第87話「熊ステーキ」
パキッ……
パチパチ……
夕闇が迫る中、熊の肉を燻す煙が絶えず立ち昇っている。
その傍でバズゥは夕食の準備に取り掛っていた。
メニューは豪快、
キングベアステーキと地羆ステーキの2種盛り合わせ。
そこに、熊肉スープならぬ…熊鍋だ。
副菜にはキナの作ってくれた弁当───…をちょっと手を加えて一味変える。
キナすまん……───なんだかんだで食べる時間なくてな。
サンドイッチが野菜の水分でデロンデロンになってしまったよ。
というわけで、鍋の具にさせてくれ。
そう言って取り出したのは、王国軍哨所の厨房で見つけた大鍋だ。
10人分くらいは一気に作れそうな鍋から、
3人程度のスープ鍋と色々あったが…まぁ、普通に考えてデカい鍋を使うわけがないだろう。
使い勝手のよさそうなスープ鍋を準備すると、石で作った竈に火を付け、鍋をかけて、
井戸から汲んだ冷えた水は鍋に移し、沸騰を待った。
その間に、火の傍にはカップを置き、松の葉茶を作り、
もう一つの竈には網を置き、分厚く切ったステーキを2切れ───ドンと置く。
──…ジュゥゥゥゥゥ!!!
たちまち肉の焼ける良い匂いと、少々酸えた匂いが立ち込める。
やはり肉の質はかなり悪くなっている様だ。
特に血抜きを怠ったため、かなり固く臭いに違いない。
時間があれば、酒に漬けこんだりして臭みを取るのだが…今はそんな時間もない。
ある物を最大限有効活用だ。
塩に、香草、それに生のメスタムハーブを刻んで乗せ、採取した季節外れの萎びた柑橘類の実を絞るだけ。
あとはじっくり焼いて中まで火を通し、血を溶かしていく。
やはり血が臭みの原因なのだから、その処理はしっかり行う。
それでも、匂いは完全には取れないだろう。
そこで加えるのが、香草以上に臭みを上書きしてくれる───ニンニクだ。
畑で採取した、ニンニクとタマネギをみじん切りにし、軽く混ぜてタマネギの水分で両者を馴染ませる。
そして、ペースト状にしたそれをハイデマン家特製の魚醤に溶かしてソースを作る。
あとは、薄くスライスしたニンニクを、まずは片面を焼いたステーキに乗せ、肉についた余熱でじっくりローストし、香りを移らせる。
──肉は当然両面焼くよ?
ハーブとニンニクの香りのミックスにより、最初の酸えた匂いが少々薄れるのは良い兆候だろう。
滴たる油がジュウジュウと音を立てて、火にあたるたびに黄色く輝き…光が弾けた。
いつの間にかあたりは真っ暗だ。
料理ばっかりして、周囲の変化に気付かない…間抜けな猟師──
油断してるって?
…ちゃんと『山の主』は発動している。
それに、哨所の周囲に鳴子を仕掛けておいた。
…この鳴子はもともとあったもので、襲撃の際に壊れたらしい。
それを再度、張り直しただけなのでそれほど手間でもなかった。
少なくとも、スキルに頼りきりになる真似だけは避けたい。
キングベアが相手だと、スキルの探知に引っかからない可能性も考慮すべきだろう。
他にも、王国軍が設置していた罠のいくつかを復旧させておいた。
完全に壊れたものはどうにもならないが、それでもかなりの数の罠がまだ生きていたので非常に効率よく準備が整った。
ただ、認識阻害系の魔道具だけはそのまま放置しておく。
バズゥの狙いは狩猟であって、潜伏ではない。
哨所と、そこにある餌に気付いてもらわねば…モリの死体も浮かばれないだろう。
キングベアにせよ、地羆にせよ…縄張りを荒らし、あまつさえ餌に手を出したバズゥを放置するはずもない。
ここに来れば、必ず気付くはずだ。
そして、間違いなく仕返しに来る。
それが熊の習性───…
たがら、あとは待ち伏せあるのみ。
……
息を殺して潜伏し、
上手く近づけさせて…───ズドン! で仕留める。
簡単さ。
闇の中で口を歪めているバズゥ。
油断はしないつもりだが、成功の可能性も…また、高いと確信していた。
ブシュゥゥゥ…! ───っと焼けたかな。
狩りに思いを馳せるバズゥを催促するかのように、熊肉の油が盛大に火に飛び込んだ。
焼けた肉の香ばしい匂いに食欲が刺激される。
鍋の方もボコボコと良い音を立てていた。
肉と塩と香草だけの素っ気ないものだが、それだけに旨味をダイレクトに伝える力強い一品だ。
さてさて───
まずはステーキから、
っと、その前に!
パンっと手を合わせて、熊肉に感謝を…そして、食われたであろう王国軍兵士や冒険者の死を悼む。
死したものには冥福を…
山に感謝を、
命を───頂く…と。
さて、
いっただっきま~~す!!
朝を軽く食っただけで、昼飯も食わずに行動していたお陰で空腹は耐えがたいものになっていた。
それは最大のスパイスになるに違いない。
厨房から借りた木の器に、たっぷりと入った特製ソース。
そこにドブンとステーキを付ける。
ヒタヒタになるまでソースを付ければ引き揚げ…一口。
グニグニとした歯ごたえ…固い。
中々噛み切れずに、端っこをガジガジと齧っていると肉汁があふれ出て、口内を満たす。
む…
むむむ…
むぅぅぅぅ…
イマイチ…
いまいち…過ぎるな。
はっきり言って臭い。
これだけ香草にソースといった臭み消しを使ってこれだ。
おまけに固くて中々噛み切れない。
仕方なく、器に入った状態でナイフを入れて切り刻む。
細かくサイコロ状にして、一口二口…と。
これでも噛み切れないばかりか、飲み込み辛くもある。
味も変わらず微妙……
まぁ、美味ければもっと流通しているだろう。
たが、改善の余地はあるかもしれない。
まずは、
焼きが、足りなかったかも? と、
厨房から持ち出した串を射ち、ソース付きを焼いてみる。
その間に、今度はもう一枚の肉…キングベアのステーキに手を伸ばす。
うん…
フォークを刺した瞬間、分かった…これは───固い。
焼いて───ある程度、筋繊維が解れてなおこの固さ…
これはちょっとな…
ソースに付けて恐る恐る、ガブ…
ん~………………
固いわ!!
めっちゃ固い…
なんだこりゃ…靴底か? って言う固さ。
ガリガリと歯を擦り合わせて、鋸のようにして噛み千切る。
モグモグと咀嚼すれば…うん。
味は…イケる!
食用としては少々ランクは落ちるが、十分に食える範囲だ。
ただ…
固い!
これに尽きる───
モグモグ………固ぇぇ。
少々ガッカリ肉のオンパレードにバズゥも落ち込みがち。
結局キングベアのステーキも細かく切って串に刺した。
ステーキのように豪快に齧り付くのは難しいとだけ理解できた。
今は串の先で、中心部のミディアムレアの部分をしっかりと焼いているところだ。
ジュウジュウブクブク…と残った血と脂身が最後の最後まで絞り出されていく。
これはこれで食べやすそうだ。
キングベアの肉が手に入ったら…今後は串焼きだな…
時々、ソースと濁酒をかけながら焼いていき。
その合間に鍋に手を伸ばす。
大きめの器には、野菜の水分でベチャベチゃになった黒パンがあり、野菜と一緒に細かくちぎられて器に鎮座していた。
キナが作ってくれた弁当。
これをちょっと手を加えて、すいとんモドキにする。
熱々のスープで、即席の鍋の実とするわけだ。
さて、まずは一杯。
パンやら野菜を目がけて、大きなオタマで鍋を一掬いし…器に注いだ。
まだ沸騰しているスープが器を満たし、サンドイッチであった具材をあっという間に煮立てていく。
たちまち茹ったような野菜の匂いが立ち込め、口内に唾液を溢れさせる。
掬ったスープは白濁しており、表面にはキラキラと脂が浮き、焚火の照り返しで輝いていた。
うん…
では一口───
ズズーーー……
むむ!
むぅぅぅ!!
むむむぅぅぅ!!!
───旨し!!
これは旨い!
イケるな…
スープにはしっかりと出汁が滲みており、臭みを感じさせない。
なるほど…熊の血はかなり臭いため、完全に火を加える方がいいということか…
器の中でふやけた黒パンを匙で掬って一口。
ジュルルル…と吸い込むと、出汁を吸って重くなったパンが実に旨い。まるで旨味の爆弾だ。
スルッと喉に流れ込む食感も面白い。
煮立った野菜も、シャキシャキとした歯ごたえを残しており旨い。
う~ん…満足の出来栄えです!
クっと残りを飲み干し、再びパンと野菜を器に満たすと熱々のス―プをかける。
今度はごろんとした肉が入っている。
煮えた熊肉だろう、キングかグランドか──どっちがどっちかわからん。
ただ言えるのは、煮えてなお固いということのみ。
そして、ガブリ。
…モグモグ。
実際一口齧ってみて言えるのは…
固い! 臭い! 癖がある! と3K状態だ。
あー…熊肉は直で食べる物ではないらしい。出汁専門だな…
そう結論付けた。
実際、肝や手足は流通に乗るが…肉はない。
まだ戦争前にポート・ナナンで猟師をやっていた頃も、肉は食べなかったなーと思い出す。
それは持ち帰るのが厳しいこともあったが、専ら習慣的に肉は食えないと言われていたからだ。
せいぜい、ウチの店で使う分を少々持ち帰るのみで、後は毛皮と肝しか取っていない。
そして、持ち帰る肉といっても、キナの要望するのは肉というよりも、出汁のよく出る背骨部分だったのでその辺を持ち帰るくらいで──こうしてステーキにして食べたのは、実は初めてだ。
地羆自体、早々出くわす種でもないというのがあるし、狙って取ろうと考えるものでもなかったのが大きいだろう。
当時…まだまだ猟師としても実力は中堅程度のバズゥでは単独で挑むにはかなり厳しい相手であったこともある。
今となっては地羆ぐらいどうってことはないが、…昔は違ったものだ。
そう、熊肉をモゴモゴと噛みながら思いにふける。
しかし、そうなると依頼の獣肉の確保…これは熊肉だと苦情が来そうだな。
熊肉は、あくまでオマケ程度にして、本格的に食いでのある旨い肉を狙う必要があるだろう。
メスタム・ロックでの獣肉と言えば鹿に猪、兎にカモシカ───まぁ色々いる。
中型の獣である鹿やカモシカは臆病で足が速いので、狙って取ろうと思わなければ早々取れるものでもない。
半面、大型の地羆や地猪は、縄張りに近づきさえすれば向こうから来てくれる。
腕に自信のある者からすれば大型の方が狩りやすい。
故に、現時点でメスタム・ロック最強と思われるバズゥは大型獣を狙う方が性にあっていた。
「とは言え、熊肉はな~…」
何とか噛み切りゴクリと飲み込む。
鼻に突き抜ける獣臭さが妙に残り、後味が最悪だ。
まるで苦行の様に肉を平らげていく。
これで空腹でなかったら、ただの拷問だなと思いつつ…スープの肉に、串焼きの肉も頬張っていく。
串焼きは───…ステーキよりはマシだった。
「ゲップ……もう駄目だ、限界…」
なんとか全ての食材を食べ終える。
とは言え、切り身にしたステーキはまだあるのだが…焼かずに持ち帰ろう。
流石に捨てるのは熊に悪すぎる。
腹いっぱいと言いたいが…どちらかと言えば味にウンザリの気持ちだ。
口直しにプラムモドキ漬けを取り出し含む。
酸っぱい味が口に広がり獣臭さを追い出してくれる。
溢れた唾液を、松の葉茶で流し込み口の中をさっぱりさせると、まだ口内に残るプラムモドキ漬けの種を噛み砕く。
ゴリリといい音を立てて硬い殻を割り砕くと、それを全部手に出し選別───
細かな殻の破片に混じり………──あったあったテンジン様だ。
言葉の意味は知らないが、死んだ姉貴──以下略曰く、が語源だそうだ。
殻に比べてこのテンジン様は柔らかく、しっとりサクサクだ。
クルミなんかに近いだろうか。
僅かに感じる酸味と塩っぽさがナッツ風味で茶によく合う。
アルコールが欲しくなり、キナに渡された濁酒の小瓶を取り出した。
酔うほどの量ではないが、燻製作りの暇つぶしにはいい。
楽器が弾ければ、こんな時は無聊を慰めることもできるのだろうが…あいにくその手の才能はないらしい。
そういった手慰みが、上手かったのは姉貴だ。
酒場の寂れた雰囲気を誤魔化すために練習し始めたというが…
あの小汚くも落ち着く酒場に、姉貴の弾くリュートやら縦笛…太鼓なんかの音が酔客を魅了していた。
とは言え、誰かに習ったわけでもないソレは、「音楽」とかいう──貴族様方や街の大きな酒場で聞かれるものとはまた違う。
どちらかというと吟遊詩人らの語り聞かせに近いものがあった。
夜の闇に、焚き火だけを光源とした暗い山中。
バズゥは、懐かしい調べを脳裏に浮かべ、孤独を癒す───




