迎え
◇◆◇◆
────時は少し遡り、義弟の自宅へ連れてこられた翌朝のこと。
私は自室として宛てがわれた部屋で朝食を摂り、またボーッとしていた。
のだが……
「やあ、義姉さん。おはよう」
義弟の接触により、否が応でも現実を直視する羽目になる。
ニコニコと機嫌良さそうに笑う彼を前に、私は少しばかり身構えた。
もしかしたら、ロルフとのやり取りがバレてしまったのかもしれない、と思って。
『一応、証拠となりそうな紙は秘密裏に処分したけど』と思案する中、義弟は向かい側のソファへ腰を下ろす。
「昨日は放ったらかしにしちゃって、ごめんね。兄さんが引き止めてきて、なかなか帰れなかったんだよ」
『離婚を言い渡された、八つ当たりかな?』なんてボヤきつつ、義弟はやれやれと肩を竦めた。
かと思えば、おもむろに片手を上げる。
すると、示し合わせたかのように執事が紙やペンを持ってきた。
これは……やっぱり、昨日のやり取りを悟られている?それで、こちらに探りを入れようと……。
『でも、それにしては露骨ね』と考えていると、義弟がこちらにペンを差し出す。
「だから、今日はきっちり持て成すよ。ただし、やるべきことをやってくれたらね」
「やるべきこと、ですか?」
金の瞳に警戒心を滲ませ、私は口元に力を入れた。
『何を言われても動揺しないように』と自戒する私を前に、義弟はゆるりと口角を上げる。
「端的に言うと────兄さんに離婚を催促してほしい。もちろん、直接ではなく手紙でね」
『対面だと、ボロが出やすいから』と語り、義弟は自身の顎に手を当てた。
「昨日の様子を見る限り、兄さんはなかなか離婚に応じてくれないと思う。だから、口汚く罵ってあちらが『もういい』と匙を投げるよう、仕向けてほしいんだ」
『しつこく催促すれば、面倒臭がり屋の兄さんはいつか折れる』と主張し、義弟はクルリとペンを回す。
と同時に、先端でテーブルを突いた。
「安心して、文面はこっちで考えるから。義姉さんはそれを文字に起こしてくれれば、いい」
『簡単でしょ?』と言い、義弟は再度こちらへペンを差し出す。
どことなく圧を掛けてくる彼の前で、私は素直にソレを受け取った。
ついでに、便箋も。
要するに筆跡を誤魔化す手間を省くために、私自ら手紙を書いてほしいのね。
なかなか、惨いことを頼んでくるものだわ。
まあ、ロルフとのやり取りを知っている訳じゃなくて良かったけど。
『そこだけは不幸中の幸い』と考えつつ、私は手元に視線を落とす。
複雑な心情を押し殺すように深呼吸しながら。
「分かりました。何を書けば、いいですか?」
具体的な文章を提示するよう求めると、義弟はニッコリ笑った。
「話が早くて、助かるよ。やっぱり、義姉さんは賢い人だね」
『扱いやすい』という意味合いで褒めちぎる義弟に、私は内心苦笑を漏らす。
全く嬉しくないわね、と思って。
手に握ったペンとテーブルにある便箋を眺め、私は小さく息を吐いた。
その瞬間────地響きのような凄まじい音が、耳を劈く。
「「何の音?」」
思わず義弟と声を揃えてしまう私は、キョロキョロと辺りを見回した。
────と、ここでまた同じ音が。しかも、今度は振動まで伝わってくる。
『一体、何が起きているの?』と混乱する中、部屋の扉を蹴破られた。
反射的に席を立つ私と義弟の前に、二つの人影が現れる。
砂埃のせいでよく見えないが、ここの使用人じゃないことは何となく分かった。
先程の大きな物音と言い……まさか、侵入者?
などと予想を立てていると、砂埃が収まる。
そして、目にしたのは────
「旦那様、それにお姉様まで……」
────銀髪の美丈夫とオレンジ髪の女性の姿だった。
ちゃんと私の出したヒントを正しく紐解いて、お姉様のこと助けてくれたんだ……それも、こんな短時間で。
安堵と歓喜で胸がいっぱいになり、私は口元を押さえる。
そうしないと、泣いてしまいそうだったので。
『良かった……良かった』と心の中で繰り返す中、夫はこちらへ歩を進めた。
その途端、義弟が身を強ばらせるものの……彼は気にせず、私の前までやってくる。
「帰るぞ、レイチェル」
そう言って、こちらに手を差し伸べる夫は至っていつも通りだった。
怒りや落胆といった感情は、全く感じられない。
「見ての通り、クラリス・アスチルベ・フィオーレは救出・保護した。だから、もうここに留まる理由はない」
『さっさと来い』と促してくる夫に、私は少しばかり目を剥いた。
『あぁ、そうか。もう帰れるのか』と思って。
別に旦那様やロルフを信用してなかった訳じゃないけど、いざ『帰る』という選択肢を提示されると……なんだか、現実感が湧かなくて。
疑心暗鬼に近い心境へ陥り、私はまじまじと夫の手を見つめる。
「帰って……いいんですか?」
半ば呆然としながら尋ねると、夫は一つ息を吐いた。
「当たり前のことを聞くな。連れ帰る気がなければ、そもそも迎えに来ない」
『私は暇じゃないからな』と言い、夫はチラリと義弟の方を見る。
「昨日のことを憂いているなら断言しておくが、私は気にしていない。責任の所在は明らかだからな」
『レイチェルが悪くないことは理解している』と主張し、夫はこちらに視線を戻した。
かと思えば、差し伸べた手を更に前へ突き出す。
「とにかく、何も心配は要らない。他に何か問題がある訳じゃないなら、早くこの手を取れ。私の元へ帰ってこい」
真っ直ぐ目を見て説得してくる夫に、私は大きく瞳を揺らした。
と同時に、少しばかり頬を緩める。
「はい、旦那様」
夫の言葉に突き動かされるまま……自分の感情の赴くまま、私は手を重ねた。
すると、直ぐにギュッと握られる。
そのおかげか、やっと『嗚呼、帰れるんだ』と実感が湧いてきた。
『なんにせよ、これで一件落着ね』なんて考えていると、義弟が
「ちょっと待った」
と、声を上げる。
どことなく焦りを見せる彼は、さりげなく扉の方へ回った。
「悪いけど、義姉さんを帰す訳にはいかない」
「知るか。貴様の意見など、聞いていない」
夫は間髪容れずに言い返し、義弟のことを軽く睨む。
『邪魔だ』と威嚇するかのように。
「今日のところは何もせず帰ろうと思っていたが、こちらの行動を妨げるなら容赦しないぞ」
抜いたままの剣を握り直し、夫は『さっさと退け』と告げた。
が、義弟にも意地があるのか……それとも、もう後がないからか道を譲ろうとしない。
「そう。なら、僕のことも殺せば?父さんと母さんの時みたいにさ」
前公爵夫妻の死を話題に出し、義弟は挑発してきた。
多分……夫を怒らせて自分に牙を剥くよう仕向けることで、私にトラウマを植え付ける算段なのだろう。
それでまた結婚生活を考えるキッカケになればいい、と思って。
まさに捨て身の作戦だ。
半ば自暴自棄になっているのね。
だって、もうフェリクス様の目標は達成出来ないから。この挑発が成功しようと、失敗しようと。
貴族令嬢の誘拐、ラニット公爵夫人の脅迫、離婚の強要……どれをとっても、厳罰は免れないだろう。
当主の座を奪い取るとか、そんなこと言っている場合ではない。
『だから、せめて一矢報いたいんだろうけど……』と思案する中、夫はただ冷静に
「私は────殺していない。前公爵も、その夫人も」
と、主張した。
その途端、義弟はハッと乾いた笑みを零す。
「なにそれ?義姉さん達の前だから、浅はかにも自分の罪を隠そうとしているの?そんな見え透いた嘘をついてまで、さ」
「嘘では、ない」
すかさず義弟の言い分を否定し、夫は自分が無実であることを訴えた。
すると、義弟は『なに今更……』と呟いて目を吊り上げる。
ややピンク寄りの赤い瞳に、苛立ちを滲ませながら。
「じゃあ、誰が僕の両親を殺したって言うのさ!」
「それは言えない」
どことなく硬い声色でキッパリ断る夫に対し、義弟は顔を顰める。
「なら……!」
「だが、準備が出来次第……皇室の許可が取れ次第、真実を明かすと約束する。それこそ、明日にでも」
「……はっ?」
思わずといった様子で固まり、義弟は大きく瞳を揺らした。
まさか、兄が自ら真実を話す気になるとは思わなかったのだろう。
『今までどんなに懇願しても、ダメだったのに……』と呆然とする義弟の前で、夫はスッと目を細める。
「こちらも、そろそろ我慢の限界だからな。全く関係のない第三者まで巻き込むような能無しには、付き合い切れない」




