第7話 父親の跡を継ぐ
「デイム、こちらの六人を採用することにしました」
採用は気が重いと言っていたトワが持ってきた書類にサインをし、アリシアは窓から外の工事現場を見た。
「デイムが侯爵様に『おねだり』して作ってもらっている建物も完成間近ですね」
「おねだりって……」
「強請られたって侯爵様が張り切るから、屋敷の使用人さんたちは何のための建物かって色々噂していますよ」
噂されていると聞いてアリシアは「まあ」と笑うだけだったが、数日後の朝食の席で――。
「僕に弟か妹ができるの?」
パーシヴァルの言葉にヒューバートは「ブフォ」っ紅茶を吹き出し、アリシアはその手からナイフとフォークを滑り落とした。
「二人とも、マナー違反だよ。特に父さん、汚い」
ため息を吐いてナプキンで飛んできた紅茶の飛沫を拭くパーシヴァルにヒューバートは反射的に謝る。そんな父親から母親に視線を移したパーシヴァルは首を傾げる。
「母さん、どうしたの?」
「な、なんで……」
「知っているのかって? そんなことより僕にまで隠さなくてもいいんじゃない?僕がいるのに、みたいなことは言わないし、妹ほしかったし」
「え、そうなの?」
初耳だった。
「母さん似の妹でしょ、溺愛する自信ある」
「いえ、ヒューバート様に似た女の子の可能性も……」
「大丈夫、我慢する」
(我慢……我慢、かあ)
複雑だなとアリシアが思っていると、ようやく咳を治めてナプキンで口周りの紅茶を拭きとったヒューバートが『待った』をかける。
「アリシア、違う。どんどん話がおかしく、なっている。どっちに似ているとかじゃなくて」
「分かっているよ、無事に生まれてくることが大事なんでしょ」
パーシヴァルの言葉にヒューバートはケホッと咳き込む。
「パーシヴァル、その前に……いや、確かにそれは大事なんだが」
「大丈夫だよ、僕は弟でも妹でも可愛がるから。レイナードに来て二人がモトサヤに納まったからすぐに再婚するって思っていたんだよね。でも母さんも何も言わないし、今はそれどころじゃないのかなって。でも、お兄ちゃんになることは教えてほしかったな」
「『元鞘』なんて言葉をどこで?」
「ヒューバート様、いまそれ重要ですか?」
ヒューバートの的を外した質問にアリシアは呆れたが、
「学院。ほら、十歳になれば男女交際なんて普通だし、そうなれば別れたりとかするでしょ? この前クラスの子が別れた彼女とモトサヤになったっていうから、父さんと母さんもそうかなって」
「……いまの子どもは早熟なのね」
いまの子どもの恋愛事情に、アリシアの反応もおかしなものになってしまった。
パーシヴァルにタジタジの二人をカトレアたちは面白がっていたが、パーシヴァルの言うことが本当ならお祝いの準備があるし、違うならばそんな誤解をした原因を探らなければいけないため、
「 ヴァル。私は全然気づかなかったが、どうして弟妹ができたと思ったのだ?」
「お祖母様。いま作っている建物があるでしょ? あれが赤ちゃんのための建物って聞いたから」
「それで楽しみにしていたというわけか」
納得したカトレアは腕を伸ばして、隣に座るパーシヴァルの頭を撫でた。アリシアも腕を伸ばして、パーシヴァルの肩に手を置いた。
「隠していたわけじゃないのだけれど、教えなかったのがいけなかったわね。あの建物でね、お屋敷や工房で働いている人の子どもを預かろうと思うの。お母さんはね、働いている間も子どもたちが危ない場所で遊んでいないかとか心配なの。悪い人もいるしね。そんな心配せずに働けるように、そして子どもが安全な場所で遊べるようにとヒューバート様にお願いして作っていただいたの」
「母さんもそこで育てるの?」
パーシヴァルの言う意味が分からずアリシアが首を傾げると、
「母さんが子どもを生んだらそこで育てるって、『離れ』って言うんでしょ?」
レイナードもアリシアを歓迎してくれているが、全員が歓迎というわけではない。悪意のある噂がパーシヴァルの耳に入ったらしい。
「誰がそんな噂を?」
「侍女だよ。二階の西の担当をしている、ジェインだかジェンって女性」
パーシヴァルの言葉に「ああ」と頷いたヒューバートは彼女が誰か分かったようだった。
「元老院の操り人形か……本当にしつこいな」
「ヒューバート、それなら僕が面白い噂話を持っているよ。ちょっと醜悪過ぎて、お酒が必要な話」
オリバーがヒューバートにかけた言葉から、元老院はオリバーの噂の裏をとったヒューバートによって痛い目にあうことがアリシアにも分かった。
「何だ、金髪の可愛い妹ができると思ったのに」
妹は母親似だと信じて いる息子にヒューバートが苦笑する。
「あの建物には屋敷の使用人の子ども、工房で採用した者たちの子どもが集まる。始まりはいつも大変だ、こんなところで何をしたらいいかと戸惑うだろう。年齢もバラバラだし、言葉だって違うかもしれない。パーシヴァル、お前は侯爵になるんだよな?」
「……うん」
パーシヴァルがお披露目のお茶会のためにレイナードの歴史や親族の勉強をしていることをアリシアは聞いている。そしてアリシアには言わないが、中にはパーシヴァルをよく思っていない親族もいるのは分かる。
(思っているより多いのかもしれない)
先ほどのヒューバートの問いに答える前、以前は屈託なく「侯爵になりたい」と言っていたパーシヴァルに生まれた躊躇。
「それならお前に頼みたい。時々でいいからあそこに行って、子どもたちみんなが仲良く遊べるようにお前がみんなの架け橋になるんだ。お前ならできるよ、お前たち三人ならできる」
「うん、分かった」
***
「ありがとうございます」
アリシアのお礼に、先ほどの食堂でのことだと察したヒューバートは頬を掻く。まだ子どものパーシヴァルに厳しいことを言ったかもしれないと思った。
「あれでよかったのかな」
「レイナードには必要なことですし、『しがらみ』を越えるのは子どものほうが得意かと」
長く資金難が続いたレイナードは領の防衛に対する制度がまだ確立しておらず、領都はレイナード騎士団と彼らの支援を受けた警ら隊が機能しているが、地方にいくほど領内の保安はその街の住民任せになってしまっている。
山越えの道は軍が進めないほど細いためレイナードが戦場になることはないが、帝国の犯罪者がレイナードに逃げてきたり、破落戸が入り込んだりする地方は治安がいいとは言えなかった。
治安が悪いことによって被害者となるのは領民。
夫が殺された、妻が暴行された、子どもが奴隷商に連れていかれた。領主であるヒューバートに助けを求める声は多いが、どうしても犯罪が起きてからの対処となり『被害者』はいなくならない。
カトレアが領地で暮らすようになり、カトレアとカトレアの護衛騎士数名で街の治安維持を試みたが改善できた点は少なく、結果としてこの領には一人で子どもを育てる女性が多かった。
爵位を継いだヒューバートは彼女たちを積極的に雇用するようにしていたが、母親は仕事をするために子どもを誰かに、親戚や近所の人に預けなければいけない。仕事を与えただけでは解決できないのだとアリシアに教えられた。
託児という事業をアリシアが提案したのは、すでにアリシアが自分の店でそれを実践してきたからだった。
『ミセス・クロース』には料理人や乳母経験のある従業員がいる。一般的に服飾店が採用する経歴の人材ではないが、彼女たちは従業員が健康に安心して働けるように店の中で二次的な活躍を見せている。
いまはまだ託児だけだが、ヒューバートの構想では今後学校にまで発展させていくつもりだった。
文字の読み書きと簡単な計算、これだけで『できること』は増える。
(領の生産性が上がれば、領の保安のために人を雇うこともできる)
生産性を上げることは急にはできない。レイナードが長い時間をかけて衰退したように、復興も長い時間がかかるとヒューバートは思っている。
だからパーシヴァルを指名した。
平民で女手一つで育てられたことは一般的には汚点とされるだろうが、レイナードの領主としては大きなアドバンテージだとヒューバートは思っている。自分たちの気持ちを分かる領主、それほどの強みはない。
ロイドとタピオを『友だち』とするパーシヴァルの器の大きさはヒューバートも目を見張るもので、肌の色の違いや言葉の違いなどもパーシヴァルは『ささいなこと』として乗り越えていくと確信していた。
「アリシア」
「何です?」
「金髪の可愛い妹が欲しいって、言っていたよな」
「……まだ早いです」
書類の影からヒューバートを見るアリシアの顔は赤く、
「まだ?」
「まだ、です」
ヒューバートはアリシアが愛しくて堪らなかった。




