第3話 市場を巡る
(まさかパーシヴァルがノーザン王立学院に行きたいと言うなんて)
ノーザン王立学院についてはステファンから教えてもらい、興味を持ったという。
アリシアも「ノーザン王立学院に」と考えていたが、実際にパーシヴァルがそれを望むと複雑な思いを抱いてしまう。
(レイナード侯爵家のことを意識して?)
前を並んで歩くヒューバートとパーシヴァルの仲睦まじい様子に嫉妬に近い感情が湧き出て、アリシアは急いで他に視線を向ける。子どもは親の道具ではない。アリシアは深呼吸してモヤモヤした感情をはらした。
(いまは買い物に集中しましょう)
ヒューバートのアパルトマンを借りられたことは予想外だったが、しばらくアルマの宿にお世話になるだろうと思っていたアリシアは予定より大分早く住まいが見つかったことに安堵していた。
今後の予定としては次に貸店舗を探して、仕事の目処がついたら部屋を見つけて引っ越しするつもりだ。
(また引っ越すのだから買い物は必要最低限と話したのに)
昨夜そうパーシヴァルに言い聞かせたのに全く上手くいっていない。
アパルトマンはリビングを挟んで東側のゲストルームをパーシヴァルが、西側の主寝室の隣にあるゲストルームをアリシアは使わせてもらうことになった。
東側のゲストルームにあったベッドは「男の子には味気ない」ということで、机を見にきた家具屋でなぜかパーシヴァル用のベッドが追加された。
「お母さん、楽しいね」
「ヴァル、あのね……」
「僕、こんな楽しい買い物はじめて。コソコソ話す嫌な人たちもいないし」
パーシヴァルの言葉にアリシアは胸が突かれる思いがした。
あの街では食料品や日用品を買うときでさえ人の視線を感じていて、最低限のものをさっさと買うのが癖になっていた。
「そうね、買い物を楽しみましょう」
(引っ越しのときに頑張って運べばいいのよ)
そうは言っても家具屋で衝動買いはできないので、アリシアは次の日用品店で買い物を楽しむことにした。
「僕が知っている商店や市場とは全然違うや」
必要な買い物をすませた三人はカフェで休むことにして、テラス席に座ってココアを飲みながらパーシヴァルはそのキラキラした目を街の雑踏に向ける。
(こんなに活気があるなんて知らなかったわ)
子爵令嬢だったときは基本的に外出をしたことがなく、レイナード侯爵家に何度か行ったことしかなかった。その後、宿で働いていたときは自分がお尋ね者だったので外出は近場に最低限だった。
「休憩したら次はどこに行きたい?」
(行きたいところ……)
昔から行ってみたい店はあった。子爵家の使用人が貸してくれた小説『THREAD』を読んだときから、ヒューバートに贈るための刺繍糸が買える手芸店。
「手芸店に行きたいです」
「僕は本屋に行きたい」
パーシヴァルの答える声と被ってしまい、パーシヴァルの希望を聞き忘れて自分の行きたいところ言ってしまったことをアリシアは恥じた。
「いいわね、本屋にいきましょう」
「俺はパーシヴァルを本屋に連れていくから、君は彼女と手芸店に行くといい」
ヒューバートはそう言うと一息で残っていたコーヒーを飲み干し、後ろに控えていた女性騎士たちに指示を出す。生来人見知りのアリシアは思わずヒューバートを縋るように見てしまった。
「……っ、いやっ、その……ほら、そういう店は女性が多いだろう? 俺が一緒に行って悪目立ちするより、彼女たちを連れていったほうが気兼ねなく見て回ることができるはずだから。な、パーシヴァル」
なぜか焦ってヒューバートは早い口調で一緒に行かない理由を言い、パーシヴァルに同意を求める。
「うん、その通りだと思うよ……情けないなあ」
(何が『情けない』のかしら? 女性の多い店に気後れすること?)
他の意見を聞いてみようかとミロを見たら、なぜかミロは視線をそらしてしまった。
***
「この店は一介の主婦から熟練のお針子まで利用している王都で人気の手芸店です。我々のことは気にせずご自由になさってください」
女性騎士の言葉に「ありがとうございます」とアリシアが返すと、周りを確認していた女性騎士たちは互いの顔を見合わせて頷いた。
「アリシア様は閣下の大切な方ですから」
女性騎士の言葉にアリシアの顔が赤くなると同時に周囲がざわつく。
アリシアは気づかなかったが周りはレイナードの騎士が警護する女性に興味津々で、機会があればアリシアが『ヒューバートの特別』であることをアピールするように騎士たちはステファンに言われていた。
(すごいわ)
店に入るとアリシアは周囲の視線を忘れ、彩り豊かな店内に夢中になった。今まで布や糸は街に立ち寄る商人たちの露店で買うことが多かったため、文化の発信地である王都の専門店の品揃えには圧倒された。
店のあちこちには王都で評判になった服の版画が沢山飾られていて、どうしたらこんな服ができるのか斬新な形や鮮やかな色使いにアリシアは羨望の吐息を漏らした。
(貴族夫人に有名な声楽家、ここは服飾師やお針子たちの情報交換の場でもあるようね)
社交界のインフルエンサーといえる女性たちの名前や人気の服飾師の名前をアリシアは心にメモしていく。
「先日の夜会で王妃陛下がお召しになっていたドレスですって」
女性たちの感嘆した声に顔を向けると、店の中央の一段高いところにドレスが飾られていた。
惹かれるままに近づき、最初は細部にまで施された繊細な刺繍に目がいったが、すぐに規則正しく並び歪みが一切ない縫い目に熱中した。
デザインを活かすには高い技術が必要であることを痛感させられる。
(田舎の裁縫師が作れる『素敵』とは次元が違うわ)
『ミセス・クロース』の名前は王都でも知られてきてはいるが『便利』や『軽い』が人気になった理由であり、ドレスとしてはいま目の前にあるプロの職人による作品の足元にも及ばない。
アリシアの裁縫の技術は貴族令嬢の手習いレベル。
『便利』や『軽い』で他との差別化は図れているが、二年以内に生存競争に負けるとアリシアは見ている。王都で勝負するのだから、技術のある人を雇うことが急務だった。
「セールが始まるよ!」
その声に店内の人が一斉に動き出し、人波でふらついたアリシアは後ろにいた女性にぶつかってしまった。その拍子に女性が持っていた版画が床に落ちた。
「ごめんなさい」
紙を拾おうとしたアリシアの手が止まる。それはアリシアがデザインしたドレスの版画だった。
「これ……」
顧客のセザリアン男爵夫人から「悪阻がひどい娘のため体をあまり締め付けないドレス」を頼まれて描いたものの、裁縫の技術が足りず形にすることができなかったもの。
後日「デザインを使わせてほしい」という連絡を貰って誰かの作品になっていると思ったが、版画に描かれた服飾師の名前はミセス・クロースになっていた。
(どうして……)
「『ミセス・クロース』をご存知なのですか?」
本人とは言いにくく、アリシアは曖昧にうなずいて誤魔化した。
「ミセス・クロースって知る人ぞ知る存在ですよね。私がいま着ているこの服も自分で、ミセス・クロースのデザインを参考にして私が作ったワンピースです。以前はある貴族の方のお屋敷にお針子をとして雇われておりました」
熱意のこもったアピールに、護衛を連れているアリシアを貴族だと彼女が勘違いしていることに気づいて慌てる。
「ごめんなさい、私は貴族じゃなくて」
「あ……すみません。お見かけしない方だったのでてっきり……」
「いえ、この見た目だとそう思われることも多いから……お針子だったそうですが、いまは何を?」
貴族かどうかの話題は気まずいので、アリシアは言葉を濁して一番気になることを聞いた。
「……クビになりました」
「ク、クビ?」
アリシアの中でセリザリン男爵夫人は温和な人で、ラヴァンティーヌの一員でもある彼女はお直し要員としてお針子を何人も抱えていることはアリシアも知っていた。
「男爵夫人に頼まれて本家の伯爵家のお嬢様のドレス作りを手伝いに行ったのですが、お嬢様のドレスをうっかりと指一本分緩くしてしまって……その日は婚約者様のご家族との初めて顔合わせをなさる日で、太って見えてみっともないと……」
婚約者とその家族は「気にしない」と言ってくれたそうだが、母親の伯爵夫人は怒り心頭で男爵夫人に彼女をクビにするように言い渡したらしい。理不尽だと思うが、それが貴族でもあるのでアリシアは何も言えずにいた。
「覚悟の上だったのですが……それでもこんなに次の仕事が見つからないなんて……うぅっ」
突然泣き崩れた彼女にアリシアは吃驚した。
聞けば前の職が住み込みだったため今は宿に滞在中で、このままでは宿代も払えないという。
(それなら……)
「よろしければ、うちで働いてもらえませんか?」
「……うち?」
戸惑う声をあげる彼女の向こうで騎士たちが揃って驚いた表情をしていたが、軽率とは思いつつも貴族のルールが分かっている彼女を逃したくなかった。
それに今後アリシアが募集をかけた場合、顧客情報やレイナードとの繋がりを狙って誰かの息がかかったお針子が応募してくる可能性が高い。
(産業スパイならばいいけれど、レイナード侯爵家やパーシヴァルのことを探るような人を雇うわけにはいかないわ)
「あの、雇うってどこのお店ですか?」
「あ……あの、まだ王都にお店はないのですけれど、直ぐにどこかに……どこにするかは人に相談しなければいけないのだけれど」
(あら? すごく怪しい勧誘のようになっていないかしら……えっと)
「お話し中に失礼いたします」
見るに見かねたのだろう、騎士の一人がアリシアと女性の間に入り、剣の柄を見せる。
「獅子の紋章……って、レイナード侯爵家!?」
「お話の続きは閣下を交えてのほうがよろしいかと思います、このあとお時間をとっていただいてよろしいでしょうか……えっと、失礼ですがお名前は?」
「あ、そ、その、プリュムです」
「それではミズ・プリュム、こちらへ。アリシア様、またご一緒するので本日のお買い物はここまででよろしいでしょうか」
プリムを雇うまでの過程が軽率過ぎるというご指摘をいただいたので、少しだけ変えてみました(結果は変わりません)。
読んでくださり、ありがとうございました。感想をお待ちしています。
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