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誓い

◇◆◇◆


 ────建国記念パーティーから、ちょうど一週間。

私はいつものように執務室を訪れ、夫やロルフと雑談していた。

その際、ふとデニス皇子殿下の話題になる。


「結局、殿下の手首は折れたまま元に戻らなかったようですね」


 ロルフは書類整理をしつつ、『ずっと手首を固定して、過ごされているそうです』と語った。

と同時に、夫が書面から顔を上げる。


「当然だ。叩き潰すつもりで、攻撃したのだから」


 『そう簡単に治されては困る』と言い、夫はトントンと指先で執務机を叩く。


「本音を言えば、もう一方の手首も……いや、全ての四肢を折ってやりたかったんだが」


 『時間がな』と眉を顰め、夫は一つ息を吐いた。

まさか、あんなに早く敗戦を選択するとは思ってなかったのだろう。

『戦うフリくらいは、やると思ったのにな』と零す彼を前に、ロルフは苦笑を漏らす。


「いやいや、利き手が使い物にならなくなっただけで充分ですよ。あちらはもうまともに書類仕事すら、出来ないんですから。そのせいで、第二皇子を支持していた勢力から一斉にそっぽを向かれたそうですし」


 『第二皇子派は事実上の壊滅状態ですね』と述べ、ロルフは小さく肩を竦めた。

かと思えば、作業していた手を止める。


「あっ、この書類今日までに先方へ送らないといけないやつですね。僕、ちょっと行ってきます」


 書類の山から目当てのものを引き摺り出し、ロルフは席を立った。

直接先方に届けるつもりなのか、少しばかり身嗜みを整える。

と同時に、部屋を出ていった。

『一時間くらいで戻ります』という一言を残して。


 旦那様と二人きりになってしまったわね。

別に『気まずい』とは思わないけど、何を話せばいいのか分からない。

というか、特に話すことがない。


 『そろそろ、お暇しようかしら』と考え、私はソファから腰を浮かせる。

が、


「レイチェル」


 夫に声を掛けられたことによって、一旦座り直した。

素早くドレスのシワを直しつつ、私は背筋を伸ばす。


「はい、何でしょう?」


 赤い瞳をしっかり見つめ返して話の先を促すと、夫は顎に手を当てた。


「何か欲しいものはあるか?」


「!」


 ピクッと僅かに反応を示す私は、言われたことの意味を考える。

だって、夫が何の理由もなく唐突にこんなことを聞いてくるなんて、有り得ないから。


 多分、私にプレゼントを贈ろうとしているんだろうけど、その真意が分からない。

直近で、特に記念日などはないし……旦那様に限って、気まぐれという線もない筈。


 合理主義の夫を思い浮かべ、私は少し悶々とする。

その様子をどう受け取ったのか、彼は


「ドレスでも宝石でも鉱山でも店でも……好きなものを言え。数や予算に制限はない。全て買い与える」


 と、宣言した。

『一先ず、今思い浮かんでいるもの順番に挙げろ』と述べる夫に、私は大きく瞳を揺らす。

いつもの旦那様らしくない、と思って。


 確かに太っ腹の方ではあったけど、こんな風に無制限で何でも与えるタイプじゃなかった。

ある程度、線引きしてこちらに我慢や理解を求めるよう務めている。

それなのに、一体何故?


 不審感や違和感を抱きつつ、私は横髪を耳に掛けようとする。

が、今日はハーフアップにしているため出来なかった。

『あら……』と心の中で呟く私は、おもむろに手を下ろす。


 いつも髪を下ろしているから、ついやってしまった……ハーフアップなんて、春の祝賀会以来だし。


 ラニット公爵夫人として初めて参加したパーティーを振り返り、私はふと顔を上げた。

そういえば────あの日は旦那様にプレゼントされたドレスを着ていたな、と思い出して。

『謝罪』という名目で贈られたことも一緒に甦り、私はハッとした。


「もしかして────また謝罪の一環で、プレゼントを?」


 ほぼ無意識に思ったことを口走ってしまい、私は『あっ、不味い』と少し焦る。

が、夫は顔色一つ変えずにこちらを見つめるだけだった。

特段、気分を害している様子はない。

でも……だからこそ、異常だった。


 図星、みたいね。もし、違うなら直ぐに訂正する筈だから。


 『少なくとも、否定はする筈』と考え、私は額に手を当てて苦悩する。

だって、今回の謝罪理由は間違いなく────自分の家族の問題に巻き込んだことだから。

結婚式の件と違って、これは夫に非などない。

どちらかと言えば、被害者という立場。

それなのに、謝られるのはなんか違う。

だから、


「フェリクス様の件のお詫びということであれば、プレゼントは要りません」


 手のひらを前に突き出し、私は拒絶の意志を露わにした。

金の瞳に、確固たる思いを滲ませて。


「ラニット公爵家に嫁入りした時点で、私もここの人間ですから。家の問題に頭を悩ませたり、力を尽くしたりするのは当然のことです」


 『謝られるようなことじゃない』と主張し、私は少しばかり身を乗り出す。

自身の胸元に、手を添えながら。


「それに、夫婦は苦楽を分かち合うものでしょう?」


 『何故、こうも他人行儀なのか』と不満を表し、私はそっと眉尻を下げる。

最近、少しずつ距離が縮まってきたのにいきなり突き放されたような衝撃を覚えて。

『自惚れていたのだろうか』と自問する中、夫は


「……私は誓いの言葉に同意しなかった」


 と、結婚式の件を引き合いに出した。

『私達は苦楽を分かち合うような夫婦じゃない』と否定するように。


「っ……」


 強く奥歯を噛み締める私は、言い表せようもないほど強い痛みを感じる。

と同時に────夫への愛情と恋心を自覚した。

いや、本当はもっと早く気づいていたのかもしれない。

でも、それを認めてしまったら今の関係が崩れる気がして怖かったのだ。

何より、一番近くに居るのにずっと片想いなんて辛すぎる。

まあ、結局もっと酷い状態になってしまったが。


 『本当、目も当てられないわね』と思案しつつ、私は小さく深呼吸する。

ショックを受けるあまり、号泣……なんてことにならないように。

何とか乱れる心を鎮める中、夫は不意に立ち上がった。


「だから────」


 先程のセリフにはまだ続きがあるのか、夫は言葉を紡ぐ。

真っ直ぐ、こちらを見据えながら。


「────今、ここで仕切り直させてくれ」


「……はい?」


 全く予想だにしなかった方向へ話が転がり、私は目を白黒させる。

『仕切り直すって……誓いの言葉を?』と困惑する私を前に、夫はこちらへ向かってきた。

かと思えば、私の前で足を止める。


「夫婦という関係を、きちんと始めたい」


 そう言うが早いか、夫は私の手をそっと持ち上げた。


「私ヘレス・ノーチェ・ラニットは────健やかなる時も病める時もレイチェル・プロテア・ラニットを愛し、敬い、その命ある限り真心を尽くすことを誓う」


 真剣な声色で一語一語しっかり発音し、夫はスッと目を細める。

赤い瞳に強い意志と覚悟を宿す彼の前で、私は放心した。

まさか、本当に誓いの言葉を口にしてくれるとは思わなくて。


 旦那様は決して、嘘をつかない……それはこれまでの経験から、断言出来る。

だから、この誓いは間違いなく────彼の本心。


 『旦那様も同じ気持ちなんだ』と悟った途端、私は肩の力を抜いた。

拍子抜けするほど都合のいい展開に、歓喜よりも安堵してしまって。

これから、どうやって彼に接して行けばいいのか分からなかった分、余計に。

でも、直ぐにジワジワと熱が……幸福感が胸へ広がっていき、頬を緩める。


「私も……レイチェル・プロテア・ラニットも、誓います。健やかなる時も病める時もヘレス・ノーチェ・ラニットを愛し、敬い、その命ある限り真心を尽くすことを」


 ────不器用で無愛想だけど、誰より義理堅くて真っ直ぐな貴方が好きだから。


 誠実な人柄にどんどん惹かれていったことを思い浮かべ、私は穏やかに微笑んだ。

すると、彼は優しく手を引いて私を立ち上がらせる。

と同時に、少しばかり身を屈めた。


「では、これで私達は正真正銘の夫婦だ」


 そう言って、夫はもう一方の手で私の顎を掴み上げ、唇を重ねる。

『誓いのキス』という言葉が脳裏を過ぎる中、彼はおもむろに身を起こした。


「プレゼントの件はレイチェルの要望通り、白紙に戻す。それでいいな?」


「あっ、はい」


 両想いだった事実に気を取られすぎて、当初の目的をすっかり忘れていたわ。

まあ、無事に解決したのだから別にいいでしょう。


 などと考えていると、夫がじっとこちらを見つめる。


「ところで、このあと予定はあるのか?」


「いえ、特には」


「そうか。なら────もう少しゆっくりして行くといい」


 また直ぐに自室へ戻ることを察知したのか、夫は引き止めてきた。

今まで、こんなことなかったのに。


 旦那様なりに精一杯、愛情表現してくれているのかしら?

だとしたら、素直に嬉しいわ。


 何とも言えない幸福感に包まれ、私は自然と笑みを零す。

繋いだ手を握り返しながら。


「お邪魔じゃなければ、是非」


 赤い瞳を真っ直ぐ見つめ、私はうんと目を細めた。

本作はこれにて、完結となります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!┏○ペコッ


あれこれ悩みながら書いた作品なので、多くの方に読んでいただき、また感想・いいね・ブックマーク・評価なども頂けて感無量です!

本当にありがとうございます!



それでは、本作の裏話(というか、主にヘレスの行動の補足?)を書いていきますね。


・ヘレスが結婚式と初夜をすっぽかしたのは、レイチェルを休ませるためだった

→結婚式でレイチェルの顔(クマが酷い)を見て、『こいつ、今にも死にそうじゃないか?』と思い、わざと自分に非がある形で中止にした。

『新婦の具合が悪そうだから』なんて言うと、レイチェルの責任になってしまうため。


・最初、レイチェルを別邸に住まわせていたのは多少警戒していたから

→やっぱり、駆け落ちしたクラリスの妹なので『こいつも何かやらかすのでは?』と少し不安になっていた。

だから、しばらく様子を見て何事もなければ本邸へ招き入れる予定だった。


・ヘレスがデニスをあの程度の怪我で許したのは、シャノンにお願いされたからというのもあるが、一番はレイチェルのため

→物語序盤でレイチェルが『人を死ぬところは見たくない』云々と言っていたのを思い出し、手加減することにした。



本作の裏話は、これで以上になります。

少しでも『へぇー!あれって、こういう事だったのか!面白い!』と思っていただけたら、幸いです!



それでは、改めまして……

本作を最後までお読みいただき、ありがとうございました!

また気が向いた時にでも、レイチェル達の物語を……いえ、ヘレスの不器用すぎる溺愛を見に来ていただけますと幸いです┏○ペコッ

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― 新着の感想 ―
レイチェルさん頭良さそうだしシゴデキ風なのに、よく見ると寝てるだけだー???!!! 面白かったー! 賢い主人公が何もしない(※余計なこともしない)のもしかしたら新しいかも…お姉ちゃんがあるあるタイプ…
可愛かったー!!!幸せになってほしい!! 結局弟2人が空回りしてただけでお兄ちゃんはずっと見てくれてたという優しいエンドでとても暖まった。
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