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7 王妃様とのお茶会

 春が終わり、初夏の足音が聞こえてきた頃、王宮より招待状が届いた。

 ヘレネー・ウィル・エイリアス王妃からだ。

 数カ月に一度こうして王妃様からお茶会の誘いがある。

 回帰前の私は王妃様がとても苦手で、招待状(という名の拒否権がない)を前に気分を悪くしていた。

 王妃様は賢妃と名高く、政の補佐もしている。

 そんな王妃様にとって、外見ばかり取り繕う私のような存在は、不愉快の一言だろう。

 国内の政治情勢など全く興味を持たず、美しいドレスにばかり執着するのが、お腹を痛めた王太子の妃だなんて。

 必要なのは私という存在ではなく、公爵家というブランド。

 だから王妃様は、常に私を目の仇にするように鋭い眼差しを向け、お茶会の時には私がどれほど王太子妃として相応しい教養を身につけているのかを試した。

 付け焼き刃の知識で挑んだどころでどうにかなるはずもなく、


『もういいわ。下がりなさい』


 お茶会は決まって、王妃様の失望に染まった声で終わりを迎える。

 王宮からの帰り、私はただ怖ろしくて泣いた。

 自分の無知ぶりを棚に上げ、王妃様がどれほど酷い目で睨み、鋭い言葉で心を傷つけてきたのかを、殿下に語るのが常だった。

 殿下も殿下で、うんざりしただろう。

 そんなに嫌ならばもっと教養を身につければいい。

 少しでも構わないから。

 将来、決して無駄になることではないから。

 そう告げる殿下に私は、


『どうして殿下までそんなひどいことを仰るのですか!? 私は臣下ではないのですよ!? そんなことは臣下が知っていればいいではありませんか!!』


 そう感情的にわめきちらした。

 殿下はうんざりしたという表情を隠さず、追いすがる私の手を振り払い、去っていった。

 王妃様と回帰前、最後に会ったのは、私がミリエル嬢に愚かな真似をし、捕らえられた後のこと。

 王妃様の冷え切った眼差しは今でもよく覚えている。

 私は殿下が助けてくださると本気で信じていた。

 公爵家の協力がなければ、政治も進まないだろう、それに殺した訳ではないのだから、ちょっとした問題ですぐにどうにかなる、と。

 しかし王妃様は私を一瞥するなり、『こうなってくれたのは我が国にとって幸いというしかありません』と言った。

 当時はどういう意味なのか分からなかったが、今から思えば確かにその通り。

 私がとんでもないことをしでかした以上、公爵家の権威は失墜する。

 公爵家を取りつぶさないことや、私の減刑とを引き替えに、公爵家を完全に屈服させる。

 あの冷徹な王妃様の頭の中では、それくらいのことは思い浮かんでいただろう。

 王妃様からすれば、無能な婚約者を斬り捨てられるばかりか、公爵家まで従わせられる。 これほど良いことはなかったはず。

 私はお茶会の招待を受ける旨の返事をしたためた。


「オリヴィエ。王妃様のお茶会の招待が届いたと聞いたぞ」


 夕食時、お父様もお母様も私のことを心配そうに、切り出してきた

 これまでどうしようと取り乱し、泣きついてきたのだから、心配なさるのも当然ね。


「心配ないわ。ただのお茶会ですもの」

「でも」

「お母様。心配なさらないで。ちゃんとうまくやるから」

「そう……。分かったわ」


 しかし二人の表情が晴れることはなかった。

 そしてあっという間にお茶会当日を迎える。

 馬車に乗り、王宮へ。

 回帰前は、売られていく奴隷のような気持ちだったけれど、今、私の心は凪いでいた。

 相手は確かに怖い人ではあるけれど、別に命が奪われるようなこともない。

 ロイドと一緒に盗賊に襲われた時に比べれば屁でもない。

 あの時は、ロイドが爆薬を使ったお陰で逃げおおせたんだったわよね。

 あれほど必死になり、なりふりか構わず走り続けた経験をした今、王妃様と一緒のお茶会なんてなんでもないもの。

 しくじったところで、王妃様がいつものように眉間の皺を深くする程度で済むもの。

 王宮へ到着すると待ち受けていた侍女の案内で、王妃様のお気に入りの離宮へ。

 そこは大きな池に面した庭園で、水の上を渡る風がとても涼しい。

 私が離宮に入ると、侍女たちが冷めた眼差しを向けてくる。

 一部はこらえきれないように口元がやや緩んでいる。

 これから私が震え、怯え、愚かさをさらすのを今や遅しと待ち構えているのだろう。

 公爵令嬢に向けていい表情ではないけれど、使用人は主人の鏡。

 王妃様がどれほど私に呆れているかが分かるわね。


「王妃様、ご機嫌麗しく……」

 すでに席に着いている、頭の上でまとめた美しい金髪に、殿下によく似た涼しげな琥珀色の瞳の王妃様にカーテシーをする。


「よく来ましたね。怪我をしたと聞きましたが、調子はどうですか?」

「お陰様で、後遺症もなく。ご心配をおかけして申し訳ございません」


 刺すような視線に対して、にこりと笑いかける。

 いつも通りの仏頂面が小さく揺れる。


「……それは良かったわ」


 あら、少し驚かせてしまったかしら。

 それはそうね。

 王妃様の前で笑うことはもちろん、その目を見返すことだって、回帰前はできなかったんだもの。

 でも今の私は以前の空っぽなオリヴィエではないのだから、王妃様を恐れる必要などないわ。

 普通に、無難に過ごせばそれでいいのよ。


「カリストとの仲はどうかしら」

「とても順調です」

「そう。安心しました」

「ところで東大陸との貿易をおはじめになられるのですね」

「……どうしてそう思うの?」

「こちらの茶器は、東大陸からのものでは?」


 王妃様の目がかすかに瞠られる。

 私がそんなことに気付くとは夢にも思わなかったのだろう。


「よく分かりましたね」

「東大陸では、青みがかった釉薬を使うと聞いたことがありますから」

「確かにそうです。東大陸のサファルという王国と貿易をはじめようとやりとりをしているところです。これはあちらの使節団が献上してきたものなのよ」

「……さすがに、見事ですね」


 釉薬の色味、そして焼き具合。

 これほどのもの、市場ではとてもお目にかかれるものではない。

 国同士のやりとりだからこそ、表に出てくる品と見ていいわね。


「何をしているの?」


 私がカップを日射しにかざす姿に、王妃様は不思議そうな顔をする。


「こうして日にかざすと、釉薬の色が薄い緑を帯びて、また見え方が変わるんですよ」


 王妃様は不思議そうな顔をしつつ、私の真似をする。


「……本当だわ」

「青天緑磁とあちらでは言うそうですよ」

「随分詳しいのね」

「たまたま小耳に挟んだのです。本当に見事だわ。これならきっと多くの買い手がつくはずですわ」


 と、私はつい口を滑らせてしまう。


「売り物ではありませんよ」

「そうですね。申し訳ありません。それほどに素晴らしい品物だと思ったんです」


 私は気まずさを誤魔化すように咳払いをする。

 いけないわ。

 今の私は令嬢ですもの。

 商人ではないのだから気を付けないと。


「カリストから聞いたのだけど、語学の本を読んでいるとか」

「はい。大陸共通語では足りないと思いまして。今は何人かの家庭教師についてもらっているところです」


《学ぶということに目覚めたのですか?》


 王妃様は言葉を口ずさむ。

 西大陸北部のワイシャール地方で使われる、ワイシャール語だ。

 侍女たちは不思議な言葉の響き、ぽかんとした顔をする。


《そうですね。まだまだではありますが、学ぶことの大切さに気付いたのです》


 にこりと微笑んだ私は、なめらかに応えた。

 王妃様はまた驚いた顔をしたかと思えば、すぐにいつもの冷静な表情の中に隠す。


「なるほど、本気のようですね。がんばりなさい」

「ありがとうございます」

「東大陸との貿易だけれど、あなたはどう思っていて?」

「良いことかと思います。あちらの国では西大陸にはない特産品や技術もございますから」


 人生で初めて船で大陸間を移動したことを思い出す。

 知識でしか知らなかった東大陸。

 船で過ごす日々は正直、三半規管の弱い私には地獄だったけれど、今となっては楽しい思い出だ。


「どうしたらうまくことを運べるかしら」

「サファル王国の実権を握るのは、幼少の国王ではなく、その母親であると聞きます。表に出てくる大臣たちは結局、ただのメッセンジャーでしかありません。真の交渉相手は、王太后です。ですから、王太后をその気にさせるような手を打ってはいかがでしょうか。我が国で織り上げられたシルクは、きっと喜ばれるのではないでしょうか」

「サファル王国は男尊女卑の国で、実権を握るのは幼少の国王を補佐しているのは摂政を務める叔父という報告だけれど」

「あくまで表向きは、ということに過ぎません。私であれば、王太后との接触を試みますわ」

「……そう。分かったわ。参考にしておきましょう」


 王妃様が笑顔を?

 こんなこと、今まで一度もなかったことだ。

 それを目撃した周囲の侍女たちも信じられないという顔をしている。

 とりあえず今日はしのげたのではないだろうか。

 これで後は適当なところで切り上げて帰りましょう。

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