紙と髪
「……是非お願いします」
義弟の望む通りの返事を口にすると、彼は満足そうに微笑んだ。
が、直ぐに真剣な顔つきとなって夫達の方へ向き直る。
「本人もこう言っているし、しばらく預かるよ。いいよね?兄さん」
「……」
夫はうんともすんとも言わずに、ただじっとこちらを……私を見つめる。
まるで、『レイチェルはそれでいいのか?』と問うように。
全然よくない……嫌に決まっている。私は旦那様の隣に居たい。
でも、お姉様のことを見捨ててまでこの願いを叶えたいとは思わないわ。
だから……。
「────分かった」
そっと目を閉じて、夫は義弟の申し出を受け入れた。
いつもなら、『ふざけるな』と叱咤している筈なのに。
これには、義弟本人も驚く。
「いいの?兄さんなら、絶対に反発すると思ったけど」
「貴様に預けるのは癪だが、レイチェルの意思なら仕方ない」
「なら、離婚の方も……」
「そっちは別の話だ」
『レイチェルの意思だからと言って、直ぐに承認は出来ない』と言い放ち、夫は一歩後ろへ下がった。
かと思えば、道を開ける。
「いいから、とにかく連れて行け。そして、家に送り届けたら直ぐに戻ってこい。第二皇子の代理人として、やってきた“急ぎの用件”とやらを処理しないといけないからな」
『まさか、何の用事もなく来た訳じゃないだろう?』と言い、夫は両腕を組んだ。
どことなく威圧感を放つ彼に対し、義弟は『もちろんだよ』と述べる。
「じゃあ、とりあえず義姉さんを送っていくね」
────と、義弟に言われた数時間後。
私は彼の住む家へ足を運び、客室でただボーッとしていた。
特にやることが、なかったので。
何より、使用人に見張られているため下手に動けなかった。
『トイレに行くだけでも、怪しい目で見られるから……』と嘆息し、私はソファの背もたれに寄り掛かる。
これで……良かったのよね?
冷静になって自分の行動や決断を振り返り、私は少し不安になった。
風に揺れるピンク髪を押さえつつ、口元に力を入れる。
────と、ここで窓から何か飛び込んできた。
「……紙?」
ちょうど足元に落ちたソレを前に、私はパチパチと瞬きを繰り返す。
が、あることに気づくなり目の色を変えた。
「────あの、どうかなさいましたか?」
先程の独り言を聞いていたのか、使用人の一人が不思議そうにこちらを見つめる。
戸惑っている様子の相手に対し、私は慌てて
「何でもありません。ちょっと髪が乱れて、驚いただけで」
と、弁明した。
『はあ……』と言って仕事に戻っていく使用人を見送り、私は素早く足元の紙を拾い上げる。
やっぱり、これ────ロルフの文字だわ。
執務室で何度か見かけた彼の筆跡を思い出し、私はゴクリと喉を鳴らした。
わざわざ、こんな回りくどい方法を取って接触してきたということはあちらも何か異変を感じ取っているんだろう、と思って。
『フェリクス様の言動も私の態度も明らかにおかしかったものね』と考えながら、折り畳まれた紙を広げる。
と同時に、内容を確認した。
『奥様、ロルフです。至急、確認したいことがあります。離婚したいというのは、奥様の意思ですか?もし、違うなら髪を耳に掛けてください』
髪を耳に掛ける、か……ロルフはどこかから、こちらの様子を窺っているのかしら?
チラリと窓の外に視線を向け、私は目を凝らす。
が、かなり遠くに居るのかそれとも隠密に長けているのか、ロルフの姿は見当たらなかった。
『まあ、私にバレるくらいならとっくに使用人達に捕まっているか』と思いつつ、横髪を耳に掛ける。
すると、五分ほどして次の紙が投げ込まれた。
また足元に落ちたソレを拾い上げ、私は内容を確認する。
『離婚の申し出は本意じゃないとのことで、安心しました。では、フェリクス様に脅されて仕方なく離婚を申し出たという解釈でよろしいでしょうか?合っている場合は先程、耳に掛けた髪を下ろしてください。違う場合は指に髪を巻き付けるよう、お願いします』
またもや髪関連の意思伝達方法に、私はちょっと笑ってしまう。
なんだか、気が抜けてしまって。
でも、おかげでリラックス出来た。
『後でロルフにお礼を言いましょう』と思案する中、私は先程耳に掛けた髪を下ろす。
そのまま待つこと三分、三つ目の紙が放り込まれた。
一つ目や二つ目に比べるとやや小さいソレを前に、私は身を屈める。
そして、素早く回収すると、文章に目を通した。
『脅迫内容について、教えてください。もちろん、周りにバレない程度に』
こればっかりは、さすがに選択形式を取れなかったみたいね。
まあ、無理もないわ。
お姉様を人質に取られているなんて、夢にも思わないでしょうし。
などと考えながら、私は辺りを見回す。
何かないか、と思って。
『周りにバレないよう、お姉様の危機を知らせるには……』と思考を巡らせていると、不意に庭の花が目に入った。
「────アスチルベ」
姉のミドルネームに入っている花をたまたま見つけ、私はハッとする。
『これを使えば、お姉様のことを伝えられるかもしれない』と気づいて。
ロルフや旦那様がこちらのヒントを正しく理解してくれるか、どうか分からないけど……でも、試してみる価値はあるわ。
手に持っていた紙を全てポケットに入れ、私は使用人の方へ視線を向ける。
「あの、庭にあるアスチルベを一輪いただけますか?」
『とても綺麗なので、近くで見たくて』と頼むと、使用人はわりとすんなり了承してくれた。
直ぐに庭へ出てアスチルベを採取し、こちらへ持ってくる。
『どうぞ』とソレを手渡す使用人に、私は礼を言った。
と同時に、アスチルベを髪へ挿す。
どうか、気づいて……お願い。
祈るような気持ちで窓の方を見やり、私はただただ風に揺られた。




