ロルフ
◇◆◇◆
金髪の男性に連れられるまま本邸の応接室へ来た私は、まだ困惑していた。
初日の段階で案内すらされなかった本邸に、これから住むだなんて……考えられなくて。
『一体、どういう風の吹き回しなの?』と訝しみつつ、私はソファに腰を下ろす。
────と、ここで金髪の男性が紅茶を淹れてくれた。
「あっ、ありがとうございます、えっと……」
名前が分からずつい口篭ると、彼は僅かに眉を動かす。
と同時に、苦笑を漏らした。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね」
『大変失礼しました』と謝罪し、金髪の男性は自身の胸元に手を添える。
「僕は公爵様の秘書をしているロルフ・ルディ・バーナードと申します。気軽に『ロルフ』とお呼びください」
『敬称も不要です』と述べる彼に、私はコクリと頷いた。
「私はレイチェル・プロテア・ラニットです。これからよろしくお願いします、ロルフ」
「ええ、こちらこそ」
にこやかに応じるロルフは、とても感じのいい人だった。
少なくとも、夫のような威圧感やロベリアのような軽薄感はなさそう。
『結婚してから、初めてまともな人に会ったかもしれない』と思いながら、私は顔を上げた。
「ところで、私はどうなるんでしょうか?旦那様の口ぶりだと、本邸で暮らすことになりそうですが」
『あの発言は何かの隠語で、別の意図が?』と勘繰る私に、ロルフは小さく首を横に振る。
それはない、とでも言うように。
「恐らく、言葉通りここで生活することになると思います。公爵様に限って、嘘や冗談であんなこと言わないでしょうし」
「……そうですか」
別邸での生活をそれなりに気に入っていたため、私は小さく肩を落とす。
『また誰かの事情に振り回される暮らしは嫌だな』と考えていると、ロルフが慌てて身を乗り出した。
「ご安心ください。もうあのような扱いを受けることは、ありませんから。公爵夫人に相応しい待遇をお約束いたします」
『ここなら、僕や公爵様の目も行き届きますし』と力説するロルフに、私は嘆息する。
そういうことじゃないのよね、と思って。
「やっと、家事にも慣れてきたところなのに……残念だわ」
独り言のようにボソリと呟き、私は淹れたての紅茶を一口飲む。
────と、ここで応接室の扉が開いた。
「貴様は私のただ一人の妻なのだから、そんなことに慣れなくていい」
そう言って、室内へ足を踏み入れたのは夫だった。
白のジャケットを赤く染める彼は、人を斬ってきたにも拘わらず酷く落ち着いている。
「むしろ、忘れろ。公爵夫人に家事をさせていたなど、一生の恥だ」
『はぁ……』と深い溜め息を零し、夫は向かい側のソファへ腰を下ろした。
と同時に、足を組む。
「いいか?貴様はこれから身の回りのことに煩わされることなく、ラニット公爵家の恩恵を充分に受け、豊かに過ごすんだ」
────という宣言通り、私の生活は一変した。
これまでの扱いが嘘のように、いいもの・いい人材・いい環境を与えられ、何不自由ない暮らしを送れている。
本邸に来た当初はまだ不安で別邸に戻りたい気持ちもあったけど、今となっては『ここへ来て良かった』と思っている。
だって、凄く快適なんだもの。
何をするにも、どこへ行くにも使用人が傍に居てフォローしてくれるから。
『まさに至れり尽くせり』と思いつつ、私は朝食を終えた。
すると、専属侍女のベロニカが食器を下げに来る。
後ろできっちり結んだ緑髪を揺らしながら。
「奥様、本日の訪問はいつ頃になさいますか?」
もはや聞き慣れてしまった質問を繰り出すベロニカに、私は少しばかり悩む素振りを見せる。
が、直ぐに考えをまとめた。
「今から、行くわ」
どうせならさっさと終わらせて、ゆっくり寛ぎたかったため、私は席を立つ。
そして、夫の居る執務室へ向かった。
本邸に移り住んでからというもの、私は毎日のように旦那様のもとへ足を運んでいる。
何故なら、一日一回顔を見せるよう厳命されているから。
多分、生活に不便はないか……また使用人達に虐げられていないか、確かめるためだろう。
別邸担当の使用人達に対して激怒していた夫を思い出し、私はスッと目を細める。
────と、ここで目的地に到着した。
「旦那様、奥様がいらっしゃいました」
ベロニカが扉をノックして訪問を告げると、直ぐに
「入れ」
と、返事が来る。
なので、ベロニカは静かに扉を開けてこちらに目を向けた。
『どうぞ、お入りください』と促してくる彼女を前に、私はコクリと頷く。
と同時に、室内へ足を踏み入れた。
「おはようございます、旦那様。朝早くにすみません」
「ああ」
言葉少なに応じる夫は、執務机に並べた資料から顔を上げる。
「適当な場所に座れ。あと、貴様はもう下がっていい」
ベロニカに向かって『席を外せ』と指示し、夫は再びペンを動かす。
その傍には、ロルフの姿もあった。
「奥様、昨夜はよく眠れましたか?」
追加の紅茶を淹れつつ、ロルフはこちらに笑い掛ける。
おかげで、この場の空気が少し緩んだ。
心做しか照明も明るくなったように感じる中、私はソファへ腰を下ろす。
「ええ、昨夜に限らずここ最近はずっとぐっすり眠れています」
「それは良かったです」
ホッとしたように表情を和らげ、ロルフは淹れたての紅茶を私の前へ置いた。
すると、夫がこちらを見つめる。
「……確かによく眠れているようだな。結婚式のときに見た酷い顔とは、似ても似つかない」
『化粧で誤魔化していたが、凄い隈だった』と指摘し、夫は書類へ視線を戻した。
かと思えば、資料の山から何かを引っ張り出す。
「今の状態なら、着飾ってもみすぼらしく見えないだろう。好きなものを注文するといい」




