第12話 美肌の秘訣は手作り石鹸? 迷い込んだ行商人が目の色を変えてます
アストラの生活は快適だ。
ご飯は美味しいし、お風呂は気持ちいいし、住人はイケメン(とモフモフ)揃い。
けれど、元公爵令嬢として、忘れてはいけないことがある。
それは――「美容」だ!
「うん、いい感じ!」
朝の洗顔後、私は鏡の前で自分の頬をぷにぷにと突っついた。森に来てからの方が、王都にいた頃より肌の調子が良い。
それもそのはず。ここには、最高の素材があるからだ。
私の目の前には、琥珀色に透き通る固形物が並んでいる。昨日作ったばかりの新作、『ハニー&ハーブの美容石鹸』だ。
材料は、森で採れた保湿効果の高いハチミツ。エルフたちが教えてくれた、肌を整える薬草のエキス。そして、香り付けにラベンダーのアロマオイル。
これらを混ぜ合わせ、不純物を【創造】で完全に取り除いて固めた、純度100%の高級石鹸である。
「泡立ちもクリーミーだし、洗い上がりもしっとり。……これ、自分だけで使うのはもったいないなぁ」
そんなことを考えていた時だった。
ガラン、ゴロン……。
遠くから、車輪の回る音と、馬の嘶きが聞こえてきた。
「……ん? 誰か来た?」
私は窓から外を覗いた。
アレクセイたちが切り開いてくれた獣道を、一台の馬車がゆっくりと進んでくるのが見えた。
屋根には荷物が積まれているが、幌は破れ、車輪は泥だらけだ。
「マリエル、下がっていろ」
庭で素振りをしていたアレクセイとフレデリックが、すぐに警戒態勢に入る。
さすがの反応速度だ。
馬車は屋敷の前で止まり、御者台から一人の小太りな男が転げ落ちるように降りてきた。
「た、助けてくれぇ……! 道に迷って、三日も彷徨っているんだ……水、水をくれぇ……」
男はヨロヨロと、ゾンビのように手を伸ばしてくる。
どうやら敵意はないようだ。ただの遭難者らしい。
「大丈夫ですか!? アレクセイさん、手を貸してあげて!」
「……やれやれ。おい、しっかりしろ」
アレクセイが男の襟首を掴んで引き起こす(扱いが雑だ)。
私は急いでキッチンへ走り、冷たい水と、栄養補給のためのハチミツレモン水を用意した。
***
数十分後。
リビングのソファで、男は人心地ついていた。
「はぁぁ……生き返ったぁ……。この甘酸っぱい水、五臓六腑に染み渡るようだ……」
「落ち着きましたか? 私はマリエル。ここはアストラの屋敷です」
「おお、ご親切に感謝します。私は行商人のトマスと申します。珍しい素材を求めて北上していたんですが、地図が古かったらしくて……」
トマスさんは商人らしい愛想の良い笑顔で頭を下げた。そして、ふと顔を上げ、私の顔をまじまじと見つめた。
「……んん?」
彼は目をパチクリさせた後、身を乗り出してきた。
「お嬢さん、失礼ですが……お肌、すごく綺麗ですね?」
「は、はい?」
いきなりのセクハラ発言!?
……と思ったが、彼の目はイヤらしいものではなく、獲物を狙う鷹のような商人の目だった。
「いや、失礼。商売柄、人の顔色を見る癖がありましてな。貴女のような白磁のように滑らかで、瑞々しい肌は、王都の貴族令嬢でも滅多に見られませんぞ。一体、どんな手入れを?」
「えっと……特には。よく食べて、よく寝て、あとはこの石鹸を使ってるくらいですけど」
私はテーブルの上に置いてあった『ハニー&ハーブの美容石鹸』を指差した。
「石鹸……?」
トマスさんはその琥珀色の塊を手に取り、鼻を近づけた。
「……ッ!!」
彼の表情が一変した。
「なんだこの香りは……! ラベンダー? いや、もっと深みがある。それにこの透明度……不純物が全くない! 王家御用達の最高級品でも、ここまで美しくはないぞ!」
「そ、そうですか? 趣味で作ったものなんですけど」
「趣味!? これが!?」
トマスさんはガバッと立ち上がり、鼻息荒く私に詰め寄った。
「マリエルさん! これ、在庫はありますか!? いや、作れますか!? 私に売ってください! 王都に持ち帰れば、飛ぶように売れますよ!」
「ええっ? 売れるんですか、これ」
「売れますとも! 貴女のその肌が何よりの証拠だ! 『辺境の美姫が愛用する奇跡の石鹸』……キャッチコピーはこれで決まりだ!」
(美姫って誰のことよ……)
少し恥ずかしいけれど、お金の話は魅力的だ。
これからのアストラ開発には、どうしても資材購入のための資金が必要になる。自給自足にも限界があるからだ。
「わかりました。まだ試作品ですけど、いくつかお分けしますね」
「ありがとうございます! ……おおっと、そうだ。タダで貰うわけにはいきませんな」
トマスさんは商売道具の鞄を開けた。
「現金でもいいですが……見たところ、ここは物資の補給が難しそうだ。私の荷台にある商品と、物々交換といきませんか?」
「商品って、何があるんですか?」
「香辛料、茶葉、最新の小説本、あとは……おっと、これは珍しい。『カカオ豆』なんてのも仕入れたんですがね。使い道がわからなくて売れ残ってまして」
「カカオ豆!?」
今度は私が食いつく番だった。カカオ豆。それはつまり、『チョコレート』の原料だ!
この世界に来てから一度も口にしていなかった、魅惑のスイーツ。
「トマスさん! その豆、全部ください! 石鹸十個と交換でどうですか!」
「えっ、そんなどす黒い苦い豆でいいんですか? 私は構いませんが……」
交渉成立だ。
トマスさんは石鹸を手に入れてホクホク顔。私はカカオ豆を手に入れてニヤニヤ顔。
「おいマリエル、そんな豆が美味いのか?」
後ろで見ていたアレクセイが不思議そうに聞いてくる。
「ふふふ……見ててください。次のティータイムには、とろけるような『甘い魔法』をかけてあげますから!」
***
こうして、アストラに初めての「交易ルート」が開通した。
トマスさんは「一ヶ月後にまた来ます! 次はもっと色々な物資を持ってきますから、石鹸を大量生産しておいてください!」と言い残し、ピカピカに磨かれた石鹸を大事そうに抱えて去っていった。
手元に残ったのは、大量のカカオ豆と、これからの商売への希望。
「よし、まずは『チョコレート』作りね! ……あ、でも砂糖が足りないかも」
悩みは尽きないけれど、それもまた楽しい。
アストラの特産品『美肌石鹸』が、遠い王都で貴族の奥様方を熱狂させることになるのは、もう少し先のお話。




