第七話 「天才料理人シロ 地下帝国に到着する」
僕の名前はシロ。ベジタ村で生まれ育った、狼族の少年だ。
村では長年【見習い戦士】で村一番のミソッカスである。そんな僕が、なぜか狼族の第二十四代【族長】に就任してしまった。
全ての戦士が憤慨している。特に【副族長】のガウの怒りは尋常ではなかった。ガウは次期族長の最有力候補だったのに、トンビに油揚げを取られた形だ。彼の鋭い黄金の瞳が僕を射抜くたび、背筋が凍りつく思いがする。
ガウの殺意。実際にガウは行動に出た。
月明かりもない暗闇の中、僕は藁の寝床で浅い眠りについていた。
ギィ、と蝶番が軋む音で目が覚めた。
誰かいる。闇の中に、獣の息遣いが聞こえる。
「貴様のような腰抜けが族長だと? 笑わせるな」
低くうなるような声。ガウだ。
目が闇に慣れると、巨大な影が寝床の傍らに立っているのが見えた。月明かりすらない漆黒の中で、黄金の瞳だけがぎらりと光っている。
身体が動かない。声も出ない。
ガウの拳が僕の喉元に向けられた。その瞬間、心臓が凍りついたように止まった。
死ぬ。
そう確信した時、小屋の扉が音もなく開いた。
「ガウよ、何をしている」
現れたのはギルさんだった。ジャシン軍の軍服に身を包んだ彼の存在感は圧倒的で、ガウでさえその場で動きを止めた。
「ギル様……これは」
「シロに手を出すことは許さん。邪神軍の決定に異を唱えるつもりか?」
ギルさんの冷たい声音に、ガウは歯ぎしりしながらも拳を引いた。それでも彼の目には、まだ燃えるような怒りが宿っていた。
ギルさんがいなかったら、間違いなく僕は殺されていただろう。でも、これからもギルさんがずっと護ってくれるわけではない。
次に一人になったとき、今度こそ……。
はぁ……深いため息が出てしまう。
族長なんて、もうやめたい。やめられるなら今すぐにでもやめたい。
腕にはめてある【族長】の腕輪を見下ろす。赤黒い金属でできたその腕輪は、まるで血を吸ったかのように不気味に光っていた。表面には古代文字で歴代族長の名前が刻まれており、触れると微かに温かみを感じる。
そんな由緒ある逸品に対し、僕の細い腕はあまりに不釣り合いだ。まるで子供が大人の服を着ているような違和感がある。
そもそも狼族の【族長】は、絶えず戦場に出て武勇を示し続けなければならない。それが戦闘民族としての矜持であり、族長の責務なのだ。
肩書きだけとはいえ、僕は【族長】なのだ。少なくとも一度は戦地に出て、敵を倒す必要があるだろう。でも……刀を持って人を斬りつける。考えただけで、全身に悪寒が走る。
だめだ、もう考えたくない。
はぁ……もう一度、深いため息が出てしまった。
それは昨夜の出来事だ。
今、僕は王都へ向かう馬車に揺られている。
朝から乗り続けた馬車の座席は硬く、揺れるたびに腰が痛んだ。窓の外では、いつの間にか畑が途切れ、石造りの建物がちらほら見え始めている。
「シロ、どうした? 顔色が優れないが」
「あ、ギル様……」
馬車の向かい側に座るギルさんは、いつものように冷静な表情を浮かべている。黒い軍服に身を包んだ彼の存在感は、狭い馬車の中でもひときわ際立っていた。
「そろそろ王都に着く。何か悩みがあるなら今のうちに話せ」
「い、いえ、悩みなんて……」
「遠慮はいらない。お前の表情を見れば、一目瞭然だ」
「で、でも……そんな」
ギルさんは気さくに言ってくれるが、こんな悩みを話して大丈夫だろうか?
族長就任はジャシン軍の決定だ。それに異議を唱えるような発言をしたら、不敬罪で処刑されてしまうかもしれない。
「お前には、この後大仕事が待っている。少しでも懸念事項があるなら言え。力になってやる」
「……わかりました」
そうだ。不安を抱えたまま仕事に臨んだら、きっとティレアに見抜かれてしまう。そうなったら族長云々以前に、その場で首を刎ねられるかもしれない。
ギルさんはジャシン軍の中でも信頼できる人だ。いきなり殴りかかってくるような野蛮な人ではないし、何より頼りになる。昨夜だって、僕を救ってくれたのはギルさんなのだから。
「ギル様、実は……」
意を決して、僕は族長としての職務に対する不安を打ち明けた。戦場に出ることへの恐怖、村人たちからの反発、そして自分の実力不足。心の奥に溜まっていた全ての不安を、言葉にして吐き出した。
ギルさんは腕を組み、最後まで黙って僕の話を聞いてくれた。
そして僕が話し終わると、ふ〜っと大きくため息をついた。少しあきれたような表情を浮かべている。
「シロ、まだわかっていないようだな」
「と、言いますと?」
「族長の仕事など、お前には不要だ。お前はあくまで料理人。料理のことだけを考えていればよい」
「はい、それは承知しております。ただ、肩書きだけとはいえ僕は狼族の【族長】です。一度くらいは戦場に出ないと、村の皆が納得しません。ただでさえ暴動が起きる寸前なのに……」
「お前が村の統治について気に病む必要はない」
「そうなのですか? でも、一度も戦場に出ない【族長】なんて前代未聞です。狼族の誇りが……」
「シロ、もういい。その腕輪を貸せ」
突然、ギルさんが僕の腕輪を指差した。
「えっ!? この腕輪をですか?」
「そうだ。族長の証とやらの、その腕輪だ」
ギルさんは、僕が恐る恐る触っていた腕輪を貸してほしいと言う。本来、族長以外の者が触ってはいけない神聖な腕輪だ。
でも……僕にそんな度胸はない。戦闘民族としての誇りもなければ、先祖への畏敬の念も薄い。何より、ギルさんの命令を拒否するなんて、できるはずがない。
僕は震える手で腕輪を外し、恐る恐るギルさんに差し出した。
ギルさんは腕輪を受け取ると、立ち上がった。
そして腕を大きく振りかぶり……。
次の瞬間、赤黒い金属が弧を描いて宙を舞った。
窓枠をすり抜け、陽光の中へ消えていく。
馬車の車輪が石畳を踏む音だけが、やけに大きく響いた。
「え……えっと……」
腕輪があった場所を、右手で握りしめる。
何もない。温かみも、重さも、もう何も残っていない。
今、何が起こったのだろう?
狼族に代々伝わる神聖な腕輪を、ギルさんはまるでゴミを捨てるように簡単に投げ捨ててしまった。先代のベジタブル様がこの光景を見たら、きっと血の涙を流していただろう。
「これで族長にこだわる必要はなくなったな」
ギルさんの言葉に、ようやく状況を理解した。
そういうことか……。
初代から受け継がれてきた【族長】の腕輪を紛失してしまった。これほどの大失態は、どれだけの武功を重ねても償うことはできない。腕輪を失った時点で、僕はもはや族長ではなくなったのだ。
つまり、どんなに頑張って族長の真似事をしても、もう意味がない。腕輪を紛失した僕を、村の皆は問答無用で血祭りに上げるだろう。族長としての責務なんて、考えるだけ無駄になったわけだ。
「シロ、もう一度念を押す。しかと聞け」
「は、はい」
ギルさんの迫力に圧倒され、僕は背筋を伸ばした。
「お前が族長に就任した理由は、肩書きが必要だからだ。ティレア様の御前で『狼族の族長シロ』と口上を述べるため、それだけのものだ」
「はい」
「お前は邪神軍第二師団所属、台所組【軍曹】の立場にある。それを誇りに思え。チンケな村の長などにびくつく必要はない」
「はい……」
「ようやく吹っ切れたようだな」
ギルさんはそう言って、小さく笑みを浮かべた。普段の厳しい表情とは違う、どこか温かみのある笑顔だった。
「ありがとうございました。僕なんかのために、お手数をおかけしました」
「気にするな。お前には期待している」
「僕に……期待ですか?」
「あぁ、大いに頼りにしているぞ。第二師団の浮沈は、お前の腕にかかっている。存分にその才能を発揮してくれ」
「はいっ!」
ギルさんの言う通りだ。
僕が【族長】に就任した時点で、運命は決まっていたのだ。もう村には戻れない。戻った瞬間、問答無用で殺される。【見習い戦士】如きが【族長】となって戦士の誇りを汚したのだから、当然の報いだろう。
帰る場所がなくなった。それでも……これでよかったのかもしれない。
ベジタ村には碌な奴がいなかった。帰ったところで、馬鹿にされながら奴隷のように働かされるだけだ。ガウをはじめとする戦士たちは僕を見下し、子供たちは僕を笑い者にする。そんな村に、もう未練はない。
心機一転、王都で頑張ろう。
邪神軍にお仕えして、新しい人生を歩むのだ。
もちろん、王都でも村と同じように奴隷扱いされるかもしれない。いや、その可能性は十分にある。何せ苛烈で有名なジャシン軍の拠点なのだから、生半可な覚悟では生き残れないだろう。
でも、ギルさんの言葉に勇気づけられた。「期待している」「頼りにしている」と言われたのだ。そんな言葉を、村では絶対に聞くことができなかった。
その言葉をもらえただけでも、奴隷扱いされる価値がある。ジャシン軍で精一杯頑張ってみよう。誰かの期待に応えるということを、人生で初めてやってみたい。
僕は、これより邪神軍第二師団所属【軍曹】のシロだ。
おばあちゃん、見ていてね……。
心の中で、亡きおばあちゃんに語りかける。唯一の心残りは、もうおばあちゃんのお墓参りができなくなることだった。辛いとき、悲しいときは、いつもおばあちゃんのお墓の前で泣いていた。そこが僕の唯一の安らぎの場所だったのに……。
物悲しい気持ちが胸に広がる。
でも、大丈夫だ。
僕には、おばあちゃんが教えてくれた料理がある。料理を作るたび、おばあちゃんの優しい笑顔を思い出せばいい。きっとおばあちゃんも、僕の新しい門出を応援してくれているはずだ。
★☆
馬車が停止し、ついに王都に到着した。
太陽は中天を過ぎ、午後の日差しが街を照らしている。馬車の扉を開けると、人々の喧騒が一気に耳に飛び込んできた。
足を地面につけた瞬間、目の前の光景に圧倒された。
「すごい……」
人、人、人……どこを見ても人がいっぱいいる。ベジタ村の人口なんて百人程度だったのに、ここには何千、何万という人々が行き交っている。それに建物の数も桁違いだ。石造りの立派な建物が、まるで競い合うようにして空に向かって伸びている。
僕は生まれてから一度も村を出たことがなかった。だから見るもの聞くもの、すべてが新鮮で驚きの連続だった。
異国の商人が大きな声で商品を売り込んでいる。馬車や荷車が石畳の道を忙しく行き交っている。カランコロンと蹄の音が響き、車輪がきしむ音が街全体に木霊していた。
空気には様々な匂いが混じり合っている。焼き立てのパンの香ばしい香り、香辛料の刺激的な匂い、そして大勢の人々の生活の匂い。村の澄んだ空気とはまるで違う、濃密で雑多な匂いだった。
きょろきょろと辺りを見回しながら、僕はギルさんの後をついていく。
「シロ、今後王都に住む以上、街の様子を覚えておく必要がある。案内してやろう」
ギルさんは途中、王都の市場や鍛冶屋、商店街などを案内してくれた。どこも活気に満ち溢れていて、村の静かな生活とは正反対だった。
市場では見たこともない食材が山のように積まれていた。
銀色に光る大きな魚、殻の硬そうな蟹、触手をくねらせる蛸。三陸の海で獲れたという新鮮な海産物がずらりと並び、潮の香りが鼻をくすぐった。
野菜売り場には深紫の茄子や真っ赤な唐辛子、見たこともない果物が山積みになっている。香辛料の棚からは刺激的な香りが漂い、思わず鼻がむずむずした。
料理人の血が騒ぐ。これらの食材を使えば、どんな美味しい料理ができるだろうか。村では手に入らない高級食材を前に、心が躍った。
鍛冶屋では、真っ赤に燃える炉の前で職人が汗を流していた。
ゴォォォ、という炎の唸り声が店内に響いている。カンカンカンと規則正しく熱い鉄を叩く音。火花が飛び散り、鉄が赤から橙、そして白へと色を変えていく。職人の額には汗が滲み、腕の筋肉が鋼のように隆起していた。
完成した剣や斧、槍などの武器は、壁一面に整然と並べられている。その技術の高さは素人の僕でも分かるほどで、刃は鏡のように周囲の景色を映し出していた。
もちろん料理に使うフライパンや包丁なども売られている。
手に取った包丁は、村で使っていたものとは比べ物にならないほど軽い。刃を光に透かすと、薄く研ぎ澄まされた切っ先が青白く輝いた。指先で軽く触れただけで、その切れ味の良さが伝わってくる。
商店街では、色とりどりの布地や装身具、日用品などが所狭しと並べられている。
絹の布地は、光の角度によって七色に輝いていた。銀細工の装身具は、職人の手で一つ一つ丁寧に彫り込まれた紋様が美しい。中には魔法で作られたという不思議な道具もあり、触れると微かに温かみを帯びていた。
楽しい。本当に楽しい。
生まれて初めて見る街並みに、心が弾んだ。人々の営みや街の活気を肌で感じることができる。村では奴隷のように扱われ、料理を作ること以外に楽しみがなかった。でも今は違う。
これが観光というやつなのだろうか?
自然と尻尾がパタパタと揺れ動くのを感じる。狼族特有の感情表現だが、嬉しさを抑えることができなかった。
「ふっ、シロ、浮かれるのは分かるが、気を抜かれては困る」
「は、はい、申し訳ございません!」
ギルさんに窘められ、僕は慌てて姿勢を正した。
これから僕は、あの暴君オルティッシオでさえ畏怖するというティレアにお仕えしなければならないのだ。気を抜いて無礼を働けば、その場で首を刎ねられるだろう。
浮ついていた感情を静め、心に固く鍵をかける。村にいたときと同じだ。感情を殺し、相手の顔色を窺って生きていけば、なんとか生き延びることができる。
ギルさんに案内してもらい、王都の主要な建物や通りを一通り見学した後、最後に邪神軍の拠点へ向かうことになった。
ここが僕の新しい住処になる。毎日寝泊まりをして、料理を作るのが僕の仕事らしい。
僕の寝床はどんな感じなんだろう?
一応、僕は【軍曹】という階級らしい。そこそこ上の身分のようだし、少しは期待してもいいのだろうか? もしかすると、村では族長しか使えなかった羽毛布団で眠ることができるかもしれない。
いやいや、期待するのはやめよう。雨露がしのげる場所があるだけで十分すぎる。それだけでも最高の待遇だ。
ギルさんの後をついて、路地裏にひっそりと佇む石造りの建物に入った。外見は古びた倉庫のようで、誰もここが秘密の拠点だとは思わないだろう。
重い鉄扉を抜けると、地下へ続く階段が現れた。なぜ邪神軍の拠点が地下に?
階段は螺旋状に続いていた。松明の灯りが壁に揺らめく影を落とし、足音が反響して深淵へと吸い込まれていく。一段降りるごとに、外の喧騒が遠ざかり、代わりにひんやりとした空気が肌を撫でた。
「ここだ」
階段を下りきった先で、ギルさんが立ち止まった。
「うわぁぁぁぁ! す、すごい……」
思わず感嘆の声が漏れてしまった。
目の前に広がっていたのは、とてつもなく大きな空間だった。
天井は見上げても首が痛くなるほど高く、まるで地下に宮殿を丸ごと埋め込んだかのような造りになっている。無数の部屋が左右に連なり、それぞれが村の家よりもずっと大きい。廊下の幅だけでも、村のメインストリートより広かった。
室内をあかあかと照らす魔法の照明器具が、天井から無数に吊り下げられている。その光は松明とは違い、揺らぐことなく安定していて、まるで真昼の太陽のように明るく空間を満たしていた。影一つない。
壁には美しい絵画が等間隔に飾られている。風景画、肖像画、戦いの場面を描いた勇壮な作品。金箔をあしらった額縁は、それだけでも村の家一軒分の価値があるだろう。
高級そうな壺や彫刻が至る所に置かれていた。青い釉薬が美しい陶器、白い大理石で彫られた神話の英雄たち。田舎者の僕でも、これらが非常に価値のある品物だということが分かる。
床は滑らかに磨かれた大理石で、僕の姿がぼんやりと映り込んでいる。足音が心地よく響き、その反響が空間の広大さを物語っていた。
空気は清浄で、地下特有のかび臭さが全くない。どこからか微かに花の香りが漂ってきて、地下にいることを忘れさせるほどだった。
「驚いたか? ここはオルティッシオ隊長率いる第二師団が用意した拠点だ」
「はい……あまりにすごすぎて、圧倒されました」
「そうだろう。しかしここだけではない。各部屋には一級の調度品も揃えてある」
珍しいことに、ギルさんが得意げに話している。普段は寡黙で冷静沈着な人なのに、今日はやけに饒舌だ。
「邪神軍地下帝国……もともとは王都の大貴族が隠れ家として使っていた屋敷を、我々が接収して改修したものだ」
「そうなんですか」
「改修を担当したのは、第二師団所属のジョパンニーという男だ。彼は天才的な技師でな、不眠不休でこの地下帝国を作り上げた」
そうか。ここはオルティッシオたち第二師団が用意した拠点なんだ。それでギルさんがいつになく自慢げに話しているのか。よほど誇らしいのだろう。
ギルさんに地下帝国を案内してもらう。どの部屋も素晴らしく、まるで王宮を見学しているような気分になった。
居住区画、会議室、訓練場、武器庫、図書室……。
どの部屋も村の族長屋敷より広く、調度品の一つ一つが目を見張るほど豪華だった。こんな場所で生活できるなんて、夢のようだ。
そして最後に、邪神軍の厨房を案内された。
「おぉ……!」
再び感嘆の声を上げてしまう。今日一日で、僕は何回驚いたら気が済むのだろう。
厨房は、村の広場ほどの広さがあった。
天井からは鉄製の鍋やフライパンが整然と吊り下げられ、壁際には様々な大きさの鍋が棚に並んでいる。どれも最高級品で、銅の表面は鏡のように磨き上げられていた。職人が心を込めて作り上げた逸品ばかりだ。
調理台は黒い大理石で作られており、冷たく滑らかな表面が食材を切るのに最適だと一目で分かる。かまどは五つ並び、それぞれに大きさの異なる釜が設置されていた。
特に包丁は素晴らしかった。
壁に掛けられた包丁は、大小様々なものが二十本以上。触れなくても分かる。この鉄の輝き、完璧なバランス、研ぎ澄まされた刃。刃紋が波のように美しく浮かび上がり、柄は手に吸い付くような滑らかさだった。
この包丁があれば、食材の食感を自由自在にコントロールできるだろう。
すごい、本当にすごい。
ここには、聞いたことはあるが見たことのない調理器具まで揃っている。
蒸し器、オーブン、精密な計量器、様々な形のボウルや型……。
蒸し器は三段重ねで、一度に大量の点心や蒸し物ができそうだ。オーブンは煉瓦造りで、扉を開けると内部の広さに驚いた。計量器は真鍮製で、針が繊細に動く精密な作りになっている。
料理人としての血が騒ぐ。これらの道具を使えば、どんな素晴らしい料理が作れるだろうか。
僕は夢中になって、それらの調理器具を観察し始めた。一つ一つの道具が持つ可能性を想像するだけで、胸が高鳴る。村では作ることのできなかった複雑な料理、繊細な調理法、新しい味の組み合わせ……。
おばあちゃんが教えてくれた基本の技術に、これらの道具があれば鬼に金棒だ。きっとおばあちゃんも、こんな素晴らしい厨房を見たら驚くだろう。
「おい、また現れたぞ」
調理器具に夢中になっていると、背後から声がした。
僕は厨房の入口近く、包丁が掛けられた壁の前に立っていた。ギルさんは少し離れた場所で、腕を組んでこちらを見ている。
振り返ると、厨房の奥の通用口から人だかりが現れた。七、八人ほどの男女が、こちらを見つめている。全員がコック帽を被り、エプロンを身に着けた料理人の格好だ。手には包丁や調理道具を持っている。
彼らの視線は好奇心と警戒心が入り混じったものだった。新参者を品定めするような、値踏みするような目つきだ。
「ギル様、この人たちが……?」
「あぁ、そうだ。お前の対戦相手たちだ」
この人たちが僕のライバルか……。
僕はおばあちゃん以外の料理人を知らない。村で料理を作っていたのは僕だけだったし、他の村との交流もほとんどなかった。だから本格的な料理人との勝負は、これが人生初となる。
でも僕には自信がある。おばあちゃんは最高の料理人だった。病人も、おばあちゃんの作るお粥を飲めば元気になったほどだ。
そのおばあちゃんから直接手ほどきを受けた僕なら、きっと勝てる。勝って見せる。おばあちゃんの料理が最高だということを、僕が証明するんだ。
緊張で手がぶるりと震える。でも、それは恐怖の震えではなく、闘志の震えだった。
「シロ、軽くだが、私なりに他の料理人たちをチェックしてみた」
「ど、どうでしたか?」
「安心しろ。お前の敵ではない」
「そうなんですか!」
「あぁ、自信を持て。お前ならやれる。私が保証する」
「はい、期待に応えられるよう全力で頑張ります」
「それでいい。お前は普段通りに料理をすればよい。技術も味も、お前がナンバーワンだ」
ギルさんはそう言って、入口から出ていった。
独り残された僕と、十歩ほど先に立つ料理人たち。彼らの視線が、じっとこちらに注がれている。
僕は深呼吸をしてから、彼らのもとへ挨拶に向かった。




