第十五話 「天才料理人シロ 料理人ティレアと会う」
あれから一週間がたった。
ミレスさんとの会合後、何回かティレアと二人きりで話をした。権力者と友人になるなんて馬鹿げている。なれるはずがない。
それでも続けているのは、恩人のミレスさんの頼みだからだ。
ただ、観察した結果、一点わかったことがある。ティレアに本音を言ったところで怒りはしない。いきなり粛清はしないだろうということだ。
不幸中の幸いである。
ティレアに権力者特有の傲慢さがない。むしろ、妹のカミーラのほうがよほど権力者として君臨している。
一度見たけど、怖かった。殺気を隠そうともしない。深紅の瞳が獲物を見つめる肉食獣のようで、立っているだけで周囲の空気が張り詰める。他の兵士たちも彼女の前では息を殺し、視線すら合わせようとしない。
あのカミーラが相手だったら絶対に断っていた。少しでもため口を聞こうものなら、秒でミンチにされただろう。
カミーラよりは与しやすいと言える。カミーラは強者だ。
では、ティレアは?
ここはすぐに確認したかった。僕は弱い。強者の一発のパンチで死ぬ。オルティッシオと同等の強さを持とうものなら、死ななくても骨は確実に折れる。気安さの判別のためにもすぐに確認が必要だった。
それとなくティレアに聞いたことがある。
「大山を粉砕し、海を切り裂くその御力を拝見したい」って。ティレアは笑って「自分は強くない。周囲が持ち上げてくれるからそうなっている」と言っていた。
謙遜ではない。これは確かだろう。
ティレアはお調子者だ。それだけの力があれば、あの性格だ。絶対に自慢してくる。山を割ったその成果を、どやっと見せつけてくるに違いない。
では、なぜそんな力もないティレアが君臨していられるのか?
お飾りの君主だからである。人族ではよくあることらしい。強さではなく、生まれと身分で統治する。
獣人の世界は単純明快だ。強者が上に立つ。牙が鋭く、爪が強靭で、筋力に優れた者が族を導く資格を持つ。族長の座は実力で勝ち取るものであり、血筋など何の意味もない。弱ければ即座に挑戦され、負ければ地位を失う。
だが、人族は違うらしい。生まれた瞬間に地位が決まり、どれほど弱くとも、どれほど愚かでも、血筋さえ良ければ頂点に君臨できる。
昔、人族が攻めてきたことがある。族長を倒した近衛隊長がいたが、ふたを開けてみれば、ついてきた王女の地位が上だった。弱者が強者をあごで使う。獣人には理解できない風習だ。
結局、王女を人質に取り反乱は成功した。人族の愚かさとして、今でも語り草になっている。
生まれた身分で待遇が決まる。強さは必要ない。血筋だけでよい。
うらやましい。
そんな身分になりたかった。なんのしがらみもなく、好きなだけ料理ができたら、おばあちゃんと二人で、どんなに幸せだっただろうか。
ティレアは、僕を攻撃するわけでも避けるわけでもない。
……僕はあなたを妬んでいるのに。
地位も違う。吹けば飛ぶような僕とは立場がまるで違う。僕の存在なんて気にしない。僕の負の感情なんてお構いなしだ。対等の友人みたいに接してくる。
馬鹿みたい。
僕の気持ちも知らないのに。心の中で、こんな酷いこと思っているなんて思いもしない。
「シロ、これなんだけどね」
ティレアが屈託のない笑顔を浮かべながら、まな板の上で玉ねぎを乱雑に刻んでいる。包丁の刃がまな板を叩く音が不規則に響く。切り口から辛味成分が立ち上って、僕の目にツンとした刺激が走った。
「あぁ、もうそれ入れちゃだめって言ったでしょ!」
まったく変な人だ。嫉妬している自分が馬鹿みたいに思えてくる。
「シロ、次はどうするの?」
「は、はい、次は野菜を炒めて香りを立たせます」
実はまた地位が上がった。曹長から准尉に上がったのだ。そんなポンポン地位を上げていいのかと思う。
ティレアの鶴の一声で決まった。ティレアを指導するのに、上質なバターや新鮮な香草など、いくつか食材が必要だった。買い出しの申請を出していたのだが、手続きが煩雑で時間がかかりそうだった。
ティレアが待てない。「それなら地位を上げればいいじゃない」と、軽い調子で言ったのだ。
お飾りとはいえ、さすがに最高位だ。現場は混乱していると思うよ。
また、間違えた。
「あ、それはだめですよ。もっと弱火で」
指摘を入れるたびに冷や汗が出てくる。他の軍団員達にばれていないか。本当は「さすがティレア様」って言いたいのに。それが一番楽だ。
まぁ、約束だ。ミレスさんがセッティングしたこのティレアとの会合の間だけは、命の危険を顧みず、本音で接すると決めたのだ。
「いやぁ、へこんじゃうね。だめだしばっかりで。私もいっぱしのプロだと思ったのに、ニセモノって言われた気分よ」
ティレアの肩が小さく落ちる。
少し指摘しすぎたか。
「申し訳ございません」
「いや、いいのよ、いいのよ。伸びてた天狗の鼻がぽっきりと折れた。でも、悪い事じゃない、それでも成長している」
「何度も間違えるし、本当に成長してるんですか?」
「うぐっ、今のはけっこう来たわよ。手加減、手加減ね」
「はい、じゃあ手加減しますね」
「うっ、それもなんか嫌だな。やっぱり、とことん言って。心折れてたまるかぁ。さぁ、シロ、辛口でお願い」
いいのだろうか、けっこう辛辣に言っちゃった。できれば、僕も料理に妥協はしたくない。とことん指摘する。
「だから、まだ早すぎるって、へたくそ!」
鍋の中では野菜に少し硬さが残っている。箸で突いてもコリコリと芯が残る音がした。本来ならもっと濃厚な甘い香りを放つはずの玉ねぎは、まだ辛みが残っている。火加減の調整が必要なのは明らかだった。
「へたくそ!? 初めて言われた。父さんにも叩かれて──じゃなく言われたことないのに。ふ~ふ~、いや、でもいい。正しいから。ふふ、私の腕は上がっている。ははは、涙が出ちゃう」
……調子に乗りすぎたかな。
辛口批評は、ティレアから少しでも不機嫌オーラが出たらやめるつもりだったのに。この人全然くじけない。言動はおバカだが、なかなかにタフだ。
「はぁ~少し休憩しましょう」
「いや、いい。まだやれるから」
「僕が疲れたんです」
「おぉ、そりゃ悪かったわ。そりゃそうだ。じゃあ休憩がてらお茶でも一緒に飲もう。用意するから待ってて」
そういうとティレアはお茶の準備にパタパタと駆け足で茶棚に向かった。僕は調理台から離れ、窓際の椅子に腰を下ろす。
ふふ、あんなに慌ててまったくバカなんだから。
あれ、僕今、笑った? ひょっとして僕、楽しんでる?
そういえば、こうやって裏表なく言い合えたことって今まであったかな。
そして、ティレアと一緒に、温かい緑茶を一口飲んだ。ほのかな苦味が口の中に広がって、疲れた体にじんわりと染み渡る。
午後の静寂が、二人を包んでいた。
しばらくの間、お互い無言でお茶を飲んでいる。ティレアがときどき小さくため息をついたり、湯呑みを両手で包むようにして温まったりしている。
「ねぇ、シロって料理をどこで覚えたの?」
突然の質問に、湯呑みを口元で止めた。振り向くと、ティレアがこちらを見つめていた。その瞳には、純粋な興味が宿っている。
「おばあちゃんからです」
湯呑みを膝の上に置いて答える。緑茶の温かさが手のひらに伝わってきて、なぜか心も少し温かくなった気がした。
「へぇ、おばあちゃんがお料理上手だったのね。私も父さんから料理を習ったんだよ。家族っていいよね。シロのおばあちゃんか、どんな人だろう? 今度、紹介してよ」
ティレアの声が弾んでいる。きっと会えるものだと思っているのだろう。その無邪気さが、胸の奥を小さく締め付けた。
「無理です。もう亡くなりましたから」
事実を淡々と告げる。湯呑みの中の茶葉が、ゆらゆらと揺れているのが見えた。
「そ、そうだったの……ごめん」
ティレアの声が急に小さくなる。横目で見ると、彼女は湯呑みを握りしめて、俯いていた。
「別にいいです。知らなかったのでしょう? ティレア様に謝ってもらうことでもありませんよ」
そう言いながら、また湯呑みに口をつける。お茶の味が、さっきより少しだけ苦く感じられた。
あぁ、もうそんな顔をしないでよ。調子が狂う。
それからも……ミレスさんがとことんティレアと二人きりの状況を作る。
本当は、数回だけのつもりだった。これで最後と決心しても、ティレアが望むから終われない。こっちは殺されるかもしれないと身構えているのに、そんな事情お構いなしに、ぐいぐい来る。
本当に、本当にバカだ。
ティレアは物事を楽観視している。あなたは皇帝なんだよ。謀反されるかもしれないんだよ。妹から下剋上されるかもしれない。人族のうわさはいくらでも聞いている。
王族兄弟間での王権の奪い合い。
なのに、なぜそんなに無邪気に楽しく生きられるのだろう。なぜそんなに優しく……あぁ、もう気が抜けるよ。
なにか身体がだるい。少しだけ横になろう。
部屋の隅にあるソファに身を沈めた。柔らかいクッションが、疲れた体を受け止めてくれる。
いつのまにか寝ていたらしい。タオルがかけてあった。
「起きたのね。よかった」
ぼんやりと目を開けると、ティレアがソファの傍らに立っていた。窓の外はもう薄暗い。
あ、ティレアがかけてくれたのかな。
ミレスさんのように賢いわけでもない。強くもない。別に尊敬しているわけでもない。でも、これは恩だ。恩を受けたからには、返さないと。
ティレアが僕を友人として欲している。これではいけないと思いつつも、友達ごっこを続けてしまう。
「ごめんね」
「え?」
「いや、いろいろ大変だったのに、料理を教えてってせがんじゃって、疲れちゃったでしょ」
「別に構いません。僕も楽しかったし、ティレア様が慌てているのをみるのも愉快でした」
「あはは、言うねぇ。見てなさい。次こそ私の成長ぶりを見せてやるんだから」
「あ、それじゃあ自分の部屋に帰りますね」
「あ、待って。もう少しゆっくりしてて。知らない土地で辛いこともあったのに、ごめんね」
「別に、大丈夫だって」
ぐーっとお腹が鳴った。そういえば、朝から何も食べてなかった。
「ふふ、体は正直ね。スープ作ったから、飲んで」
ティレアが差し出す器からは、湯気が立ち上り、野菜の優しい香りがふわりと鼻腔をくすぐる。中身は琥珀色に澄んでいる。表面には細かな油の粒が浮かび、丁寧にアクを取った跡がうかがえた。
「へたっぴなスープ飲んでも」
「いったわね。自信作だから」
ソファに座ったまま、ティレアから器を受け取る。両手で包むと、じんわりと温かい。
だいぶ仮面を外してティレアに接しすぎた。このままティレアの好意に甘えてよいのか?
これ以上はだめだ。もう友情ごっこは終わりにしよう。僕は死ぬわけにはいかない。
スープを飲んで褒めて、いつものように感情に蓋をするんだ。
スプーンで一口すすると、確かに物足りなさを感じる。舌の奥に残る平坦な味わい。器の底に沈んだ人参は、本来の鮮やかなオレンジ色を失い、茶色がかっている。
「塩が足りない。人参が変色している」
あれ? どうして?
勝手に口から言葉が出た。
どうして本音が?
だめだ。感情を表に出すな。心に蓋をしろ。
「うっ、手厳しい。自信あったんだけどな」
「切り方も甘いです。切断面が広すぎ、味が染み込んで風味がなくなっちゃう」
「おぉ、そうか。その手があったね。少し角度を変えて切ってみよう」
違う。そうじゃない。本音なんて言うんじゃない! こんな関係おかしい。お世辞だ。言うんだ!
「蒸し方も雑。下味がつかない」
「そっか、そっちも考慮しないとね」
ティレアはふむふむとうなずいている。
「よし、それじゃあ作り直すから器を返して」
ティレアが僕からスープを取ろうとする。
「あ、だめ」
「いやいや、リベンジさせてよ」
「取らないでください。ぼ、ぼくのだ。これを僕の、ぼくだけの……」
慌てて器をひったくるように戻す。
「えっ、えっ、ちょっとムキにならないで。時間はかからないから」
「だめだって!」
取られないように器を抱え込む。ティレアが目を丸くしてこちらを見ている。構わない。食べながら批評する。
器を両手で包み込み、ゆっくりとスープを口に含む。
下手だ。まだまだ荒い。僕が作るスープのほうがだんぜん上手だ。
素材の選択も、味付けの分量も、野菜の切り方も、茹で方も、何もかも未熟で僕が上なのに。
どうして……どうしてこんなにも美味しいんだ!!
スプーンを持つ手が、小さく震えた。
スプーンですくうと、やわらかく煮込まれたにんじんと玉ねぎが、ほろりと崩れた。塩気は控えめで、ほんのり甘くて、やさしい味がする。喉を通るたびに、胸の奥が少しずつ温まっていく。
なんだろう、この感覚は。
食べているうちに、体よりも先に心の緊張がゆるんでいく。目の奥が、じんと熱くなった。
あぁ、思い出した。
懐かしいおばあちゃんの言葉、僕がまだ小さかったころの大切な思い出。
おばあちゃんの誕生日。精一杯料理をつくった。
よい食材が手に入らなかった。ガウ達にいじめられて、せっかく集めた野菜を踏み潰された。殴られた。蹴られた。いろいろ原因はあったけれど、何より僕の腕が未熟だったせいだ。
出来損ないのスープ。えぐみに渋み、おばあちゃんの料理と比べると、あまりにお粗末だった。
食べなくてもわかった。これは美味しくない。あんなに教えてくれたのに、失敗した。みじめな自分が恥ずかしくなった。
そうだ。それで子供のようにわめいて、八つ当たりをしたんだ。「返して、これは失敗作だから食べないで」って。
「だめよ、返さない。これは可愛い孫からもらった大切な料理、もうおばあちゃんのものよ」
「こんな失敗作、まずいよ。お願いだから返してよ」
「いやよ、こんなにおいしいんだもの」
おばあちゃんは嬉しそうに食べてくれた。一滴も残さずに。
そんなことはない。あれはまだまだ食べられるものじゃなかった。その時は、失敗した僕を気遣った、おばあちゃんのやさしさだと思っていた。
でも、違う、違った。あぁ、そうか、そうだったんだ。
僕は料理が得意だ。これしかない。口にすれば、料理の組み立てから構成全てを理解できる。このスープを作った料理人の心がわかってしまう。
消化を助けてくれる香草が入れてある。おなかにやさしい。僕が冷えないようにだ。彩り豊かな野菜が入れてある。僕があたたまるようにしてある。
あれもこれも、丁寧に処理が施されてある。下ごしらえから、段取り、味つけ、触感から、すべてにわたって配慮されている。
様々な素材が、工程が、僕を心配して、温めてくれる。
料理はうそをつかない。料理はおばあちゃんから教わった僕の自信の根源だ。
だからこれは誰かのために作られた料理。僕だけの、僕だけに用意された、僕を思って作られた料理だ。
懐かしい。おばあちゃんがいつも僕に作ってくれた料理だ。もう二度と味わえないと思っていた。
同じだ。同じ味がする。
スープを飲むたびに、心に染みわたってくる。感動で心が満腹になっていく。
「へたっぴ、塩加減また間違えている」
「うぐっ、そういっても難しいんだよ。でも、私はプロの料理人、ちょっとリベンジさせて。返してよ」
「だめです。僕がもらったんだもの、もう僕のものだ。返しません」
言ってから、気づいた。
ふふ、おばあちゃんと同じセリフだ。あの時のおばあちゃんの気持ちが、今ならわかる気がする。
心に蓋をしたのなら味わえなかった。これは僕が友人だから。友人を心配してくれる料理だ。
友人をやめる?
できない。もう知ってしまった。
いつ殺されるとか、いつ機嫌を損ねるとか、そんなことはもうどうでもいいや。こんな美味しい料理を作ってくれるティレアさんにもう抗えない。たとえ死んだとしても仕方がない。
僕は料理人だから、料理に嘘をつくことは絶対にできない。
現実問題、この関係が続くことはないだろう。でも続けていきたい。愉快で笑い出したくなるようでいて、変に寂しい気持ち。
僕とティレアさんの不思議な友情は、こうして始まったのだった。




