第8話 花婿はそわそわする
「人が多いので今日は外出を控えていただきたいのですが」
「一人で部屋にいるのは嫌だったんだ」
今日のミロは非番で愛娘のジェマと祭り状態の王都に出かける予定だったのに、ヒューバートに呼び出されてしまった。
聞けばアリシアに仕事が入ってしまったらしく、「暇だから街をぶらつくことにした」とのこと。
護衛なしでヒューバートに街歩きさせるわけにはいかないためミロの休みは返上となった。
「他にもたくさんいるのに、何故わざわざ(非番の)私を呼び出すのですか」
「お前がいいからさ」
ヒューバートの言葉にミロの背後で黄色い悲鳴があがる。
振り返るとそこには期待に満ちた目を向けるご婦人たちがいた。
(……なぜそういう想像をする)
成功者の雰囲気と男盛りの色気をもつ美形なヒューバートと、中性的な顔立ちだが服の上からでも分かる鍛え抜かれた筋肉をもつミロ。
自分たちの絡みが『ラブボイボイ』に絶大な人気があることは知っているし、レイナード邸の一部の侍女たちが熱烈に推していることも知っているが、これについてミロはもちろんヒューバートも静観している。
アリシアとかには「趣味や嗜好は人それぞれだから」とヒューバートは言っているが、ミロはヒューバートが「あれは病気だ」と断じて諦めていることを知っている。
(しかし、俺とヒューバート様の組み合わせは初対面の女性にも妄想させるのか……肯定されたら嫌だから聞けないけれど)
恐る恐る後ろを見ればご婦人の一人と目が合った。
彼女は「邪魔してはいけないわ」と隣のご夫人に言って、二人揃って微笑みながら遠ざかる。
邪魔ではないし、いらぬ気を回してほしくない。
そう思うのだが、「邪魔してはいけない」が伝染してミロたちの周りから人がいなくなった。
「『ラブボイボイ』め……」
「他人の趣味をとやかく言うのは無粋だぞ」
呆れた声を出すヒューバートをミロは睨む。
「彼の方は理解がありますからね」
「誰かに誤解されて困っているのか? なんだ、想い人がいるのか?」
恋に成功したヒューバートの余裕にイラッとしつつも、やはり安堵する気持ちのほうが強い。
ミロに恋愛に興味津々のヒューバートの顔にはアリシアと再会した頃にはなかった余裕があり、力加減を間違えたら千切れそうな危うさがなくなっている。
「自分によく似た男が男と絡み合う版画を見ている愛娘を見たときの私の気持ちが分かりますか?」
「ジェマもか。『ラブボイボイ』は布教が上手いな。みんな、楽しそうで何よりじゃないか」
(余裕綽々……いちいち目くじらを立てる俺が小者みたいだ)
「そういうところ、好きですよ」
「突然なんだ?」
少し離れたところから再びあがった黄色い声にミロは苦笑する。
「今日はお祭りですから。道化を演じたら、私にも銀貨をくださいますか?」
そう言って大仰に礼をするとヒューバートは楽しそうに笑い、そんなヒューバートの姿にミロは嬉しくなる。
ミロはヒューバートに大恩がある。
ヒューバートのおかげでミロはジェマと父娘として楽しく暮らせているのだ。
ジェマはミロにとっては『娘』だが血の繋がりはない。
レイナードの騎士になる前のミロは根無し草の傭兵で、ある街の貧民街で化け物扱いされていたジェマを助けたのは気紛れだった。
銀髪に紫の瞳、珍しい色合いのジェマは彼らの中で目立っていた。
多くの国を渡り歩いたミロとしては「珍しい」くらいしか思わなかったが、場合によって稀有な外見は忌避の対象となってしまう。
気紛れで助けたものの、幼くても独特の魅力があるジェマを身内ではない成人の男が連れ歩くことはいかがわしい目的のためではないかと邪推され続けた。
娘だと言い続けても、ミロと似ているところは一切ないため説得力もない。
自分一人なら根無し草でもやっていけていた生活も子連れては早々に限界がきた。
事情を知ってジェマを孤児院に入れることを勧めて来た者もいるが、見栄えの良い子どもが孤児院で受ける待遇を経験したミロにその選択肢はなかった。
(アリシア様は覚えていらっしゃらないだろうな)
ミロもヒューバートについて辺境の街に行くまで忘れていた。
レイナードに身を寄せる前にミロはジェマを連れてあの街に立ち寄ったことがあった。
街に入ったところでジェマは転んでしまい、その拍子に着古していた服が破けてしまった。
丁度いいからとミロは古くて薄汚れた服は捨てて新しい服を買おうとしたがジェマに拒否された。
普段は素直なジェマが「絶対に嫌だ」と言い張る姿を不思議に思いつつ苛立ってもいたら、宿にいた旅人がアリシアの店を教えてくれた。
「店主が美人だからすぐに分かる」というその店に行き、辺境の街には不似合いな美しいアリシアにジェマと二人して唖然としたことを覚えている。
ジェマの服を直してもらう間、最初はジェマがアリシアと話をしていたが、やがてジェマが寝てしまったので何となくミロが会話を引き継ぐことになった。
ジェマが拘った服が母親に捨てられたときに着ていた物だということ。
その服に刺された刺繍とその外見から、ジェマは北方民族の血を引いている可能性があることをそのときアリシアから教えてもらった。
こんな親切な人がいるならこの街に定住してもいいかとも思ったが、アリシアにこの街は『よそ者』に排他的だからやめたほうがいいと言われた。
代わりにアリシアからは、レイナード領が積極的に移民を受け入れていることを教えてもらった。
移民になれれば領主が住居や仕事を提供・斡旋してくれるという。
ジェマの服が直ると、ミロはジェマと共にレイナードを目指した。
移民などこれまでのミロの選択肢になかったため、移民の受け入れには一般的に審査があることをレイナード領に来てから知った。
人口減少が問題でも犯罪者を受け入れるわけではないことを示すための審査で、娘ではない少女を連れたミロは審査どころか犯罪者扱いされてヒューバートのもとに連れていかれた。
(あのときはアリシア様を恨んだっけ)
今なら分かるが、アリシアはミロたちがヒューバートに会えさえすれば『問題ない』と判断されると予想していたのだろう。
領民でもない平民の前に領主を引っ張り出すには、犯罪者と思わせることが一番手っ取り早い。
平民の罪を裁くのは領主の仕事であるからだ。
ミロとジェマの前に現れたヒューバートはその場を一瞥し、ミロには何も聞かずにミロの外套に入るように隠れていたジェマの前にしゃがみ込むと「この人は君のお父さんかい?」と訊ねた。
ジェマが「お父さんじゃないけれどお父さんって呼んでる」と言ったときは『詰んだ』と思ったが、ヒューバートはそれで満足したのかミロには何も聞かず「移民として二人を受け入れる」と担当官に指示した。
ミロが唖然としている間に話はトントンと進み、ヒューバートはミロに護衛経験があると知ると騎士団に入ることをすすめ、ジェマは本邸で預かることを提案した。
ミロたちはレイナード領で初めて父子と認められた。
ジェマはレイナード邸でほかの使用人の子どもたちと仲良くなり、一週間後には人生で初めての友だちを得ていた。
「ジェマだってもういい年齢なのだし、父親と過ごすよりも友人と過ごしたほうが楽しいんじゃないか?」
ヒューバートの言葉にミロは昔から現在に戻り「その通りです」と苦笑する。
今朝突然仕事だと言われ、逆らえずにジェマに予定のドタキャンを謝罪したが、ジェマは「いってらっしゃーい」と全く気にしていなかった。
「パパと言いながら後ろをついて回っていた頃が懐かしいです」
「お父さん臭い、とか言われているんだろう」
「まだ加齢臭に悩む年齢ではありませんし、娘を持つ父親なら誰もが通る道です。閣下だって娘ができれば分かります」
「娘か、アリシアに似た娘が生まれたら可愛いだろうなあ」
***
「こちらにいらっしゃったのですね」
賑やかな王都を「危険だ」とか「そろそろ」とか不平を言うミロを引き連れて散策していると、レイナード邸の使用人が駆け寄ってきた。
「何かあったのか?」
「アリシア様が旦那様をお探しです」
「アリシアが? 屋敷にいるのか?」
「え……えっと」
自分の質問に戸惑う使用人にヒューバートが首を傾げると、彼は使用人仲間経由でヒューバート捜索に駆り出されたため細かいことは分からないと言った。
「今日の王都は人が多いですから、探す人は多いほうがいいという判断なのでしょうね」
「それで情報が錯綜しては意味がないと思うが……とりあえず、店のほうに行くか」
ここからなら店経由で屋敷に行っても大して時間はロスしない。
そう判断してヒューバートは伝言を持ってきた、おそらく今日は非番だったのであろう使用人に小遣いを与えて店のほうに向かった。
「誰もいらっしゃらないようですね」
裏口の扉をいささか強く叩いたものの誰も出てこなかった。
「屋敷のほうのようですね」
「そのようだな……ん? あそこにいるのは、うちの使用人じゃないか?」
ヒューバートの指さすほうを見たミロが頷くと、こちらに気づいた使用人が走り寄る。
その慌てた足取りがやや気になった。
「大奥様に旦那様を探し出して連れてくるように言われました」
「母上が? アリシアが俺を探しているのではなかったのか?」
「アリシア様、ですか? 私は大奥様とミシェル様がお怒りだということしか」
「は?」
反射的にミロのほうを見てしまい、「何をしたんですか?」と問われたヒューバートは首を勢いよく横に振る。
「何もしていない!」
「何かした人に限ってそういうことを言うのですよ」
ミロの呆れた声に「侯爵様だ」というタピオの声が重なった。
声のするほうを見ればタピオがケイと共に人込みをかき分けてこちらに走ってくるのが見えた。
「どうしたんだ、二人とも? 今日は商会でアランの手伝いをするんじゃなかったのか?」
「ソうだったんでスが、レイナード邸の人が来て侯爵様を探シていると聞いて」
「僕でも何か手伝えたらと思って一緒に来まシた」
ヒューバートはミロと顔を見合わせる。
「レイナード邸の使用人が閣下を探していることは確かですね。何をしたか分かりませんが、早く謝ったほうがいいですよ」
ミロの言葉にヒューバートは反論しようとしたが、「ヒューバート様!」と慌てた声が割り込んできた。見ると商会の職員だった。
「大変です! アリシア様が実家に帰らせていただきますと」
「は?」
(アリシアが、実家に? え?)
「アリシア様に何をなさったのですか?」
「え? 何をしたって?」
「『実家に帰らせていただきます』は夫婦喧嘩の常套句ではありませんか」
ミロの言葉に同意するように、その伝言連をもってきた職員も首を縦に強く振る。
「心当たりって……何もないぞ?」
ヒューバートの途方に暮れた言葉をタピオとケイが拾う。
[侯爵様、妻の怒りの主な原因は夫の怠慢だそうです]
[そんなこと、誰がお前に教えたんだ?]
[商会で働く女性たちが、飴玉と一緒に教えてくれました]
[タピオの言うこと、俺も聞きました。店には夫の怠慢で離婚した人もいますよ]
タピオとケイが聞いたところによると怠慢の過ぎる夫は極刑に値するらしい。
「極刑に比べれば、実家に帰られるくらい可愛らしいことなのですね」
「そういう問題じゃないだろう。とにかくアリシアに……いや、実家ってどこだ?」
「実家とは一般的に生家を指しますから、元コールドウェル子爵邸では?」
「あそこは宿泊施設に改装されていたな」




