第10話 帝国からの来訪者と、ただの傭兵(?)の秘密
アストラの屋敷での生活も、二週間が過ぎた。
その日の午後、私はリビングの窓辺で優雅にティータイムを楽しんでいた。
お茶請けは、エルフの里で分けてもらった木の実を使った『木の実のタルト』。飲み物は、庭で育てたミントのフレッシュハーブティーだ。
「ん〜、幸せ……」
サクサクのタルト生地と、香ばしいナッツの風味が口いっぱいに広がる。モコも私の足元で、特製クッションに埋もれてスヤスヤと眠っている。
平和だ。
世界が明日滅びると言われても、この空間だけは平和な気がする。
――しかし。
その平穏は、唐突に破られた。
「……マリエル、動くな」
庭で薪割りをしていたはずのアレクセイが、いつの間にか部屋の中に戻ってきていた。
その表情は、普段の大型犬のような笑顔ではない。凍りつくような、冷徹な戦士の顔だった。
「えっ、アレクセイさん?」
「客だ。……だが、招かれざる客のようだな」
彼が視線を向けた先――玄関の扉が、音もなく開いた。
そこに立っていたのは、一人の男だった。全身を漆黒の鎧に包み、腰には長剣。
兜は被っていない。露わになったその顔は、銀髪を短く刈り込んだ、鋭い眼光の美丈夫だった。
(うわ、すごいイケメン。でも……怖っ!)
男から放たれる威圧感は、アレクセイのそれに匹敵する。
ただの盗賊や迷い人ではない。明らかに、訓練された「騎士」の立ち居振る舞いだ。
男は部屋の中を見渡し、そしてアレクセイを見つけると――。 カシャン、と音を立ててその場に跪いた。
「――捜しましたぞ、殿下」
「……殿下?」
私が首をかしげると、アレクセイが盛大に舌打ちをした。
「チッ……。フレデリック、貴様か」
「はっ。近衛騎士団長フレデリック、ただいま参上いたしました。……さあ殿下、このような蛮地での遊びは終わりです。直ちに帝国へお戻りください」
男――フレデリックの声は、部屋中に朗々と響き渡った。
(えっと……でんか? ていこく? このえきしだん?)
私の脳内で、単語がぐるぐると回る。帝国といえば、隣にある軍事大国「ガルガディア帝国」のことだ。
そこの近衛騎士団長が、なぜここに? そして、アレクセイのことを殿下と呼んだ?
「……マリエル」
アレクセイが、気まずそうに私を振り返った。
そして、引きつった笑顔で言った。
「紹介しよう。こいつは俺の……その、傭兵時代の『ごっこ遊び』仲間だ」
「はい?」
「昔、劇団の用心棒をしていたことがあってな。その時の役名が『殿下』だったんだ。なぁ、フレデリック?」
アレクセイが凄味のある笑顔でフレデリックに圧をかける。
フレデリックと呼ばれた騎士は、眉一つ動かさずに主君を見上げ、そして真顔で言った。
「……左様でございます。私は『騎士団長』役のフレデリック。久しぶりですな、傭兵のアレクセイ『殿下』」
(絶対嘘だーーーーッ!!)
嘘をつくのが下手すぎる! どう見ても主従関係じゃないですか!
でもまあ、アレクセイさんが隠したがっているなら、乗ってあげるのが大人の対応というものか。
私は努めて明るく、立ち上がった。
「まあ! アレクセイさんの古いお友達なんですね! ようこそ、我が家へ!」
「……む? 貴女は?」
フレデリックが怪訝な顔で私を見る。そして、次の瞬間。
彼は部屋の中を見渡し――絶句した。
「な……なんだ、ここは」
彼の目が、信じられないものを見るように見開かれる。
「この床……最高級の黒檀か? いや、継ぎ目が全く見えない。一体どういう技術で……」
「あの窓……宝石を散りばめたように光っている。帝国の宮殿にすら、あのような装飾はないぞ」
「そして、あのソファ……! 見ただけでわかる、極上の座り心地……!」
フレデリックは鎧をガチャガチャと言わせながら、ふらふらと部屋の中を歩き回った。
そして、私が座っていたソファの、空いているスペースに恐る恐る手を触れた。
「……柔らかい。なんだこの弾力は。雲か? 雲なのか?」
「それはクラウドシープの毛を百パーセント使用してますからね」
「聖獣の毛だと!? 国宝級の素材を、尻に敷くクッションにするとは……!」
彼は戦慄していた。
どうやら、この家の異常な快適さに気づいてしまったらしい。
「フレデリック。お前、腹は減っているか?」
呆気にとられる部下に、アレクセイが声をかけた。
「はっ……そういえば、ここ数日は捜索のために野営続きで、ろくな物を食べておりませぬが……」
「なら、ちょうどいい。マリエル、こいつにも何か食わせてやってくれないか? 見ての通り、堅物で融通の利かない男だが、悪い奴じゃないんだ」
「もちろんです! お客様は大歓迎ですよ」
私はキッチンへ向かった。
野営続きの疲れた騎士様には、ガツンとくるけど消化にいい、アレがいいだろう。
***
十分後。
フレデリックの目の前に置かれたのは、湯気を立てる丼だった。
ほかほかの白米の上に、甘辛く煮込んだ薄切りの猪肉と玉ねぎ。その中央には、とろりと半熟の温泉卵が鎮座している。
そう、男飯の王道『豚(猪)丼・温玉のせ』である!
「これは……?」
「猪丼です。まずは卵を崩さずに、お肉とご飯だけで食べてみてください」
フレデリックは疑わしそうにスプーンを手に取り、肉と飯を口に運んだ。
「……ッ!?」
カッ! と彼の目が開かれた。
「美味い……! なんだこのタレは!? 肉の脂の甘みを極限まで引き立てている! それに、この白い穀物……噛めば噛むほど甘みが出る!」
「ふふ、次は卵を割って、お肉に絡めてどうぞ」
言われるがまま、彼はスプーンで温玉を突いた。
とろ〜り。
黄金色の黄身が溢れ出し、茶色いお肉と絡み合う。そのビジュアルだけで、暴力的なまでの食欲をそそる。
「むぐっ……! う、うおおおお……ッ!!」
近衛騎士団長が、声を上げて震えた。
「まろやかだ……! 尖っていたタレの味が、卵によって優しく包み込まれた! これは……戦場における盾! いや、癒やしの魔法そのものだ!」
彼は猛然とかきこみ始めた。
ガツガツガツッ! と豪快な音が響く。クールな騎士の仮面は、完全に剥がれ落ちていた。
「ぷはぁっ!」
あっという間に完食し、彼は恍惚の表情で天井を仰いだ。
「……殿下」
「なんだ」
「帰りたくありません」
「だろうな」
アレクセイがニヤリと笑った。
「私も、ここに駐屯してよろしいでしょうか。警備でも雑用でも何でも致します」
「おいおい、近衛騎士団長がそれでいいのか? ……まあ、マリエルが良いなら俺は構わんが」
二人の視線が私に向く。
正直、アレクセイさん一人でも食べる量はすごいのに、もう一人増えるのか。食費が心配だ。
でも……。
「警備をしてくれるなら助かります! 最近、ドワーフさんやエルフさんが頻繁に来るようになって、お茶出しが大変だったんです」
「ドワーフにエルフだと……? この魔境で、異種族と同盟を結んでいるというのか……」
フレデリックは再び戦慄し、そして私の前に膝をついた。
「マリエル殿。貴女は一体、何者なのですか。魔女か、女神か……」
「ただのDIY好きですよ」
「ディーアイワイ……。それが帝国の古代語で『国を統べる者』という意味なのかもしれませんな」
盛大な勘違いをされつつ、こうして我が家に新しい同居人が増えた。
黒騎士フレデリック。
彼はその日以来、アレクセイと共に薪を割り、魔物を狩り、そして毎晩の食事に涙を流して感動する「忠実な下僕(その2)」となったのだった。
帝国の王城で、帰ってこない弟(アレクセイ)と騎士団長を待ちわびる国王陛下が、胃に穴を空けそうになっていることなど知らずに。




