2 王太子カリストの不審
『殿下! オリヴィエ嬢が学校でお怪我をされたそうです!』
その知らせを聞いた時、正直うんざりした。
ついに私の歓心を買うためにそんな狂言までするようになったのか、と。
ここのところ公務が忙しく、彼女とちゃんと会う時間を取ることができなかった。
これまでは週に一度は会うことが半ば義務化していたが、ここ何週間かほ多忙を極め、なかなかお茶会の時間を取れなかった。
孤児院の訪問を一緒にどうかと話を振ったことがあったが、
『孤児院!? どうして殿下がそんな汚らしい場所に向かわれる必要が!? 孤児がいる場所などに殿下が向かうような場所ではありません! どんな病気をもらうかも分からないではありませんか……!!』
どうしてそんなことを平然と口にできるのか。
彼女の物言いに改めて失望せずにはいられなかった。
彼女は将来の王妃となるべき立場にある。
富める者も、貧しい者も、全て私たちが守りるべき大切な民なのに……。
オリヴィエに会うたび失望することが多くなり、彼女と顔を合わせることに対してうんざりした。
しかし仮にも婚約者が怪我をし、公爵によると二日間も目を覚ましていないという。
それでもすぐに駆けつけなかったのは、それだけ彼女から心が離れている証だ。
公務が立て込んでいることを言い訳に公爵邸に足を運ばない日が続いていると、今度は目を覚ましたという知らせが届いた。
さすがにそろそろ行かなければ外聞が悪い。
憂鬱な気持ちを抱えながら馬車に乗り込んだ。
「カリスト。そんなうんざりした顔をするな」
向かいに座っていた乳兄弟のソウルが苦笑まじりに言った。
人の目がある時には敬称をつけるが、二人きりの場では子どもの頃と同じように接している。
そのほうが私も気持ちが楽だ。
大人になればなるほど、胸の内を明かせる人間というものが減っている。
ソウルの存在が、王太子というプレッシャーのかかる立場でいる私にとって救いと言っても過言ではない。
もしソウルが女であれば、今すぐにでも婚約者にしたいくらいだ。
それくらいソウルは、私を理解してくれている。
「うんざりもする。これからオリヴィエに会うんだぞ。今日はどれくらいの時間、拘束されるか……」
「重要な公務は先に片付けているんだろう」
「そういう問題じゃない。ファッションや社交界の流行……。一体どれだけ下らないことを聞かされるのか。考えるだけでもうんざりする。彼女は未来の王太子妃だぞ。それが、感心があるのは自分を着飾ることばかり。あれの口から少しでも国に関する事柄を聞いたことがあるか?」
「ないな」
「これで卒業したら結婚だ。いくら我が国の名門貴族とはいえ、あんな者を妃として迎え入れるのは損害でしかない」
「だから、ミリエル嬢と親しくしているのか? まさか彼女に気が……」
ミリエル。
天真爛漫な笑顔が脳裏を過ぎる。
ピンクブロンドの髪に、愛嬌のあるくりくりとした緑色の瞳。
確かに彼女は積極的に話しかけてくる。
学校は基本的には外の身分は関係ないとはいえ、それは建前だ。
おいそれと王太子に話しかけて来る人間は少ない。
しかし彼女は周囲の生徒が遠巻きにする中、積極的に話しかけてきた。
物珍しさも手伝い、何度か昼食を共にしている。
オリヴィエの中身のない話とは裏腹に、ミリエルは一年生だというのに我が国の政治や経済に関心があるようで、なるほどと思う意見を聞いたこともあった。
彼女の実家、ナティシュ伯爵家は宮廷内で新興貴族や政治の中枢から外れた者たちの旗頭として、急速に力を付けつつある。
国王である父はそんな伯爵家を重用しつつある。
それには、名門貴族を束ねるノークタム公爵家の影響力の拡大を牽制し、王家の力を増大させるという目論見があった。
とはいえ──。
「馬鹿を言うな。公爵家との婚約は父上がお決めになられたことだし、ミリエルに対してそんな浮ついた気持ちはもっていない。ただ気分転換に話すのに丁度いい、その程度だ」
「なら、いいが……」
確かにオリヴィエへの愚痴を毎回聞いているソウルからしたら、そう勘ぐりたくなる気持ちは分からなくもない。
しかし婚約者がいる身で他の女性に心を奪われるなど、そんな浅ましい真似をしようと思うほど恥知らずではない。
オリヴィエとの結婚は将来を見据えた政略だ。
結婚で得られる利益が、国の利益になるからこそ、成立している。
馬車が、公爵邸の前で停まる。
馬車を降りると、応接間へ通される。
毎回、彼女の身支度で三十分以上待たされる。
今日も当然そうだと思ったが、彼女はすぐにやってきた。
いつものようにめかしこんだ風でもない。
地味。
普段の彼女を知る身からすると、そんな感想が思い浮かんだ。
型通りの挨拶を交わし、世間話をする。
いつものようなファッションや流行の話は全く出ない。
怪我をした状況について聞いたが、彼女はその前後の記憶がないものの、医者からは問題ないと診断されたという。
それでも大事を取って学校には来週から登校する予定らしかった。
私の知っているオリヴィエであれば、もっと大袈裟に言い立てて、まるで悲劇のヒロインであるかのように同情や歓心を買おうとするだろうが、そんな仕草は少しもない。
ただ事実を淡々と話すだけ。
まるで別人と話しているような錯覚に陥り、私は何度も、しつこい程に大丈夫なのかと尋ねてしまう。
彼女はそのたびに、やや困惑しつつ、「大丈夫です」と返す。
本当に大丈夫なのか?
「殿下、そろそろお帰りになられたほうがいいですわ」
彼女はそうまで言ったのだ。
あのオリヴィエが。
常に自分のことばかり話し、こちらのことなど気に掛けたことなど一度もないあのオリヴィエが。
「あ、ああ……」
最後まで困惑から抜け出せないまま屋敷を辞去し、馬車に乗り込んだ。
懐中時計を一瞥する。
滞在時間はおおよそ三十分。
これまで最低、週に一度はご機嫌伺いとして公爵邸を訪ねていたが、こんなにも短い滞在は初めてだ。
これから予定があるからと断っても、うんざりするほど引き留めたがった。
そのせいでスケジュールをずらしたり、日程を変えたりすることは何度もあった。
強めに叱りつけたこともあったが、通じたこともない。
なのに……。
「なあ、ソウル」
「頭への強い衝撃で、人が変わるということはありえる」
さすがは乳兄弟。
ソウルは私の言いたいことを察し、そう言った。
彼もまた困惑している。
「騎士たちも任務の負傷で、暴れ者が小心者に、真面目だった奴が粗暴になったという話を聞いたことがある」
「……怪我の後遺症だと思うが? 意思は問題ないと診断したらしいが」
「人格が前と変わったとしても、命に別状がなければ問題ないという診断が降りるんだろう。もちろん、誤診という可能性は否定できないが」
「念のため宮廷医を派遣してくれ」
「分かった」
一体何が起きているのか。
城に帰り着くまで、オリヴィエのことばかり考えていた。
作品の続きに興味・関心を持って頂けましたら、ブクマ、★をクリックして頂けますと非常に嬉しいです。




