初夜の問題《ロルフ side》
────建国記念パーティーも終わり、いつもの日常へ戻った頃。
僕は公爵様より、寝室……というか、寝具の新調を命じられた。
それも、かなりの注文付きで。
「ベッドは柔らかく寝返りを打ったとき音が鳴らないもので、シーツや枕も最上級のものをって……公爵様がここまでこだわるなんて、珍しいですね」
『普段はベッドの大きさくらいしか、指定しないのに』と零し、僕は仕事中の公爵様を見つめた。
すると、彼は一切手を止めることなくこう答える。
「その寝具を使うのは、私だけではないからかな」
「……えっ?」
思わずその場で立ち尽くす僕は、書類を取り落とした。
執務室の床へ落ちる紙を前に、パチパチと瞬きを繰り返す。
えっと、つまり公爵様以外にも新調した寝具を使う人が居て……その人のために色々配慮しているということか?
でも、公爵様がそんなに気を遣う人物なんて……あっ────奥様か!
ようやく正解を導き出し、僕は『なるほど!』と理解を示す。
一日の大半をベッドの上で過ごしていると言っても過言じゃない、あの奥様が使用する寝具ならここまでこだわるのも納得のため。
「ついに奥様と寝室を一緒にすることにしたんですね!」
「ああ」
「では、二人のお子様を拝む日も近そうですね!」
「?」
公爵様は怪訝そうな表情を浮かべ、おもむろに腕を組んだ。
『何を言っているんだ?貴様』と言わんばかりの態度に、僕は一瞬固まる。
だって、寝室を一緒にしたのはてっきりそういうことかと思っていたので。
逆に子作り以外の目的って、何?
まさかとは思うけど、『一緒に居る時間を増やしたかった』とか『寝顔を見たかった』とかそんな理由じゃないよな。
などと考えていると、公爵様が書類仕事を再開する。
どうやら、僕との会話は時間の無駄だと判断したらしい。
『相変わらず、ドライな人だな』と思いつつ、僕は床に落ちた書類を拾い上げた。
まあ、公爵様にその意図はなくても寝室を共にするようになれば、自ずとそういう雰囲気になるだろう。
────と、放置を決め込んだ半年後。
僕は奥様から、呼び出しを受けた。
なんでも相談したいことが、あるとか。
いつになく深刻な様子だったから、心配だな。
もしや、また何かのトラブルに巻き込まれているのか?
『姉のクラリス嬢は最近、大人しいと聞いていたが……』と思案しながら、僕は奥様の部屋を訪れる。
そして、促されるまま来客用のソファに腰掛けると、ベロニカが紅茶を淹れてくれた。
いい香りのするソレを前に、彼女はサッとお辞儀してこの場を立ち去る。
どうやら、話し合いには同席しないようだ。
「あの、奥様。ご相談というのは?」
あまり二人きりになる時間を作りたくないので、僕は早速本題を切り出す。
すると、向かい側のソファに座る奥様が顔を上げた。
「旦那様のことなんですけど」
金の瞳に僅かな憂いを滲ませ、奥様はおずおずとこちらを見つめ返す。
なんだか言いにくそうにしている彼女の前で、僕はティーカップを持ち上げた。
「もしかして、また無神経な発言でもされましたか?」
「いえ、そういう訳では」
「じゃあ、何か無茶ぶりでも?」
「違います」
キッパリと否定する奥様に、僕は内心頭を捻る。
他に心当たりなど、もうないため。
「では、一体何を悩んでいらっしゃるのですか?」
直球で質問を投げ掛け、僕は紅茶を口に含んだ。
その瞬間、奥様がそっと目を伏せる。
「大まかに言うと────旦那様の生殖能力について、です」
「!?」
全く以て予想外の言葉に驚き、僕はつい紅茶を吹いてしまった。
幸い、奥様に掛かることはなかったものの……髪や服はビチャビチャ。
『な、何か拭くものを……』と慌てる僕に、彼女はハンカチを差し出す。
「大丈夫ですか?」
「あっ、はい。ありがとうございます」
奥様のハンカチを有り難く受け取り、僕は髪や服に掛かった紅茶を拭いた。
と同時に、視線を上げる。
「それで、えっと……公爵様の生殖能力が、どうかしましたか?」
話を元に戻して詳細を尋ねると、奥様はそっと眉尻を下げた。
「その……所謂、不能なんじゃないかと思いまして」
「ん”ん……!」
またもや吹き出しそうになるのを必死に堪え、僕は口元を押さえる。
『まさか、あの公爵様が男として無能扱いされるとは……』と思いつつ、一つ深呼吸した。
「何故、そのような疑いを?」
努めて冷静に問い掛け、僕は表情を引き締める。
『あちらは真剣なんだから』と己を律する中、奥様は少しばかり表情を曇らせた。
「実は未だに初夜を迎えられてなくて……」
「……はい?」
これまた予想外の言葉が飛び出してきて、僕は目を白黒させる。
寝室を共にしてから、約半年……一度も手を出さずに、耐えてきたのか?公爵様は。
あれだけ、奥様を溺愛しておいて?
『はっ?』としか言えない現状に、僕は悶々とした。
────と、ここで奥様が堰を切ったように事情を話し出す。
「最初は私が先に寝てしまうせいかと思い、極力生活リズムを合わせるようにしたんです。でも、あちらから特にアクションはなく……ただ一緒に寝るだけ。個人的には別にこのままでもいいんですが、家門の将来を考えるとそうも行かず……旦那様と付き合いの長いロルフに相談した次第です」
「な、なるほど……」
ようやく見えてきた相談の全容に、僕は何とも言えない表情を浮かべた。
ここまで頑なに手を出さないということは、あのことをまだ気にしているんだろうな。
まあ、奥様の言う通り不能という線も一応あるが……もし、そうなら自己申告する筈。
半年間も黙っているなんて、有り得ない。
公爵様のサッパリした性格を思い浮かべ、僕は額に手を当てる。
『それにしても、忍耐強いな』と苦笑しながら。
「奥様、これはあくまで僕の予想ですが────公爵様は結婚式当日の初夜を台無しにしたことが、気に掛かっているんだと思います」
「!」
ハッとしたように息を呑み、奥様は大きく瞳を揺らした。
『そういえば、そんなこともあったわね』と呟く彼女を前に、僕は小さく肩を竦める。
「自ら初夜を放棄した手前、誘いづらかったのかと」
『あと、単純にタイミングを掴めなかった線も』と話し、僕は不能説をやんわり否定した。
その刹那────部屋の扉が、勢いよく開け放たれる。
「ロルフ、何故貴様がここに居る?それも、レイチェルと二人きりで」
そう言って、真っ直ぐこちらへ向かってくるのは他の誰でもない公爵様だった。
赤い瞳に不快感を滲ませる彼は、腰に差した剣へ手を掛ける。
と同時に、奥様が席を立った。
「旦那様、ロルフを責めないでください。部屋へ呼び出したのも、二人きりになるよう仕向けたのも私なので」
「……」
公爵様は眉間に深い皺を刻み込みつつも、一旦剣から手を離す。
でも、こちらを見る目は鋭いままだった。
『奥様が席を外した瞬間、切りつけられそう……』と怯える僕の前で、公爵様は言葉を紡ぐ。
「それで、何をしていたんだ?」
静かな……でも硬い声で問い質す公爵様に、奥様はこう切り返す。
「旦那様のことで、少し相談に乗ってもらっていました」
「私のことで相談だと?」
「はい。ですが、もう自分なりの結論に辿り着きましたので大丈夫です」
そう言うが早いか、奥様は公爵様のところへ足を運んだ。
怖いもの知らずなのか、何なのか……全く物怖じしない彼女は赤い瞳を見つめ返す。
「旦那様」
改まった様子で呼び掛け、奥様はちょっと姿勢を正した。
「────今日、初夜にしましょう」
唐突に夜のお誘いを行う奥様に、僕と公爵様はポカンとする。
だって、『今日の夕食はステーキにしましょう』くらいの温度感だったから。
ハッキリ言って、ムードも何もない。
きっと、奥様は『旦那様が誘いづらいなら、私から誘えばいいじゃない』と思って、こんな行動を取ったんだろうけど……正直、色々とズレている。
でも────
「分かった。今日は早めに仕事を切り上げる」
────公爵様をその気にさせるには、これが一番手っ取り早いな。
二つ返事で了承した銀髪の美丈夫を見つめ、僕は小さく笑った。
『これで一件落着かな?』と考えながら肩の力を抜き、立ち上がる。
今のうちに退散しよう、と思って。
だが、普通に捕獲されて公爵様から尋問を受ける羽目になった。
部屋で何をしていたのか、具体的なことは言えてなかったため。
はぁ……何で僕ばっかり、こんな目に……。
『理不尽だ……』と心の中で嘆く僕は、ガックリ肩を落とした。




