第十七話 「エディムの暗躍(後編)」
ガウ・ヴァスコ。駒は見つかった。
問題は、そのガウの居場所だ。軍を追放されてから行方をくらましている。
副長のダルフを執務室に呼んだ。
「ダルフ、ガウ・ヴァスコの現在の居場所を調べてくれ。至急だ」
「ガウ・ヴァスコ……先日ミレス大将に追放された獣人ですね。承知いたしました」
ダルフの表情に疑問が浮かんだが、詳細を説明するつもりはない。
「休暇中の私的な用事だ。詮索は無用」
「失礼いたしました」
ダルフは一礼して去っていく。有能な男だ。余計な質問をせず、迅速に行動する。だからこそ副長に抜擢した。
二時間後、ダルフが戻ってきた。
「エディム様、ガウ・ヴァスコの居場所が判明いたしました」
「どこだ?」
「下町の『赤き狼』亭という酒場におります。毎晩酒を飲んでは、ミレス大将とシロ准尉への恨み言を繰り返しているそうです」
完璧だ。これ以上ない状況ではないか。
「よくやった、ダルフ。ご苦労だった」
「ありがとうございます。他に何かございましたら」
「いや、十分だ。下がってよい」
ダルフが去った後、『赤き狼』亭への道筋を考えた。下町の酒場なら、あまり目立たずに接触できるだろう。
日が暮れる頃、『赤き狼』亭に向かった。下町の裏路地にある古びた酒場だ。軋む扉を押し開け、薄暗い店内に足を踏み入れると、片隅でガウが一人、酒瓶を抱えて座っているのが見えた。ダルフの情報通りだ。
テーブルの上には既に空になった酒瓶が三本転がっている。ガウは四本目の瓶の栓を乱暴に抜き、瓶口を直接口につけて一気に半分ほど飲み干した。
「クソが……人族の女風情が……」
ガウの拳がわなわなと震えている。テーブルをドンと叩くと、空の瓶がガチャンと音を立てて転がった。
「俺が何をしたっていうんだ!」
酒場の他の客が振り返るが、ガウの殺気立った表情を見て、慌てて目を逸らす。
「店主! もう一本だ!」
「あの、お客さん……代金の方は……」
「うるせぇ! 後で払うって言ってるだろうが!」
テーブルを蹴り上げる。店主は慌てて新しい酒瓶を持ってきた。
完璧な状態だ。これなら話に乗ってくるだろう。
ガウのテーブルに歩み寄った。
「イラついているわね」
「なんだ、てめぇ、殺されてぇか!」
振り返りざまに怒鳴るガウ。酒で回らない頭で、私を見上げる。
くっ、獣人如きが生意気な……殺してやろうか!
いやいや、耐えろ。ドリュアス様からの忖度だ。
懐から邪神軍大佐の証である金のバッジを取り出し、ガウの目の前にかざした。
「私は邪神軍大佐のエディムだ」
威厳を込めて名乗る。
ガウの目がバッジに向けられ、少し表情が変わった。警戒心が増したようだ。しかし、恐縮するというより、むしろ皮肉な笑いを浮かべる。
「ほう、大佐様ですか」
「そうだ」
「はっ、その大佐様がこんな負け犬に何のご用で? 俺はもうクビになった身ですぜ。軍の階級なんて関係ありません。次は命でもご所望ですか?」
開き直ったような態度だが、言葉遣いは少し丁寧になった。
「慌てなさんな。お前にもメリットのある話さ」
椅子を引いて座る。ガウの向かいに陣取り、声を落とした。
「単刀直入に言おう。チビ獣人を始末したい」
「チビ獣人って……まさか、あのミソッカスのことですか?」
「そうだ。そのミソッカスのシロとかいう奴だ」
「面白れぇ。どうして大佐様が直々にあんな弱虫のミソッカスを?」
ガウが身を乗り出してくる。酒の臭いが鼻につくが、こいつの関心を引いたのは確かだ。
「詳細は言えんが、上の意向だ。あいつは邪魔な存在になった」
「へっ、上から睨まれたのか。分不相応に出世するからだ。ざまあみろ!」
ガウはひとしきり笑った後、
「いいですぜ。あの生意気なミソッカスは八つ裂きにしても飽き足りない。ただね、条件があります」
「条件? 欲張りすぎると身を滅ぼすぞ」
「別に報酬を要求してるわけじゃありません。あのミレスとかいう大将様をどうにかしてください。ミソッカスに手を出すと、あの女が出てくる。悔しいが、あいつにはかなわない」
「問題なし。あいつは贔屓されているだけで、実際はたいしたことはない」
「贔屓? いやいや、あの女の腕は確かですぜ。実際に戦った俺が知っている。なんとかしてくれないんじゃ断りますぜ。命あっての物種なんで」
「臆病者め。ミレスなら私に任せておけ」
「大佐様が、あの女の相手を?」
「あの女はおべっかで出世しただけだ。私の方が強い。戦績も私が上回っている」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ」
上回っていたのは、吸血鬼化前の魔法学園中等部時代の武道の成績だが、こいつにそこまで話す義理はない。
「嘘くせぇ。そんな荷物を背負い込んだ人族の小娘が、あの化け物女を相手にできるものか」
ガウが私の後ろを指差す。
確かに、相当な荷物を抱えていた。
両手には大きな紙袋が三つずつ、計六袋。肩からはバッグが二つ、背中にはリュックサック。総重量は優に三十キロを超えているだろう。普通の人間なら動くのも困難だが、吸血鬼の私には然程の負担ではない。
「別に少しぐらい買い物したっていいだろ」
「少しって……その量」
ガウが呆れたような顔をする。
「うるせぇわ。こちとら二十四時間三百六十五日フルで働いて、やっと休暇が取れたんだ。任務の前に少しぐらい羽目を外してもいいだろうが!」
本当にそうなのだ。三百六十五日休みなし、業務の三分の一はバカティッシオの尻拭い。今回の買い物は三か月分の給料を一気に使った。
荷物を一度地面に置く。ずらりと並んだ袋の山を見て、自分でも少々やり過ぎたかもしれないと思う。だが、これだけ働いているのだから、これくらいの贅沢は許されるはずだ。
「念のため聞いておきますが、本当にあの女と戦えるんですね?」
ガウがしつこく確認してくる。よほどミレスの強さが印象に残っているようだ。
「戦える」
「本当ですか?」
「しつこいぞ。少しばかり強い女に何をびびっている」
「少し? 冗談じゃねぇ。あの女はな、俺の攻撃を指一本で止めたんだ。それも、あのミソッカスを庇いながらだぞ」
「それくらいなんだ。獣人の雑魚相手なら自慢にもならん話だ」
「……雑魚だと?」
「あぁ、雑魚なら雑魚らしく実力者には疑いなく従え」
「そうか、そうですか、大佐様はそんなに強ぇのか。ならばその実力試してもいいですか?」
「いいだろう、かかってこい。そうだ、私も指一本で相手してやるぞ」
そういって、テーブルを避けながら酒場の中央へ移動する。他の客が慌てて壁際に退いた。
静寂の中、指を一本立てる。
ガウも移動するが、こちらを値踏みするように慎重な動きだ。
「さっさと来い。なんだ、怖いのか? 安心しろ、命は取らん。反撃もしない」
ガウは腰につけた小袋から何かを取り出して口に含む。親指ほどの大きさの、乾燥した黒い木の実のようなものだった。
ガウがそれを噛み砕くと、瞳孔が急激に収縮し、血管が浮き上がって見える。呼吸が荒くなり、全身の筋肉が小刻みに震え始めた。
「これは副作用があるが、とっておきのシンセイジュの薬だ。痛みを感じなくなり、力が倍増する」
ガウの声が掠れ、興奮で震えている。
「副作用で寿命が縮む。一粒で一年は縮むと言われているが、今はそんなことどうでもいい。これ以上、人族の女如きに舐められてたまるか! 食い殺す気でいくぜぇ!」
薬の効果で筋肉が膨張しているのがわかる。
これは予想外に……。
「お、おい、待て」
「うるせぇ、吐いた唾は飲み込めねぇぞ」
くそ、何マジになってんだ。
この勢い……指一本だとせっかく今日ネイルした爪が傷つくかも……。
つい指の本数を増やそうとするが――
「おい、指一本って言ったろうが。何をこそっと二本にしようとしてやがる! びびったか!」
「はぁ? 獣人如きがなめんな。ちょっと指ぷらぷらしてただけだ。ミレスが指一本? どうせ人差し指だろ? 私は小指一本であしらってやるよ」
「上等だ!」
ガウが勢いよく突進してくる。床板が軋む。拳には獣人特有の鋭い爪が光り襲ってくるが、
小指一本で受け止めてやった。
ガツン、と鈍い音が響く。周囲の客が息を呑んだ。
「いっ!」
思わず声が出た。
痛い。予想以上に痛かった。
タンスに小指をぶつけた時のような、あの嫌な痛みが走る。
「はは、なんて強さだ。俺のとっておきが通じないとは」
ガウは突進を止められたことに驚いているが、そんなことはどうでもいい。
今日有休を取ってネイルした爪が剝がれているのだ。深紅のラメ入り、三か月待ちの人気デザイン。お気に入りだったのに……。
「この野郎痛ぇじゃねぇか!」
「ぐはっ!? は、反撃しないんじゃ……」
「うるさい! 死ねぇ!」
思わず蹴ってしまった。怒りで頭に血が上る。
獣人風情が私の皮膚を傷つけるとは!
殺してやる。
何発かガウをタコ殴りにした。ガウは床に崩れ落ち、呻いている。そこで気づく。
いや冷静になれ、エディム。
ドリュアス様からの忖度を思い出す。チビ獣人を始末するための重要な任務だ。ガウは必要な駒なのだ。
深呼吸する。感情を抑える。
任務を優先しなければ。
「私の実力わかったか?」
何とか冷静を装う。
「はぁ、はぁ、ま、参りました。大佐様も確かに、あの女と同じ化物ですぜ」
「同じではない。私の方が上だ」
「そうですか、なら頼りにしてますぜ」
ガウを立たせ、元のテーブルに戻る。
「よし。それでは具体的な計画を詰めよう」
「大佐様がバックについてくれるのなら安心だ。やっと、あのミソッカスに報復できる。任せてください。すぐにぶっ殺――痛っ!」
ガウの額を指で軽く弾いた。
「馬鹿か、軍団員同士の死闘はご法度だ。死にたいのか?」
「俺は軍団員じゃありません。クビになった。ジャシン法とは関係ないですぜ」
「そうだったな。それならば邪神軍の軍団員を殺めた罪で貴様を処刑しよう」
「ふ、ふざけんな。今回の件は大佐様の命令ですぜ。俺を捕まえに来たら絶対にチクりますから」
「私の命令? お前こそふざけんな! 私を巻き込んだら殺す」
「いやいや命令じゃないって、じゃあ俺はどうすればいいんですか!」
ガウが困惑している。その姿が滑稽だ。
ふっ、ドリュアス様の気持ちがわかるな。これは愉快だ。
「ところでお前、忖度。素晴らしい言葉だと思わないか」
突然の話題転換に、ガウは目をぱちくりとさせた。
「忖度? なんですか、それは?」
「ふっ、そうだった。無知な獣人に高尚な言葉は理解できなかったな」
鼻で笑いながら、酒杯を口に運ぶ。
「へっ、無学な俺でも、今、馬鹿にされているのはわかりますぜ」
ガウが不機嫌そうに唇を尖らせる。
「くっく、そう怒るな。説明してやる」
酒杯をテーブルに置くと、身を乗り出した。
「まずお前は適当な理由をつけて、近隣の獣人たちをチビ獣人の里に大勢集めろ」
「それで?」
ガウの表情が真剣になる。耳がぴんと立ち、私の言葉を聞き逃すまいと集中していた。
「そこにチビ獣人を連れて行く。後は……まあ、偶発的な事故が起きるかもしれん。なにせチビ獣人はずいぶん他の獣人どもに嫌われているからな」
意味深に微笑む。
「なるほど、つまり獣人同士の内輪揉めで死んだことにするってわけですか。で、俺たちは何も知らない、と」
「その通りだ。邪神軍の関与は一切ない。ただの不幸な事故だ」
「作戦はわかりました。でも、その役目をなんで俺に任せるんですか? 他の獣人でもできますぜ」
「お前があいつを一番憎んでいるからだ。それに、各里への人脈もある。一石二鳥だろう」
「ミソッカスを憎んでいるのは他の獣人でも一緒です。まぁ、俺が一番憎んでますが……それに外部の獣人を集めるまでもありませんぜ。ミソッカスぐらい里の獣人たちだけで殺せます」
「里の獣人だけではうち漏らすかもしれんだろう。外部の獣人も必要だ」
「あの弱虫のミソッカス相手にそこまでする必要はないと思いますがねぇ……まぁ、いいです。俺は腕だけでなく、立ち回りも得意なんですよ。俺の人脈をお見せします。任せてください」
「とにかく祭でも慰霊でも、名目は何でも構わん。獣人どもを軒並み集めておけ」
「伝手はありますが、言葉だけでは奴ら動きませんぜ。わかりますよね?」
「使え」
腰に下げていた革袋から、三つの小さな袋を取り出した。
一つ目の袋をガウの前のテーブルに置くと、中の硬貨がチャリンと金属音を立てた。続けて二つ目、三つ目と並べていく。
袋の中身は白金貨だ。一枚で平民が一年暮らせる。
「うほぉ! これは……白金貨じゃないですか! こんな大金、見たことねぇ!」
ガウの目が皿のようになる。酒で霞んでいた目が一瞬で覚め、貪欲な光を宿した。
「足りないか?」
「こ、これだけあれば十分ですぜ。外国へ遠征中の部隊でさえ慌てて帰ってきますよ。二つでも十分だが……いや、ありがたく三つとも頂戴いたします」
ガウは慌てて言い直したが、聞き逃さなかった。二つで十分だと?
唇の端がゆっくりと上がる。
無遠慮に手を出した。ガウの目の前で、三つの袋の中から一つを掴む。
「二つで足りるなら、一つ返せ」
「はあ? 全部くれるんじゃないんですか?」
「いいから、よこせ。予算は有限なんだぞ。恨みを晴らせればいいんだろう? 欲張るな」
「や、やろう」
「文句あるのか。別にお前でなくてもいいんだ。チビ獣人に不満を持っている獣人はいくらでもいる」
「い、いえ、文句はありません」
ガウの声は小さくなり、肩を落とす。
ガウから一つ袋を取り上げる。ずっしりとした重みを確かめるように手の中で転がした。
「せこい、こいつ器ちっちぇぇ。死んじまえ」
ガウがぽそりと悪態をついた。声は小さかったが、私の耳は逃さなかった。
立ち上がると、ガウの首筋を軽く指で締めた。
「ぐっ……」
ガウが苦しそうに呻く。
「次からは心の声も気をつけることだな」
冷たく言い放つと、手を離した。ガウは咳き込みながら首をさすっている。
ふっと笑みがこぼれる。席を立ち、荷物を置きに自分の部屋へと戻った。




