第9話 前に進む
社交シーズンが始まると、普段平民だけの王都の通りに貴族や騎士の姿がちらほら混じる。
平民にはない気品、煌びやかな服、そして鍛えられた体躯。
「普段は生活密着型の筋肉しか見ていないから……いいわね」
「あの黒に銀糸の騎士服を考えた服飾師は神だわ」
『ミセス・クロース』は王都を走る主要な街道二本が交差する場所にある。窓から見える道行く人たち(の筋肉)は店内の従業員たちの目を楽しませる。
「まだ肌寒いのが惜しまれるわ。見てよ、あの角に立つ騎士様が春色の薄いシャツを着る姿を想像してみて」
「いますぐ春が来てほしい!」
ドレスの調整や手直しで連日激務だった従業員たちは全員ハイテンションだった。
工房や店から聞こえる、もう何度目か分からない『乾杯』とグラスのぶつかる音にアリシアは口元を緩めながら試着室で着ていた服を脱ぐ。
「騎士服と違って冒険者さんたちが着ている服って筋肉の形がよく分かる……何でこの店の隣に冒険者ギルドがないのかしら」
「レイナード侯爵様があれをデイムに見せたくないからに決まっているでしょ」
プリムの呆れた声に全員の同意の声が続き、アリシアは顔が熱くなるのを必死に抑える。
(みんな酔っているわ)
「でも侯爵様だって細身だけど筋肉質じゃない。いわゆる『細マッチョ』、肩なんてガッシリしているわよ」
(『細マッチョ』……確かに筋肉質よね。手を置くと腕が硬いなって思うし……筋肉)
「細マッチョよりマッチョよ! ミロ様のほうがいいわー」
「あー、分かるー……まあ、そうだよね。侯爵様はあれだしね」
(……『あれ』?)
「まあ、あれはすごいよね……ちょっと直視できない」
「分かるー、けれどつい見ちゃうんだよね、あれ」
「分かるー、あれはねえ……あれだもんねえ」
異様なハイテンションで繰り返される『あれ』にアリシアは居たたまれない気持ちとモヤモヤッとした苛立ちを感じて、わざと大きな音を立てて閉めていたカーテンを開ける。
「……やめましょう」
アリシアの気持ちを察して周囲を制してくれたリザに、アリシアはリザの給料を上げることに決める。腕がよく、空気の読める勘のいい職人は貴重だからだ。
「ええ、不敬だわ」
「そうね」
周囲も同意したのか道行く人々の品評会が再開される。
やっぱり筋肉の話がメインだが、それは別に気にしない。アリシアだって筋肉が気になることがある。
(筋肉……『あれ』……)
「あ」
ドレスを着る前、まだ下着姿だというのにカーテンを開けてしまったことに気づいてアリシアは急いでカーテンを閉めた。
「あれって、『侯爵様がデイムを溺愛している』ってことだったのに」
「伏せるからいかがわしく聞こえたのかも、何を想像したのかしらね」
「これはヤキモチよね、いい兆候よね」
慌ててドレスを着るアリシアの耳には、従業員たちの声が聞こえなかった。
「ホックを留めましょうか?」
「お願い」
背中を向けるとプリムが首の後ろのホックを留めてくれて着替えが終わる。
『ミセス・クロース』のドレスは体の負担となるコルセットやパニエを使用しないデザインのドレスが多く、いまアリシアが着ているドレスはエンパイアスタイルのドレスだった。
ウエストより高い位置にある切り替えから下、白い下地の上に重ねた総レースのスカートには力を入れた。このレースは繊細な絹糸で作られた一点物で、このドレスは利益を考えずに宣伝のために作られた見た目重視の贅沢仕様となっている。
城に納めた王女のドレスのように宝石を散りばめていないが、輝くような白さはドレスを豪奢に見せた。
(ただこのドレスのコンセプトが……)
「花嫁のような清廉なドレス。うん、レースの絹糸の黄色味を強くして正解ですね。もっと古ぼけた印象になると思いましたが、レースの繊細さが際立って美しいです」
(コンセプトよりもレースよ。やっとウルミレースを使ったドレスができたことを喜ばなくては)
今年の『ミセス・クロース』のドレスに使っている『ウルミレース』はウルミ湖の周辺地域で生まれた工芸品。自分の娘の婚礼衣装に箔をつけようと技術を磨いた歴代の母親たちが生み出した芸術性の高いレースで、アリシアはずっとこのレースを使ってドレスを作ろうと思っていたがデザインが理想の形で整わなかった。
「予定よりかなり時間がかかってしまったわ。ウルミ湖の人たちも、ずいぶん待たせちゃったわね。ごめんなさいね、ハリエット」
プリムと一緒に部屋に入ってきたが、ずっと黙っていたハリエットはアリシアの言葉に首を大きく横に振った。
「こんな素敵なドレスになるならいくらでも待てます。ウルミレースは村の女たちのいい副収入になりますし、ウルミ湖畔に咲く花で染色してあると知られれば本業の観光のほうだって期待できます。ありがとうございます、デイム。本当に、いろいろとありがとうございます」
ハリエットの感謝が村のことだけないことにもアリシアは気づいて笑みを深くする。
ハリエットはヒューバートの紹介で雇用した事務員で、五歳の男の子を一人で育てているシングルマザーだ。
アリシアの店で働いている従業員にはシングルマザーが多い。
アリシアがパーシヴァルを女手一つで育てていたことは有名だったため悪意ある人たちは「似た者同士」と笑ったが、一人の大変さを知っているアリシアは気にしなかった。
アリシアは気にしなかったが、ヒューバートのほうはそうはいかなかった。
自分のせいでアリシアが悪く言われているとヒューバートは落ち込んだあと、社交界で粛清の嵐を巻き起こした。
結果を分かっていて虎の尾を踏んだのだからと荒れるヒューバートをアリシアは止めなかったが、新聞社に殴り込みに行きそうなときは止めた。
助けてくれる人がいると分かれば、結婚生活に苦しんでいる女性に『離縁』という選択が生まれる。
離縁をすると女性が後ろ指をさされるこの社会へ、離縁されないと高を括って妻を疎かにする男たちへ、「一矢報いてやりたい」とアリシアが言うとヒューバートは複雑そうな顔をして新聞社への抗議を辞めると同時に、新聞社に対してレイナード商会も積極的にシングルマザーを雇用するという声明を出した。
「プリム、ハリエット。今日は思いきり雰囲気を変えたいの。何かアドバイスをもらえない?」
アリシアの言葉に二人は驚いた顔をして、ハリエットはアドバイスは多いほうがいいと言って試着室を出ていった。
戻ってきたハリエットの後ろには、ほろ酔い状態でワイングラスを手に持っていた従業員たちがいて、彼女たちは一斉にアドバイスをし始めた。
「とにかく『項』、項でアピールですよ」
「いや、『胸』という武器も大事です。細く垂らして、視線を首筋からデコルテ……と誘うのはどうですか?」
酔っ払いのアドバイスは遠慮がなかった。
雇い主の威厳を壊さないよう、アリシアは顔を赤くしないように無心であろうと頑張る。
「い、色っぽい感じは無理かも……素質が、ね」
「袖のレースが色っぽいから大丈夫ですよ。そもそもバーンッと露出するよりもチラ見せのほうが目を引きますし、男はグッときます」
「いえ、別に目立ちたいわけでは……」
「分かっています、分かってまーす。侯爵様だけでいいのですよね」
酔っ払いは容赦がない。
普段の見守るだけのじれったさが爆発したかのように、ヒューバートのために着飾ろう、ヒューバートの視線を独り占めにしようと白熱していく。
「侯爵様に近づく女たちを完膚なきまで叩きのめしましょう」
リザの号令に「おー」と手を突き上げる従業員。
気づけばドレスを見るまでワインを飲まずにいたハリエットもすっかり酔って両手をあげている。
「ほら、デイムも気合いを入れてください」
「お、おー」
「それじゃあ、侯爵様のど肝を抜きましょう!」
「……え?」
***
「遅くなってすまない」
思ったよりも仕事に時間がかかり「迎えに行く」と約束した時間ギリギリになったことに焦って店に駆け込んだヒューバートは、着飾ったアリシアの姿に目を奪われた。
「とても……」
「綺麗だ」と言おうとしたときアリシアが少し体の向きを変え、ヒューバートは驚きで言いたかったことが吹っ飛ぶ。
「髪が、ない……え?」
唖然として言葉もままならないヒューバートにアリシアは首を傾げる。肩より上にある毛先が軽やかに揺れた。
「髪はちゃんとありますわ。気分を変えたくて短くしてみましたの。どうでしょう?」
「この前、つい最近まで、腰まで……短く、短い……」
「ええ、いかがです?」
頭を揺らして新たな髪形を主張するアリシアの姿がぼやける。
それなのに肩の上で横に並んでいる毛先が揺れるのだけはよく見える。
「似合わないですか?」
「…………いや」
目を輝かせながら自分を見るアリシアに『似合わない』と言うなどできない。
そもそも髪が短いだけで似合わないわけではない。
(いや、これはこれで可愛い。似合う。項も綺麗……いや、うん、似合う)
項のことは置いておいて、それ以外をそのまま口に出せば立派な褒め言葉。
頭では分かるのに何も言えない。
ヒューバートが何も言わないでいるとアリシアは落ち込んでしまった。
「いや、似合っている。すごく可愛い」
「可愛い、ですか?」
「うん、可愛い……うん、短いのも似合っている」
ヒューバートの歯切れの悪さに気づいたのだろう。アリシアが「でも?」と続ける。
「短くなってしまったな、と……俺は君の長い髪がかなり好きだったみたいだ」
髪の毛なのだからいずれ伸びると分かっているが、惜しいものは惜しい。
それが『好きだった』と未練がましい言葉になった瞬間、ヒューバートの胸の中で後悔が膨らむ。
「なぜ俺は君の長い髪が好きだって言っておかなかったのだろう」
「侯爵様……いいえ、ヒューバート様」
(なんで笑って……え? いま、『ヒューバート』って名前で……)
俯いて真剣に過去を悔やんでいたヒューバートは笑うアリシアに恨みがましい気持ちがわいたが、アリシアの声が紡いだ自分の名前が脳に沁み込むと顔をあげた。
笑っているのはアリシアだけではなく、店の女性たちも笑っていた。
「髪は切ってはいません」
「え?」。
アリシアは背中を向けると後ろの毛を持ち上げる。そこには複雑な形でまとめられた髪の毛。
(よかった……)
安堵の気持ちから声もでず、しゃがみ込みんで、俯きながら安堵するヒューバートに周囲の笑い声は大きくなる。
「悪戯が過ぎましたね」
反省しつつも笑っているアリシアにヒューバートは息をのむ。
二人の間にあった隔たりが消えたというか、何かが戻ってきたかのような感覚がヒューバートの胸を占める。
「うん……でも、嬉しい」
「そんなに長い髪が好きとは知りませんでした」
「君ならどっちでも、と言いたいが俺は長い髪のほうが好きだ。それに、いまこんなに嬉しいのは君がまた名前で呼んでくれたから……」
ヒューバートはアリシアの首の後ろに手を伸ばし、短く見える髪の毛に触れる。「ビックリさせた仕返し」と言って首筋に触れればアリシアの顔が真っ赤になる。
「ヒューバート様!?」
「そうやって頬を染めて俺の名前を呼んでくれる君は何十倍も可愛い。困ったな、俺は何度君に一目惚れすればいいのだろう」
読んでくださり、ありがとうございました。感想をお待ちしています。
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