表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
228/256

第五十九話 「ミレスと覚醒(後編)」

 エディムが呪詛を吐きながら、東方王国の宝矛を突きつけてきた。


「エディム、落ち着いて」

「殺す。ぶっ殺す。舐めやがって。ミレスのくせにミレスのくせに。脆弱なクソ種のくせによくも!」


 駄目だ。完全に頭に血が上っている。


 私の言葉など、右から左へ素通りしていく。


 しょうがない。まずは、相手の興味を引く話題を振ってみよう。


「それにしてもすごい武器だね、それ」


 エディムが握りしめている宝矛を指差す。


 すると、殺意に曇っていた瞳に、わずかな理性の光が戻った。口元がほころび、得意げな色が浮かぶ。


 やっぱり。あれほど大事そうに抱えているのだ。お気に入りに違いない。


「ふふ、当然だ。これは方天画戟といって天下の名矛だ。カミーラ様が魔法補正をおかけになり、勲功第一として賜ったのだ」


 エディムの声に、隠しきれない誇らしさが滲む。


 よしよし。自慢の品を褒められて、悪い気がする人間はいない。


「勲功第一って、どんな手柄を?」

「ふふ、何をかくそう、この私がバッチョを一撃のもとに斬って捨てたのだ」

「エディムがバッチョを?」

「そうだ。一騎討ちでばっさりとな。そして見事、ティレア様、カミーラ様のご信頼に応えたのだ」


 エディムが饒舌に語る。


 なるほど。吸血鬼化したエディムなら、霊長類最強と謳われたバッチョを倒しても不思議ではない。


 ここは素直に褒めておこう。


「バッチョを倒すなんてスゴイジャナイ」

「……ミレス、凄いというわりに全然、気持ちがこもっていないぞ」

「そ、そうかな。本当にそう思っているよ」


 あれ。なんでこんなに声が乾いてしまうんだろう。


 王都の守護神にして霊長類最強、生涯無敗のバッチョを倒した。それは紛れもない偉業だ。


 なのに、心のどこかで「その程度?」という声が囁く。


 やっぱり、この身体はおかしい。


「ミレス、正直に言え。私を馬鹿にしているだろ?」

「そ、そんなことない。気のせいだよ。それよりその時の状況を詳しく聞かせて」


 とにかく会話が成立している。この流れを切りたくはない。


「……そうだな。じゃあ少し近くによれ」

「えっ!?」

「えじゃない。話をするんだ。近くに寄らないと話ができないだろ?」

「う、うん」


 言われるまま、距離を詰める。


 数歩近づくと、西日がエディムの横顔を朱に染めているのが見えた。夕暮れの光が、お店の窓ガラスに反射してきらめいている。


 綺麗な夕日だ。


「ミレス、夕日が綺麗だな。そこに座って一緒に見よう」


 穏やかな声音。しかし言葉とは裏腹に、エディムの身体は臨戦態勢に入っている。


 肩甲骨の角度が変わった。重心がわずかに前に移動している。


 そして、さりげない足運びで、私の視界の端——ちょうど死角になる位置へと回り込んでいく。


 隠しているつもりなのだろう。


 でも、この身体には全部見えてしまう。


 筋繊維の微細な緊張。呼吸のリズムの乱れ。そして、抑えきれずに滲み出す殺気。


 エディムの感情が、空気の振動となって肌に伝わってくる。「今度こそ仕留める」という執念が、熱を持った塊となって私に向けられていた。


 丸見えだよ、エディム。


 でも、まあいいか。


 ここで指摘したところで、余計に逆上するだけだ。好きにさせておこう。


 素直に腰を下ろす。


 背後にエディムの気配。矛を構える衣擦れの音。足が地面を踏みしめる、かすかな振動。


「ミレス、夕日が綺麗だ。よく見ていろ」


 声が、背後から降ってくる。


 完全に死角を取ったつもりだ。エディムの声には、獲物を追い詰めた捕食者の高揚が滲んでいた。


「エディム、悪いんだけど――」

「あぁ、心が洗われる。こんなに夕日が綺麗ならば……とりあえず死ねぇええ!」


 背後から、矛が唸りを上げて迫る。


 遅い。軌道が単調すぎる。


 武器の性能に頼りすぎて、振り回されている。あの程度の抜矛では、筋も骨も断てない。


 振り返ることすらせず、身体を半歩ずらす。刃が虚空を切り裂いた。


「なっ!? お前、本当なんなんだよ!」

「いや、それは私が一番知りたくて」

「あ、ありえんだろ? 振り返りもせずに」


 エディムの顔に、驚愕と困惑と嫉妬が渦巻いている。


 それでも矛を構え直すあたり、諦めが悪いというか、執念深いというか。


「エディム、もうやめようよ」

「だまれ!」

「あ、あのさ、正直に言うね。そんな腕じゃあ百年かかっても絶対に無理だよ」

「うるさいうるさいうるさい!」


 エディムが逆上し、矛を滅茶苦茶に振り回し始めた。


 もう話し合いは無理だ。実力行使するしかない。


 気絶させるのは可哀想。怪我をさせるのも忍びない。


 となれば、武器破壊一択。


「えい!」


 振り下ろされる方天画戟の柄を狙い、蹴りを叩き込む。


 刃と違って、柄の硬度は大したことない。


 乾いた音を立てて、名矛があっけなく真っ二つに折れてしまった。


 エディムが石像のように固まる。


「ごめんなさいね。こうでもしないとエディムやめてくれないと思って」


 エディムは無言のままだ。


「エディム?」

「どうしてくれんのよぉおお! ひどいよ! せっかくカミーラ様から賜った宝矛なのに……わあぁあああん!」


 エディムが幼児のように泣き崩れた。


 胸が痛む。でも、大怪我を負わせるよりはまだマシだったはず。


「ミレスの鬼! なんで壊すのよ。なんで避けるのよ!」


 無茶を言わないでほしい。あれが当たっていたら、怪我どころでは済まなかった。


 ……いや、今の私なら他にやりようがあったかもしれない。不意打ちで殺されかけて、少しカッとなってたかも。


「ごめんね。何でもするから許して」

「じゃあ完全に元通りに直しなさい。そして私に殺されなさいよ!」


 本当に無茶を言う。


 なんとか宥めようとしていると、背後に気配を感じた。


 振り返ると、ティムちゃんが悠然と歩いてくる。銀髪が夕陽に煌めき、まるで絵画から抜け出してきたかのようだ。相変わらず、息を呑むほど美しい。


 エディムがその姿を認め、ひぃっと悲鳴を上げた。


「カ、カミーラ様に殺される。ティレア様に賜った大切な、褒美の品を、こ、壊すなんて。ど、どうしよう?」


 癇癪から一転、顔面蒼白で狼狽している。


 確かに、ティレアさん絡みでティムちゃんを怒らせたら……殺されても文句は言えない。


 エディムが折れた方天画戟を抱えて右往左往する姿は、見ていて忍びなかった。


 しょうがない。壊したのは私だ。


「私に任せて」


 エディムから方天画戟を受け取る。


 二、三発殴られる覚悟で謝ろう。今の私なら、たぶん耐えられる。


 たぶん……。


「カミーラ様」


 声をかけると、ティムちゃんの視線が私を捉えた。


 品定めするような、あるいは珍しい標本を観察するような目。


「むむ、ミレス」

「な、なにかな?」

「育っておるではないか!」


 育ってる、って……胸の話じゃないよね?


 ティムちゃんの性格からして、そのままの意味だろう。


 そう納得する間もなく、ティムちゃんが私の身体をべたべたと触り始めた。


「あ、あのカミーラ様?」

「くっく、興味深い。実に興味深いぞ。なんということだ。我の知的好奇心は、久方ぶりに満たされている」

「そ、そう」


 ティムちゃんの目が、獲物を見つけた猛禽のように爛々と輝いている。


 そうだね。前に会った時は、ティレアさんが倒れていてそれどころではなかった。改めて私を見て、何か思うところがあったのだろう。


「どれ、ミレス、こっちに来い。色々実験に付き合ってもらうぞ」

「え、それはちょっと。それよりこれなんだけど」


 折れた方天画戟を差し出す。


「なんだ、こんなガラクタがどうした?」

「ガラクタ? いや、これ相当の業物でしょ」


「ふっ。これはな、お姉様に献上したが、装備不要と仰られた。お姉様がそう判断した時点で、これに価値はなくなった。せいぜい使えぬ部下に下賜するぐらいが関の山だ」


 すごい言い様だ。天下三大武器に匹敵する逸品なのに。


 いくらティレアさんがいらないと言っても、超レア物であることに変わりはない。というか、ティレアさんの性格上、どんな武器だって「いらない」と言うに決まっている。プレゼントするなら包丁にでもすればいいのに。


「とにかく、私の不注意でこれ壊しちゃったのよ。直せるなら直してほしいんだけど」

「わかった。その辺に置いておけ」

「えっ!? そんな簡単に?」

「我ならいくらでも直せる。それより来い!」


 ティムちゃんが私の腕を掴み、強引に引っ張ってきた。


「ち、ちょっとカミーラ様」

「なんだ? 抵抗する気か?」


 力がさらに強まる。私も負けじと踏ん張った。


 ティムちゃんは私が抵抗するほど、嬉しそうに力を込めてくる。


 このままでは骨が折れる。


 反射的に力の流れを読み、受け流した。次の瞬間、ティムちゃんの身体が宙を舞い、地面に転がっていた。


「あ、ごめん」


 慌てて頭を下げる。


 投げられたティムちゃんは、しばし呆然としていた。


 そして――狂ったように笑い出す。


「くっくっ、あっあははははははは! 我を転ばすか!」

「いや、本当ごめんね。そんなつもりじゃなかったの」

「ではどんなつもりだ?」

「え、えっと、何も考えてなかったというか、無意識というか」

「何も考えずに我を転ばしたというのか! 面白い。その極致、見せてもらうぞ」


 ティムちゃんが獰猛な笑みを浮かべ、私の奥襟を掴んできた。


 この構えは……。


「も、もしかしてじゅうどうかな?」

「その通りだ」

「本気なの?」

「あぁ、手加減はせんぞ。今の貴様なら死なんだろ?」

「ち、ちょっとま――きゃああ!」


 世界が反転した。


 ティムちゃんに懐へ潜り込まれ、腰を支点に持ち上げられる。


 天井が見えた。壁が流れた。床が迫ってくる。


 このまま叩きつけられたら、冗談抜きで死ぬ。


 本気を出さないと。


 宙に浮いたまま、かけられている技を解析する。


 背負い投げ——いや、違う。腰の入り方が深い。払い腰に近い軌道だが、足の位置が異なる。


 これは、釣り込み腰。


 相手の重心を完全に崩し、自分の腰を支点にして投げ飛ばす技。


 弱点は、技をかける側も体勢が不安定になること。


 見切った。


 空中で身体をひねり、ティムちゃんの手首を掴む。投げの軌道が歪む。ティムちゃんの目が驚愕に見開かれた。


 その隙を逃さず、重心を調整。投げの勢いを逆流させ、回転の軸を奪い取る。


 着地と同時に、ティムちゃんの身体が弧を描いて宙を舞った。


「あ!」


 しまった。力を入れすぎた。


 嫌な音。ティムちゃんの手首の関節が、外れてしまった。


 ティムちゃんは、不自然な角度に曲がった自分の手首をじっと見つめている。


 そして——。


「ほぉ~~~~~」


 感嘆とも威嚇ともつかない声。


 ティムちゃんの口元が、三日月のように歪んだ。


 怖い。純粋に、怖い。


 殺意の波動が、むくむくと膨れ上がっていくのが肌で感じられる。


「ごめんなさい。許して!」

「かまわんぞ。ますます気に入った。一瞬で我の関節を外すか! ふむ、ミレスがここまでやるとはな。実験内容を修正するか」


 ティムちゃんがぶつぶつと呟いている。


 実験!? その言葉が不穏すぎて、とても聞き返す勇気がない。


 身の危険を本能が告げている。


 考えるより先に、身体が動いていた。


 踵を返し、全力で駆け出す。


 疾走しながら、背後の気配を探る。ティムちゃんはまだ追ってきていない。外れた手首を直しているのか、それとも——獲物が逃げる様を愉しんでいるのか。


 どちらにせよ、猶予があるのは今だけだ。


 地下への階段が見えた。


 三段飛ばしで高速で駆け下りる。着地のたびに、脚に衝撃が走る。それでも速度は落とさない。落とせない。


 階段を下りきると、薄暗い廊下が続いていた。等間隔に並ぶドア。どれも同じような造りで、どこに何があるのかわからない。


 迷っている暇はない。


 手近なドアに手をかけ、飛び込んだ。


 埃っぽい空気が鼻をつく。窓のない小部屋だ。物置か何かだろうか。壁際に古びた棚が並び、用途不明の道具が雑然と積まれている。


 静かにドアを閉め、背中を壁に預けた。


 荒い息を整えながら、自分の心臓の鼓動を確認する。


 ちゃんと恐怖を感じている。この身体でも、ティムちゃんだけは怖い。


 そっとドアを開け、廊下を覗く。


 ティムちゃんが、ゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見えた。


「ミレ~スゥ、どこに隠れた? つれないではないか! 我の心をここまで高ぶらせておいて……もっと遊ぼうぞ」


 見つかる前に、気配を消さないと。


 身体チェックの時にやった要領を思い出す。


 まず、呼吸を限りなく浅くする。


 次に、体内を巡る魔力の流れを意識する。心臓から送り出され、全身を駆け巡り、皮膚の表面から微かに発散していく魔力。


 その流れを、止める。


 水道の蛇口を締めるように、ゆっくりと、丁寧に。魔力が外へ漏れ出さないよう、皮膚の内側でせき止めていく。


 最後に、存在そのものを希薄にする。


 私はここにいない。壁の一部。空気の一部。この部屋に溶け込んだ、ただの影。


 強く念じると、自分の輪郭がぼやけていくような不思議な感覚に包まれた。


「おぉ、凄いぞミレス! 気配が完全に消えた。ここまでの隠行は、部下はおろか我でも難しい」


 ティムちゃんの足音が止まった。見失ったらしい。


 よかっ——。


「ただ残念だったな。少しばかり気配を消すのが遅かった。お前の魔力の残照が残っているぞ」

「えっ!?」


 残照。さっきまで発散していた魔力が、まだ空気中に漂っているということか。


「ふっ、突き当たり右だ」


 足音が近づいてくる。


 ティムちゃんがドアの前に立ち、ドアノブに手をかけた。


「は、入ってます」


 無駄だった。


 ドアノブが右に回り始める。


 とっさに内側からノブを掴み、反対方向へ力を込めた。


 この手のドアは、ノブを回すことで空錠が外れて開く仕組みになっている。逆に回していれば、開かない。


 このまま——。


 ノブがぐいっと右に回る。


 ティムちゃん、力強すぎ。


 足を踏ん張り、両手でノブを握りしめる。それでも、じりじりと押し負けていく。


 金属がぎしぎしと軋む。このままではノブごとねじ切られる。


 本気を出さないと。


 腹に力を込め、全身の力を腕に集中させる。


 右に回りかけていたドアノブが、ぴたりと止まった。


 そして——左へ押し戻されていく。


「おっ! おっ! おっ!?」


 ドアの向こうから、ティムちゃんの驚愕の声。


 ノブが軋む。押し返そうとしているのがわかる。


 負けない。


 ドアノブは右に戻ることなく、私の力で左へ左へと回されていく。


「話し合いをしましょう。暴力反対!」

「くっくっ、あははははあははあははは!」


 ティムちゃんの狂ったような笑い声が響く。


「そのパワー、我にも匹敵する膂力だぞ。ミレス、貴様はどこまで驚かせれば気が済む」

「あ、あの……」

「我は楽しい。この造物主孝行者め!」


 何を言っているのか、さっぱりわからない。


 ただ一つ確かなのは、私の抵抗がティムちゃんの戦意をますます高揚させてしまったということ。


 どうしよう。このまま生きて帰れるのだろうか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ