第15話 反撃が始まる
抜けるような青空に男の悲鳴が響き渡り、レイナード邸にいる者の多くが空を仰ぎ見た。
「気持ちのいい青空ですね」
「清々しい風です」
レイナード邸はいま厳戒態勢を敷いているはずなのに、周辺を警戒することなくのほほんと会話をする騎士たちにアリシアは苦笑する。
(仕方がないわよね、悲鳴の主はオリバー様だもの)
そんなことを思いながらアリシアが紅茶を飲んでいると、向かいに座っていたミシェルが呆れた声を出す。
「お父様ったら、また浮気でもしてお母様を怒らせたのかしら。浮気はお金がかかるから止めろと言われているのに」
「カトレア様を愛していらっしゃるのに浮気だなんて……」
「します。お父様はそういう男です」
父親の浮気を咎める理由が金というのも世知辛いが、ミシェルが父親に夢も理想も抱いていないことがアリシアには理解できた。
「アリシア様、浮気は男の本能なのです」
「あー……」
父親の浮気でできた子のアリシアが反論できずにいると、「た、助けて」と言いながら娘に夢も理想も抱かれていないオリバーがヨロヨロと走ってきた。
「お父様、淑女の前なのですからまともな格好をしてくださいませ」
髪を濡らし、シャツを肌蹴た状態で乱入したオリバーにミシェルは思い切り顔を顰める。そんな娘とアリシアを一度だけ見比べはしたが、オリバーは悩まずアリシアの後ろに隠れた。
「オリバー様?」
「しっ!」
何が何だか分からずアリシアが目を白黒とさせていると、使用人を数人引き連れたヒューバートが来た。次から次へ、である。
「邪魔をしてすまない。アリシア、そのまま動かないでくれ。すぐにその変態を連れていくから」
(んー)
「アリシア、愛する我が未来の義娘。未来の義父を助けておくれ」
(今はちょっと近づきたくないわ)
アリシアの心情を察したのか、ヒューバートが使用人たちに「捕えろ」と命じた。使用人たちはオリバーに飛び掛かり、アリシアは「ぎゃっ」というオリバーの声を聞きながらヒューバートに抱き寄せられる。
「ケガはないか?」
「ええ、全く」
どこにアリシアがケガをする危険があったのか。過保護なヒューバートに微笑みながら、「私もいるのですが」と呆れるミシェルに『抑えて』と念を送る。
「一体なにを?」
「父上の髪を金色に染めようとしていたのだ」
首を傾げるアリシアにヒューバートはかくかくしかじかと説明する。
「ヒューバート様、レモンの搾り汁ではオリバー様のような真っ黒な髪を金色にはできませんわ」
「良案だと思ったが、レモンを無駄にしただけだったか」
悔しそうなヒューバートにレモンの搾り汁は掃除に使うよう提案し、アリシアは鬘では駄目なのかと尋ねた。
レイナードでは領民の内職として貴婦人向けの鬘作りが少しずつ広まっている。男性用のイメージが強い鬘だが、顧客に加齢や病気による抜け毛で困っている貴婦人がいることをアリシアがカトレアに話したことがキッカケだった。
「私の髪の長さならばオリバー様の鬘を作れるでしょう」
「それは嫌だ」
『そんなことをさせられない』ではなく子どものように『嫌だ』と言うヒューバートに髪を短くしたとアリシアが勘違いさせたときの意気消沈した姿が重なり、アリシアは心がムズムズした。
「でも、金髪にしないといけないのですよね」
「……父上を見たことがあるかもしれないからな。しかし……鬘はずれるかもしれないし」
そう言ってヒューバートが粘ったとき、
「お兄様。無理に金色にしなくても、髪を全て剃ってしまえばいいではありませんか」
全員の目が『名案』と胸を張るミシェルに集中する。
「剃髪……」
誰かの呟きに「それだ!」とヒューバートが声をあげる。
「『それだ』じゃないよ! ハゲは嫌だよ!」
オリバーが悲鳴をあげ、頭を押さえてうずくまる。周囲を取り囲む使用人たちもさすがに同情の目をオリバーに向ける。
「父上、剃るだけなのでハゲません。いずれ生えてきます」
「生えないかもしれないじゃないか! ヒューザ叔父上を思い出してよ、ツルツルじゃないか。いいか、ハゲは遺伝するんだぞ?」
「それでは少し早まっただけと諦めてください」
「いやいやいや。髪の毛だよ? お前だってハゲは嫌だろう?」
「アリシアの髪を切るくらいなら喜んでハゲます」
アリシアの頬を染めるほどの愛情深い言葉だが、今回の問題はそれで解決しない。
帝国で赤い目は悪や欲の象徴であるため、赤い目のヒューバートが金髪になろうが、ハゲになろうが神を演じることはできない。
「父上を風呂場に連れて行け」
***
「――父親を処刑する気?」
ヒューバートの居場所を尋ねて何故か風呂場に案内されたステファンは、使用人に押さえ込まれたオリバーの前で剃刀を構えるヒューバートの姿に唖然とした。
「そんな面倒なことはしない。髪を剃るだけだ」
「色々聞きたくなる返答だけれど、髪を剃る理由だけ教えて」
仕方ないと肩を竦めたヒューバートは、かくかくしかじかと状況の説明をした。
「なるほど、それでハゲに……」
「公子様、感心していないで息子を止めてください」
「ヒューバート君、とりあえず断髪式は中止して。事態が変わったんだ」
「何があった?」
「まずはその剃刀から手を離そうか」
ヒューバートの残念そうな顔つきは気のせいだと自分を納得させ、ヒューバートの執務室に場所を移した。そこでステファンは、ウォルトン領が麦の収穫シーズンなため子どもを保護し続けることは難しいと説明した。
「人手に余裕はないし、人の出入りも多くて安全も担保できない。シーズンが終われば対処できるが、タイミングが悪いとウォルトン伯爵も困っていてね」
「それならばレイナードで預かろう。迎えの騎士も送る」
「え、いいの?」
「ウォルトン伯が困っているのだからな。伯爵の安全のために保護した子どもは全員レイナードにいるという噂も流さなくては」
「君、伯爵には妙に優しいよね」
昔からの友として納得できない部分はあるが、ヒューバートが快諾してくれたことをステファンは喜ぶことにした。
敵にとって子どもは武器であると同時に自分たちの思惑がこちらに露呈する危険でもある。
子どもを奪還しようとする動きはすでに見られており、向こうは子どもが最悪死んでもいいと思っているため攻撃は今後が激しくなると予想される。そんな状況で子どもを守るなら、延々と小麦畑が広がウォルトンよりも『水の要塞』と言われるレイナードのほうが適している。
「その代わり頼みがある」
「なんで僕の頼みはいつも対価交換なの? 伯爵への優しさの三分の一でも分けてよ」
「何を馬鹿なことを……保護した子どもは全員うちで面倒をみる。期間は子どもたちが自分の意志でやりたいこと、生きたい場所を決めるまで」
「陛下が君に養育を一任したケイ君の前例はあるし、国としては正直願ったり叶ったりだけれど……分かった」
『いいの?』と尋ねようとしたが、ヒューバートの全てを受けいれて責任をもつと決めたその表情にステファンは国王の了承を得ることを約束した。
「いまケイ君は何をしているの? 最後に見たときはアリシア嬢のあとをくっ付いて回っていて、ヒヨコみたいだと笑ったけれど」
「ヒヨコなのは相変わらずだが、パーシヴァルたちとも仲良くやっている。手先が器用で、アリシアたちが面白がってミシンを使わせてみせたら直ぐにものにしたそうだ。即戦力だと彼女たちは喜んでいたし、全てが落ち着いたらケイを王都に連れていきたいとアリシアにおねだりされた。すごく可愛かった」
(最近のヒューバート君は流れるように惚気るなあ)
おねだりするアリシアの可愛らしさを反芻しているのか、幸福そうなに目元を緩める友の姿にステファンは呆れつつも、嬉しくなる。ふと、ステファンはウォルトン伯爵が小麦など植物の育成において『抑圧』は悪いものではないと言っていたことを思い出した。水不足や日照不足など抑圧された環境で育ったものは強い。
(そしてそれは人にも言えること)
目の前の幸せ全開で顔を緩めるヒューバートを見て、伯爵と話をしていたときに理解しかねたものをステファンは理解できた気がした。そして理解と同時にわき上がるのが得も言えぬ高揚感。
(『抑圧』から解放された子どもたちはどう育ち、何を成すのだろう)
『ハズレ』と嘲笑されて育ったヒューバートは王国一の商会を作った。『私生児』と蔑まれて育ったアリシアは貴族夫人には欠かせない存在になった。社交界だけではなく国さえも動かす二人に見守られて大きくなる子どもたちの未来がステファンは堪らなく楽しみになった。
「僕も頑張らなきゃ」
「ん? お前もミシンを使ってみたいのか?」
キョトンとした顔でヒューバートが首を傾げながら素っ頓狂な勘違い。その可愛らしい仕草も、ちょっと的を外れた発言もアリシアに似ていて、
(似たもの夫婦め)
「さっさと再婚しちゃいなよ」
「喧嘩なら買うぞ?」
「……まだ剃刀を持っていたの?」
オリバーの代わりに剃髪されては堪らないと、ステファンは両手をあげて降参した。




