風邪
────とある日の早朝。
私はなんだか寝苦しくて、いつもより早い時間帯に目を覚ました。
今日は異様に寒いわね。
それに体も怠くて……全く動く気になれない。
『まだ寝足りないのかしら?』と思いつつ、私はゴロンと寝返りを打つ。
すると、隣で眠っている夫の姿が目に入った。
『そういえば、旦那様の寝顔を見るのは初めてかも……』と考える中、私は不意に咳き込む。
「────レイチェル」
少し掠れた声で名前を呼ばれ、私は顔を上げた。
と同時に、先程まで眠っていた夫が体を起こす。
「顔が赤いな。それに呼吸も早い」
寝起きにも拘わらず即座にこちらの異変を察知する夫は、使用人呼び出し用のベルに手を伸ばした。
「多分、風邪だろう」
────という夫の予想通り、私は熱を出していた。
医者曰く、そこまで酷いものじゃないので安静にしていれば大丈夫とのこと。
「レイチェル、薬だ。飲め」
夫は医者の処方してくれた薬と水を差し出し、『ほら』と促す。
この時間帯、いつもなら執務室で仕事をしている筈なのに。
『心配で、まだ寝室に居るのかしら?』と考えながら、私は上体を起こした。
「ありがとうございます」
薬が包まれた白い紙と水の入ったコップを受け取り、私はゆっくりと口元に運ぶ。
そして、何とか飲み終えると、夫が紙やコップを回収した。
「水、もう少し要るか?」
「いえ、大丈夫です」
「部屋の温度は?上げるか?」
「今がちょうどいいので、お気遣いなく」
再びベッドに横になりつつ、私は『何もしなくていい』と告げた。
すると、夫はベッド脇に置いてある椅子へ腰を下ろす。
「そうか。では、寝ろ」
両腕を組んでこちらを見下ろす夫に、私は
「はい、おやすみなさい」
と、返事した。
その刹那、意識を手放し────約四時間後に目を覚ます。
薬のおかげか随分と体が楽になった私は、ホッと息を吐き出した。
が、傍で仕事している夫を見るなり青ざめる。
「えっ?旦那様……?」
てっきりもう部屋から出て行ったのかと思っていたため、私は戸惑いを隠し切れなかった。
だって、ここに居たら風邪を移してしまうかもしれないから。
いや、本来なら今朝の時点で引き離すべきなのだが……。
『熱のせいで、そこまで気が回らなかったのよね……』と思いつつ、私は慌てて身を起こす。
と同時に、夫が顔を上げた。
「何をそんなに驚いている?」
「旦那様まで体調を崩すかもしれない事態に直面しているからです」
「感染のことを気にしているのか?なら、安心しろ。この程度の病では、私をどうすることも出来ない」
『現に風邪を引いたことは一度もない』と言ってのけ、夫は水の入ったコップをこちらへ手渡す。
「第一、毎日一緒に寝ている時点でもう手遅れだろ」
「それは……確かに」
『よく考えれば、発症のときも真横に居たし……』と思い返し、私は隔離や退室を諦める。
そのまま大人しく水を飲む私の前で、夫はこちらへ手を伸ばした。
「だから、レイチェルは自分の体調だけ心配していろ」
優しく私の頭を撫で、夫は空になったコップを受け取る。
「とにかく安静にして、早く治せ。妻の苦しむ姿は……あまり見たくない」
珍しく自分の気持ちを口にする夫に、私は少しばかり目を見開いた。
『思ったより、心配を掛けてしまったみたいね』と考えつつ、早く治すことを決意する。
夫にあまり心労を掛けたくなかったので。
何より、彼とまたお喋りしたり庭を散歩したりしたかった。
『寝るのは好きだけど、旦那様と過ごす時間を制限されるのは嫌』と思い立ち、私は療養に専念する。
────その結果、風邪は二日ほどで治り、またいつもの日常へ戻った。




