第五十五話 「誰がためにミレスが成る(後編)」
脳内のキーワードに従い、進化を選択した。
細胞が高速に作り変えられる。
的確に、適切に。
今までの試行錯誤な変化ではない。到達点へ向けて最適な解を導き、細胞が組みかえられていく。
そして……。
私は、変態したのである。
私が私でない。
いえ、これが本当の私だとわかる。さなぎが蝶に変化するように。今までの私は、幼虫だった。この姿こそ、成体だとはっきり認識する。
人間女王……。
たまに災害指定されるキングゴブリンの人型版だ。一冒険者に倒される弱っちいゴブリンでも、キングゴブリンに進化すれば、一個師団を滅ぼすほどの脅威となりえる。
キングゴブリン発生は、国を挙げての大討伐となるのだ。
歴史を紐解けば、キングオークやキングオーガーが発生した時代もあり、当時の王朝を滅ぼすほどの大災害となったとか。
ゴブリン、オーク、オーガーと人型に近づくにつれて脅威度は増す。
じゃあ人間の場合は?
人間女王とは一体どの程度の脅威だろうか?
それは誰にもわからない。
歴史上、そのような種は存在しなかったのだから。
とにかく、今は変態したばかりだ。
まずは、身体機能を確認しよう。
すっと立ち上がると、関節を伸ばしたり曲げたりしてみる。
ルクセンブルクは、突然立ちあがった私に少し驚いた表情をしている。
「キャハ♪ もしかしてスイッチ押すの諦めちゃった? そうよね、辛いもんね」
ルクセンブルクの嘲笑に冷めた目で返す。
「なーに、すかしてんのさ」
「……」
問いには応えない。身体機能の確認が先だ。
関節確認後は、手のひらをぐっぱして、力の感触を確かめる。
うん、身体はすこぶる快調だ。
高位人間になった時、完璧と思った。
なんと甘く現実を知らなかったのか?
今思えば、高位人間など、進化途中の半端者だ。荒く脆く弱い存在である。
完全とは程遠かった。
今、ここにいる。この存在こそ、完璧だ。
自意識過剰でもうぬぼれでもない。
立ち上がる所作一つ違う。人間が原初に置き去りにしてきたものを、この身体は全て持ち合わせているのだ。
運動とは何か?
戦いとは何か?
身体を動かす最適な方式が、細胞一つ一つに染み付いている。
最高品質の玉石を、極限まで凝縮しつくしたとでもいうべきか。
理解した。
身体機能の確認を終える。
制服についてた汚れを軽く払い、いつのまにか解けていたポニーテールを再び結び直す。
「ちっ、無視かよ。まぁ、いいさ。お楽しみはこれからだしね♪ それより、また回復したね。どれだけ杖に回復魔法をしこんでんのよ。うん、とりあえず杖を完全に壊しておこうかな♪ こうもたびたび回復されるのは面倒だ」
ルクセンブルクが、杖を拾いに行く。
もちろん杖を壊させる気はない。
身体能力の実践にちょうどいい。
足に力を入れる。
最適な加重移動後、すぐ様、杖に向かってダッシュした。
神速の動きでルクセンブルクを出し抜き、先に杖を確保する。
「なっ!? う、うそ」
手に杖を持ち佇んでいる私を、ルクセンブルクは驚きの目で見ている。
油断してたとはいえ、人間如きに後ろから追い抜かれるとは思いもしなかったのだろう。
「ふ、ふぅん、全然本気でなかったとはいえ、アタイを出し抜くなんて。なかなか速かったじゃん。キャハ♪ スイッチの効果が少しはあったかな」
ルクセンブルクの軽口に付き合う気はない。
身体能力の確認は済んだ。
次は、魔力の確認だ。
ルクセンブルクに軽く微笑みを返し、魔力を体中に循環させる。
流麗だ。
螺旋の渦が無数に、秩序を持って回っている。
最高学府の魔法経典の手本、いや、どんな天才でさえ真似できない魔力曲線を描く。
これを見たら、達人の中の達人が一生を懸けて練り上げた魔力曲線でさえ、児戯に思えてしまう。
「あぁ? てめぇ、さっきからなんなんだ。アタイを馬鹿にしてんのか?」
「……」
ルクセンブルクの恫喝に無言で返す。
魔力循環の確認が先だからだ。
ただ、馬鹿にしているのかという問いには、イエスという意味で口角を上げて応えておこう。
ニッと笑みを浮かべる。
ルクセンブルクの額に青筋が浮かんだ。
邪悪なオーラを漂わせて、殺気を撒き散らしてくる。
これは、怒りに任せて来るな。
ルクセンブルクの筋肉の動きでわかる。大腿筋辺りに力の緊張が伝わっているからだ。
その間に、魔力循環の確認を終えた。
うん、魔力循環も問題無し。
戦闘準備オッケーだ。
「さて、来ないの?」
手の甲を相手に向け、四本の指をクイクイと動かした。
ルクセンブルクを挑発する。
「アハ♪ やっとしゃべったと思ったら……そっか。アンタにとって他人が殺されるよりも、ボコボコに攻撃を喰らってたほうがいいもんね。もちろん、主旨は変えない。アンタの目の前に生首を積んでやる。ただね、確かにアンタは拷問しないって言ったけどさ。勝手に動き回られても困るのよ。だ・か・ら、四肢ぐらいへし折っておくね。両手両足を折り曲げて~地面に突き刺してあげる。キャハ♪ 無力な観客として~身動きできないようにしておかないとね」
ルクセンブルクは私に向かって突進してきた。
相変わらず雷の如き速さである。
右足を振り上げて蹴りを放ってきた。
顔面に蹴りが迫ってくる。
素早い蹴りだ。
しなやかでいて、力もある。ダイヤモンドも砕けそうな一撃だ。
だが、動きに無駄が多い。
軌道が予測できる。
未来予知に近い私の洞察力なら……。
私は動く。
ルクセンブルクの蹴りを避け、カウンター気味に拳を入れた。
ルクセンブルクの顔面、鼻っ柱にぶつけてやった。
ルクセンブルクは鼻を押さえて、呻く。
その鼻からは、ポタポタと血が噴き出ている。
いわゆる鼻血だ。
「て、てめぇ!」
ルクセンブルクは吠える。憎悪に満ちた目で睨んできた。
一度ならず二度までも、人間如きに傷を負ったのだ。
プライドが激しく傷ついたのだろう。
「アンタ本当にムカつくわ! やっぱり嬲る。四肢を折るぐらいじゃ生ぬるい。死ぬ寸前までいたぶってから、拘束してやるよぉお!」
「そう、でも……」
「あぁん? てめぇの思惑に乗ってやるって言ってんだ。アタイの攻撃に合わせて、スイッチを押せばいいさ。無駄な努力、ご苦労様。 はっ! アタイはアタイで、てめぇの惨たらしい悲鳴を聞いて腹の虫を抑えてやるよ」
「いや、だからね」
「だから、なんだってん――ぐはっ!」
ルクセンブルクの鼻面に拳を叩き込んだ。
「だから、何いつまでぼけっとしてんの? くっちゃべている暇はないよ。ここは私の間合いなんだからさ!」
ステップを踏む。
ルクセンブルクの顔面をめがけて、ジャブを連続で撃ち続けた。
「げほっ! ぼぎゃ! うごぇ!」
ルクセンブルクは、私の左ジャブを顔面にもらうたびに悲鳴をあげる。
「て、てめぇ。調子に乗ってんじゃねぇえやあぁああ!!」
鼻血を出しながら、ルクセンブルクは憤怒の声を上げた。
その類まれな身体能力を使い、高速で拳打を放ってくる。
瞬きをするまでに数十発、数百発の連撃を叩き込んできた。
すごい。
六魔将って本当にすごい魔族なんだ。
あんなに無駄を含んだフォームで、ここまで速い攻撃を繰り出せるなんて……。
ある意味驚きながらも、その動きは見切っていた。
ルクセンブルクの攻撃を紙一重でかわしていく。
その様子に、怒声を放ちながらも余裕を見せていたルクセンブルクに変化が表れた。
いつまでも攻撃を避け続ける私に、ルクセンブルクは信じられないといった目つきで睨んできたのだ。
「ア、アンタ、本当に進化したの?」
「そうみたい」
「研究所の発表では、進化できないって……」
「ふぅん、そうだったね。まぁ魔族の研究だもの。でたらめで無駄が多かったんでしょ。あんたと同じで」
「なんだと?」
「わからない? あんたの攻撃、速いけど、無駄が多すぎる。そんな身体能力に頼った攻撃、一万年かけても当たらないわよ」
「は、は……人間如きがアタイに、上から目線で……な、舐めやがってぇえ!」
ルクセンブルクは、怒る。
むきになって高速で拳打を繰り出す。しつこく激しい息もつかせぬ攻撃だ。
その熱意は買う。
ただ残念なことにその攻撃は、全て空を切っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、くそっ! なぜ当たらない?」
「あんたにはさんざん殴られたからね。癖や動きは頭に入っている。それに……」
「ごばっ!」
「知ってる? 最速のパンチは、ジャブなのよ」
ルクセンブルクの顔に十発以上、パンチを叩き込んでいく。
ルクセンブルクの鼻骨は折れ、顔面は血まみれだ。
呼吸をするのも辛いだろうに、その闘志は衰えていない。ギラギラとどす黒い殺意の目を浮かべている。
さしずめ手負いの獣といったところね。
「ふぅん、けっこうタフだね」
「あぁん? べっ!」
ルクセンブルクは忌々しげに睨み、地べたに血が混じった唾を吐く。
「舐めやがって。少しばかり進化したからっていい気になるんじゃねぇ。こっちは伊達に数千年生きてねぇんだよ。格の違いを見せてやるよぉおお!」
ルクセンブルクが咆哮した。
それを合図として、ルクセンブルクの魔力がどんどん上昇していく。
十万、十五万、十六万……。
大気が震える。地面が揺れていた。
これが六魔将の真の力……。
先ほどまでとは、明らかに違う。三味線を弾いて戦ってたのは間違いない。
「キャハ、どう? 驚いた? アタイだって今までぼっとしてたわけじゃないの。カミーラちゃん達と同じ。修行して魔力を抑えていたのよ。ほら、魔力のコントロールってやつ? ふふ、古の時代より、最大量も大幅に向上しちゃった」
「……二十万ってところね」
「ご名答。アンタ運よく進化できたみたいだけど、所詮は人間。同じ領域に上がったって浮かれているようだけどさ。まったくの見当違い。甘いんだよ!」
「私の二倍近くの魔力ね」
「あぁ、そうさ。絶望して死ねぇ!」
ルクセンブルクが、獰猛な笑みを浮かべて突っ込んでくる。
そして、高速拳が放たれた。
空気が軋む。
今までがそよ風と思えるぐらい強烈な一撃だ。
当たれば、千メートルを超す大山でさえ跡形もなく崩れさるだろう。
ま、それだけだけど。
学習強化。
高位人間の特徴の一つだ。相手の癖、攻撃パターンを収集することで、高い精度で攻撃予測する。
人間女王となると、さらに高い精度で攻撃予測できる。それは、皇帝眼とも呼ばれ、ほぼ未来予知に近い。
その未来予知に等しい力で、攻撃の軌跡を探る。
計算に狂いはない。
敵の魔力が上がったのなら、それに合わせて調整すればいい。
ルクセンブルクの攻撃に合わせて、クロスカウンターでその腹に拳を入れた。
「がふうぅ!」
ルクセンブルクが悶絶し、腹を押さえてうずくまる。
さらに、ルクセンブルクの下がった顔の顎にも右フックを食らわせた。
「う、うぐっ、な、なぜ……ア、アタイのほうが、う、上なのに」
「いや、たかが二倍程度でしょ。人類はね。それ以上の開きがあっても、魔物や害獣を駆逐してきたのよ。知恵と工夫と勇気でね」
「ああ、あぐっ、そ、そんな……」
「まぁ、うまくしゃべれないでしょうね。大分、頭を揺らしてあげたから」
ルクセンブルクがよたよたと足元をふらつかせながら、驚愕と恐怖を入り混ぜた表情を見せてきた。
フルパワーを使って、反撃されたのだ。
そのショックは、計り知れなかったのだろう。
「はぁ、はぁ、はぁ、アンタ、な、何者?」
「ただの人間よ。あんたもわかってるでしょ」
「く、くっ。た、ただの人間じゃないだろうが……」
「それより覇気が落ちてる。びびっているようね。報復されるのが怖い?」
「なっ!? て、てめぇ、舐めるのも――」
「安心しなさい。私は、あんたのように、敵をいたぶる趣味もなければ、そんなくだらない事をする暇もない。私は優しいの。だから、私の愛しい大事な方から、クソッタレな寄生虫を取り除く。その作業、あんたを殺してからにしてあげる」
ルクセンブルクは一瞬キョトンとした後、みるみる顔を紅潮させていく。
「うぉおおおお、このびちくそがぁああ! 魔王様を寄生虫だと! てめぇだけは許さねぇええ! アタイの全てをかけて殺すぅ!」
ルクセンブルクが鼓膜を破壊するかの如く、絶叫した。黒目を縮小させ、牙をむき出しにしている。その目は血走り、狂気を感じさせた。
変化は、それだけではない。
その魔力量はさらに増加した。その全身を覆っている筋肉も隆々に強化して、その服をはちきれんばかりに膨張させている。
より獣化している。
身の丈は十二尺ほど。ゴツトツコツという伝説の魔獣並だ。この常軌を逸した変化。命を削ってパワーを上げているのだろう。
ルクセンブルクは天に大きく唸り声を上げると、そのまま四つん這いになり、前傾姿勢をとってきた。
四足歩行?
獣にとって、それが本来のスタイルだ。
自然体で隙がない野生の獣。その理論を裏付けるようにルクセンブルクが四足歩行になってから、無駄なフォームがあらかた改善されていた。
ルクセンブルクは、獣のスタイルから一気に上空へ飛ぶ。
速い。
ここにきて最高速度をたたき出してきている。
「ガウゥルアアアッ! 死にやがれぇえ! 奥義、超魔手魔撃!」
ルクセンブルクが、上空から超高速の魔弾を繰り出してきた。
まるで隕石。
巨大な威力の塊が流星となって襲ってくる。
なるほど。奥義というだけあって、当たればそれなりにまずいことになりそうね。
かといって避けても……これは追尾機能つきかな?
どこまでも追いかけてくるだろう。
避けられない。当たってもだめ。
なら、決まっている。
奥義には、奥義で返そう。
邪神七百七十七技の一つ。
飛蝗の蹴り。
右足に闘気を集め、突進する。ルクセンブルクの奥義に合わせて飛んだ。
「飛蝗蹴!」
空中で宙返りをしながら、その遠心力を使い右足を前に出し、蹴りを放つ。
その威力は、高位人間時の比ではない。
ダイヤモンド、いや、オリハルコン製の鎧でさえ、紙細工のように破壊するだろう。
そんな飛蝗蹴と超魔手魔撃の激突。
軍配は……私。
その蹴りは、ルクセンブルクの奥義を吹き飛ばす。
そして、ルクセンブルクの鳩尾に荒々しく命中した。
「げほぉおお!」
ルクセンブルクは血反吐を吐き、白目を剥く。
その間、数秒……。
しかし、すぐに事態は暗転する。
気絶したと思いきや、ルクセンブルクは突然目をかっと見開き、蹴った私の右足をその両手でがっちりと掴んだのだ。
「い、いてぇじゃねぇか? はぁ、はぁ、で、でも、つ、捕まえた。はぁ、はぁ、ざまぁ。アンタの奥義、と、止めてやったぞ。このまま、どうして、やろうか!」
「何を勘違いしているの? 奥義はこれからよ」
「な、なに!?」
掴まれた足を無理やり引き抜き、さらに蹴りをかます。
「アタァ!」
「ごはっ!」
ルクセンブルクの右半身を蹴り裂いた。
「アタァ! アタァ!」
「ごぼっ! げへっ!」
ルクセンブルクの胴体、左半身を蹴り裂いた。
「アタァ! アタァ! アタタタ!」
「ごぼっ! げへっ! がはっ!」
ルクセンブルクの肺、心臓、鳩尾を蹴り裂いた。
「ア~アタアタタタタタタタタタタ! フォワチャー!」
「ぐはっごほっがほっがぼれろぇろがぁあああ!」
ルクセンブルクの急所を蹴り裂く。
その全てを十字に蹴り壊してやった。飛蝗蹴からの北斗蹴へのコンボ攻撃。
これが邪神流最強奥義だ。
ルクセンブルクの身体は十字にずたずたに切り裂かれ、血を撒き散らす。
「がはっ! はぁ、はぁ、あぐっ、こ、このアタイが、人間如きに。はぁ、はぁ、こ、このダメージ……ア、アタイ、し、死ぬの?」
「えぇ。南十字の形で急所を貫いたわ。アンタはもうじき死ぬ」
「そ、そんな……」
ルクセンブルクが、恐怖と絶望に顔を曇らせた。
瞬間、ルクセンブルクの身体が大きく痙攣する。全身から血が噴出し、そのまま地面に落下した。
あぁ、そう言えば……。
先ほどの自問の続きだ。
人間が人間女王に進化したら……。
何が起きるのか?
歴史上、存在しない種だ。文献にも口伝にもない。これから紡ぐ歴史で知るしかない。
ただ、これだけは言える。
人間女王、それは天下の六魔将を倒せるぐらいすごい存在なのかもしれない。




