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第88話「その細い首を」


 勇者は竜を討ち、

 王国を護り、姫をめとる───


 勇者は海を鎮め、

 港を護り、人魚と恋に落ちる───


 勇者は魔王を滅ぼし、

 世界を護り、女神を見初みそめる───



 そんな英雄譚えいゆうたんと、

 砂糖を吐き出しそうな、甘い甘い恋物語り……



 勇者を讃え、

 恋をする乙女たちへ──


 勇者に憧れ、

 夢見る子供たちへ───


 勇者にはげまされ、

 日々を生きる男たちへ───


 ……


 …


 そんな、夢と希望と愛に満ちた…………くだらないうた


 俺の姉貴…姉さんのうただ。


 そして、

 最後は場末の酒場で出会った少女とげる──そんな、歌だった。

 

 忌々(いまいま)しい想いとともに思い出す歌声は、どうしようもなく懐かしく、……悔しく、悲しい歌。


 酒場で流れた調べと、

 脳裏に浮かぶ旋律はそんなものばかり。


 姉貴がたたえるのは、先代勇者…

 ──恐らく、エリンの父親だろう。


 姉貴を手籠てごめにして、捨てた野郎だ。

 あのくそ野郎…

 くそ野郎ぉ、


 勇者、

 勇者、

 勇者ぁぁ、


 ……人々が讃える先代勇者は、俺にとっては仇敵のようなもの。


 覇王や、

 キーファや、

 ハバナなんかよりも、

 ──はるかに憎悪の対象でしかない。


 勇者(・・)──

 先代勇者は、クソ野郎。

 ……

 俺にとって勇者(・・)は、エリン一人…

 ただ一人。


 いとしいいとしい、俺の勇者。

 唯一無二の肉親で、人類の救い手……俺の救世主メシアだ。


 あんな、腐った先代勇者とは違う。

 本物の勇者。


 勇者エリン(俺の姪)だ。


 ……


 なんとか、記憶を掘り起こし、先代勇者以外の歌を思い出す。

 脳内で流れる旋律と調べは、在りし日の酒場。

 それは、日常の癒しの空間で、

 勇者を讃える歌以上に──


 あったはず、


 朗々(ろうろう)と日々の生活を語り、波と戦う漁師を褒めたたえる歌…

 幼子を背負い、家事と漁労組合の仕事を両立する肝の太い女たちの歌…

 たくましくも、山で生き──日々家族を支える猟師と、若く色気のある快活な酒場の娘の歌…


 そして、

 巡り巡って、また勇者。


 強きをくじき弱きを助け、龍を討ち、魔を滅ぼし、天に上る『勇者』の詩……───


 ダメか、


 あれでいて、姉貴は本当に勇者が好きだったのだろうか…

 バズゥには姉貴の色恋など分かろうはずもない。

 

 ……


 …



 気付いた時には、姉貴はきがされ、

 糾弾きゅうだんする前に、奴はキナを置き捨て、

 報復を誓った時には、知らぬ土地でてたという…


 奴の最後を聞いたのは、随分と時は過ぎた頃──


 噂を聞いた時には、既に全てが終わっていた。


 そう──

 勇者を想い、

 歌が奏でる姉貴の腕にはエリンがいた。


 あの、先代の忘れ形見。

 憎い男の血の産物。

 廃棄ころすべき子。


 ……


 勇者の子供、だと?

 そんなけがらわしい者がなぜここにある(・・)

 俺の大切な家族に何をする!?


 ……


 姉貴は何故!?

 何故だ?

 何故その子を愛しげに撫でる!?


 あの、勇者の子だぞ!

 あの、クソ野郎の子だ…


 ……


 あぁ、

 あぁ、

 あぁ、そうか。


 また、だまされてるんだ。

 勇者に上手く、たらしこまれたんだろう?


 いいさ、

 いいさ、

 いいともさぁ!


 俺がやる。

 やる。

 やってやる。

 家長が責任を持とうじゃかいか?

 山で命をいただくのと、なにも変わりはしない。


 慣れたものさ…


 だから、

 やる。


 躊躇なく、

 やる。


 ──その細首に手をかけて何が悪い?


 グググっと、折り取らんばかりに、

 頸動脈と気道をキュゥゥウっと、

 手の下で血流が滞るのを肌に感じ、る──と、


 エリンが…


 口から泡を吹いて、

 顔が青くなり、

 目が真っ赤に充血し、

 ヒュウヒュウと産声ならぬ、死の吐息を出しているのを見て──

 バズゥは叫ぶ。


 死ね、

 死ね、

 死ね!


 勇者の子!


 姉貴が止めても知るか!

 勇者に捨てられた玩具(・・・・・・・・・・)が止めても知るか!

 俺の良心がとがめても知るか!


 勇者の子供は死ねぇ!!

 勇者、死すべし!

 ああああああああああああああああ───


 ……

 

 …


 それでも、

 エリンは悪意なく──

 姉貴に似た面影で、

 死ぬ直前まで人の悪意を理解せず…その透明で無垢な目で俺を見た。

 

 殺されるなんて、つゆとも知らず。

 小さな手で、俺を掴んで……ただ、見た。

 その目に映る──俺がいた。


 醜い、

 汚い、

 邪悪──


 どうしようもない……

 ____がそこにいた。


 殺せ───


 ……


 …


 それから、数年。

 殺意は、あれ以来湧かない。


 なぜ、湧いたのかすらわからない。


 病に倒れた姉貴を支えながら酒場を続けていれば、

 まだ幼いエリンが姉貴に師事し、歌を覚え始めた。



 波と戦う漁師を褒めたたえる歌…

 家を支える肝の太い女たちの歌…

 壊れた体で必死に居場所を守ろうとする、

 ───健気な少女の歌…

 山で生き家族を支えるたくましく頼れる、

 ───猟師の歌…

 幼くも世界を愛し男に恋する溌剌はつらつとした、

 ───酒場の乙女の歌…



 姉貴の声が、

 姉さんの美しい声が…その忘れ形見のエリンに受け継がれていく──


 幼子は少女へ…


 日々は過ぎ、

 いくさの日常がおとずれても、

 エリンは歌う、


 俺のために、

 夜の無聊ぶりょうを慰めるために、

 殺し殺されの果て、心をいやすために──


 戦場の…焼けた都市と、

 すすけた城塞と、

 くすぶる敵陣で、

 朗々と…朗々と…俺をたたえてくれた…姪っ子。


 未練で、

 みじめで、

 女々しい感情は、

 いつもこうして一人で火を囲むと…止めどなく噴出する。


 少し舌っ足らずで…素朴で美しい音色を立てる姪の声を思い出し、

 脳裏には、下手くそだがどこか味のある、手製の楽器がかなでる音…

 それは確かに、そこにあり──小さなリュートっぽい楽器は、戦場で作った戦場でのなぐさめだ。


 そして、

 俺のいやしであり、俺のなぐさめ、


 エリン──


 ……


 …



 ポリポリと塩炒りしただけの木の実をツマミにして、オッサンは一人…脳裏に音の調べを思い出しながら酒を飲む。


 バチバチと弾ける焚火の音が、人知れず脳内で再生する旋律せんりつに対するささやかな拍手のようにも聞こえ、気分は悪くない。


 ただ、寂しいだけだ…


 ブルルルルルルゥゥ、


 まるでバズゥの心を読んだかのような、タイミング。

 馬がいななき、バズゥを励ましてくれた。

 キーファの馬は、バズゥの背後で猫のように体を横たえリラックスしている。


 よほど、信頼しているのか…

 あれで元の飼い主が存外優しかったのか…

 動物にしては人間臭く、寄り添える器量があった。


 そのたてがみを一撫でし、


「そうだな…」


 ほどほどにするさ。

 クィっと酒を飲みほし、手に残った木の実も口に放り込むとムッシムッシと噛み…飲み込む。


 さぁ…半生はんなまとはいえ、燻製もできたころだろう。

 完全にいぶす気はない。

 これはあくまで、持ち帰ってキナに預けるための保存処理でしかなく、仕上げはおうちでやろうと思う。


 まだ余熱の籠る半燻製肉を、大きな木の葉に乗せてツルを使って手早くまとめていく。

 香ばしい良い臭いが食欲を刺激したが…脳がこれは食えないと警告を発しているのか…唾液は出ない。


 ミディアムレアであの硬さ…スープにしてもなお堅いこの肉が、燻製になったのだ…

 下手をすれば歯が折れるだろう。

 したたる油ごと葉っぱに包み込み、何重にもしておく。

 幸いにも、自生するこの大きな葉っぱは、哨所周辺に多数生えており包みに困ることは無い。

 茎の部分は中空になっており見た目に反して軽い。


 ちなみにこの葉っぱ…春先は食べれます。

 夏を迎えると硬くなって食えたものじゃないけどね。


 だが、馬からすれば御馳走ごちそうなのか、バリバリと音を立てながらしょくしていたのは幸いだ。

 燻製を包みつつ、切り取った茎は馬に与える。


 二人の連携作業ですってか?


 ……俺しか働いてねぇよ。



 ……



 ──さて、出来た。

 結構な量になった燻製肉を異次元収納袋(アイテムボックス)に放り込み、火の後片付けだ。

 かまどはもう使わないので、幾つかの焼けた炭を確保すると、残りは竈といっしょに崩して地面に埋めた。

 半掘り込み式のかまどは、こういう時撤収しやすいから便利でいい。


 土をかぶせても炭はしばらくくすぶり続けるが、延焼するものもないのでそこまで心配することもない。






 さて───……


 長い夜になりそうだ。






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