7.決別
翌日の諸聖人の日のミサの後、エルヴィラはテオフラストと恋人同士になった事をルクロドに告げた。
ルクロドは全く驚かずに「おめでとう」と満面の笑みで返した。
「……全く驚かないのね」
「逆に二人がまだ恋人同士じゃなかった事に驚いてたからね。旅行の時にくっついたかと思ったのに、テオフラストを問い詰めたらまだだと言うので呆れて言葉が出なかったぐらいさ!」
午後にテオフラストを連れてやって来たユーサーも同じ反応だった。
ユーサーはエルヴィラとテオフラストの二人が想い合っている事に随分前から気付き、テオフラストに色々協力していたのだという。
「あんまり間怠っこしいので先生に言って僕がエルヴィラの婚約者になろうと思ったぐらいだよ!」
ルクロドも頷いた。
「その通りだ。正直他所からの求婚も多かったし、収めるためにユーサーと仮の婚約を結ばせるべきか真剣に悩んだんだ」
これにはテオフラストも青くなって、「すみませんでした」と下を向いて小声で呟いた。
そんな親友の様子をユーサーは鼻で笑って、言った。
「まあこれに懲りたら、これからは毎日想いを告げるべきだね。じゃないと今度こそ僕が貰うから!」
そしてユーサーは表情をいつもの通りに戻すとエルヴィラに向き直って言った。
「エルヴィラ、おめでとう。僕は君の幸せを心から嬉しく思うよ。本当は僕自身が君の横に立ちたかったけど、僕の親友は結構凄い男なんできっとこれからもっと君を幸せに出来ると保証するよ」
「ありがとう、ユーサー。私もユーサーの幸せを願っているわ。貴方も私にとってとても大事なお友達なんですもの」
エルヴィラは心からそう言った。エルヴィラにとってユーサーはマヘスやマリーと同じくらい大切な友人の一人だ。恋に落ちることはなかったけれど、大事に思う気持ちはテオフラストへのそれと変わりない。
「……全く、君は本当に罪深い。そんなことをその美しい顔で言われると、テオに渡すのが惜しくてたまらなくなるよ」
ユーサーは少し苦笑いしながら目を伏せた。エルヴィラは彼の今までにないその表情に引き込まれたが、ユーサーがすぐにいつもの調子に戻ったので、そんな自分の気持ちに気付かない振りをした。
翌日、死者の日になり、エルヴィラとルクロドはフォレスタ侯爵家に向かった。夫人と従兄のマニウスが迎え入れてくれたが、マルクス伯父は体調が思わしくなく、奥で休んでいると言われ、エルヴィラは心配になった。
ルクロドが祖父母と話をしている間、エルヴィラはいつものようにマニウスとサロンで近況報告をしていた。
「また綺麗になったね。何か良いことがあった?もしかして、恋人ができたとか?」
マニウスにピタリと言い当てられ、エルヴィラは驚きを隠せなかった。
「えっなぜわかるの!?」
「……冗談のつもりだったけど、本当に恋人ができたんだね……。その幸運な男はどんな男なの?」
「……養父のお弟子さんで医学者なの。とても優しくていつも親切にしてくれていたの……」
マニウスは納得した様に頷いた。
「ああ、手紙に書いてた、『パラケルススの子孫』かな?すごい組み合わせだ。ある意味お似合いだね。おめでとう、エルヴィラ!」
「……ありがとう。でもまだ想いが通じ合ったばかりで、何もないわよ」
エルヴィラは正直に話した。何しろ一昨日の話だ。先に進みようはない。
「そういうことを言われると、悪い男は付け込もうとするから言っちゃいけないよ。どうか彼と末永く幸せになるよう祈っているよ。今度ぜひ会わせておくれ」
揶揄う様にニヤリと笑われ、エルヴィラは逆に気持ちが軽くなった。
「ええ、機会があれば。そうだわ。マニウスも今年の冬至祭りに是非うちに来てちょうだい。私、転移魔法を覚えたので、迎えに来れるわ!」
「転移魔法だって!?すごいな。王国の魔導師に何人か会ったことがあるけどできる人なんて、一人か二人だって聞いたよ。さすが大魔導師の後継者だね!」
マニウスが感心した様に言うと、エルヴィラは照れ隠しで苦笑いした。
「それほどでもないわ。ただ、魔力は多い方なので転移魔法みたいに大量に魔力が必要なものには有利だってだけよ。それに私は魔導師じゃなくて、魔法医を目指しているし……。ところで、伯父様は大丈夫なの?体調ってどうしたの?」
マニウスの表情に影が落ちる。
「……ああ、 大したことはないんだ。ただ歳を取って心が弱ってるだけさ。エルヴィラの顔を見たら元気になるかもしれないね」
「じゃあ、後で挨拶だけでも行きたいわ。魔法では治せないものも多いけど、癒しぐらいはできるかも」
癒すと言っても、凝りをほぐすとかそう言った程度のものだし、下手をすれば余計に疲れさせるのだが、エルヴィラは大好きな伯父に何かしたかった。
ミサのため大聖堂に移動し、その後いつもの通り一族の墓地で祈りを捧げ、再び侯爵邸に戻って来たエルヴィラは、晩餐の前に伯父に挨拶をしようとマニウスと一緒に伯父の部屋を訪れた。
「父上、エルヴィラがお見舞いに来てくれました。入ってもよろしいですか?」
「……エルヴィラ……。エルヴィラ……か?アグネスはいないのか?アグネスはどうした?」
マルクスの返答にエルヴィラとマニウスは顔を見合わせた。
エルヴィラの母でありマルクスの実妹であるアグネスは四年も前に亡くなっているのに、マルクスはどうしてしまったのか。
『心が弱っている』と口にしていたマニウスも予想外の反応だったようで戸惑いを隠せずにいた。
「伯父様、エルヴィラです。母、アグネスは四年も前に亡くなってもういないんです。悲しいお気持ちは分かりますが、今日は皆で母の思い出を語らいましょう?」
エルヴィラが扉越しに声を掛けると、途端に扉が開いてエルヴィラは中に引きずり込まれた。バタンと扉が閉められ、カチャリと鍵が落ちる。
エルヴィラは鬼気迫る伯父の様子に茫然とした。
「エルヴィラ!父上、ここを開けてください!」
マニウスが扉を叩くが、マルクスはそれを無視してエルヴィラの両腕を掴んだまま、壁に押し付けた。
「ああ、アグネス、悪い子だ。ずっと姿を見せないから心配したんだ。エスティマに閉じ込められていたんだろう?可哀そうに。髪も白くなって……。もうこの屋敷から出てはいけないよ。お前は私の傍に永遠にいればよい。アグネス、皆が嘘ばかり吐くんだ。お前が亡くなったって、この世にいないって。アグネス、アグネス。私は本当に馬鹿なことをした。あんな男にお前をやりさえしなければ、狂いそうになる時間を過ごすこともなかったのに。でももうお前が戻ったのだからどうでも良いことだ。アグネス、私はお前さえいれば良い。他には誰もいらない……。お前もそうだろう?」
ーー狂っている。
エルヴィラは直感的にそう感じた。伯父はエルヴィラの眼を凝視しているが、そこに映っているのは母、アグネスなのだろう。もうエルヴィラを認識できないのかもしれない。
伯父が母を大事に思っていたことは知っていた。
しかし、まさか心を壊すほどだったとは思いも寄らなかった。
「伯父様、しっかりしてください。私はエルヴィラです。貴方の姪です」
エルヴィラは自身の心を落ち着けて、言い聞かせるように言った。
魔力を掴まれている腕から流し、「癒し」を与えてみもした。
しかし、マルクスが正気に戻る様子は一切なく、逆にブツブツと何かを呟き狂気が増して行く気配がした。
「……またどこかへ行ってしまうと言うのか。お前がそういうつもりなら私にも考えがある!」
マルクスはエルヴィラをソファに投げ出し、組み伏せた。あまりのことにエルヴィラは恐怖で声も出せなくなった。
「エルヴィラから手を離せ!」
突然現れたマヘスがマルクスの肩を掴んだ。マルクスはぐにゃりと力が抜けたように床に倒れた。
「マヘス!」
「エルヴィラ!怪我はないかニャ」
マヘスがエルヴィラに手を差し伸べて、その身を起こした。
「ありがとう。どこも何ともないわ」
エルヴィラはまだ恐怖で微かに震えていたが、それを覆い隠すように笑ってみせた。
「エルヴィラ!無事か!?」
ルクロドとマニウスも突然部屋に現れた。
「ルクロド!大丈夫。マヘスが来てくれたの」
ルクロドは床に倒れているマルクスを見やった。
「父上……!」
マニウスが慌てて駆け寄る。ただ気を失っているだけのようだった。
「マヘス、よくやった。あとで何か褒美をやろう」
「いえ、マヘスの仕事はエルヴィラを守ることですニャ!当然ニャ!」
マヘスが胸を張った様子が可愛らしくて、エルヴィラは今度は自然に笑えた。
震えはいつのまにか止まっていた。
「叔母上が亡くなったことは父にとって、周囲が思う以上の心の負担だったようなんです。亡くなって以降ふさぎ込むことが多かったけれど、この一年は叔母上の死を否定するようなおかしな言動が増えていました」
マルクスをベッドに移し、侍従を見張り代わりに部屋に置いた後、エルヴィラ達は別室に移動した。マヘスもエルヴィラのことを心配して残りたがったが、カレドニアの屋敷にすぐ戻された。
マニウスが語った内容はエルヴィラが思いも寄らぬものだった。この一年エルヴィラは頻繁に伯父と手紙のやり取りをしていた。しかし、そこに狂気を感じることはなかった。いつも通りエルヴィラを思い遣る文言が並べられているだけだったのだ。
「父は少しずつ狂っていましたが、死者の日が近づいて、依頼していた叔母の肖像ができた先月半ば辺りからいよいよおかしくなりました。叔母が生きているかのように振る舞い始めたのです。その絵があまりにも良く描けていたので、箍が外れてしまったのかもしれません……」
「……その絵はどこにあるの?」
エルヴィラは母の肖像画について聞いていたので今回楽しみにしていた。そういえば回廊にも掛かっていなかった。
「父が寝室に持ち込んだままだよ。エルヴィラは色味以外は叔母上にそっくりだよね。あの絵を見てそう思ったよ」
エルヴィラの髪と瞳の色は父親譲りだったが、その顔立ちは確かに母に似ているかもしれない。もう二、三年もすればエルヴィラの記憶の母ともっと似て来るだろうと思われた。
「伯父様はどうなるの?」
「祖父とも相談したけど、爵位を僕が継いで、父は屋敷か領地に引き篭もることになるだろうね。エルヴィラはもう父に会わない方が良いよ。君の顔を見たら、きっとまた叔母上を思い出しておかしくなるだろう」
「……残念だわ。今までとても良くしてくださったのに、これっきりなんて……」
エルヴィラは目を伏せて小さく溜息を吐いた。今までの優しい伯父の様子を思い出すと涙が出そうになった。
マニウスも悲しそうに眉根を寄せた。
「良かったら手紙は引き続き送ってあげてほしい。体調がよさそうな時に読ませるよ。この一年も君の手紙は嬉しそうに読んでいたから……」
伯父のいない晩餐を終えた後、エルヴィラとルクロドはカールマン邸に戻った。マヘスが嬉しそうにエルヴィラに抱きついた。
「エルヴィラ!お帰りニャ!」
「ただいま、マヘス。今日は助けてくれてありがとう」
「間に合って良かったニャ!エルヴィラの恐怖が伝わって来たニャ。でも次に何かあったら怖くなくてもマヘスの名を呼んでほしいニャ。誰にもエルヴィラに触れさせないニャ!」
「ふふっ!頼りにしてるわね」
伯父との突然の断絶に心を暗くしていたエルヴィラはマヘスの暖かさに癒され、しばらくその柔らかな毛に顔を埋めた。
「伯父は何故おかしくなったのかしら?」
マリアが入れてくれたお茶を飲みながらエルヴィラはルクロドに問いかけた。
「何故だろうな……。きっとエルヴィラの母親のことを愛しすぎたんだろう。本当に大切な人を亡くした時、人はその穴を埋められずに苦しむことがある。それは時によって癒される場合もあるが、余計に穴が大きくなることもある。侯爵にとってアグネス様の死は後者だったのだろう」
確かにエルヴィラも母の死を受け入れるのに苦労した。ルクロドに引き取られなかったら、狂っていたかもしれない。あのもう一つの日記の自分の狂気の姿もそんな風に狂った結果かもしれないとエルヴィラは思った。
「……ありがとう、ルクロド。私が母の死の後、狂わずにいられたのは貴方のお陰だわ」
「お互い様だ。俺はお前にいつも救われているからな」
イニリ・ニシでのルクロドの過去の話を思い出す。ルクロドの母の代わりにエルヴィラを幸せにしたいと言っていた。それならば、エルヴィラがそうなれば恩返しになるのだろう。
「私は今とても幸せよ。これからも見守っていてね」
「もちろんだ。お前の幸せが俺の生きる意味だからな。その役目はまだまだテオに譲る気はないぞ!」
「まあ!」
ルクロドとエルヴィラは声を上げて笑った。




