17 異邦の姫君
私は王妃様に呼ばれ、王宮へ足を運ぶ。
お茶会は月に一度のはず。
なのに、また呼ばれるなんて一体なんなのかしら。
私が侍従に案内された場所は離宮ではなく、王宮にある王妃様の執務室。
部屋に通されてしばらく待っていると、王妃様がやってきた。
「王妃殿下、ご機嫌麗しく」
「堅苦しい挨拶は大丈夫。楽にしてちょうだい」
王妃様は私の向かいの席に座る。
侍女が王妃様の分の紅茶を淹れると、そそくさと退出していく。
「今、我が国に、サルマーン首長国の第一王女殿下が親善のために来ていることは知っていて?」
「はい。父から聞いております」
サルマーン首長国は西大陸の南方にある国だ。
首長と呼ばれる君主によって統治され、海産物が豊富な国である。
「公爵はヘソを曲げているのではなくて?」
「あまり機嫌は良くないですね」
苦笑まじりに頷く。
今度の親善の饗応役に陛下が指名したのは、ミリエルの父、ハッサム伯爵だった。
外国使節の饗応は、公爵家が担うのが通例だから、お父様はかなりご立腹。
陛下としては伯爵家を持ち上げ、貴族間のバランスを取りたかったのだろう。
「私は公爵に、と言ったのだけど、陛下がどうしても聞いてくれなくて」
「そうだったのですね。それで?」
「……問題が起こったわ。つい昨日のことよ。晩餐会の席上で、伯爵令嬢が王女殿下を怒らせたの」
「なぜです」
「よく分からないわ。でもとにかくすごい剣幕で。確か、首長国からの贈り物の話題になって、令嬢が真珠のブレスレットを見せたのよ。バザールで入手したとかで。そうしたら……王女殿下は驚いた顔をされて、真珠のブレスレットを引きちぎったの。それから彼女は席を退出して、滞在先の離宮から出てこないの」
「……なるほど」
「心当たりがあるの?」
「なくはありません。それで王女殿下は?」
「出てこないわ。今日予定されていた公式行事が全て潰れてしまったの。もう、伯爵は大わらわで、陛下もかなり困惑していて」
「それは大事ですね」
「そこで、あなたに殿下の機嫌を直してもらいたいの」
「私が?」
「あなたと殿下は同い年だし、それにこの間の東大陸の件、あなたの言う通りにしたら、話し合いがスムーズに運んだのよ。今年中には正式な国交が結ばれる運びになるでしょう。ここまで早期の締結は誰も予想しなかったこと。あなたがここまで広い知見を有しているとは知らなかった。だから、今度もあなたの力を借りたいの。カリストも賛成してくれたし、この事態を収められるのは、あなただとも太鼓判を押していたわ」
「殿下が……」
「確かに第一王女の我が国への非礼は無視できないことだけど、実は首長国特産の真珠の独占的な取引について話し合いがもたれることになっているから、波風を立てることなく、穏便に事を運びたいの」
「……分かりました。ご期待に添えるようやらせていただきます」
「そう言ってくれて嬉しいわ。何か必要なものがあれば何でも言いなさい。すぐに用意させるから」
「では……」
私はいくつかの品々をあげる。
「すぐに用意させるわ。今から頼める?」
「かしこまりました」
退席した私は侍女に連れられ、第一王女が宿泊している離宮へ向かった。
確か回帰前にも同じことが起こったはずだわ。
あの時は確か収拾はできず、両国間にヒビがはいってしまったはず。
父上が、自分を差し置いて伯爵に大事な仕事を任せるからこんなことになるのだとせせら笑っていたし、私もあのミリエルがしくじったことが嬉しかったことを覚えている。
首長国の第一王女殿下の名前は、アビディア・サルマーン。
回帰前にも何度か、ロイドと一緒に顔を合わせたことがある。
あの時は、彼女は他の国の話しだったり、物珍しい品物を求めていた。
私が言うのもあれだけど、激しい気性の持ち主で、周りも手を焼いていた印象だったわね。
私をここまで案内してくれた侍女が、アビディア様が滞在されている離宮を守る衛兵にお目通りを願いたいと言伝をする。
衛兵はすぐに建物の中に入ってくるが、一分と経たず戻ってくる。
「殿下は無礼な物たちとは会わないと仰せです」
衛兵は疲れ切った顔をして言った。
私は侍女を下がらせる。
「殿下に、お暇でしょうから、暇つぶしをするものを持ってきたとお伝えして頂けますか?」
「は、はあ」
衛兵が再度引っ込むと今度は「お許しが出ました」と明るい表情で報告してきた。
私は侍女と一緒に部屋へ通される。
アビディア様はクッションをかかえながら、ごろんと寝椅子に転がっていた。
青みがかった黒髪に褐色の肌。ぱっちりとした目は美しいピンク色。
回帰前も思ったけれど、本当に美しい人だわ。
《暇つぶしの道具を持ってきたんですって?》
アビディア様はわざと祖国の言葉を口にする。
おおかた祖国の言葉を喋れない相手とは一緒にはいられないとでも難癖でもつけて、品物だけ手に入れ、私を追い払う算段なのだろう。
王妃様より任された以上、すごすごど帰るつもりは毛頭ないけれど。
《はい。ご満足していただければよろしいのですが》
アビディア様は目を大きく見開くと、体を起こす。
《あなた、サルマーン語が話せるの?》
《多少ですが》
回帰前もこうして会話をしていた。
そのために猛勉強をしたのだ。
《殿下、まずは昨日の晩餐会での無礼、お許しくださいませ。殿下がどれほど腹を立てられたか、痛いほど理解しております。女神アフーディマの涙とも言われる真珠をなによりも神聖視しているあなたの前で、そのあたりの石にも劣るようなクズ石を示すなどあってはいけないこと……》
《驚いたわ。アフーディマ様のことまで知っているの? 生まれは?》
《生まれも育ちもノークタムでございます。しかし外の国にとても興味がありまして、書物で多くのことを学んでいるんです》
《素晴らしいわ! 名前は?》
《オリヴィエと申します》
《昨日の晩餐会のあの無礼な小娘とは全く違うわね。感心したわ。この国にもあなたのような娘がいたなんて。本当に昨日のあれはありえないわ。私たちが贈った品を見て、昨日の娘はくず石でできたブレスレットを示して、同じものだと言ったのよ!? あれは我が国への侮辱だわ。我が国であんな真似をすれば、最低でも鞭打ち百回よ!》
《私はそのようなことはないと誓います。早速ですが、お暇でしょう。気に入って頂ければ良いのですが》
私は荷物を開き、テーブルに並べる。
アビディア様の目が輝く。
《調香ね!》
調香は、サルマーンの貴族の女性たちが楽しんでいる遊びだ。
様々な材料をかけあわせ、オリジナルの香りを作り出す。
それを競う大会も開催されているほど、首長国では盛んだ。
《昨日の馬鹿娘と違って、予習をしているのね》
嬉しそうな顔が一変。
その目が冴え冴えと光る。
《今、この部屋を焚きしめている香りに使われている成分を当てられたら、この部屋にいることを認めてあげる》
追い出すことは諦めてないみたい。
この香りは回帰前に何度も嗅いだことがあるし、この香りを作るまでの苦労や蘊蓄もさんざん本人から聞いたから、材料は完璧に答えられる。
でも、大切なのは相手が何を求めているか。
アビディア様は退屈しきっている。
私を追い出したいという気持ちはありつつも、使用人たちでは、彼女を満足させられるようなものは提供できていない。
ということは、原材料を一つ、二つほど正解して、暇つぶし相手くらいにはなるなと思わせるくらいがいいはず。
《ベルガモット……レモン……ローズマリー、…………バニラ、でしょうか……?》
私は固唾を呑んで、アビディア様の答えを待った。
アビディア様は少し驚き、それから口元を綻ばせる。
どっち?
追い出せる喜び?
遊び相手が見つかった喜び?
《ただの付け焼き刃の知識できたって訳じゃないようね。でも不正解~。正解はベルガモット、レモン、ネロリ、パチュリ》
《……申し訳ございません》
私は一礼して、立ち上がろうとする。
《行っていいとは誰も言ってないわよ、座りなさい》
心の中でガッツポーズをしつつ、従う。
《なかなかいい鼻を持っているわ。暇つぶしには使えそう。じゃあ、早速はじめるわよ》
《はい、お付き合いいたします!》
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