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最後のチャンス《デニス side》

◇◆◇◆


 ────同時刻、皇城の医務室にて。

私は治療が終わったばかりの手首を見つめ、苛立ちを募らせていた。

というのも、出来れば顔を合わせたくない男が目の前に居るため。


「全く……だから、いつも言っていただろう?ラニット公爵家には手を出すな、と」


 そう言って、呆れたように溜め息を零すのは兄のシャノン・ルス・アヴニール。

ベッド脇にある丸椅子へ腰掛ける彼は、『素直に忠告を聞かないからだよ』と肩を竦めていた。


 なるほど。薄々勘づいてはいたが、兄上も私の所業を……フェリクスの件で暗躍していたことを、知っていたのか。

ついでにラニット公爵も。


 『もし、把握してなければこんな行動へ出ないだろうし』と考えつつ、私は眉間に皺を寄せる。

一瞬でもこのまま隠し通せると思ったことを、恥じて。

悔しいという気持ちを噛み締める私の前で、兄は自身の顎に手を当てた。


「私を打ち負かしたい気持ちは分かるけど、もう少し慎重に動いたらどうだい?これでは、ほぼ自滅だよ」


「っ……!」


 やれやれといった様子で(かぶり)を振る兄に、私は奥歯を噛み締める。

と同時に、身を乗り出した。

その際、座っていたベッドが大きな音を立てる。

でも、そんなの気にせず兄の胸ぐらを掴んだ。


「うるさい……!そんなこと、自分が一番分かっている!」


 怒号のような……悲鳴のような声色で叫び、私は兄を睨みつける。

青い瞳に、若干涙を滲ませて。


「でも……だって、しょうがないじゃないか!多少の無茶は押し通さないと、兄上には敵わないんだから!」


 『リスクは承知の上!』と言い、私は胸ぐらを掴む手に力を込めた。

が、兄は顔色一つ変えない。かなり息苦しい筈なのに。


兄上()には敵わない、か。皇帝にはなれない、ではなく……」


 独り言のようにそう呟き、兄は少しばかり表情を硬くした。

かと思えば、胸ぐらを掴んでいる私の手を捻り上げる。

『いっ……!』と思わず声を上げる私の前で、彼はおもむろに席を立った。


「見損なったよ、デニス」


 落胆とも憤怒とも捉えられる声色で言葉を紡ぎ、兄はトンッと私の肩を押した。

それにより、私はバランスを崩してベッドへ倒れ込む。

これでもかというほど、目を白黒させながら。

だって、兄がこんな風に私を乱暴に扱うのは初めてだったから。


「はっ……?」


 困惑のあまり固まる私に、兄は酷く冷めた目を向けた。


「私は君がこの国をより良くするために、動いているのかと思っていた。だから、これまで多少のことには目を瞑ってきた。これも君なりの正義だ、と自分に言い聞かせて。それなのに、行動理念が私に勝つことだなんて……」


 『頭が痛い』とでも言うように目頭を押さえ、兄は何とも言えない表情を浮かべる。


「いや、きっかけは別に何でもいいんだ。ただ、あくまで目標は私に勝つことで国を豊かにすることじゃないのなら……自分勝手な事情に他人を巻き込んだというのなら、私はデニスを心底軽蔑するよ」


 いつになく語気を強め、兄は少しばかり眉を顰めた。

その瞬間────私の中で、何かが弾ける。

と同時に、勢いよく身を起こした。


「兄上に何が分かる……!?」


 怒りに震える手を握り締め、私はボロボロと涙を流す。

荒波のように押し寄せてくる激情を、堪え切れなくて。


「次男というだけで軽んじられ、二番手に甘んじるよう強要され、一生脇役として生きていくしかない私が自分の存在価値を示すには貴方に勝つしかないんだ!そうしないと、誰も私自身を見てくれない……!」


 兄上のオマケ扱いであることを指摘し、私は自身の胸元に手を当てた。


「だから、自分勝手でも何でも皇帝になると決めたんだ!」


 長男というだけで恵まれてきたこの人には、分からないであろう嘆きや苦しみ……その全てを吐き出して、私はちょっと咳き込む。

大声を出し過ぎたせいか、喉を痛めてしまって。

『やっと、手首の痛みが収まってきたのに……』と考えていると、不意に────背中を撫でられた。

ポンポンッと、あやすみたいに。


「そうか……デニスの根底にある想いは、それだったんだね」


 兄は優しく……でも、しっかりとこちらの言い分を受け止め、そっと眉尻を下げる。

先程まで、凄く冷たかったのに。


「すまない、デニス。君の葛藤に気づけなくて」


 『もっと気に掛けてやるべきだった』と反省し、兄は辛そうな表情を浮かべた。

まるで、自分を責めるみたいに。

『何で兄上が、そんな……』と驚いて固まる私を前に、彼はそっと目を伏せる。


「でも、やはりデニスの私情で周りを振り回すのはいけないよ。ラニット公爵家は、特に」


 真っ直ぐにこちらを見据え、兄は少しばかり表情を引き締めた。

かと思えば、緑の瞳に僅かな焦りを滲ませる。


「今回、下手したらデニスは死んでいたかもしれないのだから」


「……えっ?」


 あまりにも突拍子のない話に、私は目を見開いた。

理解が追いつかず瞳を揺らす私に、兄はスッと目を細める。


「いいかい?デニス。ラニット公爵は確かに冷酷で残忍だけど、人の心がない訳じゃない。自分のものに……身内に手を出されれば、当然怒る。ましてや、自分の庇護下に置いていた妻や弟なんて……逆鱗そのものだよ」


 神妙な面持ちで言葉を紡ぎ、兄はこれでもかというほど危機感を煽ってきた。


「だから、今日決闘という場でデニスを殺してもおかしくなかった。というか、本来その予定だったと思う。フェリクス(令息)の共犯者として裁かず、個人的に報復することを選んだのがいい証拠だ」


 かなり危ないところだったことを強調しつつ、兄は自身の顎を撫でる。


「でも、公爵は(すんで)のところで思い留まってくれた」


 『デニスは命拾いしたんだ』と語り、兄は人差し指を唇に押し当てた。

と同時に、真顔となる。


「ただし、次はないよ。そのことをよくよく肝に銘じておくといい」


 運良く助かっただけであることを告げ、兄はおもむろに立ち上がった。

部屋に取り付けられた掛け時計を眺めながら。


「さて、私はそろそろパーティー会場に戻るよ。主催者がずっと席を外していては、後で非難されてしまうからね」


 『デニスはこのまま休んでいて』と言い、兄は出入り口に向かって歩き出す。

が、途中で静止した。


「おっと、一つ言い忘れていたよ」


 そう言うが早いか、兄は顔だけこちらを振り返る。

緑の瞳に、僅かな希望を宿して。


「デニス、私を越える分野は……周りを見返す舞台は、別に皇位継承権争いじゃなくてもいいんじゃないかな?君には君の良さがあるのだから。わざわざ、こちらに有利なフィールドへ立って奮闘する必要はないと思う。皇帝という身分に特段こだわっていないのなら、尚更ね」


 『もっと視野を広く持つべき』とアドバイスし、兄は穏やかに微笑んだ。


「それから────私はたとえ、デニスの言う存在価値の証明が出来なくても君を認めているよ。だから、もっと肩の力を抜いて過ごしてごらん」


 『あまり生き急ぐな』と釘を刺し、兄は視線を前に戻す。

そして、今度こそ足を止めることなく医務室から出ていった。


「……言い忘れていたのは、一つじゃなかったのかよ」


 揚げ足取り同然の嫌味を零し、私はじっと怪我した方の手を見つめる。

いい加減無駄な抵抗はやめるべきか、と思って。

恐らく、これが────人生をやり直す最後のチャンスだから。


 正直まだ葛藤や(わだかま)りはあるが、ここで意地を張ったってどうしようもない。

もう一度、今後のこと・自分のこと・帝国のことよく考えてみよう。


 『時間はたっぷりある』と自分に言い聞かせ、私はそっと目を伏せた。

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