【ステファンの結婚の話】嫁はプリンセス(後編)
「戦犯の叔父様はいまどこに?」
「あいつは元領地であるヴィカンにいる。死の土地とはいえヴィカンも我が国の一部、復興させるために罪人を送って強制労働させることにした。その第一陣としてあいつを送った」
蝶よ花よと育てられた皇子に強制労働とは。
「文句が多かったでしょう」
「全然。むしろ喜んで強制労働に行った」
「……何をしたんです?」
「したのは僕じゃない。やったのはレイナード侯爵、正確にはその婚約者だ。彼女は金髪碧眼の美女でな。弟が幼い頃から熱狂していた『英雄と姫君』の姫にそっくりだったらしい。ノーザンで捕まったとき、彼女をひと目見て『姫君!』と彼女の足元にスライディングで傅いたらしい」
「ドン引きですね」
「周囲はドン引きしたそうだが、彼女はそんなことなく弟に微笑んでみせて、『また会いましょう』とまで言ったそうだ。このときにはもう弟の強制労働は決まっていたからな」
「つまり『また』をヴィカンで会えると勘違いをしたのですね」
「いいや、勘違いではない。彼女は実際にヴィカンに来て弟に会っている。レイナードの調査隊に混じって一緒に来たらしい。『頑張ってくださいね』と弟に発破をかけてくれた」
新たな水脈を見つけるためにイグニスがノーザン王国に協力を要請し、それに応えてレイナードの調査隊がヴィカンに入ることはローズアンナも知っている。
強制労働の最初の仕事は、その調査隊が入るための道づくりだ。
「レイナード侯爵からは『皇弟に侵略された土地の領主』として、国とは別に賠償を求められている。こっちは秘密裏にだけどね。それを受け入れれば、彼が僕に代わってノーザン国王に賠償金の値切り交渉をしてくれるって」
(それが前提でも、あの『多少の無理をすればなんとか』という金額だったのね)
かなり迷惑を被ったと聞いていた割に『多少の無理』で抑えた良心的なところが腑に落ちなかったが、別ルートで交渉されていたと聞いてローズアンナは納得した。
「レイナード侯爵の要求は?」
「アカネだ」
「アカネ?」
「レイナード領の特産品になるらしいルージュナードを染めるための赤い染料らしい。レイナードでも生えている木だか草らしいが、ヴィカンの気候で育ったアカネは品質が良いことが予想されるらしい。水の調査とは別にアカネを採取する者をヴィカンに入らせ、それがアカネならレイナードに限っては一定期間関税ゼロで輸入させろとのことだ」
「アカネを採取する労働力の提供と併せて、慰謝料を現物支給とするのですね」
「弟はあれで器用な奴だからな、道づくりも順調らしい。デイム・アリシアの『お願い』は強力だな」
「なぜデイム・アリシアの名前が……まさか、レイナード侯爵様の婚約者はデイム・アリシアなんですの!?」
「知らなかったのか? 有名じゃないか……あ、レイナード侯爵が婚約していることも知らなかったっけ」
「お継母様たちの嫌がらせで私の所にそういう情報は来ないのです。私の情報源はお父様との話と、お義母姉様たちの自慢話だけなのです」
(あら? 私って随分世間知らずの箱入り娘なのでは?)
「アンが育ててくれたおかげで箱入り娘だと思ったことはなかったけれど、そうか、情報は随分と偏っていたんだね。ティルズに嫁に行くんだから勉強を、誰か教師を」
(知識を得ることは嫌いではないけれど、嫁ぐために勉強するのは悔しい。そういえば、デイム・アリシアには子どもがいるのでは?)
「お父様、デイム・アリシアの子どもは侯爵閣下の養子になるのですか?」
「違うよ。デイム・アリシアの子どもは侯爵の実の息子……ややこしいな。侯爵が十年くらい前に結婚していた元妻がデイム・アリシアなんだ。子どもはそのときにできた子どもというわけ」
「それでは、閣下とデイムの子どもは息子で、年齢は十歳くらい?」
「そうだが……何を考えている?」
レイナード侯爵の子どもが女児とか、まだ二歳とか三歳の男児とかなら諦めるつもりだったが「十歳ならあり」とローズアンナの目が輝いた。
「お父様、結婚相手をレイナード侯爵様のご子息にできないか提案を。侯爵様の息子ならば容姿も期待できますし、デイム・アリシアは美人なのですよね」
「他人の言うことは信じないのでは?」
「何をおっしゃっているのです、お父様のことは信じていますわ。お父様、ご子息の名前は?」
「ええ、何でそんなに乗り気? 名前……えっと、あれ、何だっけ?」
「まあ、もう健忘症ですか?やはり男は三十を過ぎるといろいろガタがきてしまいますわね。やはり結婚相手は侯爵様のご子息で。名前などもう気にしませんわ、例え『ポチ』でも『コロ』でも私はその方に嫁ぎます」
「いやいや、娘よ……」
「お父様、まずはやってみないと。レッツ・トライですわ」
「いや、お前の結婚で賠償金を値引きしてもらっただけでも儲けもの……」
ローズアンナはイグニスに向けて人差し指を一本突き立ててみせる。
「ダメ元でワンスモアですわ! そのご子息をティルズ公爵様の養子にする手もありますし」
「それは僕に死ねと言っているということだよ? 最愛の女性の産んでくれた息子をそんな道具のように扱ったら水公爵が怒って明日にはこの帝国は干からびるよ」
はあ、とため息を吐いて俯いたイグニスが顔を上げると、そこには皇帝がいた。
ローズアンナにも分かっていた、これは決定事項なのだ。
「ここまでか」とローズアンナは内心ため息を吐き、両手でスカートの端を摘まみ、頭を下げて、礼をした。
「分かっております。私はティルズ公子様に嫁ぎますわ」
「よかった。三日後、ティルズ公子一行がこの国に来る予定だから丁重にもてなすように。それまでにノーザン王国の貴族について簡単に学んでおいてね」
(狸親父め……)
***
「どうして、こうなった?」
一カ月ほどヴォルカニア帝国に滞在していたティルズ公子一行が出発すると聞いて見送りにきたら、なぜか娘も旅装だった。
「それではお父様、お嫁にいってまいります」
「違う。嫁に行くのはまだだし、今回王国に行くのは留学が目的だ。しかも、今日出発するとは聞いていない」
ローズアンナがティルズ家に嫁ぐのはノーザン王国の現王太子の息子が五歳になってお披露目がすんでからと決まった。
ただローズアンナの学びが足りず、帝国ではローズアンナの身も心配とティルズ公子に相談するとノーザン王立学院への留学を勧められた。
しかし王太子の息子は生まれたばかり。
ローズアンナの三年間は学院での寮暮らしとなるが、その後の二年間の去就に悩んだイグニスにティルズ公子が親友であるレイナード侯爵家での行儀見習いを提案した。
(レイナード侯爵邸には行儀見習いの令嬢が多いと聞く。領地の屋敷を仕切る前侯爵夫人のカトレア夫人がよほどの人格者なのだろうな)
「まだ学院のほうも手続きが終わっていないだろう」
「安心してくださいませ。それまではうちにいたらいいとカトレア夫人からお手紙をいただきました」
「いつの間に文通を……」
「カトレア夫人の提案でレイナード侯爵閣下も後見役を引き受けてくださいましたし、私としてはレイナード家の養子になっても全然構わなかったのですが」
残念という娘にイグニスは苦笑する。
ティルズ公子は親友と義父・義息子の関係になりたくないと娘に言って反対したようだが、少しは娘の父親でいたいイグニスの気持ちを汲んでくれたのではないかと思っていた。
「ローズの変わり身の早さにはついていけないよ、ティルズ公子のことを『オジサン』と言っていたのに」
「男性がその魅力の真骨頂を発揮するのは三十を過ぎてからだと理解しましたわ」
「気持ちのいい手の平返し! やっぱり彼がイケメンだからか?」
「まあ、普通の父親みたいなことを仰って。私のお婿様に嫉妬ですか?」
「なるほど、これが『お前みたいな男に娘はやらん』という心境なのか。うーん、世の父親はみな大変だなあ」
すでに二人の皇女が嫁いでいるが、初めて味わう父親の心境がイグニスにはくすぐったかった。
(こんな僕を知ったら、アンはどう思うかな?)
雨が降ると洗濯物が乾かなくて困ると言いそうだとイグニスは口元を緩める。
「ティルズ公子もレイナードに滞在するんだろ?」
「デイム・アリシアの出産が近いからだそうです。まるで親戚の小父様ですわね。うちは親戚関係が殺伐としているから少し羨ましいです」
(殺伐しすぎて、陰謀と謀殺のせいで親戚はろくにいないけれどね)
「お異母姉様たち、三十過ぎのオジサンに嫁ぐ私を笑いにわざわざ嫁ぎ先から帰ってきて……ざまあみろですわ。イケメンの旦那様が羨ましくって堪らないのですわ」
彼女たちが羨ましがっているだけだと思っているローズアンナはまだ幼いとイグニスは笑う。
彼女たちはティルズ公子に火遊びを提案してきっぱりと振られているのだ。
(火遊びに乗ってくれれば婚約に反対できたのにね。まあローズアンナへの義理とか、ましてや愛情とかではないみたいだけれど)
まだ未成年の幼い婚約者に操を立てるのかと皇女たちは笑ったそうだが、そんな二人にティルズ公子は心底不思議そうに「選び放題なのになぜ君たちを選ばなければいけないのか」と言ったらしい。
(彼のことが完全に好きになれないのは同類だからか、それとも『婿は泥棒』ということなのか)
判断に困りながら、イグニスはローズアンナに手を伸ばして外套の紐を可愛くちょうちょ結びにしてあげた。
「君がいなくなると寂しくなるよ」
「またそんな心にもないことを」
ローズアンナは笑っていなそうとしたが、それはイグニスの本心だった。
イグニス自身も、そんなことを自分がいったとは信じられなかった。
イグニスには親や子が分からない。
もちろん『言葉』としてその意味を知っている。
しかし最初の子から七人の子どもの誕生を見てきたが、情緒教育の一環で読んだ道徳の本にあるように子に対する無条件の愛情はいまだに分からない。
ただ最初は平等に接するようにしていた。
妃たちの嫉妬が面倒だったからだ。
平等であるため、イグニスは子ども一人につき毎週十分間の時間を取り、子どもと過ごしていた。
子どもと過ごすことが目的だったので母親の同席は自由としたが、アン以外の妃たちは必ず同席してその十分間を自分のために使った。
自分の魅力を存分に披露して『皇帝のお渡り』を強請るためにの十分間。
そんな彼女たちとは反対に、アンだけはさっさと席を外してローズアンナとイグニスを二人きりにした。
「泣いたらあやしてくださいね」と言われたがローズアンナは泣くことなく、寝返りもできないほど幼い赤子は仰向けでうごめき続け、そんなローズアンナをイグニスはじっと見ていた。
この十分間の習慣に先に飽きたのは子どもたちだ。
当たり前だ。
母親たちが自分をアピールするを邪魔しないようにひたすらジッとしているだけなのだから。
飽きた者に付き合うのはイグニスにとっても時間の無駄なので、アンが亡くなったあとに全ての子どもに「今後は断ってくれて構わない」と言った。
そうは言っても母親が子どもに断らせないだろうと分かっていたが。
読めないのは母親のいないローズアンナだけだった。
ローズアンナの選択にイグニスは興味を持った。
ローズアンナはイグニスに会ったり、会わなかったりだった。
何か報告したいことがあれば、会う。
なければ会わないという感じだった。
そんなローズアンナを権力競争に参加できない『ダメ皇女』だと蔑む者は多かったが、イグニスは嗤う理由が分からなかった。
会う理由があるから会うという子どもは、イグニスにとって付き合いやすい子どもだった。
(寂しいな)
「幸せになりなさい」
これが父親なのかと思いながら、娘の幸せを言祝ぐ。
「もちろんです。一度きりの人生ですもの、楽しまなくては! まずはデイム・アリシアに弟子入りしてきます」
親の心子知らず。
父親の寂しさに後ろ髪を引かれてほしくないと思うのは本当。
でも満面の笑みで語る娘の将来に自分がいないことは寂しいとイグニスは思った。
「まずは勉強だよ」
「大丈夫です、私にはできます。私は立派なティルズ公爵夫人になりますわ」
「……その自信はどこから来るんだい?」
苦笑したイグニスにローズアンナはにっこり笑った。
「私はお父様の背中を見て育ってきたのですよ? 私にできないわけがありません」
このとき初めて、イグニスはローズアンナを嫁にやりたくないと本気で思った。
読んでくださり、ありがとうございました。感想をお待ちしています。
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