある時期を以て一気にレベルは向上し、職業レベルMAXに到達した。
一方で同じように、中級職の『漁師』アジこと───オヤッサンなどは、まだ職業レベルMAXには達しておらず、それどころか程遠いという。
あれほど、海に熟知し腕が立ってもだ。
ただ、バズゥにはなんとなく、レベル向上の原因はつかめている。
おそらくではあるが…レベル向上に必要なのは、新たな刺激なのではないかと思っている。
例えば、『猟師』なら───年中と狩猟をしていればマンネリ化してくるだろう。
そしてそのために、刺激に乏しく常にレベルは変動しない。
一方でバズゥのように『猟師』でありながら戦争に行き戦いの日々に身を置き、命を凌いでいれば───そりゃあ刺激たっぷりなわけですよ。
実際、軍の訓練を始めとして、シナイ島での日々でぐんぐんレベルは向上していった。
それらの経験を踏まえると、やはり刺激を受けること───または、命を削ることが職業レベル向上に関与していると思う。
だが、悲しいかな……無学で浅慮なバズゥ・ハイデマン──それを誰かに伝えて、どうこうしようとまでは考えに至らない。
研究者が聞けば驚くに違いない、稀有な体験をしているというのに……
戦場では、猟師以外にも、剣士や魔術師なんかもいる。
彼らとて命を削り、日々刺激を受けている───といわれてしまえば反論も思い至らないだろうが……
おそらく、
戦場に常に身を置くものは、知らず知らずのうちにそれが日常と化してしまい刺激という点では、やはり乏しいのかもしれない。
それはさておき、
「珍しいですね…この教会でランクアップをしたことは数えるほどしかありません───いいでしょう」
付いてきなさい、と先頭に立ってズンズンと歩いていくシスター。
彼女は教会中央にある泉のような巨大な水盆に近づき、
そこで立ち止まると、
「さぁ、寄進を───」
ニコっと笑って、指をスリスリ……───生臭ババアめ。
「あー……相場ってどのくらいなんだ?」
上級職へのランクアップなんて高いんだろうな。
…軍にいるときにやっておけばよかった。
「さて? 信仰に金額はつけられませんので」
ち……
「神様への、かーんーしゃー」
ほらっと、行って金貨を一枚差し出す。
決して余裕があるわけではないが、色々換金したり仕事の結果それなりに金はある。
だからといって安いわけではないが、一枚くらいなら出せなくもない。
「おぉ…神よ。金貨一枚の価値のある職業にランクが上がらんことを───」
……なんだそれは!
もっとか? もっと出せってか!?
ちくせぅ……!
「わぁったよ!」
ホラっと! 言って更に金貨を4枚も追加する───
「おぉ神よ(以下略」
く……このババア! これいくら出しても同じことを言うじゃないか?
というか、大丈夫か? もしかして、金貨の枚数によってランクアップの良し悪しッて決まるのか!?
「一杯払うと、……良いことあったりする?」
「バぁズゥぅぅ……」
キナに騙されるな! とか言ってる割に心霊商法にずっぽし嵌りつつあるバズゥ。
「さぁ? 神のみぞ知ることです───」
チャリンと、さらに追加で金貨5枚を払うバズゥに、キナは「あぅぅ…」と何か言いたそうにしているが、結局何も言えずに頭を振るだけに留めていた。
「では、水の中へ───気を沈めて…………さぁ行きなさい」
ロォォォ───♪
オォォォ───♪
朗々と歌い出したシスターに導かれるように、
言われるままに、水に入ろうとする。
何故かシスターの言葉に従うのが正しく思え───抵抗なくバズゥは水盆へと進んでいく。
なんだ……水、が?
背後でキナが何か言っている気配がしたが…シスターの歌声しか耳に入らない。
目は…開いているよな?
なぜか水盆以外が──周囲が闇に沈み…光が水の中に溢れている。
トプン───♪
いつの間にか、体は全て水盆に没した。
屋内の水盆の事…
こんなに深いはずも…ましてや全身がすっぽりと入るわけが…?
なんだ? これが…ランクアップ?
スーと眠気に近いものが頭の天辺からジワジワと体に浸透していき───眠気のと正気の合間をさまよう。
その間に、夢の様な…記憶の様な…現のような光景が脳裏に浮かんでは消えていく。
こ、れは───
バズゥ・ハイデマンの半生。
───猟師としての生き様……
それは、
青年期の修業期間……
家族に持ち帰る獲物とその関係……
時にケガをし、
時に楽しみ……
時に笑い、
慈しむ───
そして、
連合軍での訓練期間……
延々と走らされて、筋肉が笑い、銃を握る手すら震える、
慣れない正式小銃を渡され扱かれる日々……
そこで再開した最愛の姪とのひと時───
その後の、
地獄のシナイ島戦線……
戦場で這いずりまわる時に感じた熱、
覇王軍の斥候隊との不期遭遇戦、
助けた兵士と、救えなかった同僚たち……
姪と抱き合って眠った夜──
癒され、泣きつかれた夜の事……
エリン……
エリン……
エリン!!
八家将との遭遇、
エビリアタンとの激戦───
そして、追放されたあの瞬間のこと……
───叔父さんは帰ったほうがいいよ……
…………
……
エリン、すまない…………
俺は───
……
近況に至り、
キナの借金とギルドのならず者ども……
クソのような村人と漁師たち、
そして、老獪なハバナと狡猾なヘレナ。
キングベア達との激戦と───
ポート・ナナンの激闘……
キーファとの死闘とその顛末……
そして、
ようやく救った愛しき家族……
キナ───
キナ・ハイデマン……
エリンとキナ。
二人の愛しき家族───それを守るのが俺の……
スゥゥと眠気が引き、周囲の光景が徐々に輪郭を取り戻していく。
意識の先は礼拝堂。
水盆の中ではなく教会へ、
いつの間に水盆から出たのか記憶にない。
それどころか、教会の中でも───まったく一歩たりとも進まず……バズゥは水盆の前で佇んでいた。
幻覚…だったのか?
「バズゥ!」
不意にキナの声が耳を叩く。
「……キナ?」
傍らには生臭ババ───シスターがおり柔らかく微笑んでいた。
「ランクアップは終了ですよ───さぁ、脳裏に職業が浮かんでいるはず…そのまま素直に語りなさい」
「バズゥぅぅ…」
きゅうう、と心配そうなキナがバズゥを見上げていた。
キナからすれば、ランクアップ中のバズゥは急に動かなくなってブツブツ言う……色々イッちゃった危ない人に見えたのだろう。
──キナちゃんや……そんな可哀想な人を見る目で見ないでよ。
叔父さん興奮しちゃ……───
うん、ランクアップの時は周りに人がいない方がいいな。
「今度」は二度とないだろうけど、誰かがするときはアドバイスしてあげよう。
「バズゥ・ハイデマン……金貨10枚分の──もとい……公平なる神から与えられた職業は何でしたか?」
生臭ババアこと、シスターはどこか期待したような表情を浮かべつつ、淡々と言葉を紡ぐ。
金貨10枚てアンタ……
そんな厭らしさ全開でなく、もっとこう──…ランクアップについて感慨深いものとかないのだろうか。
それはさておき──ランクアップ後の職業か…
確かに、
脳裏にあるそれ。
「───……手」
ポツリと単語が浮かんでいた。
…それが、ランクアップのソレなのだろう。
───これが俺の……ランクアップ後の職業?
バズゥの体は溢れる赤い光とポロポロと零しつつも、ソレが床に当たり蒸発するように消えて一種幻想な光景を見せる。
光の粒はこれまでの、バズゥの猟師としての経験だろうか。
弾けて、蒸発したあとは細かな粒子となってバズゥの体に溶けて行く。
一種幻想的な光景で……
光の中に佇むオッサン一人。
バズゥ・ハイデマン、本日ランクアップせり───
戦争中はエリンの元を離れられず、かつ再訓練の暇もなかったので中々ランクアップに踏み切れなかった。
ランプアップをしたとして必ずしも望む職業に慣れるわけでも、また直系の上級職になれるとも限らない。
例えば、剣士。
剣士ならば、
ランクアップ先に重剣士、熟練剣士なんかがあったりするわけで、
それらは元の職業からは、さほど乖離がないため訓練にも支障が少ない。
だが、これが間違って───(間違ったわけではないが)、
魔法剣士だとか、双剣士等と言った、ちょっと風変わりなものにランクアップしてしまった場合は、すぐに以前と同じように戦えたり働けたりするわけではない。
場合によっては慣れない職業がゆえに、しばらくは戦力足りえないこともある。
それはバズゥも一緒の事───
猟師系の上級職は、直近のランクアップとしてあり得るのが、「上級猟師」「猟師長」等がある。
これらは純粋に『猟師』よりも上位にあたるもので、一時的な能力の低下はあるかもしれないが、元の職業からの乖離は少ない。
まさに上位互換であり、違和感なく戦えるし──働ける。
だが、ランクアップには直系の上位互換以外にも特殊なものが存在する。
『猟師』系で確認されている中では───それが特別職「仙人」だとか、「破壊者」なんていうものもあったりする。
いずれも特殊な例ではあるし、ほとんど確認されない稀な例だ。
そもそもが上級職へのランクアップ自体が早々あるものではない。
ランクアップができるのは、
貴族連中が金にものを言わせて害獣狩りをしたり、戦争捕虜を殺したりして職業レベルを無理やり上げるだとかの実例があるものの──…早々に一般人にできることではない。
一般にある実例ならば、
戦場で伝説的な働きをした兵士だったり、勇者について回って職業レベルが上がった豪傑なんかだったりと───実例自体が少ない。
そんなに簡単に上級職になれるのなら、そもそも戦争で苦戦などしない───
「バズゥ? どうですか? 貴方ほどの狩り達者なら猟師長もありえるのではないですか───」
そういってワクワク顔のシスター。
さっきまでは淡々としていたくせに、バズゥが中々答えないと業を煮やしたようだ。
なるほど…この教会ではランクアップの例がほとんどないだけに、それなりに楽しみなようだ。
だが、
「───魔弾の射手……?」
……
…
「今なんと?」
「いや、俺もよくわからんのだが……『魔弾の射手』と浮かんだのだが…なんだこれ?」
……聞いたこともない職業だ。これは───
「わ、私も初めて聞きます……しかし、バズゥ」
少し動揺したシスターが言うには、
「所謂、特別職ですね……」
なぬ?
「それはあれか? 特別上級職ってやつで───」
そうだ、勇者小隊の化け物ともに比肩するそれ、か?
「いえ、違います。特別職ですね…特別上級職は本当に稀な実例なのですよ…」
シスター曰く、特別上級職になる際には、体が黄金色に包まれるらしいと、
尤も特別上級職という枠組みは、人類が勝手に分けたものであり、
それは数少ない実例の中から優れた職業を選別した結果の名前だ。
それゆえに、
バズゥの『魔弾の射手』は、その枠組にないというだけで将来的に同様の例が出て、かつ活躍したり実績を残せば、特別上級職と呼ばれるかもしれない───という程度のもの。
「ただ、その……文献なのによると、赤い光を放った職業へのランクアップは能力値の上昇などはさほど見られないものです」
どちらかというと……
技巧の冴えを誇るものであると、
「つまり……外れ?」
やばい…金貨10枚じゃ安かったのか!?
「いえ、そういうわけではありません。その───はっきりといってしまえばわからないのです」
『上級猟師』や『猟師長』などのような直近の上級職や、
実績から優れていると確認できる特別上級職と違い──特別職とはカテゴリ分けすら進んでいない未知の分野なのだと……
「『猟師』系統で確認されている『仙人』や『破壊者』も、ランクアップしたあとの人物がどのように生きていたのかという記録がありません。故に研究段階であり、はっきりとしたことが述べられないのですよ……ただ間違いなく、元の職業よりは何らかの利点があるのが通例です」
でなければランクアップなどと言わないと───シスターは締めくくった。
「要はわからんということか……ランクアップ後は──元の職業レベルよりは明らかに能力下がるのは…間違いないようだな」
数々のスキル…そのほとんどが使えるのが感覚としてわかるが、おそらく『夜目』や『刹那の極み』なんかは持続時間や、効果が大幅に下がっている気がする。
その上『山の主』や───『山の神』は……どこか触りがたくなり、能力を閉ざしている。
かすかに、その触りくらいはできそうな気がするが、以前の感覚とは違う。
『山の神』に至っては、あの歌声が遥か遠くで耳に残るのみ……
使えないというより、本能的に使用を……体も頭も拒否しているような感じだ。
「良いんだか悪いんだか、わからんな……」
実際、感覚的には弱くなった気しかしない。
これは要訓練だなと、シナイ島までの道すがら鍛えつつ行かなければならないと覚悟する。
もとより、能力の低下は覚悟していたが…少々、どころかかなり予想外だ。
『魔弾の射手』……これがシナイ島の地獄で通用するのかわからない。
また、エリンに並び立つことができるのか…まったく自信が持てなかった。
それでも、やるしかない。
元々、バズゥは職業で人を分類するような考えには否定的だ。
スキルだ何だ、と──人は余計なものに頼り過ぎている。
過信してはいけない、とも思う。
狩りも戦争も……命のやり取りだ。そこに己の技術以外を介在させてしまえば、それは……もはやゲームだ。
スキルにしても職業にしても、あれはあくまでも個人を補完する程度の物と考えている。
そうでなければ───エリンと並べない……
あの子は俺の家族なんだ。
『勇者』なんかよりももっと大事な者で──事。
「職業は神が人間にお与えになった神聖なもの───努々忘れることのなきよう…」
と、シスターは締めくくる。
なんだか『職業』について否定的なバズゥにとっては釘を刺されて気分だ。
「神様が、わざわざ人様の職業の面倒を見てくれるのか?」
だが、バズゥとてまんじりと聞き入るはずもない。
元々、神様とやらには職業以上に否定的だ。そんなもん信じるくらいなら「山」の恵みについて信仰した方がよっぽど建設的だ。
「山」の偉大さはそこで暮らしてみないとわからないだろう。
そこには神などいない。
スキル「山の神」がシスターの言うところの神とはまったく異質のものだと分かる。
───あれは神というよりも、「営み」だ。
あるがままの「山」なのだろう。
ま──こんなことでシスターと言い合いしても始まらない。
俺は俺。シスターはシスターでいいんじゃないかな。
教会はバズゥにとっては神のおわす場所ではなく、ただの役所のようなものだ。その程度の認識しかない。
実際、ランクアップさえ終わってしまえば長居することもない。
「神の御業を疑ってはいけませんよ」
ニコリとシスターは笑って答えるが、……笑顔が怖い。───生臭ババアめ…
「代金分の仕事だと理解してる」
そうだ。金をとっておいて神の御業もクソもあるかよ。
……金貨10枚は痛いな。
「ええ、神は金貨10枚の寄進に感謝するでしょう。きっとバズゥの進む道も金貨10枚に輝いていくでしょうね」
……もっと払えってか!?
いちいち金貨金貨言うな!
……絶対払わんからな───
「…世話になった。もう二度と来ねぇよ!」
ったく、どんだけガメツイんだよ……あ、今──舌打ちしやがった。
「チ…では、ご機嫌よう。金貨のように陽が輝いていますね」
「うるせぇよ!」
なんて婆さんだ……ハバナといい、このシスターといい……この村の老人はガメツイ連中ばっかりだよ。
熊にも食われてないし、やたらと生存スキルは高い…文字通り本当に食えない連中だぜ。
オドオドしたキナの手を掴むと、ヒョイっと肩に乗せる。
「きゃ! な、なに?」
「お暇するんだよ!」
ノッシノッシと大股で歩いていくバズゥ。シスターがにこやかに手を振っているのが見えたがガン無視だ。
「また来なさい。バズゥ・ハイデマン…今度は姪御さんと一緒にね───あ、喜捨は扉の前にある水盆に入れてもらってもいいですよ?」
ババア……! 誰が払うか。
チラリと見ると、確かに台座付きの小さな水盆があり、コインがいくつか沈んでいた。
こんな生臭ババアらにちゃんと喜捨するお人好しも中にはいるらしい。
……村の連中とは思えないので、宿坊を利用している商人連中だろうか。
ふと、思いついたのでポケットを弄ると、中にあった連合銅貨を一掴み取り出す。
「日頃の感謝を───」
おらよ! とばかりに連合銅貨を叩きつけるように水盆に放り込んでやった。
パチャン! と水しぶきが立ち連合銅貨がプクプクと沈んでいく。
ケケケ……連合銅貨の使い道がこんなにあるとはね。
「もう…バズゥったら子供みたい」
キナが呆れたような声をだし、肩の上でモゾモゾと動く。
降ろしてくれという意味だろう。
「そのまま馬に乗せるからジッとしてろ」
キナは軽いのでまったく苦にならん。チッパイ過ぎて持つところに苦労す──バズゥ! はい、すみません。
エバキは文字通り道草を食って待っていた。
繋いでもいないのに待っているとは…利口な奴だ。
バズゥの気配に気付くと機嫌よさげに嘶き、自ら近づいて姿勢を低くする。キナを乗せやすくしてくれているのだ。
もう少し慣れればキナの言葉をよく聞いて、乗り降りにも協力してくれそうだ。
押し付けられた感はあったものの、この馬を手に入れたのは僥倖だったかもしれない。
でなければ、キナを連れていくのはかなり困難だっただろうしな…
「あんがとよ…」
ヨッ! とばかし、キナを背に乗せると慎重に体を起こすエバキ。
本当に気の利く馬だ。
首を軽く撫でてやり、馬上のキナに軽く頷いて見せる。
「これでこの村ともお別れだ」
さぁ~……と心地よい海風が二人を撫でた。
キナの白い髪がサラサラと揺れ、優しい香りがバズゥに届く。
「そう……本当に村を出るんだね」
感慨深げに目を細めるキナ。
何か思うところがあるのか、村をジッと見つめる。
「……残るか?」
「ううん…そういうんじゃなくて…なんだろう。寂しいような、嬉しいような───」
要するによく分からない感情ってことか……まぁ気持ちは分からなくもない。
バズゥも戦争に駆り出されるまではこの国から出たこともなかった。
急ぎの任務ではあったが…たしかに───村を離れるときは寂しい気持ちがあったように思う。
「よく見とけ。……場合によっては戻れないかもしれないからな」
そう、それは死んでしまったり…あるいは逃げることになるかもしれない旅…───
エリンは『勇者』だ。けれどもそれ以上に、バズゥ達にとっては家族だ。もし、再会したエリンが帰郷を望むなら…あるいは戦いを忌避するなら───バズゥは全力で支援しようと考えている。
それが人類全体の利益とは、反する行為であってもだ。
覇王軍との戦いに『勇者』を必要とする人類……だが、それがエリンの望みでないなら、バズゥは人類なんぞよりもエリンを優先することに決める。いや、決めた。
人の家族を無理やり戦わせて安寧を得ようと考えるなら…そんな時は人類なんぞ滅んでしまえばいい。
俺が勇者を唆したと言われて───大悪党になったとしても、……それでもいい。
エリンのためなら何だってするさ……
「戻れなくても……いいよ」
キナは既に瞑目していた。
見るべきものは───全部見た。そう言わんばかり……
もう村に想いを馳せることもないようだ。
「バズゥがいてくれれば……そこが私の故郷だよ」
人がいる場所が故郷……か。
そうだな…俺がポート・ナナンに帰ってきたのも…キナがいたからだ。
ポート・ナナンに帰ったのではなく…キナの元に帰った。
───そう、それが故郷だ。
「あぁ、俺もそうだ───」
エリンとキナがいてくれれば、どこへだって行こう。
「行く、か」
「うん…ずっと、───ずっとついて行くよ」
どこまでも、家族と一緒に……
さらばポート・ナナン───またいつの日か……
「誰ですか! 喜捨にゴミを入れたのは!」
おっと、シスターがブチ切れてる。
ゴミって……連合通貨ぇぇ。




