第10話 恋に憧れる
本編最終話です。
ここまでお付き合いありがとうございました。
「パーシヴァル、ここで大人しくしているのよ」
「うん、分かったよ」
「アリシア、少し休もう」
「え……ええ」
ヒューバートに付き添われて休憩室に向かうアリシアにパーシヴァルは苦笑する。
母親の妊娠が分かってからは父親の過保護に輪がかかったとパーシヴァルは思っている。
「忙しないなあ」
歩くことさえも心配なのか。
まだ平らな腹のアリシアを抱き上げて運ぶヒューバートの姿にはパーシヴァルは苦笑しか出ない。
「過保護だなあ」
「あれでこそ侯爵閣下という気がするけどね」
隣にいたロイドの言葉にパーシヴァルは納得するものがあった。
思わず袖につけたカフスボタンに触れる。
このカフスボタンは、パーシヴァルがヒューバートと初めて食事をするときに彼から贈られたもの。
パーシヴァルが持っているのはこのカフスボタンだけで、正装する機会があるたびにこれを身に着けている。
ヒューバートからは「もっと上等なものを買おう」と言われているが、パーシヴァルは断り続けている。
ちなみに、このカフスボタンがみすぼらしいわけではない。
何しろ最高級のルビーを使用したこのカフスボタンは王宮での晩餐会に身に着けても恥ずかしくない代物だ。
(単に息子に何か買いたくって堪らない病なんだよね)
「アリシア夫人、体調が悪いのか?」
「大丈夫、ただ今回は悪阻が酷いみたい。妊娠だって分かってから何となくあの調子なんだって。まあ、母さんが途中で席を外して目くじら立てるような人はこの場にいないし」
ロイドの言葉通り、厳選された招待客たちはアリシアたちが席を外したことも気にせず歓談を楽しんでいる。
「式が終わったあとの披露宴は基本的に自由だもんな。しかも今回はガーデンパーティーだし」
「外での披露宴なんて、『風が』とか『虫が』とか嫌がる人も多そうだけどね」
「あの二人が主役ではそんなことを言える招待客なんていないよ」
今日の結婚式には外国の人も招待されており、彼らが着ている異国の民族衣装にはパーシヴァルの好奇心が刺激される。
赤色に分類できても『ルージュナード』とは違う赤色に「どうやって染めたのか」と悩むのも楽しいし、宵の空を写し取ったような青色の布は「どこで買えるのか」と想像するのも楽しい。
「世界は広いなあ」
「よく知っている人ほど世界は広く感じるんだって」
「誰の言葉?」
「デルーザー先生。フィラン・デルーザー、高等部で地政学を教えていた先生。さっきバッタリ会ってさ、『大きくなりましたね』って言われた」
ロイドの言葉に、パーシヴァルは以前レイナード商会から出向という形で学院に派遣されていた先生を思い出す。
(よく考えればあれも過保護の極みだよね)
公平さを絶対とするあのノーザン学院の講師にまで人を送りこめるヒューバートの腕の長さにパーシヴァルはひたすら感心する。
最近は父親の腕の長さを凄いと誇らしく思うと同時に、自分にはまだその長さがないことを悔しく思ったりする。
(僕も少しは大人になれたかな)
物心ついたときには家族は母一人で、男の自分が母を守るんだと思っていた。
しかし今ではアリシアを守りたいと思う人は大勢いて、パーシヴァルの守りたいと思う人は母以外にも大勢できた。
「パーシヴァル、ちゃんと食べているかしら? 育ち盛りだからしっかり食べなくてはダメよ」
「ミシェル叔母様」
アリシアを大事に思う人の一人。
身重のアリシアの代わりに自分がパーシヴァルの面倒をみるのだと言わんばかりに大量の肉が乗った皿を持ってきた叔母のミシェルにパーシヴァルは苦笑する。
身内に対して際限のないところは、兄であるヒューバートにそっくりだとパーシヴァルは思う。
「ありがとうございます、ミシェル叔母様」
「きちんとお礼が言えるパーシヴァルはお義姉様に似ていい子ね」
ミシェルは実の兄よりも義姉であるアリシアが第一。
このミシェルしか知らないパーシヴァルは、このミシェルがかつてアリシアに嫌がらせをしたなど信じられないことだった。
(叔母様には何度も謝罪されたけれど、母さん本人が気にしていないことを僕がうだうだ言うのは違うよね)
「叔母様、リオたちは?」
「リオはエリックとお得意様へのご挨拶にいっているわ。これを機にコルボー家の嫡男としての仕事をさせてみようとエリックと話をしていたの。他の二人は……あっちね」
そう言ってミシェルが指したのは、賑やかな声が時折聞こえるチョコレートファウンテンの一角。
リオの弟たちは仲良くチョコレートを付けたマシュマロを頬張っていた。
「汚さないといいけれど……お義母様が用意して下さった一張羅を汚すわけにはいかないし」
ミシェルは自分の着ているアンティークドレスを見下ろす。
ミシェルの義母、コルボー前子爵夫人はアンティーク大好き集団『ラヴァンティーヌ』の重鎮である。
その彼女が用意したドレスの上に、このドレスが積み重ねてきた歴史の上にチョコレートが付くことを想像したらしいミシェルは顔を青くする。
「チョコレートは人肌より少し温かいお湯につけてから石けんで洗うと落ちやすいと聞いたことがあります」
「本当によい子、よい甥だわ。ありがとう、流石お義姉様の息子ね」
(お兄様の息子、ではないところがミシェル叔母様)
ぶれないとパーシヴァルが苦笑していると、手元に影ができた。
「パーシヴァル、ミシェル」
「お祖父様」
「ちょっと疲れた、少し座らせて~」
そう言って傍のイスに座ったオリバーの疲れ切った姿を見て、ロイドが傍にいた使用人に紅茶の準備を頼んだ。
すぐ飲めるように温度は温め、気の利く友だとパーシヴァルは思った
「お父様、何の用事なのです? ご夫人のご相手は?」
ミシェルの言う通り、さっきまでオリバーは彼と同年代の貴婦人たちに囲まれていた。
オリバーの周りにいた貴婦人たちは一様に笑顔ではあったが視線は剣呑で、あんな中で飄々としているオリバーにパーシヴァルは呆れつつも感心していた。
「浮気三昧で一方的に彼女たちを捨てたやり逃げ男が久しぶりに王都に来たのです。彼女たちの愚痴を聞いて恨みを晴らせなくてはお母様と一緒に天国に行けませんわよ」
実の娘は容赦がない。
頼りになる叔母だとパーシヴァルは思った。
「お祖父様、僕たちに迷惑かけないでくださいよ」
「パーシヴァル、ヒューバートに似てきたね」
身内と言えど間違ったときは叱る、悪いときは悪いということが大事。
特別扱いで失敗した事例をパーシヴァルは知っている、隣国の皇弟とか。
「パーシヴァル」
「お祖母様、と……ミロ!」
パーシヴァルはカトレアと、カトレアの右手と左手をそれぞれとる幼女たちに目を向けたまま護衛騎士として傍にいたミロの名を呼んだ。
名前を呼んだだけでパーシヴァルの意図を理解した優秀なミロは、「大旦那様、失礼いたします」と言ってオリバーを立たせる。
「ちょっと、ちょっと。こら、パーシヴァル。少しは休ませてくれよ。ロイド君が準備してくれた紅茶だってまだ飲み終わっていないんだよ」
「遠く離れたあっちのテーブルでお飲みください。ミロ、連れていって」
「……本当にヒューバートにそっくり過ぎる」
「どうぞ」というミロに先導されながらオリバーが遠くにいくのを確認し、パーシヴァルはカトレアたちに向き直る。
「本当にヒューバートにそっくりだな」
「お祖父様が買ったご婦人たちの恨みがこの子たちを掠りでもしたら困りますからね。おいで、メグ、アン」
パーシヴァルが笑顔を向けると二人の幼女はカトレアから手を放して、トテトテと音がしそうな足取りでパーシヴァルの元に来る。
一人は『メグ』こと、マーガレット・テレス・レイナード。
もう一人は『アン』こと、アンジェラ・ローズ・レイナード。
「「お兄ちゃま」」
二人はパーシヴァルの双子の妹。
両親の結婚式の日にパーシヴァルは母の妊娠を知らされて驚き、その後に腹の子が双子だと知らされてもっと驚いた。
そして生まれたのは女の子二人、どちらも母親似。
父親に似たのはその赤い瞳だけで、少しつり目のほうがマーガレットで、少したれ目なほうがアンジェラである。
パーシヴァルは神に全力で祈った甲斐があったと、その夜は一人でこっそりと神に感謝のダンスを披露したのだった。
今日この二人はフラワーガールとして参加している。
天使のごとく可愛らしい妹たちに会場中がメロメロになり、兄としてパーシヴァルは鼻が高かった。
「メグ、アン、とてもかわいかったよ」
左右から抱き着いてきた幼い妹たちをパーシヴァルも抱きしめ返す。
アリシアをひたすら溺愛するヒューバートを笑ったこともあったが、こうして妹たちができてヒューバートの気持ちをパーシヴァルは理解した。
大切な妹たちに醜いものは見せたくない。
この世の暴力の全てから守ってあげたい。
パーシヴァルは妹たちを抱き抱えながら姿勢を変えて、オリバーが見知らぬ女性に平手打ちされるシーンが見えないようにしてあげた。
「「お兄ちゃま?」」
「なんでもないよ。さあ、ステフ小父様に『結婚おめでとう』って言いにいこうか」
「王女しゃま、きれいね」
「ステフ小父しゃまも、王子しゃまみたいよ」
三十代半ばを過ぎたステファンを『王子様』と表現するのはいかがと思ったが、年齢を知らなければ二十歳の花嫁である帝国の王女と一回り以上離れているようには見えない。
(そう言えば僕も「王子様だ」って言ったっけ)
両手で妹たちと手を繋ぎながら、花園を抜けて石畳を歩く。
「お兄ちゃま、どうしてここにはお花がないの?」
「ここは特別な場所だからだよ」
ここはコールドウェル子爵家の屋敷を改装したホテル。
今回結婚式の会場となった建物の前、その庭にある石造りの四阿は両親の思い出の場所だと聞いている。
ステファンはノーザン王国の公子、その花嫁であるローズアンナ皇女はヴォルカニア帝国の末姫。
この二人の結婚披露宴は他国からの客も多く、保安上の問題でティルズ公爵邸ではなくヒューバートの紹介でこのホテルが会場になったとパーシヴァルは聞いている。
「メグ、ここ好き」
「アンも好き。アンはここで結婚式すりゅ」
「じゅるい、メグもしゅる」
微笑ましい気持ち半分、相手は誰だと詰め寄りたくなる気持ち半分。
こんな感情をパーシヴァルは妹たちができて初めて知った。
アリシアだけだったパーシヴァルの世界はヒューバートが登場した瞬間からどんどん広がっていった。
父親ができて、友だちができて、妹たちができた。
(そしてまた妹か弟が増える……そうだな)
「今度は、恋をしようかな」
好きな人ができるとはどんな感じだろうとパーシヴァルは思ったが、こればっかりは経験してみないと分からないことだろうと想像をやめた。
「僕はどんな恋をするかな……父さんたちみたいに波乱万丈でないといいけれど」
穏やかな恋ができますように。
パーシヴァルは神に祈った。




