救出《ヘレス side》
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────妻を弟へ預けた日の深夜。
私はロルフの持ち帰った情報とフィオーレ伯爵より届いた長女失踪の報告を思い浮かべ、一つ息を吐いた。
これはもう確実だな、と考えて。
「クラリス・アスチルベ・フィオーレを人質に取って、我が妻を脅すとは……やってくれたな、フェリクス」
手に持ったペンをへし折り、私は眉間に深い皺を刻み込む。
頭が沸騰するような感覚を覚えながら、強く奥歯を噛み締めた。
正直、フェリクスがここまでやるとは思ってなかった。
私に関することだけは過激だが、基本は気の良い奴だから。
故に、レイチェルの身柄の譲渡も許可したんだが……今思えば、軽率だったかもしれない。
もっと抵抗していれば、あるいは……いや、それでもしもクラリス・アスチルベ・フィオーレに何かあれば、レイチェルは精神を病んでいただろう。
なんだかんだ言いながらも家族に甘い妻のことを考え、私はトントンと指先で執務机を叩く。
『なんにせよ、過ぎたことはもう仕方ない』と自分に言い聞かせて。
「ロルフ、クラリス・アスチルベ・フィオーレの居場所を特定しろ。無論、周囲に気取られぬようにな」
執務室の端で待機していた幼馴染みへ指示を出し、私は懐からハンカチを取り出した。
と同時に、インクで汚れた手を拭う。
とにかく、私のすることはただ一つ。
クラリス・アスチルベ・フィオーレを救出・保護して、レイチェルを迎えに行く。
ただ、それだけだ。
離婚なんて端から頭にない私は、『こんな茶番、さっさと終わらせたい』と願う。
妻の居ない屋敷は、なんだか妙だから。
『つい数ヶ月前までは、それが普通だったのにな』と思案する中、ロルフは姿勢を正した。
「畏まりました。明日の早朝までには、特定してみせます」
────と、啖呵を切った五時間後。
ロルフは本当にクラリス・アスチルベ・フィオーレの現在位置を割り出した。
限られた人材、時間、手掛かりだったのに。
『弱腰で頼りない風貌だが、有能なんだよな』と考える私を前に、ロルフは目の前の建物を見据える。
「────ここです。この倉庫にクラリス嬢が、いらっしゃいます」
郊外にある廃墟同然の建物を手で示し、ロルフは懐へ手を入れた。
「警備は内外問わず、一人だけです。多分、こちらが動く事態を考慮していないのでしょう。実際、奥様からヒントをもらわなければ我々はクラリス嬢の危機に気づきませんでしたから」
『なので、見張りだけ置いたのかと』と主張し、ロルフは短剣を取り出す。
恐らく、護身用だろう。
「そうか。こちらを甘く見られているのは癪だが、好都合だな」
『手間を省ける』と考えつつ、私は腰に差した剣へ手を掛けた。
「私がその見張りを蹴散らすから、ロルフはクラリス・アスチルベ・フィオーレの保護に当たれ」
『私も直ぐに合流する』と告げると、直ぐさま目の前の扉を蹴破る。
大きな音を立てて倒れる二枚の板を一瞥し、私は抜刀した。
その瞬間、入り口の真横……ちょうど扉の死角になりそうなところから、人が飛び出してくる。
多分、こいつが見張りだ。
いきなり、真正面から斬り掛かってくるか。まあ、悪くない判断だ。
隠れ蓑にする予定の扉を破壊されたことで、奇襲は不可能になったからな。
床に落ちた二枚の板を前に、私は『こちらが奥へ行ったタイミングで、後ろから襲う算段だったのだろう』と推測する。
複数人を相手取るなら、真っ向勝負は避けたい筈なので。
『だからこそ、扉をダメにしたんだが』と思案しながら、私は剣を振るった。
と同時に、見張りの男の剣撃を跳ね返す。
「っ……!」
見張りの男は苦しそうに顔を歪めて後ろへ下がり、手首を押さえた。
それも、剣を握っている方を。
『先程の反撃で、痛めたのだろう』と予想する中、彼は少しばかり焦りを見せる。
「誰かと思えば……よりによって、ラニット公爵か。参ったね」
『全くもって、ついていない』と嘆き、見張りの男は小さく肩を竦めた。
かと思えば、片手を後ろへ回す。
「これじゃあ、僕に勝ち目はないよ」
やれやれとでも言うように頭を振り、見張りの男はゆっくりと後退していく。
逃げるつもりか?それとも……。
後ろに回された相手の手の動きを目で追いつつ、私は血の流れに意識を向けた。
────ラニット公爵家に伝わる例の能力、テンペスタースを使うために。
「貴様の長話に付き合っている暇は、ない」
そう言うが早いか、私は手のひらを前へ突き出す。
しっかりと座標を定めないといけないので。
『剣に纏わせるだけなら、ここまでしなくていいんだが』と考えながら、手を振り下ろす。
すると────見張りの男の背後に、雷が落ちた。
「いっ……!?」
狙い通り後ろへ回した手に雷が直撃したのか、見張りの男は思い切り顔を歪める。
また、その拍子に何かを落とした。
「やはり────発煙筒を隠し持っていたか」
何かの合図を送る時によく使うソレを前に、私は『大方、味方でも呼ぶつもりだったのだろう』と推察する。
幸いまだ火のついていない状態であることを確認し、見張りの男へ視線を戻した。
「まあ、悪くない判断だ。私が相手じゃなければ」
ゆっくりと歩を進め、私は手に持った剣を振り上げる。
反射的に身を硬くする彼の前で、私はスッと目を細めた。
と同時に、剣を振り下ろす。
「────ま、待って!殺さないで!」
悲鳴にも似た高い声が耳を掠め、私は『あぁ、無事発見したのか』と他人事のように考えた。
その間、剣を止めることはなく────予定通り、持ち手部分で見張りの男を殴る。
しっかり首裏に狙いを定めたおかげか、彼は一瞬にして気を失った。
「えっ……?殺しちゃったの?」
そう言って、倉庫の奥から姿を現したのは他の誰でもないクラリス・アスチルベ・フィオーレだった。
縄の痕が残った手足を使ってこちらに来る彼女は、顔面蒼白である。
『そんな……』と半泣きになる彼女を前に、私は一つ息を吐いた。
「殺していない。気絶させただけだ。だから、いちいち騒ぐな」
『鬱陶しい』と告げ、私は剣を鞘に収める。
と同時に、クラリス・アスチルベ・フィオーレが大粒の涙を流した。
「よ、良かった……」




