第13話 甘くてほろ苦いチョコレートと、忍び寄る影
行商人のトマスさんが去ってから、私はキッチンに引きこもっていた。
目の前には、麻袋いっぱいのカカオ豆。これをチョコレートに加工するには、実は結構な手間がかかる。
「でも、甘いもののためなら苦労は惜しまないわ!」
私は気合を入れた。
まず、豆を炒って皮を剥く。
次に、中身をすり潰してペースト状にするのだが――ここが一番の重労働だ。本来なら機械ですり潰す工程を、人力でやると日が暮れてしまう。
「アレクセイさーん! フレデリックさーん! 出番ですよー!」
私が庭に向かって叫ぶと、二人の屈強な男たちが「待ってました」とばかりに飛んできた。
「おお、ついにあの豆を料理するのか?」
「殿下、マリエル殿の要請です、全力を尽くしましょう」
二人は石臼の前に立つと、超高速でハンドルを回し始めた。
ゴリゴリゴリゴリ……ッ!!
もはや残像が見えるレベルだ。
「は、早いです! 摩擦熱でチョコが溶けちゃうくらい早いです!」
おかげで、あっという間に滑らかなカカオマスが完成した。
ここに、貴重な砂糖と、煮詰めたミルク、そしてコクを出すためのバターを加えて、さらに混ぜる。
温度管理は、魔力で微調整して完璧なツヤを出す。
「よし……冷やして固めれば完成!」
型に流し込み、冷暗所(魔力冷蔵庫)で一時間。
ついに、アストラ特製『一口ミルクチョコレート』が出来上がった。
***
午後のお茶の時間。
私は二人の前に、漆黒のお菓子を差し出した。
「どうぞ。これがチョコレートです」
「……黒いな」
「煮詰めた泥のようにも見えますが……香りは甘いですな」
二人は恐る恐る、小さな欠片を口に入れた。
その瞬間。
「!!!」
二人の動きが止まった。
目が見開かれ、口元が緩む。
「……なんだ、これは」
アレクセイが呟いた。
「最初は苦い。だが、すぐに口の中で溶けて、濃厚な甘みが広がる。疲れが一気に吹き飛ぶような……魔力回復薬に近い感覚だ」
「た、確かに! 頭が冴え渡るようです! 甘いのにくどくない、大人の味……!」
フレデリックも絶賛だ。
チョコレートには糖分だけでなく、集中力を高める成分も入っているから、騎士様たちにはぴったりの携帯食かもしれない。
「気に入ってもらえてよかったです。これ、バレンタイン……じゃなくて、愛の告白にも使われるお菓子なんですよ?」
「……愛の告白?」
私が冗談めかして言うと、アレクセイがピクリと反応した。
彼は残りのチョコを愛おしそうに見つめ、それから真剣な顔で私を見た。
「そうか。マリエルは、俺に愛を……」
「あ、フレデリックさんにもあげましたけど」
「……チッ」
露骨に舌打ちをする王子様。
フレデリックは「おや、殺気を感じる」と首を傾げながら、二個目をパクついていた。鈍感で助かる。
***
そんな穏やかなティータイムを過ごしていた、その時だった。
バサササッ!
突然、空から何かが降ってきた。
白い鳥だ。伝書鳩(鳩というよりは鷹に近い)が、ウッドデッキの手すりに舞い降りたのだ。
その足には、見覚えのある王家の紋章が入った筒が括り付けられている。
「……!」
アレクセイの空気が一変した。
彼はスッと立ち上がり、鳥から筒を解いて中身を確認する。
手紙を読み進める彼の顔が、見る見るうちに険しくなっていく。
「アレクセイさん?」
「……マリエル。どうやら、のんびりとお茶を楽しんでいる場合ではなくなったようだ」
彼は手紙を握りつぶし、青い炎で燃やし尽くした。
「厄介な客が来る」
「客? トマスさんじゃなくて?」
「違う。……王都の魔導師団だ」
魔導師団。
それは、私がかつて(こっそり)所属して魔導具の整備をしていた部署の上司たちだ。
「彼らが、君の魔力を追ってここまで来るらしい。……おそらく、君を連れ戻すために」
「えっ……連れ戻す?」
心臓がドクンと跳ねた。
あんなに酷い言葉で追放しておいて、今さら?
「王宮の魔導具が次々と故障して、生活が破綻しているらしい。原因が君だと気づいた馬鹿どもが、血眼になって君を捜索しているそうだ」
アレクセイは私の肩を抱き寄せ、強く言った。
「安心しろ。君は渡さない」
「で、殿下。私が迎撃しましょうか?」
フレデリックが剣に手をかける。彼の目も完全に殺る気だ。
「いや、相手は国だ。正面から斬り捨てれば戦争になる。……少し、頭を使うぞ」
アレクセイは不敵に笑った。
その顔は、大型犬の傭兵ではなく、一国の知略を巡らせる王弟殿下の顔だった。
「マリエルのマイホームは、俺たちが守る。……最高のおもてなしで歓迎してやろうじゃないか」
平和なスローライフに、初めての危機。
でも、不思議と怖くはなかった。
私には、最強の騎士たちと、DIYで作った最強の要塞(我が家)があるのだから。




