第3話 釘を刺す
「アリシア様の婚約指輪の真相が明らかになったら大騒ぎですよね」
朝も日が高くなってようやく出勤してきてくれたヒューバート。
その惚気半分の報告にアランはこれから増える仕事量を考えるだけで疲れた。
「婚約指輪といえば収入三カ月分ですからね。うちの売り文句ですけれど」
「俺の収入の三カ月分の指輪なんて王家御用達の宝飾店に尻込みされるだろうな」
色々な意味で重い指輪ができそうだとアランは思った。
「それ売ったら、アリシア様は何年かは遊んで暮らせますね」
「遊んで暮らさないだろうし、むしろその金を上手く増やして一生困らず生きていきそうだから絶対に贈らない」
「愛している女性の幸せを喜べないのですか?」
「お前が自分自身に置き換えて、それでもプリム嬢に収入三ヶ月分の婚約指輪を渡せると言うなら少しは考えよう」
「すみません、無理です」
アランはプリムに贈る婚約指輪について予算案から作り直すことに決めた。
婚約指輪は男性から女性に愛の証しとして贈るものだが、政略結婚が基本の貴族にとっては『婚約』という契約に対する補償金である。
貴族の場合は『絶対に婚約破棄しない』という形を家全体で整えるため、以前は婚約者に家宝や形見の指輪など『代わりの効かないもの』を贈っていた。
この風潮を『収入三カ月分』、一財産だが代わりが効かないわけではない物に変えたのがヒューバートで、離婚したらそれを売って当面の生活費にすればいいという保険として印象付けたのがアリシアだ。
ヒューバートとアリシアに悪気はない。
ヒューバートとしては、アリシアと婚約した頃には家宝や形見の指輪は売られて一つもないためアリシアに贈れるものがなく、資産を築いた後に代わりとなる高価な腕輪をアリシアに贈っただけ。
そして、それをアリシアは売ったが――。
(アリシア様は金をヒューバート様に全額渡したというのに……)
ヒューバートとアリシアの離縁が世間を騒がしたあと、ある噂が広がった。
七日間の花嫁が婚約指輪を売った金で愛人と逃げた、というものだ。
その噂に怒ったヒューバートにアランは誰が噂を流したのかを調べさせられた。
その過程で、アランはアリシアが腕輪を売ったいきさつについて知った。
なぜなら、噂を流したのがヒューバートとアリシアの再婚を阻みたい貴族の誰かではなく、シトロ商会の会長だったからだ。
確認のためにアランが彼を訪ねると、彼は床に伏す勢いで謝ってきた。
シトロ商会がアリシアから買い取りをしたのは事実だ。
それを、息子の目利き自慢と商会の将来を思った『ほんの出来心』で商人仲間に話をしただけ。
本人はそのつもりでも、時の人の話題、噂として勢いよく広まらないほうがおかしい。
噂は広がり、悪意と曲解が混ぜられて改悪した。
勢いも内容もシトロ商会長の思わぬ方向だった。
そして、『これはマズイ』と彼が焦っていた矢先にアランが訪ねてきたのだった。
アランはずっとシトロ商会長のことを、南方の血が入った剛毅な商人だと思っていた。
だから青い顔でぶるぶる震える彼を、『誰だ?』と本気で思った。
驚いている間にシトロ商会長はあたふたと状況を説明し、「そういう訳ですので」とヒューバートへの説明をアランに押しつけようとしたので、アランは逃がさずにシトロ商会長を連れてレイナード商会に戻った。
(その後のことは思い出したくない)
とにかくシトロ商会長は責任をもって噂の改修にあたり、噂は結果的に『ヒューバートは婚約者を深く愛しているから高価な指輪を贈った』と言う形でなんとか着地した。
(アリシア様の腕輪を余所に売らずヒューバート様のところに持ってきた礼なのだろうけれど)
商売人として一番高く買ってくれる人の所に物を持ってきただけ。
シトロ商会長の判断はそんな商人として判断だっただろうが、恩を借りたままにしないのが貴族男性の矜持である。
(だからあれで不問にしたのだろうな)
しかし、ここから世の中はアランやヒューバートが予測しない方向に動いた。
『婚約指輪の価値は愛情に比例する』という認識が身分や性別に関わらずに蔓延したのだ。
ここまでは良い。
平民の男女が互いの愛を確かめ合うなら良いのだ。
むしろレイナード商会としては婚約指輪の売値が上がるのだから願ったり叶ったりでもある。
しかし、貴族は政略結婚が基本である。
しかもこの頃はヒューバートの再婚相手になれなかった令嬢たちが沢山いて、彼女たちは妥協して婚約した相手に「ヒューバート様ならもっと素敵な指輪をくださったでしょうね」と言ったのだ。
当然こんなことを婚約者に言われた男たちは面白くない。
プライドだけで高価な指輪を用意して婚約者に贈ったが、こんなやり取りが後の禍根にならないわけがない。
婚約破棄が相次いだ。
婚約破棄が増えれば成婚率が下がり、夫婦の数が減って出生数が減ったことに国は頭を抱えた。
人的資源という言葉があるように、労働人口の減少は国を揺るがす大問題。
将来どのくらい税収が減るかという試算に国王はヒューバートを呼び出した。
貴族の成婚率の低下問題になぜ自分が呼ばれるのかとヒューバートは本気で頭を捻ったが、アランとしては国王の気持ちが少し分かった。
成婚率の低さには、婚約指輪の件ももちろんあるが、ヒューバートが独身であることも関係していた。
ヒューバートが「誰とも再婚しない」と明言しているにも拘らず、多くの貴族が『うちの娘ならきっとレイナード侯爵に見初められる』と夢見て娘の結婚を急かなかったのだ。
国王はヒューバートが再婚すれば令嬢とその家族も諦めて結婚活動に力を入れると思った。
(悪手、だよな)
忙しい中を呼び出されて、その内容が「再婚してくれない?」というもの。
ヒューバートの回答は、「知るか」を百倍くらい丁寧にしてお断りだった。
(国王陛下は悪い人ではないのだけれど、商人に交渉するなら何か対価を出さないと)
ヒューバートは国王への『お仕置き』として城の水代を値上げした。
すぐに国王からは「余計なことを言ってごめん」を三倍くらい偉い感じにした手紙がレイナード商会に届いた。
(パーシヴァル様の存在を知ってから優しくなったよなあ)
そんなヒューバートが変わった。
パーシヴァルの存在を知ってから、ヒューバートはパーシヴァルの将来に関わる問題の解決に少しずつ手を貸すようになった。
貴族の結婚問題もしかり。
ちなみに、手を貸すと言っても「自分が再婚相手に」と夢見る令嬢の希望を根っこから思いっきり引っこ抜いて、「私などよりも」と言ってステファンを始めとする独身貴族たちを紹介しているだけだが。
(これがショック療法というのか、けっこう上手くいっているんだよな……ステファン様以外は)
自分に向けられている好意と欲のベクトルを他の男に無理矢理変えるヒューバートの所業をアランはひどいとは思うが止めていない。
止めたらそのベクトルが自分に向きそうだからだ。
(誰だって自分が可愛い)
快適な職場環境の基本はヒューバートの機嫌がよいこと。
アリシアと共に過ごし、しかもそのアリシアが国が懸念していた婚約指輪の高騰を防ぐ手立てを考えてくれたのだから肩の荷が下りたのだろう。
アリシアの指輪がガーネットだと公表されても、ガーネットとルビーの見分けもできない者と謗られたくないだろうから貴族たちは「素晴らしい婚約指輪」という評価を撤回できない。
これで婚約指輪に金銭的価値は関係なくなる。
このあとヒューバートが「魅力的な婚約者に逃げられたくないからあえて安く」と本音六割で語り、「あのガーネットは貧しい時分に贈ったもの、それをずっと大事にしてくれていた」と付け足せばロマンス的なものも十分だとアランは思った。
(しっかり復讐も果たして、優秀な方だ。しかし、復讐といえば……)
「城にシトロ商会長が呼ばれたんですよね、いいのですか?」
ヒューバートは恩義があるので噂のことでシトロ商会長に何もしなかったが、最近のシトロ商会長は腕輪の件をネタにアリシアと懇意であるように振舞い始めた。
アリシアに女性として近づいているわけではないからいいだろうとシトロ商会長は思っているようだが、ヒューバートの心がそんなに広くないことをアランは知っている。
「ブランシェ伯爵家のサリーシャ嬢がいま王家の客人になっているのは知っているだろ?」
「ええ、昨年の婚約破棄が原因でしたね。令嬢の亡き母君と王妃陛下がご親友だったのですよね?」
「サリーシャ嬢の婚約者である侯爵家のご令息は男爵家のご令嬢に骨抜きにされていてな」
「知ってますよ。浮気相手の男爵令嬢とそこかしこに出没していますからね。男爵令嬢の下克上は見ている分には楽しくもありますが」
「侯爵令息がサリーシャ嬢に突きつけた婚約破棄宣言がな、『婚約指輪を売って慰謝料にしろ! シトロ商会でとても高かったから良い値になるだろう』だったそうだ」
(うわあ……)
ここ五年、あちこちで婚約破棄が勃発しているが、ここまで馬鹿丸出しの格好悪い婚約破棄宣言をアランは初めて聞いた。
「それで王妃陛下はシトロ商会を面白く思っていないが、サリーシャ嬢のことだけでは私怨になってしまうと困っていらしてね。それをアリシア経由で聞いて、ちょっと手を貸したのさ」
何をしたのか聞こうとしたアランだったが、最近ヒューバートが中央神殿に異様な額の寄進をしたことを思い出した。
(アリシア様と結婚式を滞りなく行うための必要投資なのだと、ヒューバート様の資産だから別に気にしていなかったが)
「シトロ商会の婚約指輪の売り上げは、件数はうちと変わらないが売上金はうちの倍はある。つまり相当高い指輪が売れているというわけだが、顧客の質はうちより良くない。さて、なぜ彼らは高額の指輪を買っているのか?」
そう言うと、ヒューバートは二枚の紙をアランに見せた。
一枚目はこの五年で修道院に入った貴族令嬢の名前と彼女たちの元婚約者の一覧表。
もう一枚はこの五年にシトロ商会で婚約指輪を買った男たちの一覧表。
(彼らの婚約指輪には彼女たちの純潔を奪った慰謝料と口止め料が込められていたということか)
二枚目はシトロ商会に散歩にいっている犬が拾ってきたと分かるが、一枚目は神殿に大量の供物を贈っても得られるかどうかの代物。
「下種の極み、神殿も神の代理人として黙っていられないのですね」
「それと同じものを王妃陛下に送った。シトロ商会長の入れ知恵かどうかは分からないが、これで大人しくなるだろう」
「それで、アリシア様からのお願いは何だったのです?」
王族からのお願いだったとしても、今回のヒューバートはやけに協力的だ。
裏にはアリシアがいるに違いないとアランは思ってはいたが、ヒューバートの答えを聞いて心底後悔した。
「彼女たちの新しい婚約者探しを頼まれた。傷モノでは老貴族の後妻か変態の妻しか道がないと……もしかしたらアリシアもそんな男たちに売られそうだったと。それを聞いて俺は初めてレイナード侯爵家が困窮していてよかったと思ったよ」
アランが声を出せるようになるまで三十秒以上かかった。
「コールドウェル子爵の墓が荒らされていたというのはそういう訳ですか」
「畜生には墓も贅沢だろう」
ヒューバートが手を下したということは隠蔽も完璧ということ。
王都にある貴族の墓が荒らされたと、連日調査に王都中を駆け回る警ら隊をアランは気の毒に思った。
(それを俺に言ったということは、信用できる者になら話して構わないということだろう)
「墓荒らしを探している警ら隊には『応援』として連日大量の酒が届けられるでしょうね」
「警ら隊が酔っ払ていては、犯人に逃げられても仕方がないな」




