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第十六話 「我は刺客で楽しむのである(前編)」

 退屈が身を殺しにかかっている。

 魔法学園からの帰宅途中、内心の苛立ちを吐露した。


 学園の授業内容、試験の難易度、実技のレベル——すべてが絶望的に低水準で、皮膚に蕁麻疹が浮かびそうになる。当初は教師陣が我をからかっているのかと疑った。しかし教師も生徒も皆、真剣にあの幼稚なレベルを受け入れているのだ。


 このまま放置すれば、近いうちに理性を失う。


 そう危惧し、自力で娯楽を見つけて学園生活を立て直すことにした。あれこれ物色する中で、格好の獲物を発見した。


 エリザベス——確かそういう名だったか。凡庸な才能と人族ごときの血筋を誇りとする、実に滑稽な人間だ。


 からかい半分で挑発していたところ、興味深い反応を示した。煽れば煽るほど、次々と刺客を差し向けてくる。特に裏切者(オルティッシオ)を送り込んできた時は、久方ぶりに腹の底から大笑いしたものだ。


 下等生物にしては、なかなか面白い。戦力として期待はできぬが、邪神軍の余興としてなら十分に使える——そう評価していたのに。


 最近は、完全に腰が抜けている!


 まず学園内では、もはや我に挑戦すらしなくなった。学園では特段の退屈を味わっている。


 もっと積極的に、刺客を寄越せ!


 さらに落胆したのは、刺客の質の劣化だ。学園外で定期的に襲撃してくる敵も有象無象そのものである。本気で来いと叱咤したにも関わらず、もはや力尽きたというのか?


 指の一、二本を折った程度では効果薄か——いっそ背負い投げでより強いインパクトを与え…いや待て、エリザベスは脆弱すぎる。力加減のコツを掴んできたとはいえ、じゅうどうを使えば致命傷になりかねない。


 エリザベスは学園生活を潤す貴重な娯楽だ。あっさり壊してしまっては元も子もない。


 やはり指を折るのが適切だろう。

 今度対面した際は、もう数本ほどいっておくか。


 エリザベスへの方針を決め、両脇に控える人形どもに視線を移す。


 アナスィーとミレスは朝からずっと、例の一件について話し続けていた。

 ミレスの窮地を救った件——借金の肩代わりと爵位の格上げ——で、この小娘は未だに事実を理解しきれずにいるようだ。


「え~とカミーラ様が私を救ってくれたの?」

「何度も言わせるな。ミレス、貴様は既に我の所有物だ。勝手に学園を離れるなど許さんぞ」

「そ、そう。カミーラ様、本当にありがとうございます」


 ミレスの声は感激に震えている。アナスィーも満足げな表情を浮かべ、時折相づちを打っている。


 ふむ、悪くない反応だ。

 このまま忠勤を積めば、我の御伽衆として傍に置いてやってもよいかもしれん。


 そんな算段を巡らせていた時——

 空気が変わった。


 微かに、けれど確実に。身を包んでいた殺気の質が、狩猟者のそれへと変貌したのだ。


 ついに仕掛けるか。


 学園を出てから影のように張り付いている連中の存在は察知していた。ただ、この辺りはまだ往来に人の姿がある。もう少し人気のない場所まで誘導されると踏んでいたが……案外せっかちな奴らだ。


「カミーラ様、いかがされましたか?」


 表情に現れた僅かな変化を、アナスィーが敏感に察知した。観察眼は悪くない。


「刺客の気配が動いた。アナスィー、ミレスを護衛しろ」

「また刺客!? おのれぇえ、エリザベス! 許し難い……こうなればアナスィー家の威信にかけて、あの女の息の根を止めてやります!」


 アナスィーが牙を剥く。まさに怒髪天を衝く勢いだ。


 実のところ、アナスィー家はエリザベスに近い高位貴族である。こやつ自身の実力も、学園内では上位に位置する……らしい。

 我には両者レベルが低すぎて判断できんが、諜報網からの報告では確かにそう上がっている。


 そんなアナスィーが本気で事に当たれば、どうなるかは火を見るより明らかだ。


 こやつは我の大切なおもちゃを壊しかねない。


「アナスィー、勇ましいのは結構だが、まずは指示を聞け。奴らは我の獲物だ。貴様の役目は、我の所有物(ミレス)を守ることだ」

「ですが、カミーラ様……」

「異論は認めん!」

「……御意」


 アナスィーの反発を抑え込み、改めて周囲の気配を探る。


 ふむ、これまでの三流どもとは違うな。潜行術もそれなりのもの。まぁ、人間(・・)にしてはの話だが。


 ようやく少しは楽しめそうか?


「ほれ、姿を見せろ。我自ら選別してやる」

「ほっ! すげぇなぁ。俺たちの尾行に気づくか!」


 わざとらしく驚いた風を装い、二人組の男が姿を現した。


 目つきは爛々として獲物を狙う猛禽のようだ。その歩き方、身のこなし、そして全身から滲み出る殺気——すべてが一つの職業を雄弁に物語っている。


 殺し屋。


 軽く見積もっても千は殺しているだろう。殺戮と復讐の業が、黒い霧のように纏わりついている。


 人間の水準では確かに上等だ。


 とはいえ、所詮はその程度——魔族の基準で測れば…いや、やめておこう。それを持ち出せば、せっかくの娯楽が台無しになる。


 ふと、お姉様の美しい声が蘇る。


『面白きこともなき学園を面白く』


 うむうむ、なんと深遠な教えであろうか。つまらぬものも、視点を変えれば宝石に化ける。お姉様はいつも最良の道を示してくださる。


「それで貴様らは何を披露してくれるのだ? 我を楽しませてみろ」

「くっく威勢がいいじゃないか、銀髪のお嬢ちゃん。ここは人目がつく。少し裏通りに移らないか?」

「別に騒ぎになるようなことはない。一瞬でカタがつくからな」

「へっ、情報通りの大口ぶりだな」

「大口かどうかは今にわかる。さぁ、かかってこい」

「まぁ焦るなって。少しはやりそうだが、本当にいいのか? ここだと大切なお友達を巻き込むことになるぞ」


 二人組の男がパチンと指を鳴らす。その合図で、物陰からぞろぞろと奴らの手下どもが這い出してきた。こういう小者どもは、必ず数で勝負に出る。


 アナスィーとミレスの顔が青ざめていた。特にミレスは完全にこの殺気に当てられている。逃げ出すこともままならないだろう。


 どうする?


 後方にちらりと視線を向ける。完璧に気配を消して佇む強者が一人。我の人形であるアナスィーとミレスには、近衛隊員を交代で張り付かせてある。

 この前、ミレスを壊されそうになり対策を講じたのだ。我の人形を他人が勝手に汚すのは我慢ならんからな。

 今日の当番は、我が右腕ニールゼンである。最強戦力の護衛だ。

 ただ待機しているニールゼンを表に出すわけにはいかない。学園への潜伏工作に支障が出るやもしれん。


 戦場の移動——こちらとしても渡りに船だ。


「よかろう。案内してもらおうか」

「カミーラ様、お待ちください! 思い出しました。こいつらは裏社会でも悪名高いレッド兄弟です。腕前もさることながら、その残虐性で知られています。皆で束になってかかりましょう!」


 アナスィーが血相を変えて叫ぶ。


「そ、そうだよ。カミーラ様の重荷にはならない。私はもう自分の大事なことには絶対に逃げないから。覚悟を決めている。一緒に戦おう!」


 ミレスも震え声で続ける。


「いいから貴様達は、自分の身を守っていろ!」


 二人の反対を一喝で封じ、レッド兄弟の後に続く。


 するとやりとりを見ていたレッド兄はニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。


「へっへっ、友達思いで涙が出るねぇ。安心しろ、大人しくついてくるなら二人には手を出さ——なんて言うと思ったか! バカめ、まとめてぶっ殺せぇ!」

「「へぇい!」」


 裏路地に足を踏み入れた瞬間、レッド兄の号令が響いた。


 レッド兄の手下どもがアナスィーとミレスに殺到する。


 想定通りの裏切りだ。


 控えているニールゼンと目が合う。意図を完璧に理解したニールゼンは、恭しく一礼してから影に溶けるように消えた。


 ニールゼンには裏から支援させる。我が右腕なら、この程度の雑魚どもなど物の数ではない。


 さらに——

 気づかれぬよう、そっと防御魔法を発動する。


 透明な魔力の膜がミレスとアナスィーを包み込んだ。手加減した術式とはいえ、我が編み上げた防御結界である。並の攻撃では傷一つつけられぬ。


 これで後顧の憂いはない。


 お気に入りのおもちゃが壊れるのを黙って見過ごすような、無粋な真似はせん。


「銀髪の小娘、残念だったな。約束は破るためにある」

「そうだね、兄ちゃん。騙されるほうが悪いのさ」

「ふむ、実に的外れな意見だ」


 我は肩をすくめる。


「とはいえ反論する気もない。馬鹿と話すよりさっさと始めたい。それともまだ奥へ案内するのか?」

「くっく、いいぜ、いいぜ! その高慢ちきな態度。そんな奴の心をへし折るのが実に楽しみだ」

「……質問に答えろ。我は気が長い方ではないぞ」

「あぁ、もう終わりさ。ここが終点だ、生意気な小娘!」


 レッド兄弟がここぞとばかりに歩みを止め、芝居がかった仕草で両手を広げた。


 ……なるほど、見るからに怪しげな場所だ。


 空間に微細な魔力の歪みが生じている。なんらかの術式が仕込まれているな。あえて調査魔法は使わない。種明かしを事前に知ってしまっては、せっかくの余興が台無しになる。


「さぁ、何を見せてくれる?」

「へっへっへ、楽しみにしてろよ! これだぁあ!」


 レッド兄が両腕を天に掲げ、呪文を詠唱し始める。


 刹那、地面が眩い光で満たされた。複雑怪奇な魔方陣が足元に浮かび上がり、古代文字が蛇のように蠢いている。


 これは——転移魔方陣か!


 世界が歪み、引き延ばされ、ねじ曲がる。

 強制的な空間移動——まさに教本通りの罠だ。


 転移が終わり、周囲を見渡す。


 ——まず、臭気が鼻を突く。


 血の匂い。腐敗した肉の甘ったるい腐臭、そして何かが発酵したような酸っぱい悪臭。それらが幾重にも重なり合って鼻腔を侵してくる。

 魔界の拷問場を思い出す。あそこまでではないが、まずまずのできか。魔界のような絶望の瘴気が漂っていないのが惜しいところだ。


 次に視線を上げると——森が見えた。


 けれど、違和感がある。木の幹が細すぎる。枝ぶりも不自然だ。葉がざわめく音もしない。


 よく見れば、それは木ではない。


 杭だった。


 無数の木の杭が地面に突き立てられ、そこに串刺しにされた人間の死体が吊るされている。遠目には森に見えたのは、杭と死体が織りなす異様な造形だったのだ。


 そしてその"死体の森"には住人がいる。


 腐肉を啄む腐乱鳥が何百と群がり、ぎゃあぎゃあと鳴き交わしている。時折、まだ息のある者が苦痛に呻くと、鳥たちは一斉に羽ばたき、黒い雲のように舞い上がった。


「いぎぇぇ……こ、殺せ、殺してくれ……」


 足元近くの杭に、腹部を貫かれた男がいた。杭の先端は意図的に丸く削られ、内臓を避けるように角度をつけて刺さっている。即死させず、失血死もさせず、苦痛を長引かせる。


 まるで百舌鳥の早贄だな。


 百舌鳥は捕らえた獲物を木の棘や有刺鉄線に刺し、保存食とする習性がある。


 死体の配置を観察した。高い場所には比較的新しい死体、低い場所には白骨化が進んだもの。腐敗の進行具合で高低差をつけている。


「陰惨な顔だな。小娘には刺激がきつ過ぎたか?」


 からかうような声と共に、レッド兄弟も転移で現れた。反応を期待するような、得意げな表情を浮かべている。


「我は王都に来たばかりだ。すべてを知っているわけではない。こんな場所もあるんだな」

「へっへっへ、ここは俺たちの狩場だ。特殊な結界を敷いて、誰にも邪魔されない創作空間を作り上げたのさ。泣いて叫んでも誰も来ない」


 こやつの証言通り、周囲に生者の気配はない。瓦礫とゴミが無秩序に散乱し、まさに廃墟と呼ぶに相応しい有様だ。唯一、生命の息吹を感じるのは杭に磔にされた者たちの周辺のみ。


「い、痛い……こ、殺せ、殺してくれよ……」

「た、頼む……お、俺が悪かった……許してくれ……」


 杭からは切れ切れの懇願が漏れ続けている。既に正気を失いかけた者、まだ理性を保とうと必死にもがく者——苦痛の度合いも様々だ。


「まぁ、そろそろいいんじゃない? 新しいおもちゃも手に入ったしね」

「そうだな、弟よ。こいつらにも飽きた。始末するか」


 レッド兄が手にした槍をくるくると回しながら言う。


「うん、始末だ!」

「ほら、慈悲をくれてやる!」

「がはっ!」


 兄弟の槍が、苦悶に歪んだ顔面を次々と貫いていく。額に風穴を開けられた男たちが、操り人形の糸を切られたように項垂れた。


「ふむ……」

「どうした? びびってんのか?」

「我がこの程度のことで動揺しているように見えるか? 観察眼が足りんな」

「へっ、本当に憎らしいぐらい強気な女だ。いたぶりがいがあるってもんだ」

「兄ちゃん、その通りだよ。そうやって強がった奴が、最後は俺たちの足を舐めて命乞いをしてくるんだもん。たまらないよね」

「くっく、銀髪の小娘。お前もすぐに跪かせて、俺のナニを舐めさせてやる」

「おぉ、それいいな兄ちゃん。俺のナニにも刺激を分けてよね」


 ……下品な奴らだ。


 まずは、そのナニとやらを根元から切り落とすか?


 それから延々と続く自慢話。殺した人数、拷問の手法、そして犠牲者の断末魔——まるで武勇伝でも語るかのような得意げな口調だった。


 くだらん自己陶酔だな——さてさてどうしたものか。


「なんだ? 何か言いたそうな顔をしているな」


 レッド兄が疑問を投げかけてくる。


「我は学園生活で退屈をもてあましている。よって面白そうなおもちゃは、できるだけ生かして遊ぶつもりだ。脆弱な輩ばかりの中、貴様達はそれなりに耐久性がありそうだからな」

「はっ? お世辞のつもりか? 当たり前だ。俺達は他の連中とは格が違うぜ」

「勘違いするでない」


 我は手をひらひらと振る。


「あくまで『マシ』というレベルの話だ。言うなれば、おまけのおまけ。通常なら生かして楽しむところなのだが——貴様らは不合格だ。見苦しすぎる」

「はは、なんだよ。結局お説教かよ。そうか、お前はそういうタイプなのか。いるんだよなぁ、そうやって正義面して俺達を非難する奴」

「そうそう、兄ちゃん。むかつくよね」

「あぁ、だからそんな輩は、念入りに拷問して殺してやった。ほら、見てみろ!」


 レッド兄が、杭にさされて白骨化した死体を指差す。


 その死体は他よりも多くの杭が刺さっていた。身動きもとれず、苦しみ悶えた表情が窺える。


「あいつ、面白かったよね。人の道理をこんこんと諭してきやがったから、とがらせない杭で刺してやった。最後は間抜けだったよね。あんなにえらそうだったのに、『自分が間違ってた。助けてくれ!』って何度も泣き叫ぶんだもん。だ・か・らできるだけ生かしてやったよ」

「ふふ、お前も同じ運命を辿らせてやる。いいか、人の本質は、誰もが同じだ。心の内に欲望を滾らせている。それを善性とか誇りとかいい子ぶって覆い隠す野郎は、虫唾が走る。覚悟しておけ! てめぇは楽には殺さねぇえ!」


 レッド兄弟は目を血走らせ、狂気に満ちた声で叫ぶ。そして、手にした槍の穂先が、こちらに向けられた。


「だから勘違いするでない。貴様達の『行為』が見苦しいとは言っておらん。確かに品はないが、似たようなことをしていた元同僚を知っている。別段、驚くことでもない」

「はぁ? 元同僚だと? 破壊の悪魔と呼ばれた俺達兄弟に匹敵する奴がいたとでも言うのか!」

「ああ、そやつも槍使いだった。下品な男でな、言動も貴様達によく似ている。まぁ、殺害数は貴様達とは桁が違ったがな。やることなすこと我に盾突いて、最後は我の手で始末された哀れな男だ。今思えば、奴も貴様達と同じだったのだな」

「同じ? 何がだ?」

「腕に自信がないから、やたらと腕を誇りたがる。獲物を杭に刺して晒すのもそのためだろう? 他人に自慢したくて仕方がない。『すごいだろう? 褒めて褒めて、ママ』——といったところか」

「て、てめぇ……舐めてんのか」


 レッド兄の顔が紅潮する。


「まぁ、要するに何が言いたいかというと——」


 我は指を立てる。


「貴様達は顔が不細工すぎるのだ。見苦しい。それが不合格の理由だ。いくら面白くても、見目が悪ければ手元には置けん。もう一度言おう——貴様達の面は見苦しい。さらに言えば臭い。風呂にも碌に入っていないのだろう? 鼻が曲がりそうな悪臭を放っているぞ」

「あ……兄ちゃん……」

「弟よ、分かっている」


 レッド兄がゆっくりと弟と視線を交わす。


 二人がコクリと頷き合った瞬間——

 空気が一変した。


「「死ねやぁあああ!」」


 咆哮とともに、殺意の嵐が押し寄せる。


 レッド兄弟が憤怒の表情で槍を振るってきた。前後で挟み、連撃してくる。しかも、手足や肩など急所を外した箇所を狙ってきた。


 どうやら宣言通り、楽に殺す気はないらしい。徐々に弱らせて拷問にかける気なのだろう。


「死ね、死ね、死ね! 俺達を舐めてると容赦しねぇ!」

「兄ちゃん、こいつは俺に殺させてくれよ」


 目にも留まらない攻撃……と自分を誤魔化せるだろうか。いや、無理だ。


 ぬるい。ぬるすぎる。


 政敵だった六魔将キラーの足元にも及ばん。


 キラーの槍術は別次元だった。音を斬り、風を突き、常に死角を狙って予測不能な軌道で襲いかかる。槍身が空気を切り裂く音さえ消し、完全な無音で必殺の一撃を放つ——それがキラーという男の実力だった。


 対してこやつらは?


 レッド兄弟の槍撃は確かに素人とは違う。三段突きから薙ぎ払い、そして回転突きへの連携——人間にしては見事な技術なのだろう。


 とはいえ、あまりにも遅い。


 彼らが渾身の力で放つ槍先が、まるでゆっくりと近づいてくるように見える。軌道も読める。タイミングも予測できる。


 人間同士なら必殺の連撃といったところか、ただ——種族が違いすぎた。


 振り向きもせず、レッド弟の槍を左手で受け止めた。


「なっ!?」


 驚愕の声を上げるレッド弟。その隙に槍を奪い取る。


「貴様達の槍術、人間にしては十分だ。けれど—我には通用せん」

「ほざけぇ!」


 レッド兄が歯を剥き出しにして槍を振り上げる。しかし、蝿でも払うかの如く片手でその切っ先を掴んだ。


 金属が軋む音が響く。


「残念ながら、動きが見えすぎる」


 掴んだ槍をゆっくりとひねる。レッド兄が必死に抵抗するが、まるで子供の玩具を取り上げるような感覚だ。


 貧弱すぎる。


 メキリ、という鈍い音とともに、槍がレッド兄の手から滑り落ちた。


「貴様らの連携は通用せぬ。兄が三歩踏み込んだ瞬間に、弟がどこを狙うかも分かってしまう。予測可能すぎて、退屈極まりない」


 溜息をつき、首を横に振る。そして、槍を地面に突き立てる。槍身が石畳を砕き、深々と突き刺さった。


「はぁ、はぁ、はぁ……だ、だめだ。なんて強さだ」

「兄ちゃん、やばい……こいつ、やばいよ……」

「どうした? もう終わりか? 早く本気を見せねば、本当に殺してしまうぞ」

「お……弟よ……」

「わ、分かってる……兄ちゃん……」


 レッド兄弟が震え声で言葉を交わす。


 すると、二人の足取りが変わった。先ほどまでの力任せな攻撃姿勢ではない。何か別の算段があるような、妙に余裕を見せ始めた。


 レッド兄は我が突き刺した槍を回収すると誘うような動きを見せ始める。レッド弟も槍を拾いそれに続く。


 ほほう——隠し球の登場か。

 せいぜい楽しませてもらおうではないか。


 期待に胸を躍らせていると、後方に微細な魔力の波動を感じ取った。


 ……。


 ああ、我の高すぎる魔法感知能力が憎い。せっかく楽しみにしていたというのに、隠し球の正体があっさりと看破できてしまった。


 こやつら、隠蔽魔法の一つも使えんのか?


 レッド兄は得意満面の笑みを浮かべている。よほど切り札に自信があるのだろう。


 はあ——まるで三流の推理書物を見ているようで、興が削がれる。


 そして……。


「取ったぁあ!」


 レッド兄の勝ち誇った咆哮とともに、後方の空間が裂けた。虚空から槍の穂先がゆらりと現れる。


 ……遅い。あまりにも。


 異空間から出現した槍を、指先で軽やかに挟んで受け止めた。羽毛が頬を撫でるような、微かな衝撃。そのまま力を込めると、槍は呆気なくレッド兄の手から離れた。


「なっ!?」

「甘いな。物質転移での強襲か。奇襲を行うのだ。せめて隠蔽魔法ぐらい使え!」

「い、隠蔽魔法だと?」

「知らんのか……貴様達の潜行術は他の人間よりもましだった。少しは期待していたが。所詮はこんなものか」

「お、俺達を舐めると……」

「すごむな、人間。期待が大きかった分、落胆も深い」


 完全に興味を失った視線を向けると、レッド弟が全身を震わせ始めた。


「だまれ、だまれ、だまれぇ!」


 レッド弟が錯乱状態で槍を突いてくる。


「それも甘い」


 軽く身体をひねって余裕で避けた。


「抜く手を見せぬとは言わんが、もう少し速く突けんのか? 亀のようだぞ」

「だ、だまれ!」

「もはや見苦しい!」


 レッド弟の槍を奪い、そのまま弾き飛ばす。レッド弟は衝撃で大きく仰け反った。


「そら、槍とはこうやって使うものだ!」


 振り向き様に、レッド弟の股間に槍を叩き込む。


「ぶぎゃぁあああ!」


 レッド弟の身体が人形のように宙を舞い、瓦礫に激突した。槍は衝撃でへし折れ、無様な破片となって散らばる。


「がらくたの武器だな。半分も力を入れておらんというのに……」


 倒れ伏したレッド弟を見下ろし、軽蔑を込めて呟く。


「うぅうぉおお……がぁああ……」


 レッド弟は白目を剥き、泡を吹いて痙攣している。レッド弟のナニには凄惨な損傷——直径二十センチほどの空洞が開いていた。


 あと数分で失血死するだろう。


「お、弟ぉぉぉ!!」


 レッド兄の慟哭が地下空間に響く。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、嗚咽に身体を震わせている。


「ふふ、貴様達があまりに騒がしいからな。ナニとやらに、たっぷりと刺激を与えてやったぞ」

「貴様ぁ……許さん……絶対に許さんからな!」

「安心しろ。すぐに弟の元へ送ってやる。よかったな、似た者兄弟。同じ地獄で再会を果たせるぞ」


 我は死刑執行を告げるべく、一歩、また一歩と、レッド兄に向かって歩を進める。


 レッド兄はそれに合わせて後退していく。


 ほう——あれほど激昂していたのに、飛びかかってこないのか。


 ……意外に冷静だな。

 いや、待て——これは誘いか?


 転移魔方陣と同種の作為を感じる。十中八九、また何かの罠に違いない。


 面白い。その罠とやら、喜んで踏んでやろう。


 所詮は脆弱な人間だ。真正面からの勝負ではあっという間に片がつく。せめて人間の得意とする策略を破って、このゲームに終止符を打つ。


 さらに一歩踏み込むと——


「へっへっへっ、ついに捕まえたぞ!」

「む!?」


 突然、足元のゴミの山から何かが飛び出した。


「ゴミの中に隠れていただと?」

「馬鹿め! 俺達は本当は三兄弟なのさ。でかしたぞ、末弟よ!」


 レッド兄が勝ち誇ったように叫ぶ。


 なるほど——これが真の切り札か。


 突如、ゴミの中から人が現れ、我の腕を掴んだのだ。


 掴んでいるその男は小太りで細い目をしている。三兄弟といっていたから、兄弟の一人か。見目は悪い。特筆すべきは手に仕込んでいる宝石か。高位魔石のようだ。ある程度の魔力波動を感じる。


 それにしても油断していたとはいえ気配察知できなかった。こいつの技量、いや、生命活動すらなかった。


 これはもしや……。


「そうか。仮死状態で潜行していたか」

「ほっ!? 本当にお前はすごいな。そうさ、末弟は俺達の取っておきの切り札だ。古代シャーマンの秘術『疑似死の術』を習得している。この術を使えば、生命活動を限界まで抑制し、死体と区別がつかなくなるのさ」


 レッド兄が得意げに続ける。


「術者は自発的に目覚めることができない。外部からの特定の刺激——この場合は魔力の波動——を受けて初めて蘇生するのさ。だから俺達は周期的に魔力を放出して、末弟を起こしていたんだ。さすがのお前もほぼ死人の気配は探れなかったようだな」

「あぁ、見事だ。褒めてやろう。実は、本気になれば探れんことはないのだが、それは言わぬが花だな。うむ、努力賞だ」

「本当に憎らしい野郎だなぁあ。やれ、末弟(ジュークー)よぉお!」

「わがっだよ。ジンゾ兄ちゃん」


 む——力が抜けていく。

 体内の魔力が滝のように流れ出していくのを感じる。これはなかなかの感覚だ。


「貴様、魔力吸収(ドレイン)か?」

「ひゃっははは! 正解だ。末弟の手には、魔力吸収する赤魔石が埋め込まれてある」


 レッド兄が狂気じみた笑い声を上げる。


「この赤魔石は特別製なんだぜ! ゼノア帝国の宮廷魔術師が三年がかりで作り上げた逸品だ。お前程度の魔力なら一分もかからずに空っぽにしてやる!」


 石の内部を透視すると、魔力が複雑な螺旋を描いて渦巻いている。精密に刻まれた魔法陣が幾重にも重なり、吸収した魔力を段階的に蓄積してから術者に還元する仕組みらしい。なかなか考えて作られているではないか。


「くっくっ……」

「なんだ、泣いているのか? 後悔しろ、絶望に震えるんだな」

「絶望だと? 貴様達とは本当に会話が噛み合わんな。やっと面白くなってきたのだ。これは歓喜の声だぞ」


 赤魔石の光が徐々に強さを増していく。血のような深紅の輝きが心臓の鼓動に合わせて明滅し、まるで邪悪な生命体が宿っているかのような不気味さを醸し出している。


 レッド兄が勝利を確信した表情で叫ぶ。


「ほえ面かきやがって。その生意気な(つら)を絶望の色に染めてやる。末弟(ジュークー)よ、わかってるな!」

「わがっでる。絶対にはなぁざないがら、蹴っても無駄だど。ニンゲ兄ちゃんの(かたき)だ」

「そうか、離さないか。絶対だな?」


 ゆっくりと我は唇の端を上げる。


 末弟の手には奔出する魔力が激流となって流れ込んでいる。赤魔石が貪欲に吸収する魔力は、もはや制御の域を超えた暴流と化していた。


 末弟は恍惚の表情を浮かべている——しかし同時に、その身体には異常な緊張が走っている。まるで限界を超えた電流が流れる電線のように。


 さあ、人間の浅知恵がどこまで通用するか——その限界点を、とくと見せてもらおうではないか。

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