第13話 謎が深まる
「侯爵様。デイムへの弁解、失礼、面会ですか?」
『ミセス・クロース』に駆けこんだ瞬間に従業員のミイナから投げつけられた棘のある言葉に、ヒューバートは悪事が千里を走る速さを実感した。
「噂の子どもは俺の子どもではない」
「ふふふ、冗談ですよ」
険しい雰囲気を普段の穏やかなものに変えたミイナは茶目っ気のある笑い声をあげる。
「すみません、一度でいいから貴族に嫌味を言いたくて」
笑いながら「侯爵様なら大丈夫だと思って」と言われてしまうとヒューバートは苦笑するしかない。
ミイナの言う通り、嫌味を言われた程度で騒ぐ性格でもないが、ヒューバートはアリシアの居場所と噂を聞いたときの様子を教えてもらうことで無かったことにすることにした。
「デイムは取引先に行っているので、三十分ほどで戻ってくると思います。噂についてはデイムも笑っていて、私たちと同じで信じた様子はありませんでした」
「三十分か……少しいいか? 彼女が店に来たときのことを知りたいんだ」
ミイナとプリムは顔を見合わせたあと頷き、ミイナは店の入口の札を『CLOSE』にして、プリムは店の従業員を集めた。
「見た目は他の女性と同じでしたよ。派手に着飾って、偉そうに振舞って、店やドレスのことを悪く言って」
「むかついたので塩をまきました」
塩のことを含めて報告と変わらない内容に、当事者から直接聞けば何かが新たに得られるかもと思っていたヒューバートは肩を落とす。
(そんなうまい話はないか)
出直すことにしようとヒューバートが口を開こうとしたとき、ミイナが首を傾げる。
「でも、彼女のやっていることって変ではありませんかあ?」
ミイナの言葉にヒューバートは興味を惹かれる。他の従業員たちの目もミイナに向いた。
「この店に来る女性たちの目的はデイムに身を引かせるためですよねえ。それならなんでここに子どもを連れてこなかったのでしょう?」
ヒューバートがハッとしたように、周りも「確かに」とミイナの言ったことを考える。
「子どもを認知させるなら直接お相手のところに連れていくのが正攻法ですが、噂をばら撒いて外堀を埋めるやり方のほうがお相手が貴族の場合は有効ですよね」
(そうなのか)
「でも噂をばら撒くなら『ミセス・クロース』のほうがいいんじゃない?」
「そうね。こっちのほうが貴族の目も多いから社交界で噂になるのも早いし」
彼女たちの言うことには説得力がある。
仮にメリッサの子どもがヒューバートの子どもである場合、ヒューバートが認めなくても後継者争いだと騒がれるだろう。
母親が元平民より貴族のほうがいいという声が絶対にあるからだ。
(特にレイナードの元老会は頭の固い保守的な者が多いから騒ぎ立てる可能性が高い)
しかしレイナードの一門は侯爵家から仕事を施されているので、ヒューバートが元老会を力で抑え込むことも可能。
だからこそのミシェルだとヒューバートは思っていた。
後継者についてヒューバートを説得できる者はアリシアを除いてミシェルしかいないから。
「それなら……ここには連れて来られない理由があったと考えるべきか?」
ヒューバートの言葉に彼女たちは顔を見合わせる。
「見れば偽物だ分かるからでしょうか?」
「妹が言うには俺に似てなくもないそうだ」
「微妙ですね」
「何よりレイナードの黒髪をしているようでな、流石に無視はできない」
ヒューバートが自分の黒髪を掴むと、ミイナが手をポンと叩いた。
「レイナードの黒髪は赤いと聞いたことがありましたが、黒なのに赤ってどういうことかと思ったら太陽の光にあたると赤く光るんですね、へえ、珍しいですねえ」
ミイナの素っ頓狂な感心する声に緊張感が霧散し、「それはいま関係ない」とプリムがミイナに苦笑する。
「パーシヴァルも同じ髪だが、見たことがなかったか?」
「最近入ったばかりで。パーシヴァル様にお会いしたのも二、三回ですし、いつもデイムのお迎えにくる夜ばかりだから」
「ああ、これは光にあてないと分かりにくいからな」
「そうですよお、こんな晴れた日じゃないと分かりません。まじまじ見るのも不敬ですし」
ミイナの言葉にリザが久しぶりに晴れた空を見上げる。
「今年は雨期があけるのが遅いですよね。いつも社交シーズンが始まる頃には明けるのに」
「嫌よね。雨の日にドレスは手入れが大変だから」
プリムの言葉に「ああ」とヒューバートは頷いた。
「だから城に行った日にアリシアは嫌そうな顔で空を見ていたのか。城の屋根に興味があると思った」
「そんなことあるわけない……と言えないのがデイムですけれど」
「どこにデザインのヒントがあるか分からないって仰っていますもんね」
彼女たちがアリシアを好ましく語る姿にヒューバートの口元が緩む。
アリシアのこと、それが彼女の嫌いなものでも、知ることができるのは嬉しい。
(雨か……雨? 水……)
――義兄上たちのように光って赤く輝く黒髪は見たことがないけれど、赤い染料を使えばそれなりにできるかも。
ヒューバートの頭の中でエリックの言葉が響く。
「誰か、毛染め粉について詳しい者はいないか?」
ヒューバートの突然の質問に女性たちは互いに顔を見合わせ、首を横に振る女性が多い中でリザが手をあげた。
「使っていましたよ。この薄い黄土色が駱駝のようだから嫌で、緑色に染めていました」
「緑……どうしていまは染めないんだ?」
「染め粉は雨に濡れたら落ちるので、この国では使うには向いていないので。私はヴォルカニア出身で、あっちは帝国は空気が乾いていますし、雨も滅多に降らないので」
「雨だ」
あの日、アリシアと一緒に城に行った日、メリッサがこの店に来た日は雨が降っていた。
「雨で毛染め粉が落ちてしまうから、店に子どもを連れてこなかったんですね」
「つまり、子どもは偽物」
「やっぱり侯爵様は潔白ということですね」
(『やっぱり』ということは、少し疑っていたな)
「あの日子連れでなかった理由は分かったけれど、それでもコルボー子爵家に行った理由にはなりませんよね」
「店に連れてきたほうがいいのにわざわざ行ったということは、妹様に会いたかったとか?」
(その理由もおかしくはないが)
「それなら何で今まで行かなかったの?」
「旧交を温めるためならもっと早くても……でも雨続きだったから子どもを連れていけなくて……」
(やはりミシェルに例の子どもを見せたかったとなる。ただ、その目的は本当にレイナードの後継者にするためか?)
レイナードの次期侯爵でレイナード商会の未来のオーナー、ヒューバートの後継者の座が魅力的であることはヒューバートにも分かっている。
実際にアリシアに対して「パーシヴァルに会いたい」と願う者は多い。
(噂をばら撒くのにコルボー子爵家を選んだことも理解はできる)
コルボー子爵家は優れた馬の繁殖技術をもち、彼の領地で生まれ育った馬の価値は高い。
商人にとって輸送は重要な問題で、優れた馬をもつ者は商売で他より先に行くこともできる。
レイナード商会の馬車の馬もコルボー領地産が多く、同じような目的で国内外の商人がコルボー子爵のもとを訪れる。
「あら、本当にヒューバート様がやり込められているわ」
アリシアの声に思考が遮られた。
入口に顔を向けるとアリシアが立っていて、楽しそうに笑う彼女の向こうにはニヤニヤと笑うミロがいた。
やり込められていると報告したのはミロらしい。
「お帰りなさい。それじゃあ、皆は休憩終わり。デイム、あとで部屋にお茶を持っていきますね」
「ありがとう、プリム。ヒューバート様、お待たせしました」
部屋に招かれたヒューバートはミシェルが会いに来たところから話し始めた。
「つまり、俺の子というのは事実無根なんだ」
「もし本当にヒューバート様の子でも、私は彼女と戦いましたよ」
『戦う』という言葉に嬉しそうな表情を見せたヒューバートに心をくすぐられる。
「だってパーシヴァルが『侯爵になる』って言っていますもの。あの子のために私は引きませんわ」
パーシヴァルはカトレアに懐き、彼女に招待されて何度も領地に行き、乗馬を教わりレイナード領をあちこち見て回ったらしい。
興奮に頬を染めながら領地で見聞きするパーシヴァルはとても生き生きしていた。
辺境の街では文字の読み書きや簡単な算術を学べるだけだったが、ノーザン学院に行って貴族向けの教養を身につけ、今ではレイナード侯爵家とその一門によるレイナード領の領政に並々ならぬ興味を持っている。
「侯爵位を継ぎたい」とパーシヴァルがヒューバートに願ったのは半年くらい前のこと。
その場では「ありがとう、嬉しい」と言っただけのヒューバートだが、その夜は一人で祝い酒を飲んだ。
いつかパーシヴァルが爵位を継いだとき、あの日飲んだ祝い酒と同じウイスキーをパーシヴァルと飲もうとヒューバートは決めている。
「パーシヴァル以外に侯爵を継がせたら首を切ると母上に言われているのだが?」
アリシアの髪に指を絡めながらヒューバートが問う。
「それは嬉しいですが、どうせなら満場一致にしたいのです。パーシヴァル以外が侯爵になるなど誰も考えないほど、私は欲張りなんですよ?」
そう言うとヒューバートが小さく笑って、アリシアの髪を軽く引く。
「俺のことももっと欲張ってほしいな」
ヒューバートが甘い声で囁けば、アリシアが赤くなる。
形成が逆転しそうだと察したのだろう、アリシアは自分の髪をヒューバートから取り返して軽く睨んだ。
「メリッサ夫人の話でしたよね。彼女の狙いでしたっけ?」
「普通なら爵位や財産が狙いと考えるが……違和感がするんだ」
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