第6話 不穏に翳る
(アリシアにこんな一面があるとは)
「ヒューバート様、聞いていらっしゃいますか? 『ルージュナード』を周知させる方法なのですけれど」
『ルージュナード』とはアカネで染められた布の名前で、アリシアが付けた。
『赤色』と『レイナード』を連想させる名付けにヒューバートはお祝いをしようと言ったのだが、「それよりも」と商品開発の話が始まっていまに至る。
(朝から山に登って、三時間近く探索して、掘って、山を下りて……元気だな)
「似た者なんですね、二人とも」
アランの言葉に、他人から見ると自分もこんな風に仕事をしていることを理解した。もう少し休みをとるようにしようとヒューバートは心に誓った。
「『ミセス・クロース』のドレスになれば十分な宣伝だと思うが?」
「トワの話では大量生産も可能とのこと。そんな価値を落とすことは言えませんので、価値を落とさず大量に何かを作りたいのです」
(そんな無茶な……)
『あなたもよく同レベルの無茶を言いますよね』と言うアランの目がヒューバートには痛かった。アランに三日の休みと、特別手当の支給を決める。
「アリシア、山に登って汗をかいただろう? 温泉にでも入って……」
「温泉! 温泉ですわ。レイナードだけの特別、湯浴み着をルージュナードで作りましょう」
「……湯浴み着」
ヒューバートはルージュナードで作った赤い湯浴み着姿のアリシアを想像してしまい、猛毒レベルの色香に想像を慌てて打ち消す。色彩の効果はすごいと思った。
「アカネには婦人病や月経不順の改善という薬効成分があるので、レイナードに来たご婦人に悦ばれるのでは?」
「さすがアリシア様。レイナードの温泉にも婦人病や月経不順の改善があります。他には、子宝祈願とか?」
(馬鹿っ!)
いまのアリシアは情報は何でも拾い上げ、商品を作る熱意に満ちている。こういうときは不用意な一言は思わぬトラブルを生むのだ。
「子宝祈願……」
(考えてる……そして、アランの『やりました』という視線がうざい)
「同じものが二つとない……世界に一つだけ……特別、な夜! 夜着も作りましょう!」
「……アリシア、そろそろ休憩しないか?」
「もう少しだけ。あとは、恋人の伝説的なものを作りましょう」
意欲的なアリシアはとても美しいし可愛い。
しかし近い将来に白と赤が混じって桃色に染まるこの街を想像し、それを背景にルージュナードを纏うアリシアを想像し、自分の背がゾワッとしたことは永遠に黙っていることをヒューバートは誓った。
「ちょっと母上に用事を思い出した。すまないが席を外す」
あの母親を見れば冷静になるだろうし、話さなければいけないこともあった。
執務室を出て使用人にカトレアの所在を聞けば、騎士団の訓練場で子どもたちに稽古をつけているという答えが返ってきた。
(剣の稽古……か)
カトレアは武家の名門パルトワ伯爵家に生まれたが、妾腹だったため兄弟に疎まれてレイナード家に嫁いできた。
侯爵家嫡男の嫁とはいえ、女遊びの激しい夫に資金難と内容は散々だっただろう。しかし家族愛を期待していないカトレアにとっては悪い環境ではなかったらしい。夫への愛などないが夫人の義務は理解していた彼女は子どもを二人、男と女を一人ずつ生んだところで義務は果たしたと判断したカトレアは領地で引き籠ることにした。
武の名門の血を引くヒューバートの剣術が学院で学んだ最低限ということでバルトワ家の者たちに笑われたことは何度もあるが、数年前に没落したバルトワ家に思うことは特にない。
そんなヒューバートとは対照的にカトレアは後悔が多少あるらしい。その罪滅ぼしか、それとも趣味かは分からないが、カトレアはパーシヴァルにパルトワの剣術を教えている。
(パーシヴァルも楽しいみたいだからな)
パーシヴァルが嫌がったら止めるつもりだったが、楽しそうだからヒューバートとしては特に言うことはない。
「……降参でス」
訓練場に行くと、ロイドに模造剣を突きつけられたタピオが降参したところだった。それなりの勝負だったのか、剣を突きつけていたほうのロイドも「疲れた」とその場にしゃがみ込んだ。
そんな二人をカトレアが褒めて、そんなカトレアにパーシヴァルが「いいでしょ?」と強請っている。風に乗って聞こえてくる言葉から、子どもたちだけで街に行きたいと強請っていることが分かった。
「子どもたちだけだから二時間だけ、それを守れるか?」
カトレアの言葉に三人が勢いよく頷き、「行ってきます」と元気よく駆け出していく。カトレアのことだから隠密行動の得意な騎士を密かに付けるだろうし、祖母として気前のいいところを見せたい気持ちをヒューバートが邪魔するつもりはない。
「どうした? お前がここにくるなんて珍しいな」
「報告がありまして……パーシヴァルたちはどうです?」
「パーシヴァルとロイドは、街に出る暴漢相手なら身を守れるな。タピオはまだ筋力が不十分だが……」
「どうしました?」
カトレアが言い淀むなど珍しいとヒューバートが首を傾げる。
「彼は心得があった……彼は奴隷だったな? 元は帝国の貴族か?」
「平民の子というのは本人の話なので……貴族の子を騙るために最低限の剣術を身につけたのでは?」
「そうかもしれない……」
納得がいかないようなカトレアにヒューバートは首を傾げる。
「そんなに気になりますか?」
「少々変わったクセだったからな……まあ、大したことはないだろうが一応は気に留めておいてくれ。それで報告とは?」
「レイナードの元老会から手紙がきました」
レイナード侯爵家には分家筋にあたる二つの伯爵家があり、それぞれの伯爵家は下に子爵家・男爵家をつらねている。この一門がレイナード侯爵家の領地に散らばり、各地で代官の任を務めている。この一門の当主または前当主が集う集まりが元老会だ。
「パーシヴァルのお披露目の前に、小侯爵となるパーシヴァルとその母であるアリシアに会いたいと……母上、親戚は必要ですか?」
生き生きとルージュナードの販売計画を練るアリシアを思い出す。
「うち、お金に困っていませんし」
「未来の義娘は商魂逞しいし……あれは意外だった」
「惚れ直しました」
ヒューバートとカトレアは顔を見合わせ、同時に頷く。
「要らないな」
「要りませんね」
* **
(なんだろう、背筋がゾクゾクする……やっぱりさっきの稽古で不審に思われたかな)
カトレアの観察するような視線にハッとして剣筋を変え、結果としてロイドに負けたのにタピオに向けられる訝し気な視線は変わらなかった。
「タピオ!」
パーシヴァルに名前を呼ばれてハッとすると、パーシヴァルとロイドが心配そうに自分を見ていることに気づいた。
「大丈夫か? やっぱり剣の稽古は早かったんじゃないか?」
「大丈夫。肉ノ焼ける、いい匂い、ぼんやりシていた」
タピオ自身も苦しいと自覚している言い訳にパーシヴァルは『なるほど』と屈託なく笑う。
(大丈夫、過去は過去だ)
「どこニ行く、まス?」
「やっぱり肉串だろう」
ロイドの言葉に、近くの肉串を売る店の主が「肉串ならうちがお勧めだよ」と気安く声をかけてくる。見知らぬ人に近い距離で話しかけられて戸惑うパーシヴァルとロイドに、やっぱりこの二人は箱入りなのだと思ってタピオが店主との交渉窓口になる。
(今までは威圧感のある騎士が傍にいたから遠巻きにされていたんだな)
この街の人たちはヒューバートを敬愛している。そんな彼らがヒューバートによく似たパーシヴァルに何かしてあげたいと必死になるのは仕方ないとタピオは思った。
「三本くだサい」
両脇にいるパーシヴァルとロイドから寄せられる尊敬の眼差しに、肉串を買った程度で大げさだと呆れつつも嬉しいとタピオは感じ、
(アイツも同じだったのかな)
自分に身を守る方法を教えてくれた、二歳年上というだけで兄のように振舞う『彼』をタピオが思い出したとき、
「え?」
タピオの視界の端を『彼』がかすめた。
慌ててそちらを見たがもう『彼』はおらず、ただタピオの心臓だけが大きな音を立てていた。
(気のせいだ)
『彼』は随分と前に「仕事がある」と言ってタピオの傍からいなくなった。
(アイツが言っていた仕事とはなんだろう)
あのときのタピオは自分のことで精一杯でそんな疑問すら湧かなかったが、いまこうして幸せでいると『彼』のために何かできたのではと思ってしまう。
(仕事……もしアイツがここにいるなら、その仕事は……誰を狙う?)
タピオの頭に浮かぶのは大切な人たち。
タピオは腰に挿した木製の模造剣に手を伸ばし、自分の感じる不安が杞憂であることを願った。




